HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

現物あってこそ伝わるクリエーション。

2014-12-10 05:58:49 | Weblog
 先日、ファッションライターの南充浩さんがご自身のブログで、「ビジネスとして成り立たない東コレブランド」と題した論評をされていた。http://blog.livedoor.jp/minamimitsu00/archives/4247634.html

 成り立たない理由をかいつまむと、ファッションビジネスの環境が年々厳しさを増す中で、こうしたブランドは「知名度の低さ」「営業力の乏しさ」から中々脱却できていないことがある。

 その結果、生産数量は増えずにコスト高で販売価格は高止まり、競争力はつかずに売れ行きは伸びず、売上げも1億円程度から数億円に留まっている。

 しかしながら、コレクションという舞台には、巨額の投資をするパラドクス。ショーイベントに必要な服は1型、1サイズでいいから、サンプル程度の生産で十分だが、会場費、演出やスタッフなど、別のコストがかかってしまうというものだった。

 コレクションとは本来、服をショーを通じてバイヤーに見てもらう場。そこからオーダーを取って生産に入ってこそ、やる意味がある。なのにその先の営業には踏み込めていない。つまり、ショーが手段ではなく、目的になってしまっているのだ。

 これでは本末転倒であろう。オーダーがあってもせいぜいロットが10枚~20枚では、アップチャージがついて縫製工賃が高くなるという負の連鎖。全くもって仰る通りである。

 売れない理由はそれだけではないだろう。若手デザイナーの特徴として、テクニックが修練されていない点もある。それゆえ、発表される服がいたって「定番」に偏りがちだ。

 彼らも一生懸命に考えた末に、デザインした点は理解できなくはない。また彼らが自分と同じマインドのターゲットを意識するあまりにそうなったかもしれない。

 さらに凝ったデザインでは工場の縫子さんは慣れるまでに時間がかかる。南さんが言うところの生産効率が悪さである。デザイナーと工場に間に入る「振り屋」も枚数が増えた方がいいから、縫いやすいデザインを逆提案するのは想像に難くない。

 先のコレクションでは、この冬のトレンドとなったダッフルコートや裏毛のジャージをコレクションで発表していたデザイナーもいた。


 でも、見ていて「えっ、これってクリエーション?」って思ったバイヤーも少なくなかった。商品を販売する側としては、もう少しシーズントレンドを出してくれないと、お客さんにアピールできないという気持ちは強い。

 特に裏原ブームから十数年経過したが、どうも東コレブランドの若手の中には、まだまだアメカジの流れをひく「定番」を自分流に解釈しただけで、作品づくりに甘んじている傾向があるように感じる。

 それがロゴをプリントしたTシャツやトレーナーであり、あるいはジャケットやコート、ミリタリーなどオーソドックスなデザインのアイテムに落ち着いているという点だ。

 別に定番のデザインが悪いわけではない。しかし、ブランド力をもつエルメスやグッチが発表するならいざしらず、知名度がないブランドがそれでは、自ずと限界は見えている。

 おまけに生産ロットが増えないと、コスト高で販売価格は下がらない。お客は知名度が低いブランドの定番アイテムに高いお金を払うくらいなら、知名度がそこそこのSPAで十分だというところに行きつくのは当然の流れだ。

 ビジネスを考えれば、南さんが仰るように、今の時代、「卸売り先を増やすこと」と「直営店とウェブショップの売上高を増やすこと」しかない。

 ただ、デザイナーが営業をできるわけがない。この辺の理解度がまだまだなところもあるだろう。これはデザイナーを育成する専門学校が作品づくりや技術にばかりに一生懸命で、卸や小売りのメカニズムをほとんど理解させていないことに尽きる。

 また「褒めないと育たない」というネジ曲がった教育論から、「自分で作って、自信を持てばきっと売れるよ」って穿った考え方が正論化され、若手デザイナーの間で大きな錯覚を生んでいるように思う。

 そうではなくて、服を作る人間と売る人間は同一ではないこと。クリエイティビティとリアルクローズのバランスを計るには。卸に徹する場合と店を出した場合で収益構造はどう変わるか。そんなビジネスの基本的な理屈を教え込まなければならないのだ。

 デザイナーズブランドが隆盛を極めた1980年代。意外にもそれを成功に導いたのは、確固としたビジネス理論だったし、ブランド側がマーチャンダイジングをしっかり行ったからこそ売れたのは、業界では有名な話である。

 もちろん、売れることばかりを意識すれば、全部が売れ筋になって面白みに欠けてしまう。その辺のバランスをどう取るかが、永遠のテーマになる。デザイナーブランドがいちばん売れた頃は、営業7、デザイン3の意見調整だったように記憶している。

 卸を行う、直営店やウエブショップを展開する上でも、この辺のバランスは非常に重要だ。ただ、個人的にはデザイナーだからといって、毎シーズン奇を衒うようなデザインを考える必要はないのではないかと思う。

 トラディッショナルなデザインからより現代にマッチした服に仕上げることで、テクニックを磨いていく方法もある。パターンやカティングの技術、フォルムを単純化した場合の分量の取り方、着心地とデザインとの融合などである。

 それらを追求すれば、服が売れる条件である着回しやコーディネートのし易さは、クリアできるはずだ。デザインには足し算と引き算があるが、余分な装飾を排除することで、クリエーションを売れる方向に持っていくことはできなくはないと思う。
 
 ただ、これには「素材が上質である」ことが条件で、コレクションブランドとして体を成すには言うまでない。そこにコストをかけてこそ、価格対価値が生まれ、お客は納得して購入してくれる。コレクションショー云々はその先の話なのである。

 最近はITがもてはやされる時代になり、クリエーターとメーカーなどをマッチングさせるサイト「展示会.com」なるものまで登場している。http://www.tenzikai.com/

 ファッションに限らず自分を売り込みたいクリエーターとクリエーターを探している企業をつなげるもののようだ。こんなシステムなら、私の友人も20年ほど前に出版社を退職し、「極楽座」なるサイトを立ち上げていたから、珍しくも何ともない。

 彼のものはサイト上で作品を公開し、めでたくビジネスが成立したら、手数料をいただくという仕組みだった。しかし、マッチングは増えず、長続きはしなかった。

 なぜか。それはファッションにように現物の商品を見て価値判断がなされ、契約につながる「営業の場」は、ネットのようなバーチャル環境では不向きだということである。これは素材の質感や微妙な色合いが重視されるインテリアにも言えることである。

 やはり服を卸売るには、現物のサンプルをしっかり作り、それをリアルな展示会(インスタレーションやコレクションを含む)で、しっかりバイヤーに見せることから始まる。またその前の段階でも、完成度の高い作品ありきであるのは言うまでもない。


 自分を売り込むと言っても、デザイナーなら現物の作品があってからの話だ。また営業スタッフ(営業代行業者のレップに頼む場合も)が直にショップに売り込みにいくなど、地道な活動が不可欠である。

 そうした中で、すでにビジネスで成功しているデザイナーが別のデザイナーをバイヤーに紹介してくれるという連鎖が生まれ、ビジネスにつながっていくのである。サイトが増え過ぎているからこそ、現物に対する信頼がより重視されるのは言うまでもない。

 ファッションをビジネスにする以上、クリエーションを形にし、マーチャンダイジングを施し、セールスを行って、オーダーを受け、生産に入り、卸という仕組みは変わらない。

 売名の段階でネットに頼るのは少々虫が良過ぎるし、それが平気でビジネスに発展すると考える業者はリアルなクリエーションをあまりにバカにしていると思う。穿った言い方をすれば、こうしたサイトには別の目的があるような気がしてならない。

 ネットですべてが事足りるなら、なぜ有能なアーチストがギャラリーを借りて個展を開くのかということである。競争が激しい欧米ですら、そうなのである。

 コレクションもインターネットのサイトも、それは商品をアピールし、販売するための手段でしかない。デザイナーこそ、それを肝に命じるべきである。
 

コメント
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