HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

後任デザイナーはリミか。

2009-08-06 12:32:12 | Weblog
 そもそも、ヨウジヤマモト身売り話が発覚したのは、同社の子会社にあたる「リミヤマモト」が
取引先に宛てた要請文からだ。そこには7月29日付で月末の支払い猶予を求め、弊社の状況として
(株)ヨウジヤマモトは現在、スポンサー候補による投資検討、取引金融機関による金融支援検討が
継続していると、説明がなされていた。
 デザイナーの耀司氏は、4月末付で代表取締役を辞任しているが、今後多くのメディアは業績不振に
よる引責辞任と報道するだろう。でも、クリエーターからも身を引くとの話は出ていない。
もし、耀司氏が第一線から身を引くのなら、筆者はクリエーターとしての引き際を大事さを感じての
引退と解釈したい。それが業界で生きる人間としての、せめてものリスペクトと思うからだ。
 ただ、スポンサー企業の出方次第では、後任デザイナーの話が出てきてもおかしくない。
順当なら長女でリミヤマモトのデザイナーを務める里美氏だろう。父親の背中を見ながらデザイナー
ファッションの極意を学んで独立。ブランド「LIMI feu」でコレクションデビューも果たしている。
 課題は誰が経営にあたるかである。里美氏に父親と同じようなカリスマ性があれば、
クリエーターとしているだけで、古参スタッフが健在なら組織の求心力は高まる。
しかし、まだそこまでにはいたっていないだろう。それ以上に経営不振にいたったヨウジヤマモトを
立て直すことが先決だ。それにはかつての林五一氏のような名参謀が必要になる。
 スポンサーを探しているということだから、決まれば経営陣はそこから来るはずである。
この際、日本企業からというようなちんけなことなんか言わず、欧米から人材を迎えてもいいのでは
ないだろうか。ヨウジヤマモトは日本より欧米で売れていたのだから、理解者はよほど多いはずである。
 例えば、伊のグッチは1980年初頭くらいから経営不振に陥り、ブランドの存続が危ぶまれていた。
こうした中、94年にグループの最高経営執行者にドメニコ・デ・ソーレが任命され、
当時若手デザイナーだったトム・フォードがクリエイティブディレクターに起用された。
 翌年にはデ・ソーレが最高経営責任者に就任し、一方で、トム・フォードは瞬く間にグッチの
新しいスタイルを確立した。その後のグッチの快進撃は周知の通りである。
 こうしたブランド再生術が必ずしもヨウジヤマモトに結びつくとは限らないが、経営基盤を安定
させるために株式の公開等の施策が必要かもしれない(企業買収は避けたいところだが)。
 また、伊の伝統ブランドでも、米国流のマーケティング論を導入したように、近代化したビジネス
ノウハウを持ち込むこともいたし方ない。これらも選択肢の一つと言える。これはトム・フォードの
ような米国人デザイナーの得意とするところだ。
 でも、それが日本人の里美氏、しかも父親のクリエーションを見て育った彼女にすんなり受け入れ
られるとは限らない。経営の立て直しにはまだまだ模索が続くだろう。
 ただ、ヨウジファンとしては、売れ筋追随だけには走ってほしくない。シーズンのたびにドキドキ、
ワクワクするような服、着る人間を選ぶカッコいい服が見たい。里美氏が後任のデザイナーに就くのなら、
クリエーションを守るためにも、会社を存続させていくためにも、こうしたいい意味でのバランス感覚が
求められると思う。父親の呪縛にとらわれずそれができれば、ヨウジヤマモトの新しい一歩になるかも
しれない。でも、これはあくまで仮定の話だが…
 
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えっ、ヨウジが身売り。

2009-08-06 10:40:45 | Weblog
 DCブランドとして第一線を走ってきた「ヨウジヤマモト」が身売りを検討し、デザイナーの山本耀司氏も
4月末で代表取締役を辞任しているという。カジュアルファッションの浸透で、カッコいい服の代名詞である
DCブランドが売れていないのは十数年前から気づいていた。ここ数年のコレクションを見ても、ボクシーな
ルーズスタイルは変わらず、「正直、誰が着るのよ」と思っていた。
 ただ、自分はDCブランド世代でワイズやヨウジの服を着てきただけに、複雑な気持ちもある。今年も春先には
ストライプのコットンジャケットを買ったくらいだ。まだ、耀司氏のデザイナー辞任は決まったわけではない
だろうが、DC含め値段が高いブランドが売れなくなったのは事実で、経営者やデザイナーを変えて
リ・スタートしなければならないのも時代の流れと言える。
 山本耀司氏については、このコラムでも何度か触れた。1943年東京生まれで、慶應義塾大学法学部を卒業後、
文化服装学院などに学び、プレタポルテ(高級既製服)を中心にファッション業界で活動をスタート。72年に
「ワイズ」を設立、80年代初頭にはパリ・コレクションへの進出も果たした。同時期には川久保玲、三宅一生氏ら
と並んで、時代を牽引するトップデザイナーとして知られた。
 デザイナーであり、DCアパレルの経営者。その限りでは別に珍しくもない。グループ中核企業であるヨウジ
ヤマモトは79年の設立で、パリ、ロンドン、フィレンツェに支店、英国や米国にも現地法人があり、グループの
総従業員は約600人。多国籍企業と言えなくもないが、今のファッション業界ではごく当たり前のことだ。
 しかし、実際、耀司氏は社長と呼ぶにはふさわしくない。耀司氏が経営に対して指示したり、財務に
関わったりすることはない。経営面に関しては、ずっと他の取締役に任されてきたからだ。
 では、耀司氏は何か、そしてヨウジヤマモトはどういう会社か。言うなれば、耀司氏はクリエーターであり、
会社は同氏の鮮烈なオリジナリティのもとに結集した運命共同体である。ファッション系専門学校を成績優秀で
卒業しても簡単には入社できない、耀司氏独自の美的世界に共生できる人たちの集団なのだ。
 だから、クリエーターにとって、市場とか売上高とかは結果論にすぎない。大量に生産して大量に販売する
ことを目的とせず、売れたのはあくまで結果なのである。売る為につくるということはしていないし、
多く売れることはかえって迷惑なことなのである。最近話題のあのブランドとは、大違いである。
 クリエーターとしていかに優れたものを創るかだけに執着する。耀司氏がこだわるのは作品であって、
お金ではないのである。クリエーターとしては間違っていないだろうが、組織、企業ということで考えると、
収益が上がらなければ存続できないのでも事実だ。
 画家のように一芸術家としての才能が認められ、スポンサーの支援のもとに作品づくりに没頭できるので
あればいいが、ファッションはそういかない。素材や資材、パターン、MDや生産管理、縫製、貿易、販売と
多くのスタッフに支えられている。自らがクリエーターとしていられるのも、こうしたスタッフに
支えられているからだ。
 もちろん、耀司氏がそれをいちばんわかっていたと思う。だから、自ら代表辞任を決意したのだ。
では、クリエーターとしてどうか。歳から言えば、引退説が出てもおかしくないが、それともこれを引き際に
するか。耀司氏が口にしてきた「新しい才能は踏みつぶさなければいけない。若いやつは俺を踏みつぶせ。
デザイナーとはそういうものだ」は、今も健在なはず。
若い才能が出てこない限りは引退はあり得ないと思うが…続く。
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