ビームスが4月28日、東京の新宿3丁目にあるビームスジャパンを改装オープンした。地下1階から地上5階までの6フロアで、日本をテーマに匠の技からサブカルチャーまでを発信する。商品は食、銘品、ウエア、コラボレーション、カルチャー、アート、クラフトのカテゴリーで構成し、「日本の様々なコンテンツをキュレーション(評議)」して提案するという。
ビームスは今年で創業40周年を迎えた。セレクトショップとして磨いた目利きの力を生かし、ウエア以外の商材も大々的に販売していく姿を見せつける。また、東京を訪れる外国人旅行客には日本文化が理解されてきており、匠の技が息づくメイドインジャパンは、インバウンド消費の一部になっている。ビームスジャパンはそんな意思を表明するかのように映る。
全国から伝統工芸品や日用品、食品が集められ、観光地の御土産物店を彷彿させるような売場。見た瞬間、以前に雑誌のブルータスがよく特集したラインナップにも似ていると感じ取れた。
このテイストは知る人ぞ知るが、外国人や若者にとっては新鮮に受け取られるはずである。5階のフェニカはなおさらそうだ。ギャラリーと工芸品を主体にした売場で、益子焼などの陶器を見ると、かつてビギグループが東京の広尾に出店していた「陶屋」を思い出した。
陶屋は、「サイドボードに飾っておくしかないほどに高価な芸術品では困るし、さりとて無表情な器では飽きがくる。使いやすくて美しい日常食器を自分が欲しくなって窯元に作ってもらいました」が、開発意図だったと記憶している。筆者のようなDCブランド世代にとっては、あのコンクリート打ちっぱなしの売場にポツンと置かれた陶器が、今も強く印象に残っている。
ビームスジャパンのフェニカは、陶屋ほど無機的ではない。だが、欧米の雑貨店のように商品を機械的かつ整然と並べたところは、ギャラリーと言いつつ「売りにいく」姿勢が感じられる。新宿という高コスト立地に構える店だけに発信拠点と謳いながらも、ある程度の収益が見込めなければ、「失敗」となることを覚悟しているのではないか。
では、洋服全盛時代になぜ、なぜDCアパレルが陶器に進出したのかである。ビームスは小売業だから、陶器は完全仕入れになる。
しかし、陶屋は仕入れ商品もあったが、オリジナルの陶器が大半だった。これはメイドインジャパンやジャパニーズカルチャーといった日本礼賛で生まれたものではない。確固とした経営戦略の中で考え出された商品政策の一つである。ひと言で言えば、「どんなものを作れば売れるか。カネが儲かるか」だ。
日本各地に点在する窯元は、伝統技術や様式を駆使する陶芸家を擁し、ある程度の知名度、ブランド力を持っている。佐賀の有田焼や伊万里焼、中国の備前焼、近畿の京焼や信楽焼、関東の益子焼、北陸の九谷焼等々。筆者の地元福岡では高取焼や上野焼が有名だ。そこでの窯元というブランドを下敷きに、全国に販路を拡大するというビジネスは、DCアパレルとも共通する。
ただ、香蘭社が作り出すような商品、展開するような売場では、若い感覚にはフィットしない。DCアパレルと同じような都会っぽい雰囲気とアーティスティックな感性が必要だった。つまり、ウエアの代わりに置いても、十分に成り立つ。そんな商品やショップが作り出されたのである。
メディアもウエアと並行して情報を発信してくれた。場所が東京の広尾だったこともあり、瀟洒なショップイメージは研ぎすまされていった。周辺に住むマンション族がマチスやカンディンスキーのアート、マッキントッシュの家具と一緒に陶器を購入していったのではなかったかと思う。
商品とそれを売るショップがブランド力を持てば、商品が代わっても店舗はそれなりに販売力を維持できる。陶器もそうだろう。今では雑貨店の主力アイテムになっているが、当時は専門店や百貨店の商材で、購入客も中高年だった。だから、DCアパレルとしては新たな市場開拓のために参入する価値はあったということだ。
当然、そこではビジネスモデルの構築が重要になる。条件の一つがマーチャンダイジングだ。窯元、陶器メーカーが作るような、言ってみれば、親父の骨董趣味、鑑定団ライクな商品では新たなターゲット、市場は開拓できない。
若者や若い感性をもつ人々に売るには、やはりライフスタイルにマッチしたアイテムやデザインが重要だった。店舗を持ったのは、売場の声やお客の反応が商品づくり=陶製に反映できることもあったのだ。
ビギグループの場合は、いくつものブランドを企業化する分社経営を主眼とした。これはビギのデザイナーだった菊池武夫氏が独立した時、経営側が危機感を感じてとった対応策である。デザイナーの知名度だけにおぶさっていると、去られた時に痛い目にあうとの教訓からだ。
だから、デザイナー名を表に出さないキャラクターブランドも持って、リスクを回避する。陶器のブランド化もそれに近い政策だったと言える。
もう一つの条件が、利益率である。安い原価に高い売値が付けられ、儲けが大きい業種。つまり、陶器は原材料が土であるから、原価は限りなく低い。
当時のDCアパレルは、ジャケットで4~5万円くらいはした。今の5倍~8倍である。メイドインジャパン全盛で素資材も国内産とは言え、原価率は30%程度。いかに儲かったかがよくわかる。オリジナルで作る陶器なら、なおさらだろう。
翻って、ビームスの場合はどんな本音があるのだろうか。コアなファンへのメッセージ性としては、ビームスのフィルターを通したメイドインジャパン、銘品の集積を謳った方が聞こえは良い。ただ、ビジネスを考えると、収益性を重視するのは当然である。セレクトショップが進化して行く中で、陶器でどれほどの利益をとっていくのか。バイヤーサイドでは重要な事柄であるのはいうまでもない。
まずはどれほど売れるかを見極めながら、仕入れる商品、はてはオリジナルの企画、発注にも踏み込んで行くのだろうか。
ビームスというブランド力は絶大だ。「ビームスがセレクトした陶器はこんな感じ」。ファンにとっては商品に対するイメージもだいたい確立している。それらを下敷きにして、いかに新たなターゲット、市場を開拓できるか。メイドインジャパンや日本文化を打ち出しすだけの業態では、為替が円高に振れ始めた状況、そしてインバウンド消費が去った時、ジリ貧になるのは目に見えている。
フランフランを展開するバルスは、以前に和物の商材を扱う業態「ジェイピリオド」を展開していたが、こちらはSPA化に失敗した。ビームスにとっての反面教師は、いくらでもあるということだ。
人口減少、マーケットの縮小で、あえて日本礼賛を打ち出しても、それほど市場が反応するとは思えない。だからこそ、ウエアに代わる商材としてのライフスタイル提案の方が重要なのである。
インテリアやオブジェとしての陶器をどこまで定着できるか。イケアや無印良品といったプチプラのテーブルウエアとはどこが違うのか。セレクトショップでウエアは買っていても、茶碗や湯のみは100円ショップで十分という客層にどうアプローチして行くか。いろんな課題が見えてくる。
ただ、1店舗くらいではそれほど利益は出ないと思う。軌道に乗れば、フォーマット化して大都市展開の業態に位置付けるのか。既存の陶器売場を活性化したい百貨店などからも、引き合いがあるかもしれない。
陶器=割れる=消耗品だから、高い物は必要ないというマスマーケットとは対極にある市場。「純粋にアートやオブジェとしてもライフスタイルに取り入れよう」「せっかく美味しい食事をするのだから、テーブルウエアにもこだわりたい」「私の料理ブログの陶器はビームスジャパンで調達したもの」。こんなSNSでの会話がこれから一般的になっていけば、ある程度の市場ができたことになる。
セレクトショップが若者の服離れで分水嶺にある今、ライフスタイル提案をより鮮明に打ち出して行くことが不可欠なのは言うまでもない。食の部分からアプローチする陶器は、ある意味、食以外にもいろんな可能性をもつと考えられる。売場に並べるウエアが頭打ちになっているだけに、やり方次第では大化けするかもしれない。今後も注目して見ていきたい。
ビームスは今年で創業40周年を迎えた。セレクトショップとして磨いた目利きの力を生かし、ウエア以外の商材も大々的に販売していく姿を見せつける。また、東京を訪れる外国人旅行客には日本文化が理解されてきており、匠の技が息づくメイドインジャパンは、インバウンド消費の一部になっている。ビームスジャパンはそんな意思を表明するかのように映る。
全国から伝統工芸品や日用品、食品が集められ、観光地の御土産物店を彷彿させるような売場。見た瞬間、以前に雑誌のブルータスがよく特集したラインナップにも似ていると感じ取れた。
このテイストは知る人ぞ知るが、外国人や若者にとっては新鮮に受け取られるはずである。5階のフェニカはなおさらそうだ。ギャラリーと工芸品を主体にした売場で、益子焼などの陶器を見ると、かつてビギグループが東京の広尾に出店していた「陶屋」を思い出した。
陶屋は、「サイドボードに飾っておくしかないほどに高価な芸術品では困るし、さりとて無表情な器では飽きがくる。使いやすくて美しい日常食器を自分が欲しくなって窯元に作ってもらいました」が、開発意図だったと記憶している。筆者のようなDCブランド世代にとっては、あのコンクリート打ちっぱなしの売場にポツンと置かれた陶器が、今も強く印象に残っている。
ビームスジャパンのフェニカは、陶屋ほど無機的ではない。だが、欧米の雑貨店のように商品を機械的かつ整然と並べたところは、ギャラリーと言いつつ「売りにいく」姿勢が感じられる。新宿という高コスト立地に構える店だけに発信拠点と謳いながらも、ある程度の収益が見込めなければ、「失敗」となることを覚悟しているのではないか。
では、洋服全盛時代になぜ、なぜDCアパレルが陶器に進出したのかである。ビームスは小売業だから、陶器は完全仕入れになる。
しかし、陶屋は仕入れ商品もあったが、オリジナルの陶器が大半だった。これはメイドインジャパンやジャパニーズカルチャーといった日本礼賛で生まれたものではない。確固とした経営戦略の中で考え出された商品政策の一つである。ひと言で言えば、「どんなものを作れば売れるか。カネが儲かるか」だ。
日本各地に点在する窯元は、伝統技術や様式を駆使する陶芸家を擁し、ある程度の知名度、ブランド力を持っている。佐賀の有田焼や伊万里焼、中国の備前焼、近畿の京焼や信楽焼、関東の益子焼、北陸の九谷焼等々。筆者の地元福岡では高取焼や上野焼が有名だ。そこでの窯元というブランドを下敷きに、全国に販路を拡大するというビジネスは、DCアパレルとも共通する。
ただ、香蘭社が作り出すような商品、展開するような売場では、若い感覚にはフィットしない。DCアパレルと同じような都会っぽい雰囲気とアーティスティックな感性が必要だった。つまり、ウエアの代わりに置いても、十分に成り立つ。そんな商品やショップが作り出されたのである。
メディアもウエアと並行して情報を発信してくれた。場所が東京の広尾だったこともあり、瀟洒なショップイメージは研ぎすまされていった。周辺に住むマンション族がマチスやカンディンスキーのアート、マッキントッシュの家具と一緒に陶器を購入していったのではなかったかと思う。
商品とそれを売るショップがブランド力を持てば、商品が代わっても店舗はそれなりに販売力を維持できる。陶器もそうだろう。今では雑貨店の主力アイテムになっているが、当時は専門店や百貨店の商材で、購入客も中高年だった。だから、DCアパレルとしては新たな市場開拓のために参入する価値はあったということだ。
当然、そこではビジネスモデルの構築が重要になる。条件の一つがマーチャンダイジングだ。窯元、陶器メーカーが作るような、言ってみれば、親父の骨董趣味、鑑定団ライクな商品では新たなターゲット、市場は開拓できない。
若者や若い感性をもつ人々に売るには、やはりライフスタイルにマッチしたアイテムやデザインが重要だった。店舗を持ったのは、売場の声やお客の反応が商品づくり=陶製に反映できることもあったのだ。
ビギグループの場合は、いくつものブランドを企業化する分社経営を主眼とした。これはビギのデザイナーだった菊池武夫氏が独立した時、経営側が危機感を感じてとった対応策である。デザイナーの知名度だけにおぶさっていると、去られた時に痛い目にあうとの教訓からだ。
だから、デザイナー名を表に出さないキャラクターブランドも持って、リスクを回避する。陶器のブランド化もそれに近い政策だったと言える。
もう一つの条件が、利益率である。安い原価に高い売値が付けられ、儲けが大きい業種。つまり、陶器は原材料が土であるから、原価は限りなく低い。
当時のDCアパレルは、ジャケットで4~5万円くらいはした。今の5倍~8倍である。メイドインジャパン全盛で素資材も国内産とは言え、原価率は30%程度。いかに儲かったかがよくわかる。オリジナルで作る陶器なら、なおさらだろう。
翻って、ビームスの場合はどんな本音があるのだろうか。コアなファンへのメッセージ性としては、ビームスのフィルターを通したメイドインジャパン、銘品の集積を謳った方が聞こえは良い。ただ、ビジネスを考えると、収益性を重視するのは当然である。セレクトショップが進化して行く中で、陶器でどれほどの利益をとっていくのか。バイヤーサイドでは重要な事柄であるのはいうまでもない。
まずはどれほど売れるかを見極めながら、仕入れる商品、はてはオリジナルの企画、発注にも踏み込んで行くのだろうか。
ビームスというブランド力は絶大だ。「ビームスがセレクトした陶器はこんな感じ」。ファンにとっては商品に対するイメージもだいたい確立している。それらを下敷きにして、いかに新たなターゲット、市場を開拓できるか。メイドインジャパンや日本文化を打ち出しすだけの業態では、為替が円高に振れ始めた状況、そしてインバウンド消費が去った時、ジリ貧になるのは目に見えている。
フランフランを展開するバルスは、以前に和物の商材を扱う業態「ジェイピリオド」を展開していたが、こちらはSPA化に失敗した。ビームスにとっての反面教師は、いくらでもあるということだ。
人口減少、マーケットの縮小で、あえて日本礼賛を打ち出しても、それほど市場が反応するとは思えない。だからこそ、ウエアに代わる商材としてのライフスタイル提案の方が重要なのである。
インテリアやオブジェとしての陶器をどこまで定着できるか。イケアや無印良品といったプチプラのテーブルウエアとはどこが違うのか。セレクトショップでウエアは買っていても、茶碗や湯のみは100円ショップで十分という客層にどうアプローチして行くか。いろんな課題が見えてくる。
ただ、1店舗くらいではそれほど利益は出ないと思う。軌道に乗れば、フォーマット化して大都市展開の業態に位置付けるのか。既存の陶器売場を活性化したい百貨店などからも、引き合いがあるかもしれない。
陶器=割れる=消耗品だから、高い物は必要ないというマスマーケットとは対極にある市場。「純粋にアートやオブジェとしてもライフスタイルに取り入れよう」「せっかく美味しい食事をするのだから、テーブルウエアにもこだわりたい」「私の料理ブログの陶器はビームスジャパンで調達したもの」。こんなSNSでの会話がこれから一般的になっていけば、ある程度の市場ができたことになる。
セレクトショップが若者の服離れで分水嶺にある今、ライフスタイル提案をより鮮明に打ち出して行くことが不可欠なのは言うまでもない。食の部分からアプローチする陶器は、ある意味、食以外にもいろんな可能性をもつと考えられる。売場に並べるウエアが頭打ちになっているだけに、やり方次第では大化けするかもしれない。今後も注目して見ていきたい。