つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

モンスターペアレント

2011年01月19日 | 子育て
「保護者の苦情で不眠症」教諭提訴 保護者「娘に差別」

驚くべきことが起こった…
ここまで、学校と保護者は信頼関係を結べなくなってきているのですね。
悲しむべき教育現場の実態です。

なんとまあ…としか言えない。
4人の子どもを公立の小学校にお願いし、この春末っ子が卒業をする。長男から始まった小学校との付き合いがようやく終わる。
15年かかった。いろいろな先生に出会った。面白いことに上の子どもが担任された先生が下の子どももということが一切なく。
一人の子どもで4人の担任の先生がおり、16人の先生とお付き合いをした。
いろいろな先生がいた。いろいろな指導方法。いろいろな考え方があるのだなあと勉強させてもらった。
年度替りの頃、保護者の間で担任の「当たり外れ」といった話題が花を咲かせる。親もそうだろうが、先生だって多少はそういう思いはあるだろう。

いい先生、悪い先生というと語弊があるが、私はそういう評判を信用しない。
すべて、子どもとの相性だと感じている。
いい先生と評判の先生でも、わが子と相性が悪いということはある。あまり評判がよくない先生でも、ふたを開けてみると子どもが伸びていると感じることがある。それに教育は、今日教えて明日結果が見えるものではないと思う。今日学んで5年後10年後に成果が表れるものではないだろうか。

今、高校で数学に苦労している娘がいう。
「私、中学の時にちゃんと数学勉強しておけば、こんなに苦労しなくて済んだんだろうなあって、今ならよくわかる」
まさにその通りだろう。

先を信じて学んでいくのだから、学校との信頼関係が一番大切だ。

この出来事のすべてが報道されているわけではないので、学校の味方をするわけでも、保護者の味方をするわけではないが、
発端の出来事が起こったときに、保護者の方がすべきだったのはその出来事に対して白黒つけることではなく、結果としてわが子の言い分が通らなくても、学校との信頼関係を築くことではなかったのだろうか。
どうにも信頼できないというのであれば、そんな学校は関わることなどありません。おさらばすべきだったのではないかと思う。

子どもの育ちを考えたときに、このお子さんはこの後どうするのだろうかと、よそごとながら心配になります。
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40年ぶり

2011年01月19日 | 徒然に、
正月に中学時代の友人と再会した。
15の春を越えて道が離れたのだから、40年にわずかばかりかけるくらいの時間が流れている。
その間、年賀状のやり取りは続いた。私が結婚のために東京を離れるという時に、玄関先で10分ほど話をした。
それもかれこれ20年前だ。

年末、このすったもんだのさなか賀状を作りポストに投函した。
その直後、札幌の家から届いた喪中欠礼の連絡を流してきた。
その一枚が彼女からのものだった。
なんだか、今、ポストに入れてしまったという罪悪感からはがきを書いた。
東京の住所ではなく、札幌の住所で出したので、彼女からの返事がまた札幌に届いた。
「東京にいるのなら、会おうよ」

ドキドキした。
どんなになっているのだろうか…。間が持つだろうか…。
玄関の前ににこにこしながら立っていた彼女は昔とおんなじで、最初の心配などなんの話は尽きることなくとめどなく続き、気がつけば日が傾いていた。

あの頃、彼女の家の自由な空気にあこがれていた自分をまざまざと思い出していた。
彼女は彼女で、よそとはちょいと違う親に育てられていた自分との、大人になってから葛藤があったことを話してくれた。
整体に出会って人生が変わったようだ。以前は小枝のような体つきだったのが「柔道やっているのよ」というがっしりとした体形に髪は真っ白だった。縁あって中国の方と結婚した彼女は、今はないお父様に反対された時のことを語ってくれた。
「猛反対だったの…でも、私、父親に愛されているという確信があったから、結婚に踏み切れたの」
にこやかに笑う彼女に、ざわざわと鳥肌が立った。

ああ、彼女のお父様はそういう方だった。
いまならテレビ局がほっておかないような生き方をした人だった。そして全身全霊で娘を愛したのだ。

「また、会いましょう」
にこやかに笑って帰った彼女から「貴女、いい大人になっているわね」とメールが届いた。
なんだか嬉しかった。
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都庁

2011年01月19日 | 日記
大学時代からの友人たちとランチを楽しんだ。
新宿野村ビルの地下にあるピザの店。
新宿に高層ビルが建ち始めたのは、私が高校生ぐらいだったろうと思う。ひとつ、二つと、増えていった。野村ビルはその初めの方に建ったものだ。三角ビル、パンタロンビル、…だが、新宿副都心と呼ばれる場所に行ってもどれがどれやらわからない。昨日も早目に家を出て、見覚えのあるビルをたどりながら野村ビルを見つけたときは、なんだか無性にうれしかった。

昨日集まったのは5人。みんな子どもはそろそろ手を離れ出している。
大学受験生がいたのは一人だった。
彼女たちも野村ビルを見つけるのは苦労したようで、「時間に遅れる!」「迷ってる!」とメールが飛び交った。

集まればとめどなく続く話に時間はあっという間に過ぎていく。
ぶらぶらとしながら、思いついてみんなで都庁に上った。
天気がよくどこまでもどこまでも続く関東平野が見えた。遠くに富士山の姿もあった。
すごいなあ…。それしか言葉がなかった。
私は地理や地図、方角というものの常識が皆無だけれど、得意にしている友人があれはどこ、これはあそこと
見当をつけて話をしてくれた。

降りてきた場所に大きな熊手があった。「都内繁盛」の文字にいささか道民としては残念な思いがあったが、
そうだよな東京都庁だもんな…私は都民税は払っていないからなあ…。
でも、地方の人材や商売を東京に集めて繁栄している面を忘れないでほしいと思います。

ゆっくりと友人たちと話をし、おいしい食事をし、ちょいと社会見学もし、満足の一日でした。


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