そもそも、ファッション業界で言う「コレクション」とは何か。最近、その価値や目的があまりにも軽んじら
れてきたきらいがある。それは、神戸コレクションや東京ガールズコレクションといった「一般消費者」向けの
ファッションイベントが登場してきたことが原因だ。
パリコレに代表されてきたコレクションとは、メゾンと言われる老舗ブランドがシーズンごとのトレンドや、
コンセプトを内外のバイヤーやファッション雑誌編集者に公開する(広報)ことで、世界中に情報発信を行い、
消費者の購買を促す(プロモーション)ものだ。90年代は巨大コングロマリットがその資本力にものを言わせ、
メガブランド、メガショー、メガ広告、メガストアを展開し、世界中のファッション好きをドキドキ、ワクワ
クさせた。
コレクション期間中はバイヤーなど業界関係者が世界中から集まり、ファッション誌の編集者やカメラマン
が何百人も殺到する。パリという魅力ある都市で、1年前のテキスタイル展で選びぬいた最高級の素材を使い、
デザイナーのインスピレーションとアイデアソースに、伝統に裏打ちされた職人芸を駆使して出来上がった服
を、有名モデルが着てランウエイを闊歩する。そこに世界中からの注目が集まるのだ。
ここ数年は世界的不況により、各メゾンブランドとも売上げが激減し、数億円とも言われるショーの採算を
とることが難しくなった。中堅ブランドの中には、ショーの資金が乏しいため、展示会や記者発表という形に
変更するところもでてきている。「たった15分程度のショーのために半年間もかける意味を感じなくなった」
と、不況による売上げ減と経費負担の重さの狭間で悩み、撤退を決意したデザイナーもいる。
そうは言っても、やはりパリコレはパリコレだ。世界中のメディアの注目はケタ外れ。世界中のファッショ
ン関係者が新たなトレンドを待ち望んでいる。
翻って、福岡アジアコレクションはどうだろうか。地場のアパレルメーカーの既製品やデザイナーの作品を
合同で披露するもので、各ブランドに詳しくスポットが当たる(露出する)ことは少ない。SPAですでに商品
化されているものは、流通ルートは確立済み。でも、個人デザイナーの試作品でMDへの流れがないものは、
バイヤーやファッションメディアが注目することはほとんどない。
すでに2回の実施で参加ブランドの顔ぶれが決まり、内容に変化が乏しくなってきている。今回の秋冬コレ
クションが持ち上がった理由はそれもあるだろう。しかし、参加を呼びかけて簡単に集まるようなブランドや
メーカーで、ファッションそのもののロイヤルティがあるのだろうか。そこを考えずにショーをやろうとする
ところに、最初にイベントありきの魂胆が垣間見える。
回数をこなせば、コレクション自体の知名度は上がるだろうが、各メーカーやデザイナーのブランド力があ
がるとは限らない。なのに主催者側は「コレクションは福岡ファッションをアジアへ発信!」のお題目で、コ
レクションのブランド力アップが福岡の情報発信力アップにつながると声高に叫ぶ。それが、ひいては福岡フ
ァッション産業の振興につながるかの如く。そして、常套句の「FACoはその手段に過ぎない」を繰り返す。
某プロデューサーは周囲に「本当はNBでやりたい」と語っているという。この言葉がショーイベントそのも
のが「放送局の目的」だということを如実に表している。
れてきたきらいがある。それは、神戸コレクションや東京ガールズコレクションといった「一般消費者」向けの
ファッションイベントが登場してきたことが原因だ。
パリコレに代表されてきたコレクションとは、メゾンと言われる老舗ブランドがシーズンごとのトレンドや、
コンセプトを内外のバイヤーやファッション雑誌編集者に公開する(広報)ことで、世界中に情報発信を行い、
消費者の購買を促す(プロモーション)ものだ。90年代は巨大コングロマリットがその資本力にものを言わせ、
メガブランド、メガショー、メガ広告、メガストアを展開し、世界中のファッション好きをドキドキ、ワクワ
クさせた。
コレクション期間中はバイヤーなど業界関係者が世界中から集まり、ファッション誌の編集者やカメラマン
が何百人も殺到する。パリという魅力ある都市で、1年前のテキスタイル展で選びぬいた最高級の素材を使い、
デザイナーのインスピレーションとアイデアソースに、伝統に裏打ちされた職人芸を駆使して出来上がった服
を、有名モデルが着てランウエイを闊歩する。そこに世界中からの注目が集まるのだ。
ここ数年は世界的不況により、各メゾンブランドとも売上げが激減し、数億円とも言われるショーの採算を
とることが難しくなった。中堅ブランドの中には、ショーの資金が乏しいため、展示会や記者発表という形に
変更するところもでてきている。「たった15分程度のショーのために半年間もかける意味を感じなくなった」
と、不況による売上げ減と経費負担の重さの狭間で悩み、撤退を決意したデザイナーもいる。
そうは言っても、やはりパリコレはパリコレだ。世界中のメディアの注目はケタ外れ。世界中のファッショ
ン関係者が新たなトレンドを待ち望んでいる。
翻って、福岡アジアコレクションはどうだろうか。地場のアパレルメーカーの既製品やデザイナーの作品を
合同で披露するもので、各ブランドに詳しくスポットが当たる(露出する)ことは少ない。SPAですでに商品
化されているものは、流通ルートは確立済み。でも、個人デザイナーの試作品でMDへの流れがないものは、
バイヤーやファッションメディアが注目することはほとんどない。
すでに2回の実施で参加ブランドの顔ぶれが決まり、内容に変化が乏しくなってきている。今回の秋冬コレ
クションが持ち上がった理由はそれもあるだろう。しかし、参加を呼びかけて簡単に集まるようなブランドや
メーカーで、ファッションそのもののロイヤルティがあるのだろうか。そこを考えずにショーをやろうとする
ところに、最初にイベントありきの魂胆が垣間見える。
回数をこなせば、コレクション自体の知名度は上がるだろうが、各メーカーやデザイナーのブランド力があ
がるとは限らない。なのに主催者側は「コレクションは福岡ファッションをアジアへ発信!」のお題目で、コ
レクションのブランド力アップが福岡の情報発信力アップにつながると声高に叫ぶ。それが、ひいては福岡フ
ァッション産業の振興につながるかの如く。そして、常套句の「FACoはその手段に過ぎない」を繰り返す。
某プロデューサーは周囲に「本当はNBでやりたい」と語っているという。この言葉がショーイベントそのも
のが「放送局の目的」だということを如実に表している。