Parade's Endネタバレ注意報を出させていただきます。

To The Ends Of Earthから騎士道精神に溢れる若者
上の写真にもかかわらず、まだParade's Endの感想を引きずっております。
2つ前の「ネタバレ感想」にコメントをお寄せくださったHedgehogさんが教えてくださった、新装版ペーパーバック(原作)に寄せられたジュリアン・バーンズによる序文をネットで読んだり、BBCでドラマの前に放送された原作者のフォード・マドックス・フォードのドキュメンタリー(下に動画はりました)を見返して、ちょっと鬱屈した気分になっておりました。
ものすごく乱暴に簡単にすると、序文を読む限り、原作4巻のうち最終巻はドラマに盛り込まれておらず、ドラマのエンディング、手をとりあって踊るクリストファーとヴァレンタインの幸せはあの時が絶好調だったこと。実はその後もあること。作家のドキュメンタリーを見る限り、クリストファーにはかなり自己投影していて、彼自身の戦争体験や女性遍歴がストーリーにとっても反映されていること。その両方があまり幸せな人生ではないみたいでねぇ。。。

アメイジング・グレイスからウィリアム・ピット/首相という地位は女王の騎士なのかな?いや違うな
折しも、最近会ったイギリス人から、初対面によくある話題=日英文化の話になった時「日本は色々な意味でイギリスに似ていると思うけど、騎士道精神はないよね。武士道があるけど、女性の扱いが違う」という言われました。
うにゃ? Parade's End=クリストファーを語るのに欠かせない概念『騎士道』が今でもイギリス文化を語る時に出て来る?!私の日常と英国時代劇がシンクロ~~
私の好きな鏡のシーン。↓
「Damn, his chivarly. Christopher...(まったく彼の騎士道ときたら)」

騎士道とは「貴婦人への献身」と「倫理規範」このふたつはまったくクリストファーですが、騎士たるもの武人ですから、実は戦闘能力が必須!それだ、クリストファーに欠けていたもの!戦争行ってもラテン語好きの詩人と仲良くなったり、戦場にヴァレンタインちゃんの幻見たり、「レディをお待たせするのは良くない」と言われて「まさかミス・ワノップが?!」とふーふー言いながら駆けつけたらシルヴィアだったり、戦場でのかっこいいシーンはひとつもなし。でも塹壕で砲撃の合間にサンドイッチとコーヒーを部下に給させるシーンはエレガントだったけど。
それと彼の規範を示すいい文が、脚本序文にありました。ええーーっと、長い序文なんだよな、あった、これだ、、
Christopher is a mixture of chivalry and masochism (if it hurts, I must be doing the right thing)クリストファーとは騎士道とマゾヒズムの混合体(それがつらいなら、自分は正しいことをしているに違いない)
こんな規範で生きてたら、そりゃ苦しいでしょうが。。。
そう、クリストファーの苦悩はその理想主義の騎士道からこぼれる人間性から発してますよね。
だって、そもそもストーリーの発端は汽車での情事ですよ!貴婦人のお誘いをお断りしては失礼、というのが騎士としての理屈かもしれないけど、コンパートメントに同席した美女が「My name is Sylvia.」と言った時、「I know...」と言ってた。あれはすでに彼女が新聞などに掲載されてる社交界ではちょっと名が知られてる存在ってことで?そしてその魅力に思わずあの事態?その後の彼の人間性をドラマを追って知るにつけ、あれはすごい気の迷いだったんだなあとしか言いようがありませんが、そういう規範では律しきれないところが人間の魅力です。
妻の入浴姿も直視できずに彼女をまた怒らせた男が、戦時中に押しかけて来た妻のホテルの部屋で、彼女が椅子にかけておいたガウンの匂いを嗅ぐシーンがやけにセクシーでした。。。

ドラマではこのような美しいシーンに昇華されてる、ヴィクトリア~エドワード時代のイギリスの禁欲主義は、原作者のフォードを悩ませたんじゃないでしょうか。フォード自身は作家として芸術活動しながら、フランスやアメリカに長く住みました。きっと本国の社交界や文壇が、ドラマに出て来るみたいに、ゴシップと批難に溢れて苦痛だったんではないかと察します。ドラマでもシルヴィアがポッティとフランスに行ってしまった時、ポッティがつれないシルヴィアに拳銃をつきつけて「フランス人ならこの行動をわかってくれるぞ!」と言ってました。作者は愛至上主義のフランスに憧れていたんだと思います。憧れるけど、イギリスのしがらみから逃げられない男、それがフォード。
ドラマにならなかった原作最終巻(シルヴィアの魔の手は収まらず生活に疲れるクリストファーとヴァレンタイン)にはフォードの人生がかなり投影されている気がします。
そしてそこは脚本化しなかったストッパードさんはさすがだなあ。。。
細かい台詞のことは長くなるのでまた後日に改めますが、
ドラマの冒頭、シルヴィアと元恋人のジェラルドの会話に、個人的にふいてしまったんですよね。シルヴィアが結婚する相手がクリストファーだということに彼が「よりにもよってあんなOXと!」と言う。原作では他のありとあらゆる動物に例えてクリストファーが重々しくて融通きかない奴だと形容するようですが、私ベネディクト・カンバーバッチの声をシャーロックで初めて聞いた時の感想は、「牛のような声だな」だったので。
フォードのドキュメンタリー・フィルム
追記
さっきこの文章書いて夫と朝ごはん食べてたら「自転車乗りのマゾヒズム」について語りだした。。。マゾヒズムなんて言葉は滅多に使わない、まったく文学的でない夫婦なのに、なんで言葉というのはこうシンクロするんだろう。。。
10/30追記
お詫び:序文を紹介してくださったHedgehogさんからコメントにて「序文は脚本ではなく原作本についてる方」とのご指摘をいただきました。訂正欄を別にすると混乱を招きやすいので、本文を訂正してあります。訂正前に読んでくだたった方には申し訳ありませんでした。

To The Ends Of Earthから騎士道精神に溢れる若者
上の写真にもかかわらず、まだParade's Endの感想を引きずっております。
2つ前の「ネタバレ感想」にコメントをお寄せくださったHedgehogさんが教えてくださった、新装版ペーパーバック(原作)に寄せられたジュリアン・バーンズによる序文をネットで読んだり、BBCでドラマの前に放送された原作者のフォード・マドックス・フォードのドキュメンタリー(下に動画はりました)を見返して、ちょっと鬱屈した気分になっておりました。
ものすごく乱暴に簡単にすると、序文を読む限り、原作4巻のうち最終巻はドラマに盛り込まれておらず、ドラマのエンディング、手をとりあって踊るクリストファーとヴァレンタインの幸せはあの時が絶好調だったこと。実はその後もあること。作家のドキュメンタリーを見る限り、クリストファーにはかなり自己投影していて、彼自身の戦争体験や女性遍歴がストーリーにとっても反映されていること。その両方があまり幸せな人生ではないみたいでねぇ。。。

アメイジング・グレイスからウィリアム・ピット/首相という地位は女王の騎士なのかな?いや違うな
折しも、最近会ったイギリス人から、初対面によくある話題=日英文化の話になった時「日本は色々な意味でイギリスに似ていると思うけど、騎士道精神はないよね。武士道があるけど、女性の扱いが違う」という言われました。
うにゃ? Parade's End=クリストファーを語るのに欠かせない概念『騎士道』が今でもイギリス文化を語る時に出て来る?!私の日常と英国時代劇がシンクロ~~
私の好きな鏡のシーン。↓
「Damn, his chivarly. Christopher...(まったく彼の騎士道ときたら)」

騎士道とは「貴婦人への献身」と「倫理規範」このふたつはまったくクリストファーですが、騎士たるもの武人ですから、実は戦闘能力が必須!それだ、クリストファーに欠けていたもの!戦争行ってもラテン語好きの詩人と仲良くなったり、戦場にヴァレンタインちゃんの幻見たり、「レディをお待たせするのは良くない」と言われて「まさかミス・ワノップが?!」とふーふー言いながら駆けつけたらシルヴィアだったり、戦場でのかっこいいシーンはひとつもなし。でも塹壕で砲撃の合間にサンドイッチとコーヒーを部下に給させるシーンはエレガントだったけど。
それと彼の規範を示すいい文が、脚本序文にありました。ええーーっと、長い序文なんだよな、あった、これだ、、
Christopher is a mixture of chivalry and masochism (if it hurts, I must be doing the right thing)クリストファーとは騎士道とマゾヒズムの混合体(それがつらいなら、自分は正しいことをしているに違いない)
こんな規範で生きてたら、そりゃ苦しいでしょうが。。。
そう、クリストファーの苦悩はその理想主義の騎士道からこぼれる人間性から発してますよね。
だって、そもそもストーリーの発端は汽車での情事ですよ!貴婦人のお誘いをお断りしては失礼、というのが騎士としての理屈かもしれないけど、コンパートメントに同席した美女が「My name is Sylvia.」と言った時、「I know...」と言ってた。あれはすでに彼女が新聞などに掲載されてる社交界ではちょっと名が知られてる存在ってことで?そしてその魅力に思わずあの事態?その後の彼の人間性をドラマを追って知るにつけ、あれはすごい気の迷いだったんだなあとしか言いようがありませんが、そういう規範では律しきれないところが人間の魅力です。
妻の入浴姿も直視できずに彼女をまた怒らせた男が、戦時中に押しかけて来た妻のホテルの部屋で、彼女が椅子にかけておいたガウンの匂いを嗅ぐシーンがやけにセクシーでした。。。

ドラマではこのような美しいシーンに昇華されてる、ヴィクトリア~エドワード時代のイギリスの禁欲主義は、原作者のフォードを悩ませたんじゃないでしょうか。フォード自身は作家として芸術活動しながら、フランスやアメリカに長く住みました。きっと本国の社交界や文壇が、ドラマに出て来るみたいに、ゴシップと批難に溢れて苦痛だったんではないかと察します。ドラマでもシルヴィアがポッティとフランスに行ってしまった時、ポッティがつれないシルヴィアに拳銃をつきつけて「フランス人ならこの行動をわかってくれるぞ!」と言ってました。作者は愛至上主義のフランスに憧れていたんだと思います。憧れるけど、イギリスのしがらみから逃げられない男、それがフォード。
ドラマにならなかった原作最終巻(シルヴィアの魔の手は収まらず生活に疲れるクリストファーとヴァレンタイン)にはフォードの人生がかなり投影されている気がします。
そしてそこは脚本化しなかったストッパードさんはさすがだなあ。。。
細かい台詞のことは長くなるのでまた後日に改めますが、
ドラマの冒頭、シルヴィアと元恋人のジェラルドの会話に、個人的にふいてしまったんですよね。シルヴィアが結婚する相手がクリストファーだということに彼が「よりにもよってあんなOXと!」と言う。原作では他のありとあらゆる動物に例えてクリストファーが重々しくて融通きかない奴だと形容するようですが、私ベネディクト・カンバーバッチの声をシャーロックで初めて聞いた時の感想は、「牛のような声だな」だったので。
フォードのドキュメンタリー・フィルム
追記
さっきこの文章書いて夫と朝ごはん食べてたら「自転車乗りのマゾヒズム」について語りだした。。。マゾヒズムなんて言葉は滅多に使わない、まったく文学的でない夫婦なのに、なんで言葉というのはこうシンクロするんだろう。。。
10/30追記
お詫び:序文を紹介してくださったHedgehogさんからコメントにて「序文は脚本ではなく原作本についてる方」とのご指摘をいただきました。訂正欄を別にすると混乱を招きやすいので、本文を訂正してあります。訂正前に読んでくだたった方には申し訳ありませんでした。
そう、文句なしに整った二枚目顔ではないからこそ魅力的なんですよね~。というか、私は人の顔と名前を憶えるのが恐ろしく苦手なので、「綺麗な顔」というだけでは区別がつかない、という個人的な事情もあるのですが……(汗)。
>「高貴な時もあればすごく情けない時もある」この両面性がツボで。
そのツボも、すごく良く分かりますw
シャーロック以前だって、一応主役はるだけの器量はあったと思いますよ。でも!やっぱり他のイケメン俳優とは何か違うファニー・フェイスだからこそこだわっちゃうんですー。
実は個人のブログのコメント欄というコソコソした場所だから告白しますが、ブロマンス好きの方々とか、フツウのイケメン俳優として好きな方々とか、シャーロックファンにも主なジャンルがあるんだと気づいた今日この頃、自分はどっちでもなくて、「高貴な時もあればすごく情けない時もある」この両面性がツボで。(なんかロイヤル・ファミリーみたいだな。。。)だから、頭は大きくてもいいんです。完璧だったらつまらないんです。w w
一番楽しみなのはブライアン・エプスタインですけど、だいぶ未来の話ですね。
あ、そうか、それは絶対ありますね。今、すごく納得しました!
ミドルクラスを、「上流」と一緒にするか、「ワーキング・クラス」と一緒にするかの感覚の違い、でしょうか。なるほど、で、そのギャップで世間の顰蹙を買っちゃったんだな、きっと。
>自らをジョークにして「僕の長い顔は時代劇の衣装の合うんだろうね。」と言っていたのには受けました。w
わはは、そんなことまでw
インタビューでハンサムだのセクシーだの言われるごとに、彼は「そんなことない」と反論してますけど、実際、シャーロック以前の彼は「個性的と言えば個性的だけど、頭がデカくてヘンな顔」(失礼)くらいにしか思われていなかったのも事実のような気がするし……そう考えると、私たちが彼を見てハンサムだのセクシーだのと感じるのは、顔の造作の良し悪しの問題ではなく、実はブレイクした旬の役者が放つオーラそのものなのかもしれませんね。
おかげで、まったく関心がなかった映画「スター・トレック2」まですごく楽しみになってまいりましたw
そうなんです。そのポッシュの線引きがまた興味深くて、たぶんベネディクトにしてみれば、パブリック・スクールで本物の上流の子弟と席を並べて生活したことで、自分が庶民なんだと実感したと思うんですよ。でも、フツウの労働者にとってみれば、そんな上の方の差を細かく言ってること自体が腹が立つわけです。クラスというものが未だにイギリス人の心の地雷なんだと実感した事件でした。
ポッシュな役は時代劇に多いので、そういう作品ばかりにかたよりたくはないとも発言してたような気がしますが、その後、自らをジョークにして「僕の長い顔は時代劇の衣装の合うんだろうね。」と言っていたのには受けました。w
日本人の私には、彼の発言はどこが不穏当なのかやっぱりよく分かりませんが、「育ちがいい金持ちの坊ちゃんのくせに、ヘンに庶民派ぶっちゃってイヤね~」というのが、一部で反感をもたれた理由なんでしょうか? 確かに彼はパブリック・スクール卒だけど、ご両親は俳優さんでしたよね? どう考えてもミドルアッパー以下だと思うんですが、そういう問題でもないのかな?? そもそも'posh'という言葉自体、褒め言葉としても貶し言葉として使われるようで、ますます悩ましいです。
にしても、彼のシャーロックを観て、イギリスの映画/ドラマの製作者が「彼にはポッシュな役が似合う!」と思ったのに対し、よその国の映画/ドラマ製作者は「彼には悪役が似合う!」と思ってるような……w
そして放映1時間くらい前に、本人がテレビに登場して「文脈から捏造された発言だ」と解答したんです。そのインタヴュー枠がもとからあったのかどうかは知りませんが、
BBCにしてみれば、けっこう予算をかけたであろうミニドラマシリーズが、主演俳優の発言バッシングで失敗に終わってはたまらんと思ったんじゃないでしょうか。
うーーーー、でもストーリーとキャラクターががっつり頭に入ってる今なら、まだ何とかなるかな? やっぱり、何ともならないかな??
>放映直前のベネディクト・バッシングに対するインタビュー枠(One Show)もとってたし。
バッシングっぽいことがあったのは知ってますが、何が原因でそうなったのかよく分からなくて……でも、もう持ち直したんですよね? 「今となっては笑い話」になってて欲しいです。
あ~本当です。
だからこそ、BBCも視聴者の啓蒙にドキュメンタリーも作ったんじゃないかと思えて来ました。それから、放映直前のベネディクト・バッシングに対するインタビュー枠(One Show)もとってたし。
アメリカ放送はこれからなんでしょうね。どうなるのかな。
ご覧になってませーーーん! リンク、ありがとうございます!!
トム・ストッパードの序文の件ですが、これもステキですよね。ホント、万人受けするドラマなんかわざわざ作る必要ないですって。というか、昔と違ってiPlayerやDVDで何度でも見直せる時代だからこそ、一度観ただけじゃ分からないような、難易度の高い作品を作ってほしいものです。
Writers don't really care if half the audience doesn't understand 'answer'. They are writing for the other half. Otherwise, writing tends towards the mean.
が心にしみました。本音だろうなあ。そうだ!そうしてくれて良かった!
http://youtu.be/MOdsI5W2orQ
そんな番組があるとはつゆ知らず、まんまと見逃してしまいました。うわーーん、悔しい~~。
ところで、トム・ストッパードがParade's End: adapted for televisionに寄せたほうの序文は、Kindleをお持ちでしたらAmazon.comから無料サンプルをダウンロードすれば読めます。Kindleがなくても、Amazon.comのサイトの「LOOK INSIDE」をクリックすれば読めます。
http://www.amazon.com/Parades-End-adapted-television-ebook/dp/B009K2AMES/ref=tmm_kin_title_0?ie=UTF8&qid=1351598355&sr=8-3
こちらも、一読の値打ちはありますよ~。興味がおありでしたら、是非。
日本の武士道にも女性に対する規範ってあったのでしょうか?主君に対する規範に含まれるのでしょうか。時代が下って武士が事実上権力を持っても、やんごとなき身分の方への敬意はあったのでしょうかね。考えるとロマンチックですね。
フォードのドキュメンタリーと、もうひとつ、ドラマのドキュメンタリー番組もBBCでドラマの前に放映されてましたよね。どんだけあのシリーズにBBCが力入れてたか、原作作品への再評価が高まっているかがうかがい知れます。
「見苦しい田舎者のデブ」が、当代色男にキャスティングされて、フォードもコンプレックスやフラストレーションを文学作品として残したかいがあったですねー!!
日本で武士から貴婦人(又は宮廷女性)に対する愛…思い出してみました。身分違いの恋ゆえ悲恋(又は片思い)に終わり、武士は出家とん世というパターンしか思い浮かばなかった(;^_^A。室町時代とか戦国時代とかになるとちがうのだろうか…?
日本の武士が貴婦人に忠誠を誓う場合は、前提にあくまで主君への忠誠があって、主君の妻だから忠義を尽くす感じかな…⁇あくまで仮説、イメージですけど…。。
しましまさんがブログに貼ってくださったフォードのドキュメンタリー、見ました。あの映像を見て、クリストファーの「見苦しい田舎者のデブ」設定って、要するに著者本人にアテ書きした結果なのね、と思った私は正真正銘のひとでなしですね……。