Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

僕と世界の方程式

2018-10-04 19:30:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


日本では2017年に劇場公開されたこの作品を、私はどうして見逃してしまっていたのでしょうか。

それくらい、今回netflixで見つけてよかった・・・(涙)!です。

お話は、自閉症スペクトラムと診断されたネイサンが、得意の数学オリンピックの合宿と大会を通じて成長し、数学以外の大切なものに気がつくという青春ストーリー。

9歳の時に亡くなった大好きだったパパ、愛する息子にずっとオロオロし続けるママ、9歳で特別に習いに行った中学校の数学の先生、オリンピック出場に向けて競い合うイギリスや中国の代表候補の高校生たち。

イギリスと合宿先の台湾を舞台にネイサンのまわりの人間と関係が丁寧に描かれています。

自閉症を描いた作品としては本と舞台の「夜中に犬に起こった奇妙な事件」があり、あちらも大好きです。

あれでおよそ自閉症の人の感じる世界の見え方(視覚/聴覚にフィルターをかけられないのであらゆる刺激が強い)、図形や秩序へのこだわり、他人への接触が苦手、言葉の裏にある話し手の感情を読むことができない、冗談や比喩が通じない、などの特徴を知りましたが、本作のネイサンもそこは同じです。

でも自閉症がひとりひとり違うように、本作のネイサンの方が「夜中犬」のクリストファーよりも外界からの刺激による混乱が軽く、数学の強化合宿のために保護者なしでイギリスの候補者チームと台湾に行き、ふたり部屋の寮に泊まるくらいのことはできるのです。

もちろん、他の子に比べたら不安いっぱいですが、他人となんとかコミュニケーションができるので、自閉症と知らない人からは「内気」「神経質そう」「無口」に見えるくらいの感じなのです。ネイサンの場合、他人と視線をほとんど合わせない、自分の考えや問題の答えや感情を表現するのが苦手、というあたりを周囲は「性格」だと思っている。

そこが私には目からウロコでして、「スペクトラム」というくらいなので自閉症とはいえ、それでない人との区別がつきにくい子も多いのでしょうね。



エイサ・バターフィールドくんがネイサンを繊細に演じる側、英国からの候補者チームのリーダー、アイザックはアレックス・ロウザーくんですよ!イギリスの若手演技派がこう揃っただけでも面白くないわけがないでしょう?ふたりともティモシー・シャラメくんのようなモテ男くんというより、いじめられっ子が似合うファニーフェイスとも言えますが、とても魅力的でこれからどう成長するのでしょうね!



舞台になった台湾、前知識なしに見たので一瞬日本かと思ってしまいました。

台湾合宿には何カ国か参加していて、主にイギリスチームは強敵中国チームと組んで行動、各国から一人ずつ出してペアを作りネイサンと一緒になったのがチャン・メイという女の子でした。

この子が明るいキャラで、ママでさえビクビクとネイサンの出方をうかがうのと正反対に、ネイサンの世界に押しの一手でぐいぐいと入り込んでしまうんですね。

内気な男子を好きなら、押すしかないですね!

実は英国チームにも紅一点のレベッカがいて、台湾でネイサンにピアノを教えてくれます。彼女もネイサンのことが好きなのです。とても美しい「アベ・マリア」をネイサンはすぐに弾けるようになります。音楽は数学なのだそう。

ネイサンもてもてです!

結局押されたチャン・メイのことをネイサンも好きになるのですが、ここで何故、中国人のチャン・メイがネイサンの心をつかんだのか気になりました。

ネイサンは台湾行きが決まった時から中国語会話を勉強し始め、チャン・メイと簡単な会話をしたり、地下鉄で切符を買ったりできるくらいには覚えました。さすが天才。数学以外にも得意なことがあって、承認欲求が満足するので中国語ワールドは居心地がいいでしょう。

でもそれだけだとレベッカとのピアノでも承認欲求は満たされるはず。

おそらく中国文化でも女子は男子に気を使ってお世話するのが上手なんじゃないでしょうか。それと明るくネイサンのことを殻に閉じこもる亀に似てるとか言えちゃうし、ネイサンは亡くなったパパの「笑わせてくれるところ」が好きだったのですから、そこにぴったりとパズルのピースがあった感じ・・・

本当は、このアジアの女性が男性に甲斐甲斐しいというところを使うのはステレオタイプな気もするのですが、まあ相手がエイサくんだったら私も甲斐甲斐しくしたいですから仕方ありません。

兎にも角にも、自閉症であるネイサンが、チャン・メイのおかげでパパへの感情も同時に向き合うことができるようになり、殻をちょっと割って自分が一緒にいたい人を自覚して行動するというすごいことを成し遂げられたことにビックリしました!

自閉症でも一人のスペースがあればいいわけではなく、人とのつながりが必要だったのか・・・

我ながらどうして自閉症というテーマにこうも惹かれるのかと思いましたが、自分も感情を表すのは得意な方ではないし、人前で話すのも苦手、限られた自分を認めてくれる人だけは自分から話す気になれるからでしょうかね。

でも多分、アイザックが劇中に言ったように、みんな周りに溶け込むために自分を変えて合わせてるんですよね、上手い人と下手な人がいるだけで。

あと、イギリスチームにはもう一人自閉症のルークという子がいて、彼は「モンティ・パイソン」の死んだオウムを何度も何度も見て、得意なはずの数学でネイサンに負けた自分と重ね合わせるんです。

才能を突き詰めながら、才能だけではいつ存在価値が脅かされるかわからないということも見せた映画でした。

あら、ちょっとBBCシャーロックにも似てたかも。。。




ファンレター その後

2018-10-02 21:51:00 | 近況


ここだけの話ですが、辛いです!

「辛いけどどうにもならないから処分して」と私の勤務するアパートメントに住んでたミュージシャンが置いていった、ファンレターがダンボール3箱くらいありました。

それは清掃スタッフによりゴミ置場に移動されるものと思っていたら、フロントスタッフのオフィスに移動されて、マネージャーにより「返信用の切手は使えるから切り取って処分」という命が下ったのです。

箱に入った封筒をざっと眺めるのと、1通1通開けて切手を貼ってあるカードや封筒から切り抜き本体を捨てる作業はまったく別の行為です。

既製品のレターセットやハガキなどはまだ感情的にならないで済むのですが、中には宛てたミュージシャンの写真をカードに加工したもの、彼の愛猫の写真(おそらく本人がインスタにあげたもの)で作られた絵本やアルバム、「ファンには彼はこう見えているのかあ」とうなる美麗ファンアート、猫グッズ、日本語の練習帳、またチラッと目に入ってしまった過去に会ったことがあるファンからの写真付きや過去のエピソードを綴ったものなどなど、

ミュージシャンの発言やSNSコメントをしっかり見て好きなものを熟知していたりペットの名前ももちろん知ってるし、私や私のブログに来てくださる方も「押し」がいますでしょう?手紙や誕生日カード&プレゼントを送るファンと同じですよ。

そのハンドメイドのカードにハサミを入れて切手を切り取り残りを捨てる私!あああああ〜〜〜!!!!!!ツアー初期には返信用カードにサインして送るのを手伝ったこの私が!

しかしですね、心は痛んでも、何百通と届いた山をどうすることもできないミュージシャンの事情も分かるのです。事務所から届いたダンボールの中には数ヶ月前のものもあり、相当溜まっていた様子。これを全部開封して読むという作業は、仕事が終わってからまた自宅にも仕事が待っているかのようなプレッシャーです。

そして来日アーティストというのは当然ながら飛行機に乗って帰りますので荷物には重量制限がございます。「重くていっぱいあるから」と自分の名前が入ってるファンには垂涎の的のとある演奏グッズを私たちスタッフに置いていったくらいです。トム・クルーズみたいに自家用ジェットならば多少の荷物は運べましょうが、まず持ち帰れない。

とはわかっても、自分もファンだからわかる、自分の気持ちを伝えたいという衝動!そしてラッキーな返事にサインをもらえた人がSNSで喜びを拡散するのを見れば、ダメ元でももしかしたら読んでくれて返事がもらえるかもしれない!と思いますもの。

そんなことをグルぐ〜ると考えながら、切手を何10枚も切り取って指が痛いです。

そして夕方には切り取ったものを熱湯につけるとシール式切手もキレイに紙からはがせることが実験の結果明らかになりました。さらにオーブントースターのガラスの蓋に濡れた切手を貼り付けて数分スイッチを入れると速乾というスキルも身につきましてよ。

ファンレターはダメ元で出すものという教訓を噛み締めつつ、先日ライブに応援にいったジョシュ・ホワイトハウスのバンドTを買って今到着を待っているので、届いたらインスタにタグ付けアップしたら見つけてくれるだろうか、と健気な妄想をするファンでありました。。。。。だってね、ライブで本人が着用されていたので「そのTシャツ買いますねっ!」「ホント?!クール!!」って親指を立ててくれたんですから、買わないわけには行きますまい。

ダンボールの中にはそういうファンひとりひとりのストーリーが詰まっているのですよね。。。






プーと大人になった僕/本物のクリストファーのことも

2018-10-01 21:50:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


今度はディズニーの方のプーを見に行きました。

「グッバイ・クリストファー・ロビン」の方に個人的には深い思い入れがすでにできてしまったので公平な目で見比べることができませんが、こちらは伝記と比べて完全に仮想世界なのがよ〜くわかりました!

なぜって、ユアンのクリストファーの世界では「プーさん」というキャラクターの絵本は存在せず、クリストファーの少年時代にぬいぐるみたちが生きているという設定だからです。しかもそのぬいぐるみたちは彼にだけ見えるというわけでもなく、動いて喋っているのが見つかったらタイヘンという・・・クリストファーの奥さんや娘のマデリンは喋るぬいぐるみを見て驚くもののすぐに受け入れるという、映画が絵本仕立てになってましたが、まさしく絵本の続編という形なのですね。

お話としては娘が出てきて、かつてのクリストファーのような古き良きいかにもイギリスな子供服を着て、両手にぬいぐるみたちを抱えてロンドンに行く姿がよかったです。自然に汽車の中でもプーたちとティーパーティーをやるのも素敵でした。やっぱり自分が女の子だったからお話に出てくる冒険する女の子は応援してしまいます。自分もああいうことが子供の時にしたかったです。



この映画はこの映画でちゃんとオチがあり、悪い大人のゲイティスさんジャイルズさんがクリストファーの斬新な意見を経営者が受け入れたことによって大人の悪の代表としてやっつけられてみんながハッピーになり、クリストファーは子供時代の友達と自分の妻子と共存できるとう、大人にとってのハッピーエンドになってめでたし、めでたし。

これは、フィクションですから!

ということがわかっていても、どうしても頭に浮かんでしまうのが作者のA.A.ミルンと息子クリストファー・ロビンの人生です。

私は思い込みが激しいタイプなのです。

町山智浩さんによると、実際にクリストファーには娘が生まれますが、障害のある子だったということでこの映画のように元気に動き回れる子ではなかったとのことです。

(これも町山さんの解説によりますが)クリストファーは実の母親とも良い関係が築けず、母方の従姉妹と結婚したのですがそれも母に反対されたらしいです。

それよりも何よりも、実際にはプーがベストセラーになったために、A.A.ミルンと息子クリストファー・ロビンの個人の人生は辛いものになってしまったのでした。クリストファーは自分の人生を本によって搾取されたと感じ、印税を一切受け取らなかったとのこと。そして父は自分を有名になるために利用したとずっと苦しむのですが、随分あとになってからA.A.ミルンの残した手紙が出版物として発表された時、初めて父が自分をとてもとても愛していたことを知り亡くなった父と和解するのです。

しかしながら、「グッバイ・クリストファー・ロビン」を見てわかることは、クリストファーの父母がいなければプーは生まれておらず、ハロッズのクマのぬいぐるみを買ったのは母だし、最初にクマの声を当てたのも母、のちには父と息子の世界でプーの物語は合作され、複数のぬいぐるみに自己投影することにより父の戦争後遺症の治療ともなったのでした。

それからWikiによれば、プーの権利は分割されミルン家の分はA.A.ミルンの死後、妻が友人に売却、その友人の妻が彼の死後にウォルト・ディズニーに売ったという経緯をたどっています。そのためディズニーがアニメ映画を製作、キャラクターグッズを販売したわけです。

それを知ってしまって以来、ミルンの魂は今いずこ・・・な気持ちになるのですが、なんと現在でもプーの版権問題はすっきりと解決していないそうで、ディズニーは法的に正当にプーの物語を作り続けられるのでしょうけれど、

私たちはそれを楽しみつつも、ミルンとクリストファー・ロビンの人生のことも知っておくのがプーに対する、原作に対する礼儀ではないかという気がするのです。