「しましまさん、お金で手に入らないものがこの世にみっつあるの。」
大西さんに言われて印象的だった言葉の中のひとつです。
そのみっつとは何かと言いますと、
1. 車の免許
2. 恋人/愛
3. 英語力
聞いた当時まだ20代だった私ですので、フ~ンと思いながらも
なんとなく忘れられないでいたのでした。
今、これを発言した大西さんの年齢を自分が越えてみて、
あのリストは、当時若くして成功して名声やお金を手にして、
そして欲しいけど手に入らないものだったのかと思います。
1.の「免許」、実は大西さんは車を先に買って(確かminiだった)
それから、教習所に通ったんです。同僚から聞きました。
そして試験に落ちてそれ以上は頑張らなかったのですね。あっさりと。
でも、まあ、お金で運転手を雇えるのだから、必要ないと思うんですけどネ。
でもこういうの欲しい気持ちはわかります
2. は、聞いた当時は、「でもお金で買えるジゴロとかいるのに!」と思った私ですが、
う~ん、きっとその発言した時、大西さん、失恋でもしていたのかな。
素敵なプレゼントを買ってあげても、おしゃれなデートを演出しても、
フラれることのひとつやふたつやみっつはありますよね!人生。
これは、本当のところ私にはいまだに解けない謎です。
だって、お金持ちになったことがないから、わからない!!
そして最後、3.の「英語力」。
1990年、大西さんも、1年ほどロンドンに住んでいました。
そして、メイフェアの一等地にある、授業料の高いすてきな英語学校に入りました。
現在は移転してコベントガーデン
私は「せっかくロンドンに住んでるうちに、会っておきたい」と思いました。
それで、日本のATSUKI ONISHIのスタッフの友人から教えてもらった番号に
電話を何度かかけたのですけど、全然つながらないのです。
大西さんがもうすぐ日本に帰国してしまう、とスタッフから聞いた私はあせって、
直接訪問という奇襲攻撃に出ました。
イギリスでは、住所さえあれば「A to Z」を見てどこにでもたどり着けますから。
ジーーーーッ!ジーーーーッ! ←これ、イギリスのインターホンの音。
果たして、大西さんは、そこにいたのです・・・!!
お茶とビスケットでもてなしてくれました。
本当にもう帰国だということが、部屋に積まれた荷物からわかりました。
引越業者のイギリス人のお兄ちゃん達も出入りしていました。
翌日、大西さんと私はキングス・ロードの古着屋さんなどにお買い物に出かけ、
その次の日も、荷造りしきれなかったモノをゆずってもらいにまた大西さん宅へ。
後から日本のスタッフから聞いた話ですが、
大西さんは、英語学校は早々に嫌になり(運転免許と同じであきらめが早い)
よって英語は上達せず、電話も英語が恐くて出なかったらしいのです。
高級な学校だって、行かなきゃ、そりゃ、できるようにはならないよね。。。
その数ヶ月後のことでした。
日本のATSUKI ONISHIの会社から手紙をいただきました。
「プレス・スタッフを探していて、私に帰国の意思がないか」と・・・
なんとお仕事オファーだったのです?!
こちらも入社してから聞いた話なんですが、
大西さんが私をスタッフにしてもいいと思った理由は、なんと、
あの荷造りにもれたガラクタ雑貨や使いかけの食品まで
すべていただいて行ったからだとのこと・・・・ええっ?!なんで?!
モノを大切にする人だとの評価だったのかな?
貧乏学生でしたから、封を開けたビスケットだってありがたかったですもの!!
大西さんに言われて印象的だった言葉の中のひとつです。
そのみっつとは何かと言いますと、
1. 車の免許
2. 恋人/愛
3. 英語力
聞いた当時まだ20代だった私ですので、フ~ンと思いながらも
なんとなく忘れられないでいたのでした。
今、これを発言した大西さんの年齢を自分が越えてみて、
あのリストは、当時若くして成功して名声やお金を手にして、
そして欲しいけど手に入らないものだったのかと思います。
1.の「免許」、実は大西さんは車を先に買って(確かminiだった)
それから、教習所に通ったんです。同僚から聞きました。
そして試験に落ちてそれ以上は頑張らなかったのですね。あっさりと。
でも、まあ、お金で運転手を雇えるのだから、必要ないと思うんですけどネ。
でもこういうの欲しい気持ちはわかります
2. は、聞いた当時は、「でもお金で買えるジゴロとかいるのに!」と思った私ですが、
う~ん、きっとその発言した時、大西さん、失恋でもしていたのかな。
素敵なプレゼントを買ってあげても、おしゃれなデートを演出しても、
フラれることのひとつやふたつやみっつはありますよね!人生。
これは、本当のところ私にはいまだに解けない謎です。
だって、お金持ちになったことがないから、わからない!!
そして最後、3.の「英語力」。
1990年、大西さんも、1年ほどロンドンに住んでいました。
そして、メイフェアの一等地にある、授業料の高いすてきな英語学校に入りました。
現在は移転してコベントガーデン
私は「せっかくロンドンに住んでるうちに、会っておきたい」と思いました。
それで、日本のATSUKI ONISHIのスタッフの友人から教えてもらった番号に
電話を何度かかけたのですけど、全然つながらないのです。
大西さんがもうすぐ日本に帰国してしまう、とスタッフから聞いた私はあせって、
直接訪問という奇襲攻撃に出ました。
イギリスでは、住所さえあれば「A to Z」を見てどこにでもたどり着けますから。
ジーーーーッ!ジーーーーッ! ←これ、イギリスのインターホンの音。
果たして、大西さんは、そこにいたのです・・・!!
お茶とビスケットでもてなしてくれました。
本当にもう帰国だということが、部屋に積まれた荷物からわかりました。
引越業者のイギリス人のお兄ちゃん達も出入りしていました。
翌日、大西さんと私はキングス・ロードの古着屋さんなどにお買い物に出かけ、
その次の日も、荷造りしきれなかったモノをゆずってもらいにまた大西さん宅へ。
後から日本のスタッフから聞いた話ですが、
大西さんは、英語学校は早々に嫌になり(運転免許と同じであきらめが早い)
よって英語は上達せず、電話も英語が恐くて出なかったらしいのです。
高級な学校だって、行かなきゃ、そりゃ、できるようにはならないよね。。。
その数ヶ月後のことでした。
日本のATSUKI ONISHIの会社から手紙をいただきました。
「プレス・スタッフを探していて、私に帰国の意思がないか」と・・・
なんとお仕事オファーだったのです?!
こちらも入社してから聞いた話なんですが、
大西さんが私をスタッフにしてもいいと思った理由は、なんと、
あの荷造りにもれたガラクタ雑貨や使いかけの食品まで
すべていただいて行ったからだとのこと・・・・ええっ?!なんで?!
モノを大切にする人だとの評価だったのかな?
貧乏学生でしたから、封を開けたビスケットだってありがたかったですもの!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます