昨日、某大学大学院の教授と話す機会があった。流通経済が専門で、マーケティングや消費者行動、地域商業論などを研究し、全国各地の商工会から講演依頼も多いという。
シャッター通りと化す商店街では、自ら研究室で学ぶ学生を連れて、いろんな「活性化イベントも仕込んでいる」と仰るから、さすが大学の先生だと思った。
商店街=活性化=イベント。すっかり見慣れた構図である。そこで大学院がもつ頭脳と研究ノウハウをどう生かすのか。試しに「どんなイベントをやっているのですか」と聞いてみた。
すると、空き店舗を「孤立する高齢者向けに健康や介護のステーションにする」、あるいは「買い物難民に向けた産直の生鮮品を販売する青空市」などを、商店街の有志と一緒に手がけているという。
もちろん、大学院では「店舗づくり」や「商品仕入れ」はできないから、それらは専門家やコーディネーターに任せているという。また、参加する学生はイベントスタッフとして裏方に回ったり、専門家やコーディネーターとのリレーションを担うのだそうだ。
学生にとっては、研究室の机上とは違う勉強ができる意義は大きい。客層や客数、客単価、売れ筋の商品、仕入れ先、卸価格、荒利益etc. 教科書の中だけでない、リアルな商業&流通の現場を体験できるからだ。
しかし、 大学教授が企画立案から実施まですべてに関わっているわけではない。この程度のイベントで、大学院の頭脳とノウハウが生かせているとは思えないのだ。確かに空き店舗を高齢者向けのステーションにするアイデアはすばらしいが、ここにもカラクリが浮かび上がる。
空き店舗と言っても大家がいるわけだから、そこを借りるとなると家賃や敷金を支払わなければならない。当然、それは行政や商工会議所が補助することになる。
また、青空市も商品仕入の原資は商工会が負担している。裏を返せば、こうした「公金」で潤う人がいる反面、資金が止まるとその時点で事業は終了せざるをえないのだ。そこで大学教授に以下を質問してみた。
筆者:「家賃補助がある時は成り立つでしょうが、それが止まっても続けられるのですか」
教授:「 … 」
筆者:「青空市を商売として成り立たせるビジネスモデルづくりは、研究室なり学生なりが行っているのですか」
教授:「そんなことはしていない」
学会で認められた優秀な教授陣と高度な学問を追求したい学生が集まる大学院。そこの優れた学術研究を否定するつもりはない。でも、あまりに商店街=活性化=イベントの構図が大学院の参加まで求めても、実りある形に昇華していかないところに、疑問を呈さざるをえない。
筆者は博多商人に囲まれて育ち、大学時代にはマンションアパレルという零細の卸業者を知った。社会人になってから中小アパレルに加え、大手の流通やアパレル、商社やインポーター、一次二次卸などと小売りとの関係も学んだ。
またデパートとアウトレットの関係など海外のバーチカルなシステムを取材し、現在はグローバルな視点でSPAやOEM、ODM、さらにネット販売に触れている。複雑化した日本の流通システム、それらの衰退や新興勢力の台頭を現場で直に見てきたのだ。
当然、大学院にもこうした情報は届いているはずだし、研究の対象になっていると思われる。でも、商店街という商業、流通の現場に出るとそれらが生かされない点で、学術研究とビジネスとの乖離、大学と商店街との温度差を感じてしまう。
大学をはじめ、いろんな学校は学生に対し、それぞれの目的に応じた教育を行う。学生もそこで知識を付け、考える力を養っているはずである。むしろ、せっかく大学まで行ったのなら、その能力を生かし、「自ら考える」ことが大事になる。
ところが、今の学校は入ってくる学生の質が低下しているから、わかりやすいとか、そのレベルに合わせることにおもねりがちだ。特にファッション教育を見ると、「作る」という技術面に関心を示す若者が少なくなっている。そのため、それに変わるものとして「イベント」がもてはやされている。ショーイベントや模擬店がそうだ。
しかし、 模擬店をやって、商品はどうするのかと言えば、自分たちで手作りしたものを売るだけ。そこにコストや利益という視点はほとんどない。 内容や目的が明確でないため、それが教育効果につながっているとは言い難いのだ。
また最近は商品を「作れない」「作らない」学生が多いから、どこからから商品を借りてきている。「委託販売が学べる」と言われれば、確かにそうだ。でも、メーカーや問屋は卸してくれるのか? 商品仕入れの原資はどうする? 買い取れば売りきれるのか? 荒利はいくらか? 在庫はどう処分するのか?etc.
模擬店をやっても、商売の基本や流通の仕組みを学ばないと、何の意味もない。「所詮、学生のレベルだ」と、業界から評価を下されてしまうのがオチだ。
学校を卒業し、その延長線上で、コツコツもの作りをやっている人間は少なくない。一時はうちの事務所の周りにもかなりの若者がアトリエ兼店舗を構えていたし、定期的にバイヤーを呼んでの合同展を催したりしていた。
でも、ビジネスとして成立しているのはごく一部だ。商品としての完成度がよほど高いか、バイヤーのニーズに合致したものを提供できるか。ビジネスである以上、クリエーション一辺倒ではなく、数量や卸価格、納期などの条件が付けられるのは当然である。
かつての原宿には、夢を追ったデザイナーや野望をもつ卸業者が数多く集まった。そこでの成功と失敗の分かれ目は、マーチャンダイジングなり、卸先ルートの確保なり、バイヤーニーズなりと、流通システムの中でポイントを押さえられるか否かだった。
来年の3月15日には、ファッションウィーク福岡のメーンイベントとして、「ファッションマーケット」が福岡市役所前の広場で開催される。目下、この出店者募集がなされているが、対象は「個店、学校、クリエーター、スタイリスト等」となっている。
しかし、個店なら店を持っているわけである。わざわざ出店するのだから、既存店が立地にハンディがあるのか、ネームバリュがなく集客が厳しいからか。でも、そんな店が1日くらい出店しても、大してビジネスには影響ないだろう。
学校は学生が手作りした商品を一般消費者に販売させるつもりか。それとも借りてきたものを委託販売するのか。それらは親や教師に温情で買ってもらうのか。でも、学校側が8,000円の出店費用を肩代わりしては、小売りの勉強になるはずもない。
クリエーターは自分で作った商品を自ら売るのか。それとも、サンプル商品のアウトレット販売か。仮に量産化された商品を直販するのであれば、取引先を裏切ることになるのではないか。マーケティング機会にしてもらおうと言われても、1日ではどうにもならない。
スタイリストはいったい何を売るのだろうか。CM撮影用に買い取った商品を処分するのか。しかし、要項には「バザーではありません」とある。
一般向けのイベントだから、小売りが主体になる。しかし、単に小売りと言っても、参加する側でそれぞれの目的は違う。しかもクリエーターまで対象にするのなら、卸やバッティングの問題も生じてしまう。イベントで一律に効果が発揮されることなど、まず考えられないのだ。
もし、こうした卸や小売りを全く無視した企画に福岡市の商工部が賛同し、補助金を拠出するなら、その見識を疑わざるを得ない。先の大学教授が参画するイベント同様に、目的も実効性も見えづらいからだ。現に「大学が商店街に入ってズタズタにしている」と語る別の教授もいるくらいだ。
流通の現場を大して経験していない学校関係者が企画するイベントが本当に「公共事業」として意味をもつのか。母校の卒業生に恩を売りたいだけ。クリエーターに向けていい格好をしたい。関係者ともどもの単なるマスターベーションetc.。いろんな思惑が透けて見えてくる。
「福岡にお客さんを呼んで商品を買ってもらう」という偉そうな大義は掲げているが、商業都市としての性格、流通の仕組みなど全く頭にない、目的も実効性も欠くお粗末なものというのがよくわかるのである。
シャッター通りと化す商店街では、自ら研究室で学ぶ学生を連れて、いろんな「活性化イベントも仕込んでいる」と仰るから、さすが大学の先生だと思った。
商店街=活性化=イベント。すっかり見慣れた構図である。そこで大学院がもつ頭脳と研究ノウハウをどう生かすのか。試しに「どんなイベントをやっているのですか」と聞いてみた。
すると、空き店舗を「孤立する高齢者向けに健康や介護のステーションにする」、あるいは「買い物難民に向けた産直の生鮮品を販売する青空市」などを、商店街の有志と一緒に手がけているという。
もちろん、大学院では「店舗づくり」や「商品仕入れ」はできないから、それらは専門家やコーディネーターに任せているという。また、参加する学生はイベントスタッフとして裏方に回ったり、専門家やコーディネーターとのリレーションを担うのだそうだ。
学生にとっては、研究室の机上とは違う勉強ができる意義は大きい。客層や客数、客単価、売れ筋の商品、仕入れ先、卸価格、荒利益etc. 教科書の中だけでない、リアルな商業&流通の現場を体験できるからだ。
しかし、 大学教授が企画立案から実施まですべてに関わっているわけではない。この程度のイベントで、大学院の頭脳とノウハウが生かせているとは思えないのだ。確かに空き店舗を高齢者向けのステーションにするアイデアはすばらしいが、ここにもカラクリが浮かび上がる。
空き店舗と言っても大家がいるわけだから、そこを借りるとなると家賃や敷金を支払わなければならない。当然、それは行政や商工会議所が補助することになる。
また、青空市も商品仕入の原資は商工会が負担している。裏を返せば、こうした「公金」で潤う人がいる反面、資金が止まるとその時点で事業は終了せざるをえないのだ。そこで大学教授に以下を質問してみた。
筆者:「家賃補助がある時は成り立つでしょうが、それが止まっても続けられるのですか」
教授:「 … 」
筆者:「青空市を商売として成り立たせるビジネスモデルづくりは、研究室なり学生なりが行っているのですか」
教授:「そんなことはしていない」
学会で認められた優秀な教授陣と高度な学問を追求したい学生が集まる大学院。そこの優れた学術研究を否定するつもりはない。でも、あまりに商店街=活性化=イベントの構図が大学院の参加まで求めても、実りある形に昇華していかないところに、疑問を呈さざるをえない。
筆者は博多商人に囲まれて育ち、大学時代にはマンションアパレルという零細の卸業者を知った。社会人になってから中小アパレルに加え、大手の流通やアパレル、商社やインポーター、一次二次卸などと小売りとの関係も学んだ。
またデパートとアウトレットの関係など海外のバーチカルなシステムを取材し、現在はグローバルな視点でSPAやOEM、ODM、さらにネット販売に触れている。複雑化した日本の流通システム、それらの衰退や新興勢力の台頭を現場で直に見てきたのだ。
当然、大学院にもこうした情報は届いているはずだし、研究の対象になっていると思われる。でも、商店街という商業、流通の現場に出るとそれらが生かされない点で、学術研究とビジネスとの乖離、大学と商店街との温度差を感じてしまう。
大学をはじめ、いろんな学校は学生に対し、それぞれの目的に応じた教育を行う。学生もそこで知識を付け、考える力を養っているはずである。むしろ、せっかく大学まで行ったのなら、その能力を生かし、「自ら考える」ことが大事になる。
ところが、今の学校は入ってくる学生の質が低下しているから、わかりやすいとか、そのレベルに合わせることにおもねりがちだ。特にファッション教育を見ると、「作る」という技術面に関心を示す若者が少なくなっている。そのため、それに変わるものとして「イベント」がもてはやされている。ショーイベントや模擬店がそうだ。
しかし、 模擬店をやって、商品はどうするのかと言えば、自分たちで手作りしたものを売るだけ。そこにコストや利益という視点はほとんどない。 内容や目的が明確でないため、それが教育効果につながっているとは言い難いのだ。
また最近は商品を「作れない」「作らない」学生が多いから、どこからから商品を借りてきている。「委託販売が学べる」と言われれば、確かにそうだ。でも、メーカーや問屋は卸してくれるのか? 商品仕入れの原資はどうする? 買い取れば売りきれるのか? 荒利はいくらか? 在庫はどう処分するのか?etc.
模擬店をやっても、商売の基本や流通の仕組みを学ばないと、何の意味もない。「所詮、学生のレベルだ」と、業界から評価を下されてしまうのがオチだ。
学校を卒業し、その延長線上で、コツコツもの作りをやっている人間は少なくない。一時はうちの事務所の周りにもかなりの若者がアトリエ兼店舗を構えていたし、定期的にバイヤーを呼んでの合同展を催したりしていた。
でも、ビジネスとして成立しているのはごく一部だ。商品としての完成度がよほど高いか、バイヤーのニーズに合致したものを提供できるか。ビジネスである以上、クリエーション一辺倒ではなく、数量や卸価格、納期などの条件が付けられるのは当然である。
かつての原宿には、夢を追ったデザイナーや野望をもつ卸業者が数多く集まった。そこでの成功と失敗の分かれ目は、マーチャンダイジングなり、卸先ルートの確保なり、バイヤーニーズなりと、流通システムの中でポイントを押さえられるか否かだった。
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来年の3月15日には、ファッションウィーク福岡のメーンイベントとして、「ファッションマーケット」が福岡市役所前の広場で開催される。目下、この出店者募集がなされているが、対象は「個店、学校、クリエーター、スタイリスト等」となっている。
しかし、個店なら店を持っているわけである。わざわざ出店するのだから、既存店が立地にハンディがあるのか、ネームバリュがなく集客が厳しいからか。でも、そんな店が1日くらい出店しても、大してビジネスには影響ないだろう。
学校は学生が手作りした商品を一般消費者に販売させるつもりか。それとも借りてきたものを委託販売するのか。それらは親や教師に温情で買ってもらうのか。でも、学校側が8,000円の出店費用を肩代わりしては、小売りの勉強になるはずもない。
クリエーターは自分で作った商品を自ら売るのか。それとも、サンプル商品のアウトレット販売か。仮に量産化された商品を直販するのであれば、取引先を裏切ることになるのではないか。マーケティング機会にしてもらおうと言われても、1日ではどうにもならない。
スタイリストはいったい何を売るのだろうか。CM撮影用に買い取った商品を処分するのか。しかし、要項には「バザーではありません」とある。
一般向けのイベントだから、小売りが主体になる。しかし、単に小売りと言っても、参加する側でそれぞれの目的は違う。しかもクリエーターまで対象にするのなら、卸やバッティングの問題も生じてしまう。イベントで一律に効果が発揮されることなど、まず考えられないのだ。
もし、こうした卸や小売りを全く無視した企画に福岡市の商工部が賛同し、補助金を拠出するなら、その見識を疑わざるを得ない。先の大学教授が参画するイベント同様に、目的も実効性も見えづらいからだ。現に「大学が商店街に入ってズタズタにしている」と語る別の教授もいるくらいだ。
流通の現場を大して経験していない学校関係者が企画するイベントが本当に「公共事業」として意味をもつのか。母校の卒業生に恩を売りたいだけ。クリエーターに向けていい格好をしたい。関係者ともどもの単なるマスターベーションetc.。いろんな思惑が透けて見えてくる。
「福岡にお客さんを呼んで商品を買ってもらう」という偉そうな大義は掲げているが、商業都市としての性格、流通の仕組みなど全く頭にない、目的も実効性も欠くお粗末なものというのがよくわかるのである。