ジェーン・エア(2011)を見ました。シャーロット・ブロンテの有名な小説だとは知っていても読んだことはありませんでした。ジェーン役が好きなミア・ワシコウスカと知ったのがきっかけです。
私の様な未読の方用にあらすじです。
孤児のジェーンは、彼女が家庭教師を務める家の主人と恋におちる。が結婚式の日に、その主人には狂人の妻があり、屋敷内に監禁されていたことを知る。傷心のジェーンは家を出て野をさまよい牧師兄妹に救われる。やがて牧師に求婚されたジェーンは自分の本心を悟り、昔の屋敷に戻ると、そこは焼け朽ちた廃墟と視力を失った主人がいた。狂人の妻は焼死していた。ついにジェーンとご主人は結ばれた。
ミア演じるジェーンは、後見人の叔母に冷たい仕打ちをされて育ったせいか、ずっと無表情なのですが、家庭教師になっただけあり頭脳は明晰らしく発言はけっこう多く饒舌でした。その無表情さが、お屋敷の主人ロチェスターも同じで、二人の会話は本の朗読のように抑揚もジェスチャーもないのが印象的でした。たぶん静かな会話の最中、ふたりは視線を通わせ魂が向き合って見えないオーラは燃え盛っていたのではと想像します。
このふたりが引かれ合ったのは、傷ついた自覚さえ麻痺してしまった似た魂が共感したのかと、「つらい想いをした人は他人の痛みがわかる」というやつか、と思いました。
主人ロチェスター役はマイケル・ファスベンダーで、大変人気があり、私も嫌いではないけれど好きでもありません。ですので、ジェーンが主人に恋するのは、彼の中に暗い影を見て自分と同じものに惹かれたんだろうと思ったわけです。
でも後でジェイミー・ベル演じる牧師に求婚された時に、ジェーンが自分の感情に気づいたように私も気づきました。
ジェイミーは魂も清らかそうでかわいいけど、ファスベンダーのオスのフェロモンにはかなわないよな!と。
私はジェイミー牧師が好きなんですよ~。だけどご主人様の色気が男を知らないジェーンを捕らえたら離さないのは理解できます・・・ジェーンは感情を出さない知性の女性だけれど、なんだやっぱりセクシー系が好きなのね。初心な女はワルい美形に弱いものよ。
と、私は「辛い魂の共振」「文系女もワイルド男に弱い」お話、衣装がアカデミー賞にノミネートされただけあってドレス清楚でかわいかった~、ジュディ・デンチ様は家政婦役にあわない、と自分の中でケリをつけストーリーの解説を読んでびっくり。
小説「ジェーン・エア」では、『ジェーンは不美人。男女平等意識という反骨精神、財産や身分にとらわれず女性から告白する自由恋愛が画期的。』(ウィキより)
むむむむむ・・・ミアちゃん、上にはったポスターでは特にお多福さんみたいでかわいいじゃないですか。不美人ヒロインとは言っても映像化する時はそれなりでないと誰も見ないであろうから難しいのでしょうけど。でも文学史上、『社会に反抗した新しい女性像』として反響を呼んだそうなので、改めてヴィクトリア時代の女性の地位は低かったのですね。そのあたりにはまったく気づかず映画を見てしまいました。
そうするとジェーンは反社会的で美人でないにもかかわらず、身分が上の男性に自分から告白して、数々の悲劇は乗り越えなくてはならなかったものの、最後には結婚する。極端に言うと性格悪くて貧乏な不美人にはシンデレラ・ストーリー?!でも21世紀に見ると、ジェーンは辛抱強くて利発なハンサム・ウーマンでした。しかもミアちゃんですからかわいいし。
2011年版のこの映画が、時代による価値観の差をどう解釈してこの作品を作ったのか知りたいな。
あの時代のイギリスの息苦しさみたいなものが感じられるので。
この映画は色合いが美しくてヒースの荒野が見られて好きです。
文庫本の解説に、「ジェーン・エア」がベストセラーになった時
不美人な彼女を連れて歩くのが流行ったとか、『昨夜はジェーン・エアで
夜明かししましたわ』というのが流行ったとか色々面白かったです。
・・・・でも文学知識なしの感想も誰か書いた方がいいですよねっ?!
と、これはいつもブログを書く時思ってることなんです。
しかしジェーンばかりかロチェスターも醜男の設定だったとは、
なんだかその設定自体が革新的すぎて、めまいがします。
<<長編なので映画化されると、いつも筋を追うだけで終わる感じ
ああ、それは別のドラマの原作を読んでみて感じました。
映像では一目で外国の昔の家も服装もわかるという点ではいいですが、
感情や思考の動きは小説にはかなわないものなんですね。
読んだら何日もかかりそうな原作を2時間くらいにぎゅうぎゅう詰めに
するんだから当然と言えば当然です。
原作も読んでみたいと思います。
確かに美男子ではないけどチャーミングな旦那様のお顔が!
そして映画評もチラリと検索に出て来て、
ジェーンが不美人ではなく原作と違う!とのご意見が目に入りました^^
当時のイギリスの息苦しさがわかるなんて、私の疑問の答えのひとつが
分かるかも知れませんね。このファス版だと、ふたりの境遇が一般社会から隔離されすぎていてあまりよく分からなかったんです。
小説の解説の、当時のエピソードおもしろいですね!
社交界で共通の話題になるほど売れたのですね。
ミアちゃんのジェーンも良かったですが、他の方々も書いていらっしゃる通り、原作のイメージからすると美男美女のカップル過ぎるんですよね……ま、映像作品としては仕方ないのかもしれませんが。
ただ、大人になって余計な知恵がつくと、10代の頃のように純粋にジェーンに感情移入するだけでなく、屋根裏の狂女ことバーサの立場にも思いを寄せるようになりました。実際、バーサの目線で「ジェーン・エア」を語り直した「サルガッソーの広い海」という小説も書かれていて、テレビドラマ版ではレベッカ・ホールがバーサ役をやっているというのでそちらにもちょっと興味があったりします。
この2011年版では、まったくバーサはジェーン目線でしか出てきませんでしたね。「こんな簡単に厄介者扱いされていいのか?!」と思ったほどでした。やはり私もその一瞬だけ大人目線でしたが、話がどんどん展開するのですぐに忘れてしまいましたが。
奥さんのことを考えたら、ジェーンが急に生意気で何様の女かと思えて来ました。そのヒロインが名作になる土壌なんだから、やっぱりサッチャーと女王を持つ国だなと納得します。女はバカで美人がいい、という男も一定層はあるけど、そうでない物好きな男もいる、ってところが日本と違いますね。
バーサは幽閉されていたのに、こんなに長い話を語り直せるの?
というのが今のところの素朴な疑問です。
あ、どちらかというとソーンフィールドの館に幽閉される前、西インド諸島での出来事が中心だったような……随分前に読んだきりで記憶があいまいですみません(汗)。