ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

みんなで。ぴゃんに。会いに。行かなきゃ。

2019-08-16 00:41:43 | Weblog


みほも、ひろしも、まこも、まさしも、エムケイも、ヨッシーも、きょっつも、ぎょいにーも・・・みーんなぴゃんの世話になった。

ちなみに、ぴゃんは死んでいない。まだ。

ある時、ぴゃんの家で打ち上げをやって酒を飲んだ未成年が、家へ帰って、ママにこう言ったらしい。
「ぴゃんの家で酒を飲んだ」

普通言わないんだよ。そういうことは。馬鹿にもほどがあるって話。

そのママってのは、息子がバンドをやってるってことが気に入らない。息子がバンドをやってるのはぴゃんという悪人のせいだと思う思っているような強烈なママンでね。

たーいへんなことになった。
まずは警察だったかな?
それから、議員に働きかけて、新聞社を動かしたね。
公務員のぴゃんが自宅で未成年に酒を飲ませたっていう記事が地方版に載りまして。
そこまでやるかママン?

町中が大騒ぎ。

ぴゃんをずっと擁護してきた教育長がクビになったり。

その後のぴゃん。事件後のぴゃん。
公民館で働くための社会教育主事という資格を持っているぴゃんは、本来公民館でしか働かなくていいのだが、ここはペナルティである。反ぴゃん派の働きかけもある。反教育長派とかなんとか派閥争いもあったのだろう。

びゃんは収税課という部署に回されてしまった。税金を滞納している人たちの家を回って、税金を取り立てる役回りである。

そして、その後、ぴゃんは腰に腫瘍が出来て、脚が痺れてまともに動けなくなった。

もうぴゃんも死んじゃうなぁ。死んじゃう前に会いに行かないとなぁと、いつもエムケイと話していた。
それから十年以上経ったと想う。

ねぇ・・・ぴゃん、全然死なないじゃん!

去年、久しぶりにぴゃんから連絡があった。
定年より五年早く仕事を辞めたと言う。だいぶ調子が悪いそうだ。
月の半分を実家のある石川の海辺に家を借りて過ごしているらしい。
残りの月の半分は、こちらで、人権問題やら政治活動やら精力的に動いているらしい。

ぴゃん、全然死なないなぁ。

で、宮崎さんである。やっと宮崎さんである。

僕らは実際、宮崎さんにも世話になった。宮崎さんも公民館の職員だった人である。バンド活動を応援してくれていた。
と思っていた。僕はずっとそう思っていた。

が、実際は全然違っていたらしく・・・。実は、本人は公民館なんぞでは働きたくなんかなく、バンド活動を支えたくもなく、一刻も早く市庁舎へ帰りたく、公民館活動命のぴゃんのことが死ぬほど嫌いであり・・・。

人間の、そういう裏表を目の当たりにした時の、若き日の僕の衝撃は言葉に出来ないほどのものである。
なんで?なんでなの?じゃあ、なんで応援してる風を?イミフー。

もちろん、事件に際してのぴゃん攻撃の急先鋒に立ったのも宮崎さんだったとか・・・そこらへんはよく知らないのだけれどね。

最後に宮崎さんに会った時に、宮崎さんはこう言っていた。

「あいつのせいで、また公民館に戻されちまった」

あいつとは、ぴゃんのことである。

二年ほど市庁舎へ戻っていた宮崎さんなのだが、ぴゃんが市庁舎へ戻された代わりに、空いた席に宮崎さんが座るという・・・座りたくないのに・・・という。

僕は、なんとなく、こう思っている。
ぴゃんの運命を変えたのは、宮崎さんなんじゃないかって。あと、イワシ。イワシってのは、ママンの息子。ママンに告げ口したイワシ。イワシっての苗字だから、ママンの名前もイワシ。イワシ一家。ブルーハーツが好きだったイワシ。ヒロトに謝ってほしい。まぁ、それはいい。

冒頭で「ロクな死に方をしない」という件を書いたが、それを宮崎さんに対しては思わない。たぶん。思ったことはない。たぶん。

きっとぴゃんも思わない。思っていたら見舞いには行かない。
でも、結局、冒頭の二人の会話が示すように、「複雑」な想いなのである。

意識混濁で何も話せなかったそうだが、ぴゃんと宮崎さんとが何かしらの会話を交わせていたとしたら・・・また違ったのかもしれないなぁ・・・と思ったりする。複雑が単純に変わったのかもしれないなぁ。とか。

宮崎さん、まだ五十半ばだそうだ。まだ若い。人は若くても死ぬ。若かろうが年寄りだろうが、死ぬときは死ぬ。

さぁ、僕らは生きよう。この命ある限り。死ぬまで生きようじゃないか。

さっき、電話でエムケイと話した。

「ぴゃんが死ぬ前に会いに行かないとね」

そして、僕は想う。

ぴゃん、全然死なないじゃーん!

おわり。


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