HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

人材育成が口先ばかりになっている。

2013-12-25 15:22:06 | Weblog
 先日、あるファッションレポートで、以下のような行があった。

 「現在のファッション専門学校は、家庭洋裁を基本にしている。それを産業レベルに置き換えなければならない。 生地は生地屋で買うものではなく、開発するものだ。購入するにしても、オリジナルの色を指示する。あるいは、コーディネートを考えた色を選ばなければならない。また、生地の選択はシルエットを決めるだけではなく、小売価格を決定する要素でもある。こうしたことは学校では教えてくれない」

 これは旧態依然としたファッション教育に対する問題指摘でもあると言える。裏を返せば、売価を優先するあまりにコストを圧縮している最近のファッションビジネスにも当たると思う。

 SPAの台頭で大きく変わったのは、生地から開発生産している企業が増えたことだ。ビジネスシステムとして、ブランド、売上げ規模、店舗数、商品企画、コスト、生産規模を条件にしてはじき出せば、自ずと生地のグレードは決まってくる。

 言い換えれば、ロットさえ揃えば、生地の開発生産は可能と言うことにもなる。ただ、最低でも1反を織らなければならないから、そう簡単ではない。 色柄は1種類しかないわけで、それで1着しか作らないのなら、後は残反になってしまう。

 それでも、作りたい服を決める第一の条件が生地であると考えれば、開発も厭わない気持ちがあってもいいはず。それが一学生では無理なら、学校単位で共同開発する。さらに行政がテキスタイルコンテストなどの仕掛けで、人材育成の一環として生地を開発してもいいはずだ。

 DCブランド全盛期は生地からの開発が希少性を謳うことになり、残反分が原価に乗せられるために商品価格の上げ止まりにつながった。でも、価格を上げられないブランドでは、そうしたコストを吸収する売上げがないと、生地は期末に資産となって課税の対象になり、倒産の憂き目にあう元凶でもあった。

 こうした古典的な状況から脱却しようと、アパレルはSPA化を進めた。情報整備と並行して、商品価格が先に決まり、利益、企画生産、原価を逆プロセスで商品づくりが行われていった。利益を出すためには原価は圧縮され、そのしわ寄せはコストである生地に向かった。
 
 SPAブランドは大量生産される生地で成り立つ。そのためブランド名をこそ違うだけで、デザイン、テイストはどこも似たり寄ったりだ。一度、駅ビルやファッションビル、郊外のショッピングセンターに出店するブランドに使われている生地を調査してみてはどうだろうか。

 大学の理化学系学部で、生地の組織や素材、混紡率、染め加工などを分析してみるのだ。どこまで同じ生地が使われているかが実証されることになると思う。もし、かなりの確率で同じ種類、グレードの生地が使われているのなら、この際、「生地とは何か」を見直す契機になるのかもしれない。

 とは言っても、業界は背に腹は代えられない。生地の質を上げたり、ユニークなテキスタイルを使用するには、商品価格次第ということになる。そこまでの競争力を持つブランドでない限り、そう簡単にはいかないところにも一理ある。

 ならば、行政がもっと学生やフリーのデザイナーを対象に、テキスタイルプロジェクト&コンテストを手がけてもいいのではないかと思う。題して「プルミエール◯◯○○」である。これにはグラフィックデザインや染色などに関わる人々まで関わってもらってもいいだろう。

 作品は30cm~50cm四方の規格で、経糸、緯糸を織るように生地を表現する。もちろん実際に織ってもいいし、カラーのロットリングを利用して手書きしてもいい。とても緻密な作業になるが、コンテストなのだからそのくらいの姿勢は不可欠だ。

 今ならMacを使用してイラストレーターでラインを描き、組織や色合いを表現するデジタルデザインの方が楽かもしれない。それを画像化してPhotoshopで加工すれば、さらにクリエイティビティなテキスタイルデザインとなるだろう。

 そして、優秀なテキスタイルデザインは実際に生地にする。さらに受賞した学生やデザイナーは服に仕上げて自分のクリエーションを創り上げる。作品づくりのために街の生地屋に行くしか手段のない学生にとっては、必ず光明となるはずだ。

 また、デザイナーにとっては、生地問屋のスワッチで妥協して着分を取り寄せるしかなかったものが、クリエイティビティが刺激され、惜しみなく生地が使え、いろんなデザインが考えられる。

 グラフィック関係者はペーパー上の印刷物だけだったデザインが、素材が醸す色合いや手触りとなって表現されることに新たな発見が生まれるだろう。こうした取り組みが「人材育成」につながるのである。

 その費用は、行政が手がけるファッション事業の一環として予算に組み込めばいいだけだ。人材育成のもとに公共事業を行うと言いながら、その狙いは事業予算を獲得する口実になってしまっている。その結果、大半の予算が三文タレントによるファッションイベントに消えている。

 地方で服づくりのコンテストがチンケでやりづらいのは、秀逸な作品を生み出すために欠かせない生地調達が不可能だからだ。ならば生地から作ればいいだけの話である。
 
 事業関係者の低レベルの発想や薄っぺらい企画ノウハウでは、そこまでに行きつかないし、また行きつけない。人材育成なんてほど遠いし、やる気もないようだ。事業資金を拠出する行政担当者は、いい加減に気づくべきだと思う。
コメント
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