大好きだった友人が亡くなりました。
それから1週間
そのことを書きたいのだけど
どう書いていいのかわかりませんでした
「さよなら」とタイトルを書いてみたけれど、
私の胸の中は
そのM子ちゃんでいっぱいで、
さよなら=the end ではぜんぜんない。
M子ちゃんに病気のことを聞かされたのは
8年くらい前にロンドンから一時帰国した時でした。
それから、
時々容態が良くない時もあったようなのだけど
病気になる以前と同じように
1年前まで
友達の誕生日パーティーや、
フリマ、紅葉を見るランチなど、
仕事を続けられなくなってからも
好きなことには元気に出かけていたM子ちゃん
その頃会うと、
写真を撮ってくれて、
次に会った時にちゃんとプリントした写真をくれたんだよね。
そこには、M子ちゃん自身も
数人の友達と一緒に写っているの。
写真を持っていれば
M子ちゃんの顔をいつでも見れるけど、
たとえ写真がなくても
自分の心を人生に表現していたM子ちゃんの
魂の存在はなくならない。
だから「さよなら」という言葉は変で使えなくて
今は
一緒にお茶を飲んだり
服の話(デザイナーでした)はできなくなっちゃったから
私の魂がこの身体を離れるまで
それまでの「お別れ」だと
思います。
それから1週間
そのことを書きたいのだけど
どう書いていいのかわかりませんでした
「さよなら」とタイトルを書いてみたけれど、
私の胸の中は
そのM子ちゃんでいっぱいで、
さよなら=the end ではぜんぜんない。
M子ちゃんに病気のことを聞かされたのは
8年くらい前にロンドンから一時帰国した時でした。
それから、
時々容態が良くない時もあったようなのだけど
病気になる以前と同じように
1年前まで
友達の誕生日パーティーや、
フリマ、紅葉を見るランチなど、
仕事を続けられなくなってからも
好きなことには元気に出かけていたM子ちゃん
その頃会うと、
写真を撮ってくれて、
次に会った時にちゃんとプリントした写真をくれたんだよね。
そこには、M子ちゃん自身も
数人の友達と一緒に写っているの。
写真を持っていれば
M子ちゃんの顔をいつでも見れるけど、
たとえ写真がなくても
自分の心を人生に表現していたM子ちゃんの
魂の存在はなくならない。
だから「さよなら」という言葉は変で使えなくて
今は
一緒にお茶を飲んだり
服の話(デザイナーでした)はできなくなっちゃったから
私の魂がこの身体を離れるまで
それまでの「お別れ」だと
思います。