ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

お天道様がビタミンDを作ってくれる。

2019-08-16 16:41:54 | Weblog


お盆ですね。送り盆ですね。

嵐山辺りは、田舎の風習がすごく残っていまして、みんなそらぞれのお墓へ笹の葉がついた竹を持って歩いていたりします。いい風景です。この日ばかりは、生意気盛りの子供達も一緒に家族揃って。田んぼの緑。空にはトンボ。いい風景です。

三日ぶり?四日ぶりの畑です。久しぶりに外へ出ました。
強烈な日差しの中、「やっぱり外は気持ちいいなぁ」と呟いたりしながら。
いやしかし、すごい暑さだ。滝のように汗が出る。でも、やっぱり外がいい。

長靴はまだ履けない。だから、クロックス。火傷の傷に化膿止めの薬を塗って、ガーゼを当てて、その上からバンダナを巻いて。クロックス。水ぶくれが潰れるのは仕方がない。だって、完治まであと十日くらいは要しそうだから。さすがにそんなには待てない。

畑の台風被害。
キュウリの棚が壊された。半壊。すぐに直った。直ってはいないけど、まぁ、立て直した。

あとはちょこちょこ。ナスやピーマンやパプリカの支柱を直したり。

今年はズッキーニが豊作だったのに・・・根元から折れていた。子供ズッキーニが10本くらい付いたまま、根元から・・・。悲しい。

台風とはいえ、久しぶりの雨。そして晴天。トマトが300個くらい真っ赤っかになっている。収穫せねば。なかなか忙しい。

大火傷の原因になったドライベジタブル。つまり、干し野菜。

この三日間の雨。雨がかからないように軒下にぶら下げておいた。
今朝見たら、全部カビが生えていた。超ウルトラショック。なんのために火傷をしたんだ?
全部捨てた。超ウルトラスーパーショック。
超ウルトラスーパースペシャル火傷損。

まぁ、人生なんて、そんなものだ。そんなものなんだよ。

なんか、みんな、シシトウ、好きだよねぇ。いや、知らないけど。シシトウ、みんな好きらしいよ。
たぶん、たまにしか食べないからだと思うけど。
シシトウが鈴生りになっていてさ。さっき、200個くらい収穫した。200個は食べられない。200個は干せない。干しても食べない。でも、収穫はする。収穫しないと次が成らないから。

外は楽しい。太陽の下にいると幸せな気分になる。僕は、お天道様と仲良しだ。たぶん、そこそこに仲良しだ。

最近の僕の幸せの理由は、そんなところにもあるのかもしれない。

さて、トマトの収穫をするかな?
それとも、秋茄子の苗を植える畝の準備をするかな?
何しろとても忙しい。

もう一つの畑。今日は行けるかな?行けないかな?


みんなで。ぴゃんに。会いに。行かなきゃ。

2019-08-16 00:41:43 | Weblog


みほも、ひろしも、まこも、まさしも、エムケイも、ヨッシーも、きょっつも、ぎょいにーも・・・みーんなぴゃんの世話になった。

ちなみに、ぴゃんは死んでいない。まだ。

ある時、ぴゃんの家で打ち上げをやって酒を飲んだ未成年が、家へ帰って、ママにこう言ったらしい。
「ぴゃんの家で酒を飲んだ」

普通言わないんだよ。そういうことは。馬鹿にもほどがあるって話。

そのママってのは、息子がバンドをやってるってことが気に入らない。息子がバンドをやってるのはぴゃんという悪人のせいだと思う思っているような強烈なママンでね。

たーいへんなことになった。
まずは警察だったかな?
それから、議員に働きかけて、新聞社を動かしたね。
公務員のぴゃんが自宅で未成年に酒を飲ませたっていう記事が地方版に載りまして。
そこまでやるかママン?

町中が大騒ぎ。

ぴゃんをずっと擁護してきた教育長がクビになったり。

その後のぴゃん。事件後のぴゃん。
公民館で働くための社会教育主事という資格を持っているぴゃんは、本来公民館でしか働かなくていいのだが、ここはペナルティである。反ぴゃん派の働きかけもある。反教育長派とかなんとか派閥争いもあったのだろう。

びゃんは収税課という部署に回されてしまった。税金を滞納している人たちの家を回って、税金を取り立てる役回りである。

そして、その後、ぴゃんは腰に腫瘍が出来て、脚が痺れてまともに動けなくなった。

もうぴゃんも死んじゃうなぁ。死んじゃう前に会いに行かないとなぁと、いつもエムケイと話していた。
それから十年以上経ったと想う。

ねぇ・・・ぴゃん、全然死なないじゃん!

去年、久しぶりにぴゃんから連絡があった。
定年より五年早く仕事を辞めたと言う。だいぶ調子が悪いそうだ。
月の半分を実家のある石川の海辺に家を借りて過ごしているらしい。
残りの月の半分は、こちらで、人権問題やら政治活動やら精力的に動いているらしい。

ぴゃん、全然死なないなぁ。

で、宮崎さんである。やっと宮崎さんである。

僕らは実際、宮崎さんにも世話になった。宮崎さんも公民館の職員だった人である。バンド活動を応援してくれていた。
と思っていた。僕はずっとそう思っていた。

が、実際は全然違っていたらしく・・・。実は、本人は公民館なんぞでは働きたくなんかなく、バンド活動を支えたくもなく、一刻も早く市庁舎へ帰りたく、公民館活動命のぴゃんのことが死ぬほど嫌いであり・・・。

人間の、そういう裏表を目の当たりにした時の、若き日の僕の衝撃は言葉に出来ないほどのものである。
なんで?なんでなの?じゃあ、なんで応援してる風を?イミフー。

もちろん、事件に際してのぴゃん攻撃の急先鋒に立ったのも宮崎さんだったとか・・・そこらへんはよく知らないのだけれどね。

最後に宮崎さんに会った時に、宮崎さんはこう言っていた。

「あいつのせいで、また公民館に戻されちまった」

あいつとは、ぴゃんのことである。

二年ほど市庁舎へ戻っていた宮崎さんなのだが、ぴゃんが市庁舎へ戻された代わりに、空いた席に宮崎さんが座るという・・・座りたくないのに・・・という。

僕は、なんとなく、こう思っている。
ぴゃんの運命を変えたのは、宮崎さんなんじゃないかって。あと、イワシ。イワシってのは、ママンの息子。ママンに告げ口したイワシ。イワシっての苗字だから、ママンの名前もイワシ。イワシ一家。ブルーハーツが好きだったイワシ。ヒロトに謝ってほしい。まぁ、それはいい。

冒頭で「ロクな死に方をしない」という件を書いたが、それを宮崎さんに対しては思わない。たぶん。思ったことはない。たぶん。

きっとぴゃんも思わない。思っていたら見舞いには行かない。
でも、結局、冒頭の二人の会話が示すように、「複雑」な想いなのである。

意識混濁で何も話せなかったそうだが、ぴゃんと宮崎さんとが何かしらの会話を交わせていたとしたら・・・また違ったのかもしれないなぁ・・・と思ったりする。複雑が単純に変わったのかもしれないなぁ。とか。

宮崎さん、まだ五十半ばだそうだ。まだ若い。人は若くても死ぬ。若かろうが年寄りだろうが、死ぬときは死ぬ。

さぁ、僕らは生きよう。この命ある限り。死ぬまで生きようじゃないか。

さっき、電話でエムケイと話した。

「ぴゃんが死ぬ前に会いに行かないとね」

そして、僕は想う。

ぴゃん、全然死なないじゃーん!

おわり。


ライバルが好敵手とは限らない。

2019-08-16 00:24:09 | Weblog


ぴゃんは熱き人である。どうしようもなく。

僕らは少し大人になって、こうみんかへ顔を出すことも少なくなった。

時々ぴゃんから電話がある。話を聞いてみると、地元のヤンキーたちを集めてバンドをやらせるから、教えてやって欲しいとか、訳の分からないことを言いだしたりする。

仕方がないので行ってみると、ガチンコファイトクラブみたいなことになっていてりする。しかも、テレビ的なやつじゃなくて、リアルなやつ。

リアルさっき駅で盗んできたバイクでやって来て、リアルさっき決めたシンナーの匂いをプンプンさせて・・・僕はふと思うのである。・・・ぴゃん、おれは竹原慎二みたいに強くないから・・・負けちゃうから・・・とね。

ぴゃんは、こう思っているのである。こいつらをバンドで更生させよう!ってね。シングたちを更生させたみたいに、こいつらも更生させよう!ってね。

馬鹿馬鹿馬鹿。おれたちなんて、全然悪くなかったっつーの。

実際、何度か教えに行って、仲良しになって・・・そのあとどうしたんだっけなぁ。
やつらはもう来なくなっちゃったんだっけなぁ。やつらはやつらで忙しかっただろうしなぁ。

やつらのうちの何人かは、そのあとヤクザかヤクザまがいの仕事に就いて、死んでしまったっていう話を聞いた気がする。なにぶん、リアルガチなやつらだったものでね。

そんなぴゃんなものでね。余計なこと、やらなくていいことをたーくさんするものでね。それが生き甲斐、スクールウォーズの山下真治みたいなものなのでね。敵も多くてね。色々とあった。

バンドのライブの打ち上げを、ぴゃんの家でやったりする。
ぴゃんは早々に酔っ払ってしまい寝てしまう。
ぴゃんが寝た後も、みんなでワイワイ朝まで盛り上がったり。

たとえば、そこに未成年がいたりする。別に未成年がいたって構いはしない。酒が飲みたきゃ飲めばいい。ほどほどになら飲めばいい。自分の責任で。そんなものは当たり前の話である。
誰でも彼でも、酒が飲みたきゃ飲むのである。スーパーやコンビニで買って、勝手にそこら辺で飲むのである。そんなの昔から普通。普通のこと。なんの問題もない。はず。でしょ?

なんの問題もないはずのことが、どこでもかしこでも行われていることが、時々問題になったりする。

つづく。