「as astonishing as when you go into a motorway service station and see they’ve still got a Wimpy /高速のサービスエリアにウィンピーがまだ残ってるのと同じくらい驚くべき」
これは、赤字会社であるMJNエアーが生き延びてることのたとえをキャロリンみずから語った、「クリスマススペシャル/モロカイ」エピソードの台詞です。和訳の中に写真を貼っておきましたのでお分かりになった方も多いですね!ウィンピーとはイギリスのハンバーガー・チェーン店で、「裏切りのサーカス」に出て来たように、70年代まではありふれた存在だったのです。ところが80年代にマクドナルドやバーガーキングに押され、減少の一途をたどっているので、キャロリンに言われてしまうのです。
こちらが最後の1軒となった高速サービスエリアのWimpyレストラン
私が初めてロンドンへ行った80年代にはロンドン中心地にも確かあったのです。どこにあったのかは覚えてないけれど、ネットで検索もできない時代に、Wimpyはイギリスのハンバーガーという認識はあって、所変わって東京は新宿コマ劇場まわり(今はないのかな?)のミニシアターで、ロックバンド、ザ・クラッシュが出ていた「ルード・ボーイ」という映画を見た時、ロンドン気分でその映画館の下にあったWimpyでハンバーガーを買った覚えがあるのです。今映画を調べたら、日本公開は1987年。だからその時点では日本にもあったんですよ!!(Wikiによればなんと日本初の海外産まれのハンバーガーチェーン店だったそうです)
1977年生まれのジョン・フィネモアもまだかろうじてウィンピーがマックとキングに塗り替えられる過渡期を体験しているでしょうね。そしてMJAでも1番年上のキャロリンが言う事で、そのWimpyという響きに古き良きイギリスへの懐かしさと、こんなにメジャーブランドにやられてるのに、なぜかかろうじて生き延びてる可笑しさと愛おしさをそのままMJNに重ねられるのじゃないでしょうか。
ところで、レストランのウエブサイトでメニューが見られるのですが、なかなか美味しそうなんです。マーティンが時々自分へのご褒美に食べるジャケット・ポテトや、イングリッシュ・ブレクファストもありますよ。そうそう、今ここはカウンターサービスのファストフードではなく、テーブルで注文する、ちゃんとしたお皿にお料理が乗って来る形式のレストランです。
わー、これ美味しそう!
>>スイトピア
京都ですね!
別の方のコメントで教えていただきましたが、他チェーンとは違う
ハンバーガー屋さんだったそうで、
こうして時間がたってもみんなの心に残ってるのすごいですね!
今、ドムドムが熱いです。
https://domdomhamburger.com/menu_burger
バラババオ、チッェクしておきます。
天ぷら近藤は、予約時にオヤジさんの方を、と断れば空いている限りはお受けされるそうです。別に息子さんで、奥のこじんまりとした方で充分かと思います。
ランチで椿のコースを予約し、「さつま芋」の天ぷらを追加しました。「さつま芋」の天ぷらは大きく、40分かかるので最初にきかれます。訊かれなければ、自ら言わないとダメです。
また、にんじんの芸術的な天ぷらも別です。この二つを取り込むには多分椿は女性には多いかも知れません。菫のコースがいいかも知れません。
十数年ぶりにロッテリアのハンバーガーを食べました。カルビーのコラボ商品についていた割引クーポンの期限が迫っていたからです。
パンの生地の細かさはマックより細かく感じ、口の中で滑らかにはいっていく感じがします。絶品チーズバーガーは、従来品よりチーズのコクがある感じがしました。リブサンドポークは、スモーキーな味わいがいいですネ。79年の社員当時は、イタリアン・ホットのハム、サラミなんて高温でプレスしてピッツァの愚がトロトロ熱々のサンドがありました。
天ぷら近藤良さそうですね、匠の技のお食事がいただけそうです。
何かお祝い事があったら夫とぜひ一度行ってみたい。
鎌倉の旅も楽しめて何よりです。
充実したゴールデンウイークだったのですね。
近藤といえば、同じ銀座で先日行ったレストランに感動しました。
barababaoバラババオ
東京都中央区銀座2-6-5 銀座トレシャス9階
3535-7722
ここの入り口付近にバーがあり、奥がテーブル席となっています。
バーのところで過ごしたのですが、ここがイタリアはベニスの
カジュアルなレストランにそっくりで、カウンターに並んだアンティパスティから
好きなものを何種類でも注文してお皿に盛りつけてもらい、
立ち席でプロセッコなどのドリンクとそのお料理を食べます。
イタリア式大皿料理みたいなものですが、1種類100円からあるのです。
そしてお水もイタリア式に有料ですがガス抜き/ガス入りを選んでコップに注いでもらい
50円くらいです。食後にはレストランメニューを見てデザートも頼め、
コーヒー類はバーで作ってもらいエスプレッソ150円からです!
内装もイタリア製とのことですが、内装よりも食べ物/飲み物の質と値段が
イタリア並というところにいたく感動しました。
天ぷら近藤は、やはり凄かった。こまめに余分についた天ぷら粉をはたきながら、素早い手つきで次々とフライヤーに投げ入れ、最適な時間でパッパと挙げていく・・・。後ろに立った給仕の方々は、お皿の和紙が余分な油を吸わないよう、これまたこまめに取り代えていく。
稲村ケ崎の「タベルナ・ロンディーノ」は二階から湘南の海が見渡せ、稲村ケ崎がすぐ左手に見える。ヒラメやスズキは新鮮でクセがなく、そこに鎌倉野菜が彩り良くお皿を飾り立てる。見ていて飽きない。
鎌倉大仏の前の電線を台湾リスが駆けて行くのが見えた。野生化し、獣害も出ているのでエサをあげないで下さい!と立て札まであった。
ハンバーガー抜きで済みません。
29日は「天ぷらの近藤」、30日は由比ガ浜の「タベルナロンディーノ」でランチの予約を入れてあります。
http://www.tavernarondino.co.jp/
銀座で「ベアバーガー」なる高級バーガーがオープンしてました。
http://bareburger.co.jp/ginza/index.html
新橋駅の近くに「鯛焼き」家さんもありました。
http://www.sakuraya-taiyaki.biz/menu/index.html
アイスコーヒー一杯で980円の「椿屋珈琲」は、ボッタクリですわ。
http://www.towafood-net.co.jp/cafe/tabid/79/Default.aspx
定年祝いのポールマッカートニーでしたか。
天ぷらの近藤は、海外アーティストが来日した時にももてなしに使う店だと聞いたことがありますよ。豪華な東京旅行になって何よりです。
銀座のアラレやさんも美味しそうなのをご紹介いただきありがとうございます。銀座はよく行くので、手土産を求めるのに良さそうです。
7日の夜は、桜田淳子に酔いしれていました。
「アニーよ銃をとれ」は、86年夫婦で滋賀県で見たものだったので、懐かしかった。と、思って居たら、7日取材を受けた中で「目覚まし土曜日」に出ていた、とお隣さん、妻の姉などから妻に連絡がいったそうです。
圧倒的な声量、コケティッシュな表情、まさに妖精が舞い降りたひとときでした。
高校、大学で仏教系で宗教を習った私には、「被害者」とは何かよく判りません。
コメディもミュージカルもこなせ、国民的番組の朝ドラの主題歌をアイドルで唯一歌い、大河ドラマにも出演。こんな才能あふれる方の開花が見られない、そんな被害を私たちは受けている、とカットされたところでは言っていた。
横浜地下鉄・みなとみらい線の日本大通りの改札を出たら、お目当ての「サンテオレ」が見えた。コークとセットで410円。ゴマがたっぷり載ったバンズ。マヨネーズがたっぷり載ったパテ。ウン?玉ねぎは、炒めたもので、ミンストオニオンなんかではなかった。マヨネーズがなかってもおいしく頂けたと思う。玉ねぎはwimpyを想起させて懐かしかった。写メ撮っている姿を、周囲は不思議そうな目で眺めていた。
並木通りの「瑞花(ずいか)」というあられ屋さんに、うす揚げの「ミント塩味」なるものがあり、思わず買った。その先のピエス・モンテは十数年前から上京しては買い求めるお菓子のあるお店です。<値段は銀座価格です。シュークリームで360円ですから、しかも小ぶりで>
http://www.zuika.jp/
「瑞花」の向かいに最中の「空也」
http://sweetsguide.jp/sweetsguide/detail/index/id/32400/
その手前に「天ぷらの近藤」ポール・マッカートニーを夫婦で観に行くお昼は予約が取れました。
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13004993/
並木通りを最後まで行って左に折れて進めば、桜田淳子の出た博品館。地下一階は「リカちゃん」などのショップでした。
なんか脱線ばかりで済みません。
37年務めた自分へのご褒美と勝手に言っています。
カニの丸揚げすごいですね・・・・姿揚げと言うのか(笑)。
私の職場の再任用の方々は穏やかな方が多いですが、
心にゆとりがあるからですね。
中には極端な性格の人もいて怖いですが。
その下の一線で頑張ってる人たちは責任感などでどこか緊張感があるので
様々な人たちが混ざってちょうどいいです。
再任用、現役の方の目の届かないところをさりげなく補う、そこが役どころと心得ていきます。
さて、先日「にじいろジーン」という番組で「ソフトシェルクラブバーガー」が紹介されていました。脱皮直後の伊勢エビは食したことはありますが、脱皮直後のカニは未体験。気になります。
https://www.hotpepper.jp/strJ001000531/
江の島のカフェです。
地震に野次馬とは悲しい驚きです。
東日本大地震では、私の実家も被害を受けましたが、
最初の3日くらい通信も交通も途絶えたので両親の安否確認が大変でした。
被災地の方から公衆電話を皆で譲り合って親類に電話をしたのです。
電機などのライフラインも止まったことはわかっていたのですが
福島の原発事故で最悪の事態を恐れた私は、事故後数時間で子供を連れて飛行機に乗りました。
やはり子供だけは救いたい一心でしたが、国外に避難したことを実の親に
「被災しているのに見捨てた」と後で責められたことが辛かったです。
DAIさん定年と再任用おめでとうございます。
私の職場にも再任用の方が働いてらして、ほとんどの方がいい方達です。
お互いに励ましあっているのをこっそり聞いてしまって、感動しました。
「サンテオレ」は、なんと私の実家の駅にもありました。
北関東ですけど、横浜にもあって、東京では見かけないので
郊外型出店なのでしょうかね。懐かしいです。
阪神淡路大震災の災害復旧を最も妨げたものは、初期の大量の野次馬です。彼らの車があちこちで消防車、自衛隊などの通行を妨げ、72時間以内救助を阻んだことは確かです。
東日本大震災は、津波が道路を寸断したので、野次馬は防げたかと思います。現地に派遣された警察官の話では、遺体にタイヤ痕のある遺体が少なからぬ数で発見された・・・・。報道はされませんし、報道できないでしょうが。これこそ、阪神淡路と東日本大震災との大きな違いの一つに思えます。
明日で37年の勤務を定年退職で終え、四月からは再任用で改めて務めます。
4月7日~8日は上京するんですが、横浜の日本大通りにある「サンテオレ」に行くのも一つの楽しみです。元は「明治サンテオレ」って言ってたところです。マックがメジャーになる前にそこそこあったハンバーガーショップです。(森永ラブはなく、グリコアもなく、今は元明治のサンテオレだけです)
現場体験のお話、具体的で地震と被害の規模が想像よりも大きかったことがわかります。
別の体験者からも、地中に落ちるような感覚だったと聞きました。
>>茶碗が棚から落ちた程度
東日本大地震の時のうちの被害が、そのように食器が落ちたのと
パソコンが机から床に真っ逆さまに転落したことでした。
それで震度5。
人口密度が高い地域での被災は、避難所の確保も追いつかないものなのですね。
冬に屋内に入れないなんて信じられません。
滋賀県は茶碗が棚から落ちた程度でした。それでも、深い穴にグイグイ引きずり込まれるような感覚に思わず目が覚めたものです。
シビリアン・コントロールを当初欠いていた為、無法と化し、スーパーや個人商店やコンビニの棚から多くのものが奪われました。
また、一月という六甲おろしの吹く冷たい時期だったので、寒さを凌ぐのに、学校はまず、教室を四分割、遅れた人は階段の踊り場や廊下、それにも遅れた人たちは体育館、そこもダメだった人は屋外の手洗い、(グラウンドなんかにあるもの)場なんかの近くに被災者はいました。それさえダメだった人たちが川沿いにテント村・・・。
学校で授業再開のため、次第に建ち始めた仮設住宅に入っていきました。
教室の後ろに置かれた個人ロッカーは、前の黒板に突き刺さっていました。
ボランティアは、旅費、食費は自己負担です。どこかから支給されるものではありません。
桑名正博は最も早く被災地にバイクで入り、ボランティア活動した有名人でした。
話題は変わって、19日は選抜高校野球を見に行きました。(自宅から100分くらいで甲子園球場に着きます)
甲子園球場はコロシアムみたいに、音や声がよく大空に抜けていきます。両校のブラバンの演奏は素敵なライブみたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=5jLi5867CEc
「君が代」は圧巻でした。私の六列前の席にいたので、
手土産の袋、甲子園グルメをパクつくとこなど、見かけたところ、普通の女の子でした。
http://www.hanshin.co.jp/koshien/shop/gourmet_h/
ありそうでないのが、「甲子園バーガー」
DAIさんご自身は阪神淡路大震災での被災はありませんでしたか。
ボランティア活動お疲れ様です。
ぐったりしている時の温かい食べ物は元気になれるでしょうね。
なんとなく、大昔にヨーロッパへ行った帰りの飛行機で食べたカップヌードルを
思い出しました。食べ慣れたスープの味は体に染み入りました。
支援物資の量は十分なのにその分配が上手くいかない話は私も聞いたことがあります。
それこそ司令塔である行政の出番なのに、リーダーシップのない政府のダメさが
そこでも露呈しましたね。
日本の教育もエリート層には特にリーダーシップを必須にしてもらいたいです。
阪神淡路大震災の折、30回ほどボランティアで現地に入りました。支給される冷たいコンビニ弁当での三食の生活に、カレーや豚汁やうどんなど温かいものの提供は歓迎されました。
ですが、ハンバーガーは現地で聞かなかったです。
水に要らないシャンプーや生理用品を最初に配布したのは、○○組でした。行政は区分けせずにやったので、余ったり、不足したり対応できていませんでした。
いいアイディアだと思います。
避難所の食事はおにぎりとカップラーメンなどの単調なメニューになると
聞いたことがあります。
野菜もみっしり入った肉肉しいハンバーガー喜ばれたでしょうね。
http://hamburger-jp.seesaa.net/article/392276778.html
もう閉店されているそうです。
それにしても避難所でハンバーガーを焼くとは!
ホワイト・キャッスルとは初めて聞きましたが、1980年代に日本にも
入ってきていたのですね。
しかし名前を「100円バーガー」にしていたのが敗因じゃないでしょうか。アメリカの老舗だということを売りにすればよかったのにと思います。
個人的には1個でドーーンとボリュームがある方に惹かれますが、
本国でマックに次ぐ収益を上げているとのこと、何か理由がありそう。
サンドイッチのようにパクパクと何個も食べやすいのかもしれませんね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB_(%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89)
このホワイト・キャッスルという全米420店舗足らずのハンバーガー・チェーンが1921年創業で、世界最古だそうです。
ということは、19世紀中にはほぼパターンはできていたと思います。
玉ねぎをソテーし、という辺りはWIMPYと同じ、というかWIMPYがパクったというか、興味深いです。
また、スライダーという形状、ディズニーランドのオフィシャルホテルの朝食のバイキングにあった小ぶりなハンバーガーを想起させます。
一度食してみたいものです。
ハンバーガーの歴史って正直考えたことがなかったので
アメリカングラフィティあたりの時代からかな?というイメージがありましたが
1930年代とは、若者文化もないまだシックな時代に意外ですね。
映画「俺たちに明日はない」の方も、ヒロインのベレー帽などのおしゃれが
モダンな印象で、そのせいか60年代あたりの設定かと思っていました。
合わせて意外です。物事はよく知らないのに思い込みで抱いているイメージって
多いのだなと実感です。
「俺たちに明日はない」を久しぶりに見ていて驚かされました。部隊が1931年のアメリカで、ボニーがショットバーみたいなお店で、ハンバーガーを食べるシーンがあったんです。WIMPYが1934年、マックが1940年ですから早いです。しかもお店の外の看板に、1894年創業のペプシ、1888年創業のコークがあり、ハンバーガーとセットってそれくらいからなんやと。
また、野菜から出る水気を嫌い、別添えのものも多いが、ボニーが食べていたのは野菜が予め挟んだもの。
ただ、バンズが小ぶりだったのは、女優を思いやってか、当時は小ぶりだったか、定かではありません。
いやぁ、驚きました。
十国峠は最高地点・・・なるほどです!
>>有楽町から帝国ホテルに線路沿いに進んだ右手に「紅鹿舎」
そのレストランは通りかかったことがあります!
有楽町~日比谷 帝国ホテル周りは、よく映画を見に行くのです。
いいことを教えていただきました。
前回冗談と書いておきながら、すっかりピザ話に釣られました!
UPされない時がありますか?
ブログの1記事のコメント蘭に何か制限があるのか
文字制限は1000文字までですが、
それ以外は特に規定はないのですが、すみません。
指が当たって送信してしまいました・・・。
UPされる時と、UPされない時があり、今回は?と思ったりします。
さて、十国峠は、熱海から箱根に向かう最高地点に位置し、バスも出ています。駐車場からも富士山は綺麗に見えますが、ケーブルで上がると360度の眺望が凄いです。遥かに房総半島、伊豆半島、駿河湾、富士の向こうに連なる南アルプスなどです。
ピッツァと言えば、あちこちに手作り、石焼窯を標榜している店ができています。そんな中で、有楽町から帝国ホテルに線路沿いに進んだ右手に「紅鹿舎」という店があり、ピザトーストの発祥の店として知られていますが、石焼窯でパンを焼くのでパリッと仕上がりつつ、中はふぅんわりと仕上がっています。手前の「炉端」はブルコメの井上大輔の歩実家、今はお兄さんが営業されています。<煉り菓子の「かずや」もこの界隈>
「アマンド」は穴あきリングドーナッツの元祖、お手拭きを提供した元祖と元祖が立ち並びます。
ハンバーガーが出なくてもいいですよ。
私もハンバーガー以外にも好きなものあります。
ピザとか。冗談ですよ。
「月のみち」「太陽の道」綺麗ですね~!
それ以外のホテルの様子もステキです。
こんなにステキなら映画のロケにも使用されますね。
「フェニックス」という名前がいいです。
十国峠は伊豆にあるのにスカイツリーが見えるのですか?
そこが高いということでしょうか。
ちょっとびっくりです。
熱海はフェニックスの街だと思います。
明治の文人」、太宰らの昭和の作家が「起雲閣」(「花子とアン」では石炭王の家に使われるなどロケ地として利用される)を利用していた往時は、昭和25年の大火でかなり灰燼に帰しました。
そこからの復興は新婚旅行のメッカ、映画黄金時代にあっては、ロケ地&宿舎の提供で活況を呈した。新婚旅行先は、白浜、宮崎に首位の座を開け渡ししていきます。こうして映画斜陽とも重なった昭和40年代後半にまた廃れていきます。
ですが、現在熱海は映画やドラマのロケ地としての利用も多く、往時の勢いを取り戻しつつあります。
http://4travel.jp/travelogue/10430566
だいぶ下の方に、「月の道」(朝日の)「太陽の道」が出てきます。これを見ることが今回の旅の主眼でした。部屋から見えるんです。「月齢カレンダー」のサイトで満月を確認し、凛として綺麗に見え、しかも二月の土曜日の条件を待って数年経ちました。それだけに感慨も一入でした。
建国記念日は東海、関東では特異日で、好天に恵まれることが多いです。それで、十国峠からの富士山は絵葉書を凌ぐ美しさでした。
ハンバーガーが今回は全く出てこなくて済みません。
十国峠からスカイツリーは確認できました。
http://4travel.jp/travelogue/10430566
もう桜だなんて、熱海の春は早いですね。
ご夫婦で小旅行、羨ましいです。
ハンバーガーとポテト、コーヒーもついて8百円は良心的だと思います。
熱海は、東京と私の家族がよく行く下田の間にあるので車や電車の窓からの
景色はよく見るのですが未だに街を歩いたことはないのです。
コーヒーが高倉健さんのお気に入りのように、
私も熱海といえば小津安二郎の映画「東京物語」を思い出す、
ちょっと前の邦画のイメージがあります。
その熱海~下田あたりは「ちょっと前」に栄えた温泉宿が、
去年のクリスマスに行った時に気付いたのですが廃業されていて
昔の感覚のモダンな素敵なビルなのに
建物がそのままほったらかしになっていたのが物悲しかったです。
夫婦で土日、熱海に行って来ました。満開の桜、梅も良かったです。
BOMNETのハンバーガーはやや小ぶりで、コーヒーとのセットで800円でした。バンズの表面につまようじで止めた一枚のピクルス。バスケットに盛られたハンバーガーの横に、皮つきのゴロッと大きいポテトフライが添えられていました。生のレタスとたまねぎ(よく晒してあったので、臭みも辛みもない)を、食べる際に挟んで下さい、っていう食べ方でした。シンプルでストレートに肉の旨味が伝わってきました。コーヒーは高倉健がポットに入れて撮影現場に持っていったというだけあって、優しく深みのある苦みの味わいでした。
チキンバスケットも頼んだのですが、骨なしもも肉を丸々とパン粉をyつけた揚げた、塩とコショーくらいのこれまたシンプルな味わいでした。
http://www.localburger.jp/p/map/
小室哲哉、やってます。
孫が来ますので、年始は四日から?
m
いろいろと年内はありがとうございました。
来年もDAIさんにとって繁栄のある1年となりますように。
ご当地バーガー、鳥取県のダントツの数に受けました。
他の県には一つもエントリーされていないところもあるのに(笑)。
私はむしろ兵庫県の「神戸牛の極みバーガー」を食べてみたいです(笑)。
2016いろいろ書かせて頂き、ありがとうございました。
2017年も宜しくお願いします。
http://www.localburger.jp/p/map/
知人のいる鳥取では熱いです。
北海道・別海町のと鳥取の大山バーガーは味わいたいですね。
利尻島の普通の喫茶店で食べた850円のホタテフライカレーには、直径数センチのホタテフライが五枚も載っていました!別海町のも大きそうで期待します。
せっかく小室さんの出演番組を探してくださったようでしたが
アカウントがなくなってしまっていて残念でした。
番組サイドの規制が厳しいですね。
ロッテリアはグルメバーガーが売れていると聞きましたが、
松坂牛まであるとは(笑)
でも気軽に入店できるのでいいですね。値段もこれなら味も信頼できそうな。
ちなみに
https://www.youtube.com/watch?v=E4miLcYZhfs
また、先日桑名駅前のロッテリアでは、「松阪牛バーガー」が1500円で!!
https://tabelog.com/mie/A2402/A240203/24006428/dtlrvwlst/40160419/?lid=unpickup_review
口コミの牡蠣バーガーも気になります。
ご当地バーガーって感じです。
小室哲哉さんはロンドンで音楽活動をされているのですね。
そして、ファストフードがお好きとは、親近感を持ちました。
ロンドンのバーガーキングにはウィンピーだったところもあったと思います。全体のクオリティも大型チェーン店としてはMacよりも少し上のマーケティングですので、同じファストフードでも小室氏のこだわりかも知れませんね。
オリンピックでの彼の活躍が楽しみになりました。
先日、「アナザースカイ」という番組で小室哲哉が取り上げられました。
一世を風靡した小室サウンドを産んだロンドンが紹介されました。
と、そんな中で紹介された食事場所が、なんとバーガーキング!
「ボクはファストフードが好きなんです」と、バーガーをパクつく小室哲哉。
ふと思いました。小室サウンドはスタジオに缶詰状態の小室哲哉が、スタジオで食べられ、片手で食べられる、そんなシーンから生まれたんだろうって。
ウインピーも紹介して欲しかった・・・・。
東京オリンピックを期に新しい音楽を発信したい、その思いを番組は熱く伝えていました。
http://www.hankyu.co.jp/ekiblo/merci/21139/
日曜日、これを食しました。
グラスの底までたっぷりシャインマスカット!
さすが、ヤオイソです。
お土産に、季節のサンド「いちじくサンド」を買いました。
来月は「ラ・フランスサンド」がお目見えします。
京都に来られる時は、ヤオイソを候補にお加え下さい。
東京、とひとまとめにしなければ、個性は俄然見えてきます。
猥雑で大阪に似通う新宿、東北の香りがする上野、一歩奥に行けば渋い渋谷(1968年、東急がワイルドワンズの「花のヤングタウン」として大々的に若者の街にしてしまった。東急ハンズは素人の発想で売り場を任せた、五島会長。でも、それ以前が松濤地区なんかに色濃く残されています)、ハイセンスな銀座、江戸の日暮里、西日暮里(改札を出て右に二十分くらい歩いたとこにある「北島精肉店」は康介のご実家)、鶯谷、谷中、北中里、紀元前の大森、門前町の浅草など、よく見れば個性だらけ。
最先端から紀元前まで、東京は歴史が地層のように露出しているのが魅力です。その地層は、歩けば坂と谷の連続の中に次々見え隠れし、飽きさせません。
でも、東京とひとくくりしてしまうと、それらの個性はスーッとフェーイドアウトしてしまいます。そこが関西との相違でしょうか?
鎌倉、というより、逗子から茅ヶ崎にかけての「湘南」でくくった方がわかりやすいかも知れません。逗子の海岸に「太陽の季節」の碑があり、その先に江の島が見えたのには驚きました。そこに徳富京大の痕跡があったり、駅前の「珠屋」は、「ええ、今も裕さんのご親戚の方々がお買い求めに来られます」には驚かされました。ええ、裕さんとは石原裕次郎です。
http://www.tamaya1950.com/
この逗子から一山越えれば横須賀というのも新鮮でした。
ミンチステーキという単語はあったのですね。知りませんでした。
ミンチは英語のmince(ミンス)から来ているかと思われますが
ミンスの語源は調べたらラテン語でした。(細かくする)
京都、大阪、神戸はそれぞれ別の魅力がありますね。
実は横浜と東京も距離は近いけど別です。
都民にとって横浜は心理的に別の街、
関西の神戸のような都市国家のような存在感があると思います。
まして横浜の方から見たら、ルツボのような東京よりも山手意識があるかと思われます。
電車賃は調べてませんけれど、JR以外に東急東横線もあるし
観光地に行けるのに値段はそれほどでもないのは関西3都市と同じです。
関西には3都市あるのに関東は2つしかないのかな・・・と
考えてみたら、あと鎌倉もありました。
鎌倉も横浜と同じ県でも全然別の土地ですね。
日本って歴史がある国だな、と書いてて思いました。
フレンチから洋食が始まり、遅れて他の国からのものも入ってきた。
この為、「ミンチステーキ」という呼称は、ドイツ由来の「ハンバーグ」にとって代わられた。という事情が潜んでいるようです。
http://recipe.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&p=%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%AD&ei=UTF-8
ミンチステーキ、健在のようです。
東京~横浜は28・8キロ。神戸・三宮~大阪は30・8キロなので、むしろ距離はこちらが近いです。
最寄駅から京都まで15分、14・5キロ、大阪まで57・3キロ45分、三ノ宮まで87・9キロで70分と新快速は早いです。
また、昼得切符は最寄り駅~三ノ宮の片道1470円が850円くらいで済んでしまいます。(大阪まで930円が600円ほどで済みます)片道でです。速さと安さから出かけやすいということもあります。
最大の要因は、伝統・気品・上品の京都、ざっくばらんのアジアの最前線の大阪、ハイセンスの神戸と、街に画然とした相違があり、その魅力が距離や値段を忘れさせるのだと思います。東京、横浜でくくってしまったら、そこの中で完結しているので、別にわざわざ出ていく必要を感じない
という様に思えてしまいます。
ちなみに最寄駅から大阪までの57・3キロは、横浜から大宮までの59・3キロとほぼ同じです。関東で遠いと感じるところが、関西では苦にならない感じになってしまいます。
言い換えれば、そこまでわざわざ行かないとないんです。(書評に載った本は地元では取り寄せで二週間待ち、大阪に出たら山積みなんですから。研究論文を書こうと図書館に行っても、基礎資料が地元図書館にはない。それが都会に出たら当たり前にある。こういう文化格差も大きいんです)
東京なら当たり前にあることは、地元滋賀には当たり前のようにない。だから京都、大阪、神戸に出ていかざるを得ない。日常の買い物は別です。
京都~大阪間はそれほど近くはないと思いますが、守備範囲が広いですね。
東京~横浜間くらいの感じでしょうか。用事があれば行きますが
ほんのすこしだけ気合が入ります。
「ミンチエッグ」実はハンバーグ卵乗せとは(笑)
卵なしの方はハンバーグステーキなのにこれいかに。
「創業当時からのデミグラスソース」とありますね、
ということは70年の歴史ですから、残さずいただかないともったいないですよね。
今日のお昼は職場のカフェテリアで照り焼きハンバーガーだったのですが
大きなビーフハンバーグの上にチキンのグリルまで乗っていて
私の前の人は照り焼きソースも野菜も無しにしていて
自分で備え付けの調味料を数種混ぜてオリジナルにしていました。
それを見たせいもあり、せっかくのビーフだと照り焼きよりもデミグラスの方が良かったと贅沢を思ってしまいました。
会社の援助があるので自費負担額は1食300円ですから、そこを選んだ以上は出されたものを頂くのがマナーですよね。次回は照り焼きの時には別のメニューを選びます。
先日、創業70年を誇る、大阪はなんばの「重亭」に行って来ました。
メニューに「ミンチエッグ」なる気になるメニューがあり、それを頼みました。
ハンバーグの目玉焼き載せ、ということなのですが、「ミンチエッグ」という響きは新鮮でした。
いっとき、「ミンチ」と独立させた呼称があったようです。
http://www.jyutei.com/cgi-bin/jyutei/siteup.cgi?category=1&page=0
ソースがたっぷりだったので、思わずライスを半分ほど落とし、ハヤシライスにしてしまいました。(結構、洋食店では見かける仕草のようです・ファミレスでやっている人を見かけたことはなく、またする気も起きません。やはり、本物のデミグラスソースを全て味わいたいという欲求からかと思えます。勝新太郎は贔屓にしていた、今は祇園に移った「グリル ミヤタ」で「女将、ソースもっとくれ」とリクエストしてたそうです。「ハイシライスにして」って感じで)
観光地は午前10時までに観覧しておくと後は楽チンです。理由は、午前十時を過ぎるとツァー客の喧噪に全てが台無しになるからです。
午前9時に着くと凄い!一端を。
春の桜の季節、竜安寺に行くとあの石庭に枝垂れ桜が塀越しに見られ、池(周囲500メートル)の周りは池に映える桜が見事です。
東福寺なら、あの名高い通天橋(紅葉の名所)が楽に渡れます。十時からはラッシュ時の山手線並みです。
十時を過ぎれば、マイナーながら、の社寺を回る。
洛北の蓮花寺は外国人観光客の方が多いです。
洛北では円通寺も借景が見事にして、訪れる人は稀。
洛北の圓光院は燃えるような真っ赤な紅葉が素晴らしく、日本で被爆されたオマールさんのお墓(墓碑は武者小路実篤が書いた)もあります。
洛西では善峰寺の松、桜が見事です。
十輪寺は在原業平縁の古寺です。
洛南は東寺ですか。
洛中では北野天満宮のお土居から梅や、桜や、紅葉を見事に見られます。
この東が「上七軒」と言われる地域です。中華の「糸仙」は夕方からですが、京都らしい上品な味わいのお店です。
個人的にお薦めは、真如堂を黒谷から上がって観る、市内の眺望、殊に紅葉は近代的な建築物が見当たらないのでいいです。
近くの「聖宙庵」もお薦めです。
http://www.seityuan.com/
テイクアウトの「ちょっとフランス」でお惣菜を買って、知人宅で食すというのもありかと思います。
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26017792/
翌朝は、「ヤマダベーカリー」(ちょっとフランスのそば、聖宙庵からも近い)で買ったパンでいかがでしょう?
http://yamadabakery.jp/
フルーツサンドのヤオイソは今はパーラーも併設しており、お店でも食べられます。是非!食されて下さい。
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260203/26002044/
平安神宮の枝垂れ桜は拝観料1000円のお値打ちの景観を誇ります。
桜や紅葉の穴場(しかもタダ)は、山科駅で降りて、山に向かい、ソスイのほとりを歩くことです。車は来ません。疎水の両側に紅葉や桜が展開されます。
また、南禅寺に行かれれば、穴場は植治の庭園を愛でる「杏こ庵」(あんこあん)でスイーツおいいです。
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26016970/
是非、桜や紅葉の季節にいかが?
京都の有名観光地どこでもいつでもいらっしゃれるなんて
西の夢の国ですね。
「吉水」いいところですね。
ムササビには遭遇できましたか?フクロウでもいいですね。
私は京都といえば出張でのホテル、友人宅、祇園の旅館に泊まったことがあります。
あ、あと修学旅行の大箱旅館・・・(笑)
次にチャンスがあったら是非そちらのお宿に泊まってみたいです。
他の人にもオススメしたら喜ばれそうです。
ハムカツはハムカツで食して欲しいですネ!
ハムと言うより、ソーセージのジャンルのものをロール状のものから厚めにカッティングして供したものがうまいと思います。
我が家から徒歩20分のJRの液から京都駅まで15分足らず。嵐山も、清水寺も、銀閣寺も、金閣寺も、自宅から90分もあれば余裕で着いてしまいます。ですから、しましまさんとこがTDLのオフィシャルホテルに泊まれないのもなんとなく判るような気がします。
そんな夫婦が昨春、京都に泊まりました。
http://yoshimizu.com/kyoto/
円山公園の最奥に位置し、閑静です。一昨年の夏、この宿の裏山を歩き偶然見かけ、桜の季節の素晴らしさを想像し、思わず予約しました。
ここから知恩院の奥の大鐘楼までは200メートル足らずです。
でも、ここの最大の魅力は夜間、ムササビの滑空が見られることです。
喧噪の都心のド真ん中にして、深山幽谷の如き趣き!
宿は一泊朝食付きの「片泊まり」の宿です。夫婦は、「都踊り」を感激し、お食事をとり、円山公園の枝垂れ桜を堪能してこの宿に泊まりました。
近江牛給食、羨ましいです。(笑)
東京はその点どこよりも恵まれていませんね。都内でも農業ないわけではないのに。
地方の提携校から贈られたお米が給食に出たこともあり、ありがたいことです。
TDKホテル事情は、シーズンによってそんなに差があるのですか。
15万と言えば私がNYへ行って来れます。
娘も夢の国のホテルに泊まりたいと言っていますが、まだその夢は果たせていません。
家から日帰りできても、ホテルに泊まること自体がイベントなのです。
ハンバーガーにオムレツを挟むで思い出しましたが、
私の職場の社食で、ビーフハンバーガーにハムカツも入っているという料理がありました。
卵を加えるのまでは私も好きですし、ハムカツも大好きなのですが、
ビーフとハムカツは別々に食べたいと思って、外してそれぞれ食べました。
それは意外です!
ひょっとしたら「近江牛」の食育の一環かも知れません。
今年、孫三人と息子夫婦に老夫婦でTDLに行きました。
ホテルは、「東京ベイ舞浜ホテル クラブ&リゾ-ト」を利用。(二月の平日に行ったので、二年前の春休みに行った時より15万円近く安く上がりました)
そのホテルの朝食バイキングに、なんとハンバーガーが供されていました。<これに目の前でオーダーで焼き上げるプレーンオムレツを挟んでかぶりつきました。うまいですネ!。孫たちも「じいじの食べてるの食べたい」と真似してました>
http://ディズニーホテルガイド.com/official-clubresort/
学校給食にハンバーガーが出たことが話題になる程珍しいのかな?と私も思って
娘に聞いてみたら、「出たことはない」とのことでした!都心でも!
改めて考えると、私たちの時代でも給食にパンは毎日のように出ていたのですから、
ハンバーグと野菜を挟めるように出してくれたら学校でハンバーガーが食べられたはずですよね。
でもサンドイッチとハンバーグは一般的でもなぜかハンバーガーはマクドナルドなどのチェーン店が広まるまで本物を見たことがなかったかもしれません。
「ポパイ」のいつもハンバーガーを食べてる人で知ってはいましたが。
大津市、滋賀県最大の人口30万人都市で、一昨日学校給食にハンバーガーが出たそうです。中に切れ込みを入れ、片側で留めているバンズに、各自で挟み込めるようにしたハンバーグ、というセルフスタイルで供されたそうです。
都内ならこの手のハンバーガーは学校給食でうんと早い時期からあったのではないかと思ってしまいました。
定年退職おめでとうございます。
好きなことに集中できるの羨ましい限りです。
熱海というと、小津安二郎の「東京物語」で田舎の両親を旅行させた土地として
記憶してましたが、文学にゆかりのある都市なのですね。
御用邸のある場所は特別な場所に思えますし。
しかし金色夜叉の像というのは、衝撃的だから有名になり作られたのでしょうが、
男性が女性を蹴るというのは受け付けられません・・・
仙台は、新幹線だと2時間と、行こうと思えば時間的には遠くはないのです。
しかし用事がないと行きませんね。
最後に行ったのはもう10年くらい前にその先の岩手県へ行くため電車を乗り換えた時です。
ボンネットが1952年の創業、その二年前にハンバーガーを採り入れた店が現存最古の店だそうです。
http://tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4001112/
仙台は関西からはうんと遠いですが、東京からも遠いですか?
温泉と避寒ということと、かつて御用邸があったことなどで、銀座に劣ららぬ最先端をいった土地です。
http://www.city.atami.shizuoka.jp/page.php?p_id=886
大火からの復興で防災都市の先駆でもあります。
復興を記念して「キングコング対ゴジラ」は地方都市熱海が舞台になっています。
http://www.city.atami.shizuoka.jp/page.php?p_id=860
来年の二月、夫婦で「月の道(満月が海から出て、光が道のように海上に連なって見える様子を指す言葉)」を見に、熱海に泊まりに行きます。
「走れメロス」のヒントになったり、「人間失格」を書き上げた舞台でもあり、太宰治関係もいいです。美術館もリニューアルオープンしますし、熱海さくら祭りもやっています。
私の定年退職記念の一環です。
熱海に行くことがあったら是非訪れてみたいです。
今ではレトロですが、昔はモダンだったのでしょうね。
熱海は通ったことしかないですが、東京から行くとその先の下田には何度か行ったことがありまして、下田にもかつて文豪が来たという喫茶店かレストランがありますが名前は忘れてしまいました。
連続で済みません。
http://reiyasu.exblog.jp/22842262/
熱海に、昭和27年創業でハンバーガーを供していた喫茶店があるとは知りませんでした。しかも、三島由紀夫、谷崎純一郎、越路吹雪も贔屓にしていた、というのには驚かされました。
関西からはおいそれとはいけない熱海ですが、しましまさんなら割と行けるのではないかと思い書きこませて頂きました。
いつもありがとうございます。<今日は地域の祭礼で年休。朝は神輿に担ぐ棒を括りつけたり、船に飾り付けをし、夕方の本番を待つだけです>
欧米に文化でも追いつき、西洋人をもてなすことに腐心した、明治20年頃まで。上野精養軒などで修業し、地元で広める人も出て、次第に普及していきました。また、軍に入った人は大量調理の普及品として洋食に触れました。デミグラスソースやラフランスの追熟のように本国では失われた調理は化石的に日本で残されています。
洋食は、「今日の料理」で更に普及され、学校給食で大衆化が更に進みました。が、洋食の老舗には「静養に追いつく」明治人の気概が感じられます。
埋めたてできた田を埋田から梅田、掘削してできた削田を桜田、の吉字化で、荒原は西洋野菜を栽培する高原とされ、霧積<壊滅してから軽井沢の>外国人のバカンスにホテルが営業し、生演奏とフルコーススタイルの料理が芥川ら文豪をも魅了しました。万平ホテルなどのクラシックホテルのメインダイニングは、そうした明治の香りが漂います。ナマ演奏のピアノ、テーブルの淡いキャンドル、二時間くらいのコース、夢のような時間を98年家族で味わいました。
私にはクラシックホテルのメインダイニングで過ごす時間は至福のひと時です。時間こそ贅沢、を実感させてくれます。
選手村となれば何千食も必要ですから安定したストックは必要ですよね。
50年以上前にそれだけのことをできたのは改めて素晴らしいことでした。
逆にこれから4年後の選手村ではどんなお食事ができるのか楽しみです。
明治20年とはもう100年以上前のことですのに美味しくいただけるとは
現代の食事がすでに完成されていたということに驚きます。
食材の調達は技術の進歩で容易になりましたが
逆に東京湾で食用のエビが捕れたとはそちらの方が今では贅沢です。
冷凍技術は、もう一役あります。当時、野菜や果物は旬のものだけですから、通念栽培はなく、安定した供給は難しかった。中でも、築地市場を買い占めて五輪に回すわけにもいかなかった。ということで、野菜、果物、魚などを安定して供給させる上でも冷凍技術の確立は欠かせなかった。中でも、レタス、クレソン、セロリなどの西洋野菜は、当時栽培農家自体少なく、輸入するには遠かったということもあり、冷凍技術の確立があって初めて選手村での食事は可能になったとも言える。これを昭和38年の冷凍ものの試食会でOKが出て、正式に五輪に向けたそうです。
洋食は、文明開化、欧化政策の一環で始められました。元来は、外国人相手だった。明治も二十年頃には、直輸入的なものからオリジナルな洋食へと真かを遂げていきます。
http://kaisaku.soreccha.jp/e217243.html
明治20年のレシピが発見されて再現する催しが試みられます。
私は、平成23年2月25日、山口の菜香亭で開かれた「明治の洋食再現ディナー」に行きました。
http://oouchibunka.jp/event/report/2010_41.html
アップル・ウォーターは、六個くらいのリンゴに熱闘を4=5リットル加え、二、三日おいてから引用したもの。<淡い甘さが口に広がる・皮つきのままですが、好みで皮を剥いてもいいのでは?みかんも同然かと>
フーガデン<写真の通り、ミートローフに茹で卵をあしらったもの。ミルクソースは生クリームをメインとしたもの>
マセドアンサラダ<ミモザサラダもいたいにキューブ状に刻んだ野菜をメインとしたもの>七種類の野菜スープ<先の写真にあったものと同じ>
海老フライ<東京湾で豊富にとれた芝エビを使用>
柚子は季節外れでなかったので、カボスで代用
鱈ボールとは、コロッケの具材が棒ダラを柔らかく煮たものになっているもの。雉のグリル<養鶏が確立されていなかったので、とりと言えば雉、肉に禁忌のある国への配慮からとも言う>まわし芋<じゃがいもをボールを回しながら焼いたもの>ストロベリークリーム<写真のように固めのもの>アップル・ジェリー<ゼラチンが動物由来で固め>
幕末パン<酵母や甘味が酒ダネ、酒タネパンと思って頂ければ。パン自体はふっくらとはなっていない・高杉晋作の奇兵隊の携行したものと伝わっている>
お祝いの言葉、ありがとうございました。
オリンピックには政治的要素はつきまとうものですが、
アスリート達にはそれが競技人生に影を刺すものであって欲しくありませんね。
なるほど大量に良質な食事を提供するのに冷凍技術が一役買ったとは
「冷凍食品」というと手抜き&質の悪い食品と言われることもありますが
やはりそんなことはなかったと嬉しいエピです。
今ではレシピをクックパッドなどネットで検索することが当たり前になりましたが
(私はあまり冒険をしないので利用することも少ないですが、一般的に)
ネット以前はTVがその役割だったのですね。
ご夫婦の記念日に素晴らしい体験をされて良かったですね。
英国ドラマですか、未見です。
今、オリンピックで盛り上がっています。北朝鮮の選手に声をかけた韓国選手(体操女子の練習会場で)が、ツーショットをやっている姿が発信もされています。その場にいた、お互いのコーチもそれを受け止めてます。北朝鮮のコーチの帰国後を懸念します。
そのオリンピックに私の尊敬する人物の一人が生前関わっています。ムッシュと呼ばれた、村上シェフです。幼い頃、「きょうの料理」で洋食を教えておられた、笑顔の可愛いほてい様のようなお姿が今も記憶に新しい。当時、料理の技は盗むものだった風潮にあって、プロの料理を家庭でも、のコンセプトで惜しげもなく伝えたことはよく知られています。オリンピックでは、村上シェフが中心となって、冷凍技術(ニチレイと二人三脚で開発)を駆使して、選手村で供することを可能にさせた大量調理は、連綿として今も受け継がれています。
村上シェフは、人を見守り育てることにも長けており、「オテル・ヅゥ・ミクニ」のミクニ氏を、皿洗いを二年間させていただけで駐スイス日本大使館の料理長に抜擢。曰く「塩の加減がいい!」と、村上は見ていた。4年前、「オテル・ドゥ・ミクニ」を夫婦の記念日で利用した。その時、世界の「ミクニ」のトイレにムッシュ村上の写真が額装で飾られていて、胸が熱くなった。かの三国氏も、村上を今も敬愛し、初心を忘れないでいる謙虚さを思った。そう思わせるだけの大きな、ムッシュ村上と改めても思った。恐らく、オムライスも、ハンバーグも家庭での最初のレシピはムッシュ村上だと思う。(中華料理は陳健民<エビチリは彼の考案の日本で生まれた料理だという>、和食は辻嘉一<京都の茶会席の「辻留」の先代・三条通りに面してある、仕出し専門>)
「きょうの料理」のテーマ音楽は、富田勲が依頼されながら、曲が浮かばずスタジオ入りする直前に「毎朝、台所から聞こえてきた母が立てていた音がふと浮かんで」できた曲と言っています。
「きょうの料理」は、そういう意味では「働く女性を応援する」意欲に満ちて制作された番組に思えます。
<<許可を得てなければ、料理の写真は×、お皿は製作者の意匠への権利、箸袋にも製作者の意匠への権利が本来かかってきます
そうですね。
確かにお料理、お皿、箸袋を作った方に権利はありますので、私を含めたネットに写真を出す人はそれを侵している可能性があります。現実には2次利用した人を権利者が訴えた場合法的な問題となるようです。
私は英国ドラマが中心です。
「ウィンピー」も 英国のラジオ ドラマに出てきたので書きました。
もともとは海外ドラマどころか 日本のドラマもほとんど見ない人生を
送ってきたので、ここ数年で一生懸命見ているだけで
こうして人目に触れるネット上で書いているので
全く個人的な感想中心になっておりますけれど・・・
恐らく、凝る方なので「適当」が最も苦手なので、ブログはやり出したら、「書く」ことに影響が出るという自衛ラインだと思います。
許可を得てなければ、料理の写真は×、お皿は製作者の意匠への権利、箸袋にも製作者の意匠への権利が本来かかってきます。これらに一々許可を得てブログにUP,と凝ってしまうので、やれないという感じです。
海外ドラマって、韓流ですか?
多くは60年代前後の日活映画のリメイクの雰囲気を感じます。
裕次郎、旭、ルリ子、小百合らの謳歌した映画がオリジナルかと思います。悲恋ものは、舟木一夫の役どころでした。
取り調べの暴力シーン。でも山さんの犯人を人情的に説得していくところ、みんな熱いところは、希薄な現在に失われているものに思えます。
「黒幕は誰だ」「ある日女が燃えた」が、「太陽~」のマイ双璧です。
確かにネットの情報は信憑性に欠けます。
そこらへんは読む方もどういう立場の人が書いているのか、
情報の根拠は、出処は、と意識しないと誤った使い方をしてしまうでしょうね。
さらに転用となると
<<「知的所有権」
の問題ともなります。
日本だけではなく世界中でもはや紙に印刷されたものでもスキャンされて
世界中にあっという間に広がるのが現状です。
日本人の方がまだ著作権を考えて自粛・指摘していて外国は意識が薄いと感じます。
SNSでシェアを目的とするサービスが出てから顕著ですね。
私はあまり情報としてのブログではなく、あくまでも個人の体験や感想を中心に
書いていますが、情報転用の場合はソースを明記しておきます。漏れもあると思いますが。
あ、これは、あくまでもただの私のスタンスです。
決してDAIさんにお勧めしているわけではありませんので・・・
ドラマの方は海外ドラマばかり観ていて
日本のドラマはあまり見てないんです。
でも最近60~70年代を舞台にしたものが好きなので、
「太陽にほえろ!」、「俺たちの勲章」と共通しているかもしれません。
昔の警察はヘビースモーカーでヤクザみたいに乱暴(表面)で
現代の容疑者といえど人権を尊重する姿勢(あくまでも姿勢)とは雰囲気が違ってますね。
ドラマは今やっている中では「HOPE」はいいと思って見ています。
見応えという点では、スカパーでやっている昔のものが脚本がしっかりしていていいです。
ジャンルはサスペンスがよく見ます。若林豪の十津川警部は「かっこいい!」に尽きます。人情的な路線もいいです。
古谷一行の「横溝正史劇場」の金田一ものは、おどろおどろしさが原作に近くていいです。孫の出てくるものでは、堂本剛くん主演のがやはりいいですね。
江口洋介の「モナリザの微笑み」は他に類例のない斬新なドラマだったかと思います。キスマイの玉森くんの出ていた「ぴんとこな」も歌舞伎によくチャレンジしたと思います。そういう意欲的なものはいいですね。北川景子の「探偵の探偵」も発想が意欲的で下した。「そして、誰もいなくなった」はなりすましの恐ろしさに迫っています。
刑事ものではマカロニの「太陽にほえろ!」、「俺たちの勲章」が双璧です。
グループサウンズ(GS)がフィールドですので、67~69のドラマは、「明日は明るい」と能天気に今を頑張っていくので清々しいです。
ドラマはこんなとこです。
ブログはやはりあり得ないです。
公的なブログが少ない云々の理由に、差しさわりのあるものはUPできない、というものがあります。
これに無頓着であったり、知らなかったりは平気で書けるから情報量は一見多く見えます。
また、「知的所有権」が保証されていない日本では、ブログにしろ、様々に書き込み発信されていくことで、被取材対象に決してよいとは言えない影響を与えていることを憂えます。
一例を広島・原爆関係で一般を指摘します。
被災者の中に、基本「学徒動員」で被災された方々(外国人も含む)は含まれていません。長崎も同然です。これ以上書くと、政治的に様々な所に迷惑がかかります。紙ベース(印刷、出版)の場合は、引用、コピーがまだ少ないのでマシですが。
谷中には実際によみせ通りへ通じる「へび道」というクネクネした通りがあり、
やはり元は川か水路だったとのことです。
やはりDAIさんはブログをやられたらいいとまた思います。
以前、ある駅の昭和の姿を知りたくて調べた時に、
昔の姿をよく知る方があちこちの場所について書かれていて
貴重な資料だと思ったことがあります。
その場所の公式サイトにはないようなことも個人ブログの方あったりして。
公式サイトは仕事の人が作ってますが、
個人のはお好きな方が書いているので詳しさが違います。
私もロンドンから帰ってきて数年間はよく近所を歩いたものでしたが
4年前に映画とドラマ好きになって以来、それを見るための時間を作ると
もうすっかり出不精になってしまいました。(笑)
映画館でも飛んで行って帰ってくることも。
本当にオタクとはよく言ったものです。
ありがとうございます。おかげさまで、「骨密度」は20代男性の86%ほどと頑丈です、という診断を頂きました。
将軍は鷹狩を江戸から日帰りで行っていました。<明治神宮の森の食物連鎖の頂点に君臨するのは、なんと鷹!>「練馬」という言葉があり、田畑、日暮里、上中里なんかは、小高い山でありながら、一種の独立峰の様を呈しています。吉原より北は、鷹が棲息し得る自然環境にあったことと思うのです。また、界隈では、江戸100万人の食を満たす、田畑もあったことと思います。
小高い丘(山)から、折れ曲がった細い道をくねくね歩いていくと、同様なくねくねした道と合流していきます。その様は、一滴の水が細い流れとなり、やがて瀬を形成していくを想起させます。車や電車を利用せず、地図さえ頼らず、ただ歩いて行くと、こうした小河川を廃して、道がそれに沿って生まれ、そこに人が異臭し、街を創り、町となっていく。
東京はどんなに開発が進んでも、基本は透けて見えてきます。
河川の氾濫を憂えば、人は河川よりは高い所に住む。そうした小高い所を下から見れば、江戸は無数の瀬に囲まれた都市だったと思います。それを、小高い側から見れば「尾根」が張って見えるので、「尾張」と言ったことと思う。瀬田も、世田谷も、尾張も、小高い丘(山)に囲まれて開かれた平野部の地形を思い起こさせます。
そんな中でも「分水嶺」があります。京都では、東西を「油小路」が分水嶺然としてあります。西に一筋の堀川通りも、東へ一筋の新町通りも、傾斜していきます。つまり、東は鴨川、西は堀川が氾濫しても、これを越さないということです。この油小路に沿って「本能寺」があり、周囲から小高い分、よく監視できたことと思います。
という感じで歩き、その途中にあった史跡、TVロケ地、気になる店を自分の地図を頭に書きこんでいくわけです。
作家・森村誠一も、カーナビなどで、そこしか見ない、つまり情報を狭めていることを憂えています。私も同感です。
人間ドックお疲れ様でした。
関西の方は東京/江戸を客観的に見ておられると聞いたことを思い出しました。
<<弥生時代から最先端
確かに東大のあたりは弥生式土器も出てますね。
しかし東大は近代ビルがどんどん建てられていて
古い建物があまり手入れが行き届かずに荒んでいるのが残念です。
上中里~西ケ原~飛鳥山公園~十条
飛鳥山は江戸時代に花見の名所として整備されたと聞いたのですが
今年は事情があって近場の北の丸公園(武道館の隣)の夜桜で終わってしまいました。
長く東京に住んでいても知らない所だらけですね。
多摩川上水を作った玉川兄弟の話は、小学生が勉強します。
東京の歴史だからですね。
先日「広重ビビッド」という浮世絵展で名所江戸百景を見て
日常耳にする場所の作品も多く身近に感じました。
風景は全く変わってしまいましたが。
今日から六日まで二泊三日の人間ドックです。
何か書いて頂いても返せませんので、前もって書いておきます。
関西は琵琶湖という巨大な水がめがあり、水には古来事欠きませんでした。江戸時代、100万人を超す人々の水は、巨大な湖がなかった江戸はどうしていたでしょう?
それは、多摩川の水を引き、その等高線に従い水路とし、また次の等高線で引き、最終的には神田川などへ注がせていく。棚田の巨大版の様な水の利用です。この水路でも江戸市中で蛍は群舞する。白魚は遡上する。
この水を確保するために、多摩川源流部では世界初の涵養林を江戸時代を通して維持していた。江戸幕府は世界最古のエコロジカルな政策を採っていたわけである。
100万都市江戸の食を支えるのに、江戸府内には広大な田畑が開墾されていた。明治維新直後、120万人あった人口は80万人ほどまで激減したという。各藩の屋敷などは引き払い、そこと関わりのあった業者も江戸を出払う。そうして出来た空き地は、旧制高校(現、大学)になったという。この時、明治政府がエコリジカルな幕府の政策を継承していれば、東京は今でも世界に冠たる環境都市であったことと思う。
そうした片鱗を見ることも、東京の魅力ではないかと思います。
幻視してみて下さい。傾斜地には水路が暗渠ではなく縦横に走り、そこにはメダカが泳ぎ、白魚が遡上し、蛍が群舞する。その向こうに巨大ビルが林立している。傾斜地には元来、武蔵野で自生していた植物が植生され、その保水に関する植物のDNAがゲリラ豪雨に耐える。
長々と済みませんでした。
ありがとうございます。アンケートに60~という所に○を付けるのにしばらくは慣れたくないです。
三四郎池でザリガニ釣りですか?60年代、成城大には夏、セミ取り、カブト取りの小学生がよく来ていたそうです。きっと、お子さんは有名慣れ、度胸がついて成長されることとお察しします。
東京の魅力?
そう訊かれて、「弥生時代から最先端まで、文化が地層のように重なって見えてくること」と答えています。
貝塚の大森、宇治の合戦の名馬いけずきの縁の、池上・本門寺。(そこに勝海舟ご夫妻のお墓があり、しかも夫婦並んでいるのには、さすが開明的な海舟だ!と納得しました)
上中里駅を降りて、崖側を進むと、平塚神社(内田康夫が若き日、西ケ原に住んでいたということで、浅見光彦は律儀にここのみたらし団子を買い上げる)、そこから右に進むとある「飛鳥山公園」の界隈が好きです。渓谷美もありますし、都電が喘ぎながら上っていきます。王子駅前に、小さな「扇屋」という玉子焼き(甘い)専門店があります。かつては、見渡す限りの十条はここの土地で、鶏を放し飼いにし、卵料理の店を鎌倉時代には既にされていたそうです。砂糖はその頃なかったでしょうから、甘葛なんかで甘みを出していたのでしょうか?
こうい気取らなさが東京のいいところだと思います。
東京の話、驚きました。
千駄木、よみせ通り、谷中銀座、団子坂は現在の私の地元です。
今、谷中、根津、千駄木は「谷根千」と呼ばれて東京下町歩きの人気コースのようです。
鴎外が「舞姫」を書いた家が中庭にある「鴎外荘」があり、
日本文学には詳しくない私でも知っている明治文学に出てきた場所が生活圏なので気に入っています。
娘は東大の三四郎池でザリガニ釣りをしたり落ち葉拾いをしたり、
マラソン大会は上野公園の不忍池の周りだったりと、
私にとっては教科書やテストの世界だった場所に
当たり前に住む子供達は、漱石などの作品を読んだ時に
どう感じるのかなと不思議に思います(笑)。
「蛸八」には行ったことがないので行ってみたいです。
あの界隈は娘が幼稚園だった時には近かったので歩きましたが
ここ数年ごぶさたでした。
ところで、明日がお誕生日ですか。
おめでとうございます。
毎年同じメニューとは楽しいですね。
ご家族と良い日をお過ごしください。
そしてまた次の誕生日までの1年もよき年となりますように。
50歳代最後の日に書かかせてもらいます。
バースデーの日の夕食は、妻に頼んで(毎年メニューを考えるのも大変でしょうから)、「エビフライ」「ハンバーグ」「こふき芋」「付け合わせの・ケチャップのスパゲッティ」を二十二年続けてもらっています。
アンバーグを薄く延ばし、トーストした(6枚切り)パンにはさんで食した年もありました。先にパンにソースを塗っておき、それにハンバーグを乗っけました。バンズとは違って、小麦粉の香りが馥郁、サクサクした食感で悪くはなかったです。
エビフライは、自家製タルタルソースを創って食します。
こふき芋は、コショウをかけたり、塩だけで済ましたりします。
子どもも楽しみにできる夕食がコンセプトです。
それにケーキが待っていますから。年によってはゼリーですが。
ハインツのデミグラスソース缶、開けた缶にトマトジュースを入れ、ウスターソースで味を調え、それを主体としたデミグラ風ソースで食します。
ひき肉は絶対、肉屋で買い求める牛肉100%のひき肉が前提です。食パンは6枚切り一枚の耳を取ったものを千切って、牛乳一本に30分ほど浸して使用します。ベーコンを使用しな時は、ナツメグを大目に用い、コロアンダーなどで調味します。
見た目の彩りでパセリは欠かせません。こふき芋に千切ってまぶします。
ありがとうございます。
年に1~2回、ライブをサポートする関係で上京する機会があります。(GS<グループサウンズ>のイベントがあるといろいろサポートし、楽屋に入り浸って開演直前までいることが多いです)そんな折、ブラッと散策するのが多いです。昨年は師走に上京し、田畑で下車し、高台の方に降り、そこから道なりに坂を下っていきました。で、ここが龍之介のいた辺りか、ここが千駄木か、と歩き「よみせ通り商店街」に惹かれ、おこから路地に入った所に「蛸八」「中華そば」に惹かれ、入っていきました。スープは昭和三十年代の中華そばそのもので懐かしくもあり、淡いながらも馥郁たる深みが後からくるスープで美味しかった。店名は、「親父が違う場所でおでんをやっていて、その時も中華そばやっていたんですけど、今は中華そばだけにしました。ですから、オヤジの代からのお客さんの中には、おでんもやってよという方もおられます」とのことでした。こういう会話が好きなので、ブログにUPとは雰囲気が違うと思うのです。昭和三十年代の小説で「飲んだ後のシメにそば食いに行こう」とあれば、これは中華そばのことです。和蕎麦と蕎麦は表記しますし、そもそも平仮名の表記ですから、そばと蕎麦で区別はつきます。そこを出て、谷中銀座を流し、更に下がって団子坂<漱石の作品によく出てきます>で坂を右に上っていき、ああここが鴎外の「観潮楼」か、へぇー「青鞜社」と隣り合わせみたいやなぁ、で、ここが最高地点白山や、四方八方に尾根が下っていくんや。とまぁ、こういうほぼ無目的の歩きで気になった店にパッと入り、お店の方と会話する、それが楽しいです。また、明治時代白山界隈から東京湾が遠望できたことは望外の驚きでした。歩いて東京が台地であることを時間させられるのが面白いですね。
<<フィールドは文学ですが、作家の描くものに「食べ物」は多く登場します。
ハンバーガーからそう外れてもいませんよ。
私がウィンピーについて書いたのは、イギリスのラジオドラマに
出てきたのがきっかけですから。
「瀕死の状態で生き残っている」様子をウィンピーに例えていたのです。
おかげで1960年が食のターニングポイントであると学べました。
ありがとうございます。
遠くに行く際は、老舗をキーワードに検索します。または創業60年以上の店です。理由は、「食品添加物に関する法案」が通ったのは、1960年なので、これ以前に創業の店は比較的良心的だからです。
この法案の成立、輸送技術の発達、低温や冷凍技術の発達で、工場で大量生産される「食品」が、作り置きの効かない手作りの「食べ物」を駆逐していった、とそう思って居るからです。
私のフィールドは文学ですが、作家の描くものに「食べ物」は多く登場します。そこが「食」との関わりです。
とある中華料理屋に入ると、西村京太郎の色紙が架けられている。「人生は愛と友情と裏切りで成り立っている」と書かれた色紙を見ながら、それで安心した被害者は犯人に弾劾で背を向けてしゃべるのか?なんて思ったりします。
偶然入ったお店に有名人の色紙やサインがあるのもいいです。
ハンバーガーからうんと逸れてしまい、済みませんでした。
昨今はネットだと言いたい放題なので
発言もリスクを含みますよね。
<<行った店は後でネットで検索してみる
その順番の方が、自分に固定観念がないので純粋な感想が持てると思います。
<<無目的に歩いて気になった店に入り
とても恵まれた環境だと思います。私の場合は時間に余裕があった時は
よく歩いて自分のお気に入りを見つけられましたが
最近は前から気になっていた所に行くというスタンスが多いです。
あと、一人の時は地味な場所が落ち着きますが
誰かと一緒の場合は有名な憧れの場所に探検というのも好きです。
<<スマホなどの地図に掲載されるには年間3000円の掲載料
なるほど、広告料に比べたらやすいですが、公平性がないですね。
<<発疹から逃れる自衛
とはいえ、添加物は誰でも避けられるなら避けたいですからそういうお店情報はありがたいものです。添加物がない良心的なお店もまだあるんですね。
安価なチェーン店だとコスト削減のためにそうもいかないのかとは推測しますが。
昨日は失礼しました。
私は、無目的に歩いて気になった店に入り、お店の人と語らい、そんな中で食の情報を得る、というスタイルです。
行った店は後でネットで検索してみる、と普通とは逆です。
スマホなどの地図に掲載されるには年間3000円の掲載料がいるという。それならスマホの地図、その情報はカタログにしか思えません。
京都に「広永」という駐車場のない、薄汚れた看板がある小さな中華料理屋があります。先代は、王将の創業者、ラーメンの天下一品の創業者と同じ所で修業された同期生です。ここの餃子は6個で200円ですが、皮はしっかり本格的中華です。
とまぁ、およそネットユーザーとは無縁の情報を歩いては収集しているもんです。駐車場がなく、看板が薄汚れている、もうそれだけで長く地元で愛されているというメッセージを読み取ります。およそ添加物は使用していない店が多い。
ランキング上位のお店は、人間の舌がインスタントの味に近いものを次第に上位に押しやっているようで怖いです。
10年前に心臓のカテーテルアブレーション手術をしてから、服用を義務づけられている薬が添加物との絡みで発疹を生じさせるので、どうしても一店舗に目が行き、足が向いてしまいます。
ですからグルメではなく、発疹から逃れる自衛です。
ブログを始めたら初日からあえなく炎上ですわ。
私は、全て体験で書いていますし、書きます。当然、お店の味などについては、受け売り、孫引き、ランキング信奉者の目の敵です。
そのまま受け止めて下さればいいのに、主観を交え、曲解され、私は「体験に基づくと言っていますが」「どこそこの引用じゃねぇか」と吐き捨て、それに追随する輩・・・。
時間のムダです。
しましまさんは、そのまんま受け止めて下さるからありがたいです。
リンク先の写真のお肉の量にまず圧倒されました(笑)
バーガーキングは今は日本上陸時に比べて小さいバーガーをメインに売っているように思います。やはり日本人の食欲に適してないと売れないでしょうからね・・・。
ネイビーバーガーを見て、そういえばアメリカ大使館のハンバーガーも
こんな感じだなと思い出しました。
アメリカもイギリスも個人の好みでケチャップ、マスタード、マヨネーズ
と野菜を入れて、お肉自体はシンプルな肉肉しい塊だからでしょうかね。
アメリカ大使館では職員の年度入れ替わりの前に、駐在していた職員が帰国のため
不用品を売っていく、一般人も入れるセールが年に1度あり、その時に
フードの屋台も出るのでした。
「そばめし」は存じ上げませんでした。
DAIさん食品全般に造詣が深いので
食品ブログをお創りになったら素晴らしいものができそうですね。
バーガーキングの大きさや味は、横須賀や佐世保に近いものがありました。東京からなら、横須賀の「どぶ板商店街」にある、横須賀ネイビーバーガーが近くていいと思います。
http://www.cocoyoko.net/gourmet/yokosuka_navyburger.html
バーガーと全く関係はないんですが、「そばめし」の本当のところをご紹介させて頂きます。
「そばめし」は「焼きそば」&「焼きめし」と伝わっていることかと思いますが、元祖は全く異なります。
元祖は神戸は長田の「青葉」です。長田界隈では、「そば焼き」というものがあり、「そば焼き」&「焼きめし」が「そば飯」です。
「焼きそば」は「茹で麺」で、野菜を炒める際、水を加え、鉄板で麺と混ぜ合わせて「焼きそば」として供されます。(モッチリの食感)
これに対し、「そば焼き」は、「蒸し麺」で、野菜を炒める際には水を一切加えません。そうして、鉄板で混ぜ合わせ「そば焼き」として供されます。(サクサクした食感)
「青葉」では、お肉の代わりに鉄板に置いた鍋で煮込んだ「牛スジ」を「そば飯」に加えて提供されます。
ソースは地元・長田の「ばらソース」を使用します。
一度、「蒸し麺」「水を加えない」の二点を守って創ってみて下さい。麺は鉄板で使うコテで予め切っておきます。
(この「そば焼き」をサンドで食しても美味しいです)
はい、そうですね、グルメバーガーとも言われるようです。
佐世保や横須賀のは存じ上げないのですが、
場所柄アメリカンサイズで本格的なお料理ぽいですね。
私もアメリカの食べ物というととにかく大きいイメージがあります。
ただNYCは都会なので健康志向も強く、グルメかつヘルシーなものに
人気が集まっている傾向があります。
シェイクシャックのサイズもポテトはやや大きめでしたが
ハンバーガーの大きさは日本で見るのと同じくらいです。
昔バーガーキングを初めて見たときには大きいと思いましたが
全米大チェーンレストランと、MYC発のお店は別なのだなと思いました。
それでも、他のレストランのサラダ一人前は私も食べ切れませんでした。
やはり、まだまだ大きいアメリカでした。
<<アメリカンサイズのバーガー2個&超大盛ポテトを1リットルのコークで食すのは無理です
私もそれは2回に分けてもコークは飲みきれないと思います。
http://www.shakeshack.jp/
HPを見た限りでは、所謂「プレミアム・バーガー」の範疇に感じました。
佐世保バーガー、横須賀ネイビー・バーガーなんかに近い感じがします。
ただ、ここまでのバーガーはパイェィというよりは、それ自体がハンバーグとして単独で味わえるレベルにあるかと思います。
沖縄は金武(キン)町にある「キング・タコス」は米軍・金武キャンプのゲートのすぐそばにある店です。
98年に男二人で訪れ、ハンバーガーを各自一個、ポテトを二人で一皿、コーラをそれぞれ小(と言っても350CC)を頼み、テーブルに運ばれて来たのを見て二人とも絶句しました。普通のバーガーの優に1・5倍はあろうかというバーガーは、小山のように高さもあり、ポテトは名人芸的にうず高く積み重ねられたものが運ばれてきたからです。
ところが、二十分後、米兵が十数人来て、そんなバーガーを二個、一人でポテトを一皿、コークは1リットル、平気でみんな注文し、まるで何事もなかったかのように胃袋に消えていくのには、ただ「アハハハハ」と笑うしかなかったです。
このアメリカンサイズ!ウインピーもマックも米国ではアメリカンサイズ!?<横須賀の米軍基地を開放するフェスティバルには、アメリカンサイズのマックが出店とか>
こう思うと、しましまさんは健啖家なのかしら?と思ってしまいます。
私は、アメリカンサイズのバーガー2個&超大盛ポテトを1リットルのコークで食すのは無理です。
NYでは「シェイクシャック」という人気ハンバーガーを食べました。
ポテトがなみなみにカットされていてそれも美味しかったです。
東京にも2店あって、今日通ったら注文と受け取りの列ができていて
並びたくなかったので東京の味を確認できませんでした。
お米の収穫がサラリーマンの休日で決まるとは・・・
兼業してまで作ってくださっているのだから文句も言えませんね。
NYですか!海外自体ゼロです。国内は全県最低一泊しているんですが・・・。
お米は、年によっておいしさがバラつくので、尋ねたらサラリーマンと兼業なので、ベストの時期がうまく休みの日と重なった年はうまいんだと教えて下さったからです。お米は作ってもらっています。
栗は、もう親指の爪大程にプックリ膨らんできています。
返信が遅くなりすみません。
NYから今日戻ったのですが成田に着いた飛行機の中でコメントを読ませていただき
ラーメンとうどんの話に思わず食欲が出てしまいました。(笑)
あちらではホットドッグとかハンバーガーとか食べてましたから。
今回もお米が銘柄よりも収穫の時期によって味が違うとは
目からウロコの知識をありがとうございます。
よく考えてみたら、他の農作物が熟れ具合で味が決まるのですから
穀物とて同じなのですね。考えたこともありませんでした。
時間も、お金もない時は、「素チキンラーメン」の時もありますよ。(お鍋で炊いてでしか食べません)<少し短めの時間にすると、硬いもの、やや柔らかくなったもの、入り乱れてうまいです>
素麺はゆで時間より15秒早めに切り上げると、ビーフンみたいなサクサクした食感が生まれますから。
お米は、収穫時期が完熟のタイミングなら銘柄、土地は関係ないです。
うどんを茹で、どんぶりに入れ、しゃぶしゃぶ用のお肉を載せ、熱々のお出汁を注ぎ、お肉の色が変わり切らない内に食べ始める「肉うどん」なんかもいいですよ。
あるものを工夫されれば、うまく変身します。
しゃぶしゃぶ用のお餅をホットプレート一面に敷き詰め、そきにピッツァの具を乗っけ、ピッツァソースをかけ、最後にスイートバジルの葉っぱをのっけ、ホットプレートの蓋をし、少しして二を開け、それらをグチャグチャにかき混ぜて食べる「ピザ・餅もんじゃ」なんてのも単純でうまいです。
こんな風に試すのも、ウインピーでのまかないの習慣からみたいです。
<<手作り、機械との明確な差
なーるーほーどー
とっても勉強になりました!
他のレストランのレシピにもお詳しいのですね。
私もハンバーグなどのひき肉料理は大好物です。
牛肉100%派です。
ベーコンを入れるというアイディアには目からウロコです。
また肉汁とは空気と関係があるとは思いもよりませんでした。
よくレシピには両面に焦げ目をつけてから中まで火を通す、などと書いてあるので
焼き方の問題かと・・・
DAIさんのご自宅のテーブルにはいつも美味しいものがのっていそうで裏山です。
ロッテリアの社員研修では、「牛肉を包丁でトントン刻んでミンチ状にしたものをタルタルステーキ」と呼ぶ、という風に習いました。
ですから、牛肉のユッケ状の感じを卵や小麦粉(パン粉)でつないだものが「タルタルステーキ」で、ミンチに機械で仕上げ、それをプレスして成型したものが「ミートパティ」と、手作り、機械との明確な差があると思うのです。
閉店した祇園の洋食の名店「たから船」のハンバーグは、牛肉100%(これ以外をハンバーグと呼ぶのに抵抗はあります)のミンチ肉に牛乳に浸したミミを取った食パン一枚を千切って混ぜ、卵、玉ねぎ(炒めたもの)を加えたといったレシピでした。スパイスがない場合は、家庭ならベーコンを刻んでもシナモン、ナツメッグの味わいに似た風合いが出ることを習いました。家では、今もそうして創ります。
「肉汁」とは下品なもの言いに聞こえるので、なぜかなと思っていたら、「たから船」のハンバーグはしっかり空気を抜き、ドッシリした作りだったからだと思い出しました。
「空気を抜く」工程を外した手抜きと、肉汁という下品なもの言いが溢れ、好きにはなれません。緻密な肉は肉汁が溢れださず、肉に閉じ込められていきますから。
ちょっとウインピーから逸れてしまったようで済みません。
パティとハンバーグは同じものかと思っておりました?!
ではタルタルステーキは肉がバラバラになっているということですね。
それをまとめて形成したものをミートパティとしてハンバーガーにする。
そういえば「ツナのタルタル」というフランス料理もツナが細くなっていますが
型にはめてお皿にあけたように形成されています。
クール・ジャパンの先日は「和製料理」でした。ハンバーグとして食べる習慣はアメリカにはない、パティはハンバーガーとして食べるので、そのパティを料理として食べることはないという趣旨でした。
パティとタルタルステーキ(ハンブルグ・ステーキ)をルーツとするハンバーグとを混同していないかと気になりました。
ロッテリアの社員研修では、牛肉を包丁で叩いてミンチ状にしたものをタルタルステーキ(モンゴルが発祥)と言い、同様のものがハンブルグでもあった。<個人的には、フビライ藩がヨーリッパを席巻した際の名残でタルタルステーキが残ったと思います>
このハンブルグ・ステーキをアメリカでは成型し、改めてミート・パティとしてハンバーガーとしたと思うのです。
なるほどバンズと肉よりも味付けに社風が生かされていたのですね。
マックのハンバーガーにキュウリのピクルスが入っていたのはなぜか覚えていますし
数年前にもまだ入っていました。
今ではほとんどあの基本のハンバーガーを注文しなくなったのですが
数年前までハッピーセットのおもちゃを集めるために
ハンバーガーを時々食べましたから。
言われてみると、確かにハンバーガーにマスタードはありそうでないですね。
ドリンクとのセットが固定、というのは記憶にありません(?!)
記憶があるところから、セットのドリンクは幾つかの選択肢から選べたような
気がします。炭酸飲料は得意でないので、大抵ミルクとかオレンジジュースを
注文していました。今ではコーヒーですけど。
今は自社でバンズを開発していることと思います。
バンズは同じでも、味には明確な違いは存在していました。
無論、包装紙ではありません。
シーズニング類などです。
79年当時、ウインピーは生のスライス・オニオンをグリルで炒めたものを乗っけていた。
ロッテリアは、乾燥野菜(ミンスト・オニオンって言っていた)を乗っけていた。
確かマックもミンスト・オニオンなどだったと思いますが、ロッテリアと違うシーズニングを振っていたと思います。
つまり、バンズは同じでもミート・パティが同じでも、シーズニング類、野菜類(ナマ、乾燥など)などでかなり違います。まして、ウインピーの様にケチャップ&マスタードはオンリー・ワンでした。
キュウリ類のピクルスを当時、ウインピーは載せていたと記憶しているんですが、マックやロッテリアも何がしか乗せていたと記憶しています。モスはなかったと思うのですが・・・。
更にドリンクとのセットが固定されていませんでした。
マックはハンバーガー&コークでした。
ロッテリアは全社を挙げて、ファンタ・アップルがハンバーガーに合うということで大々的に展開していました。
ウインピーは特にそうしたセットはなく、テイクアウトではむしろ当時京都では未だ珍しかったシェーキ類との組み合わせでよく出ていました。
こうなると、バンズやミート・パティが同じでも、シーズニング類が違うところに持って来て、セットドリンクが異なるので、バーガー類の味は違って受け取られたと思います。
またサイドメニューのポテトも、ウインピーの太いフライドポテト、マックの今とほぼ同じのシューストリング(塩以外にも振っていた。スパイス類)、ロッテリアの今より細めのシューストリング(塩だけ振っていた記憶があります)。これらとの食べ合わせもあって、かなり違って受け取られたことと思います。
79年のロッテリアで原価は、バンズが5円、ミートパティが50円、その他シーズニング類などで1~2円。これを180円の単価で販売していたと思います。マックやウインピーも基本は大同小異だと思います。モスはシーズニング類の単価が10円近くかかる点で突出していたと思います。(王将のラーメンが79年当時180円、餃子が80円くらいでした)
ちょっとそのアイリッシュ・コーヒーの概念からして間違っているように思われますので、
ことが無事にすんでなによりです。
<<ウインピーも、ロッテリアもマックも、第一パンのバンズウインピーも、ロッテリアもマックも、第一パンのバンズ
衝撃的な事実です・・・・!
それでは包み紙のせいで味が違うと思っていたのか・・・
そして私もバイト先の先輩に「モスバーガーって知ってる?」って言われて
ドキドキしながら初めて食べたことを思い出しました。80年代前半でした。
あの頃はフレッシュネスもなかったからモスは別格でしたね。
と言いつつも、マックやロッテリアもそれはそれで食べられるんですが。
バイトでの経験がずっと身についているのは良かったですね。
焦げた鍋などにお湯をはって火にかけてから落とす・・・というのは
友人に教えてもらってからやっていますが、
お弁当屋さんでバイトをしたこともあるのに、何一つその記憶がないです。
先の「オス」は「モス」の書き間違いです。済みません。
洗い場からのウインピー
フライパンや鍋は、今も半分くらいに水を入れ、沸騰させてから中性洗剤を入れ、ぬるま湯状態でこびりついたものを落とし、お湯を捨て、サッと仕上げていってました。
お米を炊く時は、お米を巨大な業務用のガス炊飯器に入れ、ホースで水を注ぎながら、泡立てでザッとかき混ぜ、三回ほど水を替え、ほぼ東明になった状態で、人差し指の第一関節辺りで水を張り、スイッチを入れていました。
玉ねぎは川ごとヘタの方、底の方を包丁でザックリ切り捨て、後はスライサーに任せて切っていました。
レタスは芯を指でこそげ取り、底に水を注ぎ、バラバラにし、氷水で保存していました。シャッキリ感の維持です。
ピーマンは縦に二つに切り分け、種をほじくり出してから、横に細く切っていました。
これらは結婚後も家でやっています。(お米は除いて)
映画に「匂い」はマズいようです・・・。
アイリッシュ・コーヒーの説明は、まず最初に炭酸水を飲み干して、口を爽快にしてからコーヒーを飲むという説明でした。
バンズについて。
79年当時、私はロッテリアの正社員でした。配属された店は、近くにマックがありました。(当時、全国的に多かったです、そういう位置関係)ウインピーも、ロッテリアもマックも、第一パンのバンズという点は同じでした。
なくなりかけると「ああ、そちらマックの○○店ですか?こちらロッテリア○○店です。バンズ、分けてもらえませんか?「あ、いいよ。着替えて
来てネ」と相互に言ってました。
もう一声言えば、ミートパティ(本来微妙に違うのですが)も相互に助け合っていました。(「東食」で、これはウインピーも一緒でした。)
80年代の途中から自社で賄うようになっていったらしいです。
79年当時、マックの社員も、ロッテリアの社員も「うまいのは、オスやなぁ」で一致していました。
ただ、ウインピーのベンダーバーガーは社員間でも人気が高かったです。
ウインピーのポテトに今、近いのはオレアイダのこの波形クリンクルが近いかと思います。
http://www.oreida.jp/products/p-a05.html
形状、大きさはかなり近いです。低温の場合、中がねっとりする点も似ています。(カリッとしたものよりも、太いものならではの、このねっとり食感も捨てがたいです)
どうも失礼しました。
ちゃんと「シャーベット状にしてすくう」と書いてありましたよね。味だけではなく、食感と
瞬時に形状が変わったところを間髪入れずにいただく、というスリルが楽しそうです。
JRの車内アイスで試してみたいです。
アイリッシュ・コーヒーとは生クリームとウィスキーの入った濃厚なものだから
それと一緒に炭酸水を・・・?
一流ホテルの以上の施設でしたらメニューにないサービスも応え甲斐があるでしょうが
ハンバーガー屋さんで無い物ねだりされるのも辛いことですね。
<<映画館内でウインピーで買ったベンダーバーガーとポテトとコークを飲み食いし、その匂いでひんしゅくをかっていた
私は個人的には映画は飲み食いしながら見てもいい娯楽だと思っています。
文芸作品に音の出る袋などはきついですけれども!
普通の映画ならば、お互いに許し合おうよ、と言いたいところです。
アフォガートは熱いコーヒーを注ぎますが、私や京都店のバイトはアイスコーヒーを少し注ぎ、瞬間そこだけシャーベット状になるのをせせり出し味わう点が根本的に異なるかと思います。アフォガートでは瞬間シャーベット状にはなりがたいです。(新幹線の車内販売のアイスに無糖の冷たい缶コーヒーがその手の食べ方ではベストかと)
アイリッシュ・コーヒーをオーダーされて困ったことがありました。
炭酸水(または無糖に近いソーダ)をデミグラスに用意し、口をサッパリさせてからコーヒーを飲むのだと力説されたのですが、コーラのタンクから炭酸だけ取り出すことは叶わず、お断りしました。
ジョンソンヴィルのソーセージは太いですが、これをやや補足したらベンダーに近いかと思います。
http://www.johnsonville.co.jp/
バンズの大きさは、リング状にしたベンダーとほぼ同じ大きさでしたので、サイズ的にはジョンソンヴィルは近いかと思います。
やはりミルクでしたか!
新宿は同じ景色を見ていますネ。
私は「ROCKY2」を見た時、映画館内でウインピーで買ったベンダーバーガーとポテトとコークを飲み食いし、その匂いでひんしゅくをかっていたかと思います。
奥入瀬渓流の石ケ戸という所の売店で「もちっこフランク」なるものがあり、これはベンダーみたいなソーセージにさとうの切り餅を電子レンジで少し和らかくし、フランクに巻きつけ、素揚げしたものでした。これがベンダーバーガー以降、これに近い味わいをしたものです。96年の夏、一課四人で食べ、みんなうまいと言ったものでした。
はい、そうです、新宿コマ劇場前広場はその位置でした。
DAIさんもいらしたことがあったのですね。
山岳部男子のグループは、たくさん食べそうなので良いお客さんだったでしょうね。
松本にもあったとは、私自身ではないのですが、夫が友人を訪ねていくことがあり、
今でもあったらよかったのに、と思いました。残念です。
紅茶にはイギリスでは絶対にミルクなので、京都ウィンピーもそうだったと知り
感慨深いです。しかも皇室御用達とは素晴らしい品揃えですね。
聞けば聞くほどそのレストランへ行ってみたかったなと思います。
イギリスのウィンピーのドリンクは記憶がないのですが
マクドナルドでもイギリスはミルクが出てきます。
アイス+コーヒーは、私も初めて聞いた時には「え?」でしたが、
「アフォガード」と呼ばれるエスプレッソをアイスにかけたものは私も大好きです。
イタリアに住んでいる義理の母はコーヒーにアイスを入れてミルクコーヒーのように
溶かしてから飲んだりしています。
京都のバイトさんたちは、イタリア式をご自分で発明していたとは!
新宿のウインピー、ひょっとしたら同じ店を思い浮かべているかも知れません。79年当時、新宿駅を背中にした時コマは右手、その左に「俺たち」シリーズでも出ていたと思う、池があったかと思います。その池を過ぎて左に進み突き当って左の奥にウインピーがあったと記憶しています。
テイクアウトだけの店舗で店頭に女の子が一人、声をかけるでもなくポツネンとしていたと思います。
京都店に当時バイトに来ていた一大勢力の一つが、立命館大学の山岳部の男子で最大時8名を数えていました。彼らの弁によれば、松本駅前にレストラン併設のウインピーがあり、アルプスの帰りによく立ち寄ると言っていました。大糸線で穂高や安曇野界隈を行っていたそうです。
ウインピーのミルクティーのミルクはフレッシュではありませんでした。容器も冷やしたもの(陶器のピッチャータイプ)を用意し、そこに皇室御用達の「松原牛乳(京都の牛乳です)」で供していました。コーヒーにはフレッシュでした。これは金属製の小さなケトル状の容器でした。
紅茶は茶こしに人数分+1の茶葉を入れていました。沸騰させたお湯を初め、渋く色も綺麗でない一回目はサッと捨て、綺麗な二回目を入れていました。恐らく、白いハンカチを浸せば紅茶染めみたいな色になることと思います。
バイトたちは、アイスクリームにこのアイスティーを少し垂らしては、シャーベット状に固まるのをサッとティースプーンですくって食べるのをやってました。これの応用はカチンコチンの新幹線でのアイスに無糖の缶コーヒーを少し垂らしてみる食べ方です。
今、イタリアン・カフェでエスプレッソをバニラアイスに別添えで出し、垂らすデザートがありますから、この食べ方は「アリ」なんでしょう。
ベンダーはスライストマト(今はないオランダトマト、ん種とこが辛みっていうかトマト嫌いの風味があったというか)とレリッシュの相性が良かったと思います。甘い今のトマトではレリッシュとの相性はよくないと思います。
大きさ自体はコンビニのビッグフランク級はあるかと思います。もう少しあれよりは細かったとは思います。
こんにちは。
ベンダーは、ちょっと寸足らずのフランクフルトでやってみたので
お団子みたいになりました^^;
やはり長さがポイントなのですね。
「スイトピア店」のお話で思い出しましたが、
多分、新宿のウィンピーもカウンターで売るだけで席はなかったかもしれません。
その昔「コマ劇場前」という映画館が集まった広場に面していたので
買って映画を見ながら食べるお客がターゲットだったのかもです。
アイスティーの季節になりましたね。
お話を伺ったら、私はいつもアイスコーヒー派なんですが、
アイスティーもいいなと思いました。
しましまさん
同じ京都にあった「スイトピア店」は、ハンバーガーだけの展開で、レストランを併設はしていませんでした。恐らく、ハンバーガーだけの店はセルフスタイル(手渡すだけ)、レストラン併設の店はサービス係が専属でつく。(バックの会社が「ヤサカ観光」という京都で屈指の規模の観光バスやタクシーを保有している会社というのも大きい要素かも知れません)
ドリンクは、今もアイスティーを創る時はタンブラーにいっぱい氷を入れ、たっぷりの「リプトン紅茶」の茶葉を茶こしに入れ、熱々のお湯で最初の一回しはサッと捨て、二回り目からのものを注ぐと、綺麗な紅茶色に仕上がってくるものを飲んでいます。ガムシロは後から注ぎ入れていました。
ベンダーは試されてみました?
レリッシュが市販されていないので難しいかも知れませんが。
http://www.itoham.co.jp/product/series/00000085.html
伊藤ハムのこのシリーズをリング状にすれば、大きさはベンダーみたいになります。
75年当時、マックがあまり見かけなかったことについて。
いろいろな形態のお店がありました。
明 治 サンテオレ(今も細々とある地域もあるみたいです)
森 永 LOVE
グリコ グリコア
不二家 不二家レストラン(ケーキ類のテイクアウト&食事)
<明治 明治パーラー(不二家レストランみたいな形態のお店)>
デーリー・クイーン ソフトクリーム&ハンバーガーみたいな感じでした。
でも、関西では当時圧倒的に見かけてのが、「ドムドム・バーガー」でした。1970年秋には第一号店を出し、チェーン展開していました。ダイエーがバックで、ダイエーは大阪が発祥の地なので、関西は強かった記憶があります。今も、「ドムドム・バーガー」はそこそこの店舗があるみたいです。
73年のオイルショックにより、社会全体に就業時間が増え、より女性の社会進出も増え、手軽に外食する機会が社会全体でグンと増した傾向を感じます。
京都では、71年に画期的な外食産業のお店が二つできました。
「餃子の王将」 四条大宮(阪急)の道を挟んだ西向いに一号店があります。<75年当時で、餃子70円、ラーメンが150円でした>
「天下一品」 71年に創業。<白川通り沿いにある京都造形芸術大の道を挟んだ斜め向かい辺りの位置にある>
※上記二店と同じ時期、同じ所で修業された方が、もう一人います。その方は上賀茂神社の東500メートルくらいの所に「広永」という小さな中華料理屋(一店舗)を開いています。(ラーメン、餃子、チャーハンで1000円いかない良心的な店です。餃子の皮は厚く、本格的な中華料理屋と遜色なく6個で200円はとても安いです<野菜が多い>)
おおおお!
特別編、ありがとうございます。
特に「ベンダーカレー」は絶対トライしますね!
今日は、家庭でプチ再現WIMPYのコンセプトで。
ソフトクリームをボウルに空け、電気の泡立てでメレンゲを立てる要領でふんわり膨らませます。膨らんできましたら、かき氷のシロップのメロンやイチゴを加え、更に混ぜれば、「シェイク」風のドリンクの完成。
CBカレースパイスでカレーを創れば、WIMPYカレーです。
http://www.amazon.co.jp/C-B-%E7%B4%94%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%BC-400g/dp/B00HEZ5B8K
アマゾンでも、楽天市場でも取り扱っています。
じゃがいも、にんじんを入れず、玉ねぎとビーフだけがWIMPYカレーです。タラスティック(タラのフライ)を乗っければ「シャンティ・カレー」、ソーセージを曲げて乗っければ「ベンダーカレー」です。
ポテトフライで市販で似ているのが「オレアイダ」の「ゴールデンクリンクル」です。
http://www.oreida.jp/products/p-a05.html
カット面の感じ、時にでんぷん質から「ベチョ」とした「ねっとり」感のある感じが似ています。シンプルに塩dさけで食せば、WIMPYに似てきます。
シロップまでザラメで手作りだったところに感動しました。
市販のものは甘みが強すぎるのかな・・・?
私は普段アイス関係の飲み物はあまり得意ではなくて
今人気のスタバのフラペチーノでさえも去年は試したけど
500円以上もするほど好きではなかったな~なんて不遜な感想を持ちましたが
DAIさんのシェイクの説明を読んで飲みたくなったしましました!
でも、ウィンピーないし、いったいどこでたのめばいいのか・・・
ちょっと悲しいです(笑)。
それと、トマトジュースってタバスコ入れるの最近まで知りませんでした。
私が飲まないからでしょうけれども。
でも40年以上も前からある伝統的な飲み方なのですね~
ドリンクを思い浮かぶままに。
コーヒーはデカンタに豆から抽出して落としていました。
アイスコーヒーも同じ要領ですが、落とせたものは直ちに仕込み場に持ってきて、ザラメ(味にクセがないということで)をよく混ぜ、溶かしてから冷やしていました。
オレンジジュース、アップルジュースは、缶からクーラーに入れ、還流させ冷やしたものを供していました。
シェイクは、シェイクマシーンに「ニッセイ(日世)」の専用の液を入れ、硬くなるまで運転してから供していた。バニラ、メロン、チョコ、ストロベリーの各シロップをタンブラーの底に落とし、シェイクミックスのレバーを下げ、シイクミックスを入れ、それを専用のマシーンに取り付け、ボタンを押して一気に攪拌さえ、空気をうんと入れ、ふんわりさせて出していた。テイクアウトは紙コップで。
ココアはハーシーズのシロップを牛乳と、同僚のお湯で割って、片手鍋で温めて供していました。
アイスミルクにはガムシロップをメジャー(上下、鼓状のものを使用、小さい方で一杯)で測って入れてから、ミルクを注いだ。ホットミルクには入れなかった。
コーラ、ファンタ、メロンソーダは、ファミレスのドリンクバーみたいに、ジャッと押すタイプ。他に炭酸水もあった。
炭酸水は「レモンスカッシュ」をつくる際、タンブラーにメジャーの小さい方でポッカレモンを入れ、さらにメジャーの大きい方でガムシロップ(仕込みの所でお湯とザラメとから作っていた)を入れ、炭酸水を入れ、スライスレモンを一枚浮かべ、チェリー(缶詰)を一つ浮かべて供していた。(通称、「レスカ」以外はテイクアウトもOK)
アイスクリームがあったことから、コーヒーフロート、クリームソーダ、コラフロートも店内のみのメニューであった。
ホットコーラは一か月に1~2回出てきたメニュー。
トマトジュースには、タバスコを添えて供していた。
タンブラーは円柱形のガラス製でした。
コーヒー、ココア、スウプの各カップは陶器製でした。
ストローは当時先端を行く、先がフレックスに曲がるものでした。
きょうは私は7時まで仕事があったので夫が夕飯を作りました。
フランクフルトの切れ目への試みは週明けになりそうです。
スライスオニオンのグリルに醤油と味醂ですか、それも美味しそう。
ハンバーグと合うのですね、次回やってみます^^
デミグラスソースのレシピはかなり手がこんでいるので
真似できそうもないです。
(75年の京都で食べたかった!)
ハンバーグレストランにトーストがあるのもイギリスっぽいです。
でもあの国には薄い食パンしか存在しないので
4つ切りというのが京都風アレンジなのでしょうね。
イギリスの食事にも食パンがつくときはバターがぬられて出て来ます。
フランクフルトには切れ目を入れてみて下さい。そうしてそれを素揚げされれば、クルっと丸められます。少なくとも曲げられます。
今なら、しゃぶしゃぶ用のお餅を電子レンジでチンしてフランクフルトに巻き付け、それを素揚げした「餅っこフランク<奥入瀬渓流のレストハウスで売っていた>」も美味しいです。
味付けを思い出しました。
スライスオニオンはグリルで炒め、醤油と味醂を混ぜたものを仕上げにかけていました。ハンバーガーの場合、この上にミートパティを乗っけ、そのまま両者を焼きあがったバンズの平たい方に置き、丸い方を斜めに置いて店内で供していました。テイクアウトの場合は、ケチャップ、マスタード(辛くないフレンチマスタード)をかけて渡した。店内の各テーブルにはケチャップ、マスタードの容器は置いてあった。
仕上げにキュウリのピクルスを一枚乗っけた。
同じミートパティを、ハンバーグとして供する時は、お皿に乗っけ、仕上げにデミグラスソースをかけた。(ハインツの大きな缶を一本開け、そこに水を加え、二倍に薄めて煮立たせます。トロトロになってきたら、マギー・ブイオヨンを二個入れて更に煮込んで、トロ味が出始めたら、片手鍋ごとグリルの上に置いていたと思います)
フイッシュフライ(シャンテと言っていた)には、市販のタルタルソースをかけていた。
サラダ類は、市販のサウザンド・アイランドソースをかけていた。
コーンスープには、クルトンを浮かべた。そのクルトンは食パンを細かく切って、フライヤーでサッと素揚げしたものを使っていた。と記憶が甦ったので、食パンを使って「トースト」のメニューがあったことを思い出した。四つ切のパンをトーストし、これを斜めにカットし、立体的に交差させ、バターを予め塗って供していた。
ドリンクは次回、ということでお願いします。
75年に京都にバーガーレストランやファミレスがなかったのですか?!
それは意外でした。。。
私は関東でも田舎町に住んでいたのでそういう都会のものがないのは
当たり前でしたが、京都は大都会だから、東京のように何でも日本では
いち早く導入されるものかと思っておりました。
でも、京都は街の美観を損ねることは取り入れない法律もあるのですよね、確か。
イタリアをちょっと思い出しました。
義理の両親が住んでいるので何度か行きましたが、都会にもほとんど
アメリカのチェーン店はなくて、自分達のものが大好きなので取り入れないんです。
ナイフとフォークのセットというのは、
今考えるとあの当時はちゃんとしたレストラン以外では使わなかったと思います。
それをホットケーキ用にも揃えていたなんてかっこよかったでしょうね。
「ガラスの横長の容器に入ったサンデー」もイギリスぽいしレトロだし、
すごく食べたくなってしまいました!
いろいろ思い出していただけてますます現在のウィンピーに
行きたくなりました。
実はさっきフランクフルトソーセージを買って来てあり
丸くなるかどうか試してみようと思っています。(笑)
75年当時、京都にはコンビニも、ファミレスも、ハンバーガーショップもなかったので、手探りだったかと思います。
ナイフとフォークのセットから。
もう一回り小さなセットがありました。それは、ホットケーキ用のもので、メープル、チョコレート、小倉の三種類がありました。
スライサーからキャベツを思い出しました。
コールスローとし、レタス(中央の芯をくりぬき、そこに水をかけ、はがれやすくし、ザルに氷水を張り、シャキっとした状態を保っていた)を敷いた上にトマトとともに載せ、フライドポテトの横に盛り付けていた。サウザンド・アイランドソースで供していた。単品のサラダとしても供していたかは自信がない。
アイスクリームはスチール製の容器にワンディッシャー乗っけ、チェリーを乗っけ、ウエファースを一枚載せて供した。
ガラスの横長のサンデーの容器には、アイスクリーム、ワンディッシャーにチョコレートをかけたチョコレートサンデー、バナナが多めに乗ったバナナサンデー、チョコレートをかけず、パイン缶、みかん缶、バナナを乗っけたフルーツサンデーの三種類のサンデーもあった。
スープは粒粒コーンの入った、コーンクリームスープ一点だったと思う。
ドリンクはまだ思い出せるかも知れません。
しましまさん、このような場を提供して下さり、ありがとうございます。
私が行ったことのある、新宿とロンドンのお店はどちらもマクドナルドと同じように
カウンターで注文してトレイを受け取りあとはセルフサービスというものでした。
本家イギリスのレストランも、一時期はセルフになって、その後またサービス係が
注文を聞いたり持って来たり、といったスタイルになったようです。
もしかしたら、日本でも京都店だけそういう高級だったのか、
それともフランチャイズとは言いながらも細かいところは各店が決められるような
ゆるいチェーン展開だったのかも知れませんね。
フライド・チキンもただ冷凍の材料を揚げるだけかと思っていました。
アルバイトとは言え、調理法も習えてよい経験でしたね。
こちらこそ、思えば浮かんでくるもので当時のアルバイト仲間を二十人くらい思い出せました。無論、誰一人連絡はつきませんが、思い出はそうしたところからも湧いてきます。
ファミレスより高級だったと実感できます。
フロア担当の特に女の子たちは、紙ナプキンを角ができるように折って、各テーブルに置いていました。ペーパー・ホルダーはスチール製でした。
営業時間終了後は、ナイフを芯にして、フォークを後から巻き込んでセットにしていました。カレースプーンは単独、スープスプーンも単独で巻いていました。
エプロンのポケットに常にセットを数組入れて、オーダーをきいた後、テーブルに置いて行ったかと思います。
道具で思い出せたことがあります。
エッグリング。エッグバーガー、エッグハンバーグのオーダーが入ったら、グリル(鉄板)で目玉焼きにしていました。「月見バーガー」の大先輩です。テイクアウトの客にはケチャップか、マスタードかかけるのを尋ねていました。テーブルには、ケチャップ、マスタードの容器が置いてあったので、店内で食事する人は各自でかけていました。これらは、フライドポテトにもかけたりしている人がいました。
トング。チキンを一口大に切ったものにシーズニングをまぶし、時間をおいてなじませる。その後、バッター液と呼んでいた液(中身は全卵、卵白、小麦粉などを混ぜたもの)に潜らせ、「フライド・チキン」のオーダーでバッター液からトングでつまんでフライヤーに投じていた。
フライドチキンというよりは、「チキン・バスケット」といった感じのメニューだったかと思います。
アルバイトから何か浮かんできそうです。
しましまさん、明日も書き込みご期待下さい。
私も大学1~2年生の当時やっていたこと、」周辺の記憶が甦ったりで、ありがとうございます。
南アフリカのブログ記事おもしろいですね。
私も自分の記事を書いた時にウィンピーについてWikiで
南アフリカに店舗を拡大していることは読みましたが、ただ文章を読むのと、
こうして写真つきで現地で利用されてる方のレポを見るのは全然違いますね。
ミックスジュース、名前はジュースですが
卵黄やバニラアイス、牛乳まで入っているとシェイクのような、
でも材料が新鮮なので今は日本でも見かけるようになった
スムージーに近いものを想像します。
やはり先を行っていたのですね~
私は飲食の現場で働いたことはほとんどないのですけど
70年代のウィンピーは、ファストフードは言いながらも
普通のレストラン並みに手が込んだお料理を出していたようで
なくなったのはもったいないことです。
ありがとうございます。
1975年当時、大学一年生の私のお昼が、餃子の王将の時、餃子は70円、ラーメンは150円でした。ですから時間給300円から高校生はスタートというのは、相場ではあります。
http://ameblo.jp/chicaism/entry-10453751271.html
サッカーのワールドカップ、当地でWIMPYのお世話になった人は多かったかも知れませんネ。
思い出したメニューをレシピとともに。
ミックスジュースは、タンブラーの底に卵黄を一個分入れ、そこにバニラアイスをわん・ディッシャー落とし、そこにスプーンの大でオレンジ缶、パイン缶を各1、更に牛乳を加え、ミキサーにかけ、仕上がりにチェリーを浮かべました。
ホット・コーラ 単純に片手鍋でコーラを煮るんですが、沸騰直前で下すとキャラメル分の風味が消えず人残る。
ミートパティは冷凍なので、一箱二段の一団分、24枚でしたか。を、自然解凍し、グリルで焼きやすいように出していました。
ベンダーは、冷凍のまんま、注文を受けてフライヤーに入れ、一旦沈んで再び上がってくる時は、切れ目が綺麗に見えるようになっており、それをっ指先でリング状に整え、レリッシュ(トマトペースト状の赤とトマトの種の緑色でした)をかけていました。
チーズは溶けるタイプではなかったと思います。確か、QBBのチーズをスライサーで切って、アルミホイルで巻いて保存していたと思います。
氷はヤサカが地元の「橘製氷店」という所に発注していました。ホシザキの機械だけでは夏場は乗り越えられませんでした。
京都市内では「スイトピアWIMPY」というのもありました。後年、レザリアムで話題になったところです。
リンクありがとうございます。
ベンダー・バーガーがイギリスの「ご当地バーガー」として紹介されていますね!
これはますます食べてみたいです!!
そのページから現在のWIMPYのサイトにも行けました。ありがとうございます。
すごくメニューが充実していて、思わず張り付いて見てしまいました。
次にいつ行けるかはわからないけど、イギリスに行ったら絶対訪れなくては。
ロンドンでも中心地にはないので調べてわざわざ行かないとならないようですが。
「日清焼きそば UFO」も美味しいですが、それに比べたらWIMPYは高級でしたね。
私の実家は東京ではないので、1970年代はマクドナルドでさえも都会だな~と
思っていました。でも味は正直美味しいとは思いませんでした。
それに比べてWIMPYは仕入れ先が地元とは先を行っていましたね。
それにしてもDAIさん、BGMとかそんな詳細まで記憶されて、
ネットがない時代の情報って一般人にはほとんど探すことができませんが
こうして書いておけば口頭伝承のように後世に残せますよ。
WIMPYで検索すると、画像はポパイのウィンピーくんがたくさん出て来ます。
いつもハンバーガーを食べてるキャラとは知っていますが
英語だと「弱虫」の意味なのでイギリスでは不思議な名前でもありますね。
しましまさん、早速喜んで頂き、ありがとうございます。
ベンダー・バーガーは健在(イギリスで)のようです。
ベンダーには屋台という意味もあり、ホットドッグのような屋台風という意味合いからのネーミング」かも知れません。
京都駅前店は、京都タワーに向かって左手の郵便局の隣にありました。
「ヤサカ観光バス株式会社」がバックでした。店舗にはヤサカの正社員がお見えでした。ビールはご法度メニューで、アルコールは置いていませんでした。
当時「ブランチ」という言葉が珍しかった時代、「ウインピー・ブランチ」は、結構人気がありました。
基本は、フライド・ポテトにハンバーガーで平皿に乗っけて、これにドリンクがついたセット・メニューだったと記憶しています。
BGMは8トラをエンドレスでかけていたと思います。
店舗の裏の階段を上がったところに、更衣室、休憩所がありました。
76年5月は「ソバソバイェーイ! うまい、太い、大きい、わかんねぇだろうな」の松鶴屋千とせの「日清焼きそば UFO]を美味いなぁ、と食っていたもんです。
ファンタは75年当時、「ゴールデン・ファンタ・グレープ」が出た時で、ファンタのオーダーはこれで受けていました。
バンズは京都の地のパン屋「山一パン」でした。
ミートパティやベンダーソーセージなんかは東食でした。
WIMPYの冷凍庫は大きかったので、ヤサカが同時期経営していた、木屋町(京都の繁華街)の「串安」の海鮮ものも入っていました。
いやぁ、WIMPYを覚えていて下さる方がいらして感激です。
そうそう、紙のWIMPY帽子も被っていました。ポパイの友人でハンバーガー好きなWIMPY少年が名の由来と聞かされました。
こんにちは、はじめまして。
なんと、実際に働いていらっしゃったのですか?!
時給が、そんなに安かったのですね・・・インフレすごい。
当時300円で今1000円の価値のものが買えたの信じられません。
しかもメニューやレシピまで素晴らしい記憶力です。
個人的に「ベンダーバーガー」が特に気になりました。
私は新宿やロンドンの店でそういうものを見た記憶がありません。
たぶん自分の知ってるチーズバーガーとかフィッシュバーガーを食べたのだと思います^^;
「レリッシュ」は今ならわかる、ピクルスのようなもので、イギリスの食品ですね。
わああ~~、それを「リング状にねじったソーセージ」にかけて食べてみたい!
ところで新宿の噴水のある広場は、「コマ劇場前」と呼ばれた映画館の密集地帯でした。
歌舞伎座もあったのは知識から抜け落ちています。
今は、ゴジラが頭を出すTOHOシネマズができて別の名所となっており、
そのビルの1階には飲食店も入っているけどウィンピーがないのが寂しい限り!!
京都駅前にあった店舗で75~76年アルバイトしていました。
テイク・アウトより、店内で食事するのがメインでした。
お皿にフライドポテト(シンプルに塩だけ)、後はバリエーションって感じでした。ソーセージをリング状にねじった「ベンダーバーガー(レリッシュと呼んでいたトマトベースの調味料をかける)」<スライストマトを挟んでいた>「フイッシュバーガー」「チーズバーガー」「ウインピーバーガー<スライスオニオン、ハム用のスライサーでカットし、水に晒していました>」
カレーライスはビーフ(これは店舗奥でアルバイトがレシピに従って作っていました)、ハンバーグカレー、フィッシュカレー、ベンダーカレー。
アイスティはリプトンの茶葉を一回さっとお湯で回し、タンブラー一敗に入れた氷に一気に茶こし越にお湯を回し、ガムシロップを混ぜていました。
シェイクはメロンのある点がマックと異なっていたと思います。
高校生は一時間300円、大学生は350円からの時間給のスタートでした。
松本駅前にもあったとは当時山岳部で北アルプスに行った立命館大でウインピーバイト生からの声でした。
新宿の画像は歌舞伎座の前の噴水の南東にあったと記憶しています。
動画のリンクありがとうございます。
さっそく見て来ましたが、ありますね!ありましたね!と言いますのか。
この動画から興味をもたれていらっしゃったとは、
世の中狭くてつながって楽しいですね。
"新宿 1975,冬"
https://www.youtube.com/watch?v=s8GcPXX3xrQ
山形ですか!
やはり一時期は日本全国に分布していたのですね~(涙)
私がロンドン&東京で食べた記憶も89~90年です。
貴重な体験だったと今頃知っても、その頃スマホもないし
食べ物を写真に撮る習慣もあまりなかったしで、
残念無念です!!
ロンドンで当たり前のようにあって山形に行った時に見つけて行きました!
ハンバーグがソーセージっぽく加工されていた記憶もあるのですが、なにしろ1980年代のきおく…
今では知る人は少ないのでは?(^ω^ );
ケープタウンに!そうなんですか!
あ、そう言えばウィンピーの歴史を調べた時に出て来た気がします。
すっかり忘れてました^^;
ロンドンでも今では(最後に行ったのは4年前ですが)
ぜんぜん見かけなく、こうして映画やドラマに出て来るのを
見かけるのみで寂しい限りです。
コメントありがとうございます^^
ウィンピーが高校の近くにあったなんて羨ましいです!
ハンバーガーが200円前後なんて、今考えると良心的でしたね。
そう、マクドナルドは初めて食べた時にはちっともおいしいなんて
思わなかったけど、知名度と安さでなんとなく買ってしまいました。
ドムドムバーガーって知ってますよ!ゾウのマーク!
実家の駅前にありましたが買ったことはありませんでした。
美味しくなかったら競争に勝てないのは仕方ないですね。
ウィンピーはそこそこ美味しかったのに、巨大企業のイメージ戦略に
負けたという寂しさがあります。。。
最近復活したウェンディーズくらいはやって欲しいですが、
本国の方でも消えそうな企業なのでちょっと無理かなあ。
80年代半ばに高校生だった頃、高校の近くにありました。
生玉ねぎ刻んだのが入ったミートソースにパティ挟んだのが180円、それにトマト挟んだのが200円、スパイシー味が220円だったかな。
今のモスバーガーとよく似た味だったと記憶しています。
うちは田舎だったので、当時まだマクドナルドが存在せず、ダイエー系列のドムドムバーガーがありましたが、安いけどムチャ不味かった。
90年代になって雨後の竹の子みたいにマクドナルドができ、てりやきマックとチキン竜田以外不味かったけど安かったのでウィンピーには行かなくなり、ひっそりと閉店しました。
おはようございます(^^)
ターキッシュ・ディライトの送料には正直ギョッとしました。
いつか縁があるまで待つことにします(^^ゞ
イギリス生まれのハンバーガー屋チェーンなんてこれしかないし、
「裏切りのサーカス」に出て来たようにとっても70年代イギリスの
郷愁があるので私が大好きなんですWimpy。
ジョン、よくも台詞に入れてくれました~~
ターキッシュ・ディライトの送料がそんなにするのですか?!
アマゾンは本は送料無料なのに、食品は別の業者さんが
やってるからなのでしょうかね。
名前さえ覚えておけばきっといつか出会えると思うので、
そんな高い買物はしなくていいですよ・・・^^