8月も半ばを過ぎ、アパレル各社の決算発表が気になるところだ。ヤマトインターナショナルは決算発表を前に重要なIR情報をリリースした。アウトドアブランドの「エーグル」とのライセンス契約が2017年2月末で終了し、それに伴う早期退職者の募集などで特別損失を計上するというものだ。さらに16年8月期決算では33億円の最終赤字になる予定という。同社にとってエーグルの売上げは全体の25%に当たり、三陽商会同様にライセンシーを失うことが、アパレルメーカーにとっていかに厳しいかを物語る。
しかし、ヤマトインターナショナルともあろう企業が、ブランドライセンス頼みの戦略にもっと早く手を打たなかったかである。同社は戦前にシャツ製造業として創業し、戦後は大阪で専業メーカーとして事業を展開した。社名もヤマトシャツに改め、日本のシャツ製造を牽引して来た老舗アパレルだ。筆者も一時期、ヤマトシャツはよく着ていて、その良さは十分に認知している。
その後、東京にも進出し、87年には大田区平和島に社名の通り巨大戦艦を思わせる奇抜な東京本社ビルを完成させた。当時はバブル景気の絶頂期で同社の業績は右肩上がりだったと思われる。株式市場も大証2部から1部に指定替えし、株価は高騰。財務が安定して信用力が増し、ビル用地の確保も容易だったのかもしれない。何より銀行が「有形の資産取得」を口述に融資を受けてほしかったのだ。完成したビルは威風堂々としつつ、物流倉庫が建ち並ぶ湾岸エリアでは異彩を放っていた。先進性を訴えたかったアパレルにとっては、成功の証しとなったのではないか。
一方、ヤマトインターナショナルはシャツ専業メーカーだったこともあり、総合アパレルへの道のりは平たんではなかったと思う。アイテム拡大もブランド開発も中途半端で、エーグルを除けばクロコダイルくらいしか知名度のあるブランドはない。それもいつの頃からか、量販店の売場に並ぶブランドになってしまった。売上げも2008年くらいから200億円半ばを低空飛行し、15年8月決算では219億8500万円まで落ち込んでいる。
アパレル関係者の話によると、売上げが低迷し始めた10年ほど前から、東京本社ビルの一部を切り貸しして不動産収入を得ていたようだ。さらに今回の特別損失の発表において「東京本社ビルに占める同社の東京本社使用比率を総面積の30%以下にする」と公告している。つまり、東京本社ビルでは7割以上を他社に貸し出すことになる。不動産オーナーになったと言えば聞こえがいいが、ヤマトインターナショナルにとって、ビル建設の時点で規模に見合う事業拡大が見込めたのかとの疑問も残る。もちろん経営陣は目論んでいたのだろうが、バブルが弾けたことで、攻めの経営ができなかったのも事実だ。
そこで考えてみたいのが、アパレル企業にとって自社ビルは必要なのかである。もちろん売上げ規模、利益、財務、ファイナンス、資産、創業者の出自など、いろんな条件で変わってくると思う。例えば、登記簿上の「本社」は創業の地に置き、ビジネス上の本部を東京の都心部に置くケースは少なくない。その場合、本社または本部のどちらかを賃貸オフィスにするか、また自社ビルを取得するかである。もちろん、取得には莫大な資金を必要とするし、自己資金で賄えなければ銀行からの借り入れが不可欠になる。
アパレルにビル1棟は不要かも
一般論として経営戦略が軌道に乗って少しずつ組織を拡大し、スタッフが増員されていけば、オフィスが手狭になるから広いスペースに移らなければならなくなる。それでも自社ビルか、賃貸ビルかはやはり経営者の考え方次第だと思う。
スキームとして「アパレルは水ものだから万一に備えて資産を持ち、そこからの現金収入を得られる=キャッシュフローにも目を向ける」という考えがある。これも自社の土地に自己資金でビルを建設すれば別だが、借金して物件を取得した場合、自社だけが利用するオフィスなら返済のみで収入はない。その分の売上げまで確保できないと経営は厳しくなる。自社ビルの一部を賃貸するにしても、返済額以上の賃料収入がある=利回りが良くないと運用は上手くはいかない。それに不動産は立地や地名などで資産価値に影響が出る。条件が良くなければテナントが集まらず、家賃を下げなければならないリスクも付いてまわる。
アパレルの多くは産地や問屋が生まれた大阪や名古屋から発展した。全国展開をする上で、東京は情報を受発信する上で拠点を構えざるを得なくなったのだ。ただ、自社ビルを取得するということは別問題である。バブル景気という追い風を受け、銀行が融資をしてくれたまでは良かったが、好景気の終焉で土地神話も崩壊。資産価値が下がり、自社ビルは売れず不良債権と化したケースは、アパレルにおいても例外ではない。
その後、台頭して来たIT関連の有名企業は、六本木ヒルズやミッドタウンにオフィスをもっている。しかし、これらにも1フロア数千万円の賃料を払ってまで高額なオフィスを借りる必要があるのかと思う。働いているスタッフは1年ごとの契約社員で、昼食には380円の弁当を食べているものもいるからだ。経営者はステイタスのつもりだろうが、雇用されている社員の状況とはあまりに格差があり過ぎる。
まして収益性が低いアパレルが自社ビルをもっても、相当厳しいはずだ。組織的に見ても、メーン部署は企画デザインと卸営業である。素材はすでに外部から調達しているし、製造はアパレル工場に外注する。自社工場であっても都市部で用地確保は無理だし、物流網の発展から本社近くにある必要はなくなっている。MDの部署も必要にはなるが、ここも出張が多くなるから、オフィスの使用頻度は下がる。1か所にそれほど大きなオフィスをもつ方が必要な機動力が阻害されるのかもしれない。ましてITの時代である。生産性がない部署は、コストが安い地域に置くという経営判断があっても良いはずだ。ならば、アパレルはビル1棟なんて不要だと思う。
DCアパレルのビギグループが代官山に本社を移した時は、場所柄から多層ビルを建てられない規制もあり、ブランドごとに小さなオフィスを建設した。旧山手通りに面する東京バブテスト教会裏手にあったビギ本社ビルは安藤忠雄の設計で、地下が倉庫、1階が営業部、2階が会議室、3階が社長室だった。周辺の猿楽町や南平台、目黒方面に下った青葉台にも関連会社やブランドのヘッドオフィスがいくつもあった。すべて歩いて行き来できる距離で、どれもこじんまりとしたビルだった。
そこには大楠祐二代表の「会社は小さくなければならない」との経営哲学があり、会社ごとに経営陣や社員の競争心を煽り、業績を争わせる狙いもあった。企業規模が小さいからこそ、こうしたマネジメント術が結果につながったとも言える。ビギグループは分社経営をグループ躍動の原動力にして、成長軌道に乗せていった。言い換えれば「ビッグオフィスに象徴される大きなヒットブランドをもつより、いくつかの小ヒット商品を持つ」という戦略がアパレルとして見事に奏効したとも言えるだろう。
自社所有で何を産み出すかが重要
筆者は独立するとき、故郷である福岡の大名に建つマンションに事務所オフィスを構えた。中心部天神の隣街である。東京で言えば、京橋や恵比寿といった立地だろうか。隣に雑居ビルがあった。1、2階が店舗スペースで、3階からがオフィスになっていた。不動産会社の話ではうちのマンションより後に建ったらしい。
ところが、筆者が賃貸契約をする時、隣のビルは裁判所の競売物件になっていた。旧オーナーはアパレルメーカーだったという。銀行融資を受けて建て、資産運用から賃貸ビル経営にも乗り出したようだ。福岡は東京よりバブル景気が弾けるのが遅かったが、93〜94年にはこのアパレルもビル購入などの負債が重なり、倒産したようである。経営判断が甘かったと言えばそれまでだが、店舗を必要とする小売りならともかく、アパレルにとって都心部の大名にオフィスをもつ必要はない。単なる資産運用、財テクで乗り出した不動産ビジネスは、中小アパレルにとってはあまりに荷が重過ぎたということだ。
ビル自体は競売後も転売されている。場所柄、1〜2階の店舗スペースには焼肉店、日本料理店、居酒屋、ピザ屋など入れ替わり立ち代わり入居したが、どれも2年と続かず退店している。構造上1階と2階が螺旋階段でつながり、2フロアまとめて借りなければならないことから、どの業態もコスト的にペイしなかったようだ。バブル期におけるビル設計がいかに実需とかけ離れたものだったのかと思い知った。数年前には取り壊された。ビルとしてはわずか20年程度の寿命だったようだ。後にはワンルームマンションが建ったが、それとて全部は埋まっておらず、1階のテナントもいつまで続くかは疑問である。
ヤマトインターナショナルの東京本社ビルに話を戻そう。外観を見る限り砲台や防御甲板、風筒を思わせるようなパーツを積み重ねた造りだ。内部を見てないので何とも言えないが、これらの一つ一つが部屋になっているのだろうか。それなら切り貸しはしやすいのかもしれないが、幅が狭いフロアをズラしたような部屋ではかえって使いにくいのではないか。まあ、オーナーにとっては大きなお世話だろうが。
ただ、ヤマトインターナショナルの決算、本社ビルの賃貸施策を見る限りでは、経営戦略のゴールはしっかり定まっていないように見える。自社所有の土地建物がどんな果実を生み出してくれるのか。それが本業にどんな効果を与えるか。その辺のスキームがアパレル業界ではいたって漠然としているように感じる。
しかし、ヤマトインターナショナルともあろう企業が、ブランドライセンス頼みの戦略にもっと早く手を打たなかったかである。同社は戦前にシャツ製造業として創業し、戦後は大阪で専業メーカーとして事業を展開した。社名もヤマトシャツに改め、日本のシャツ製造を牽引して来た老舗アパレルだ。筆者も一時期、ヤマトシャツはよく着ていて、その良さは十分に認知している。
その後、東京にも進出し、87年には大田区平和島に社名の通り巨大戦艦を思わせる奇抜な東京本社ビルを完成させた。当時はバブル景気の絶頂期で同社の業績は右肩上がりだったと思われる。株式市場も大証2部から1部に指定替えし、株価は高騰。財務が安定して信用力が増し、ビル用地の確保も容易だったのかもしれない。何より銀行が「有形の資産取得」を口述に融資を受けてほしかったのだ。完成したビルは威風堂々としつつ、物流倉庫が建ち並ぶ湾岸エリアでは異彩を放っていた。先進性を訴えたかったアパレルにとっては、成功の証しとなったのではないか。
一方、ヤマトインターナショナルはシャツ専業メーカーだったこともあり、総合アパレルへの道のりは平たんではなかったと思う。アイテム拡大もブランド開発も中途半端で、エーグルを除けばクロコダイルくらいしか知名度のあるブランドはない。それもいつの頃からか、量販店の売場に並ぶブランドになってしまった。売上げも2008年くらいから200億円半ばを低空飛行し、15年8月決算では219億8500万円まで落ち込んでいる。
アパレル関係者の話によると、売上げが低迷し始めた10年ほど前から、東京本社ビルの一部を切り貸しして不動産収入を得ていたようだ。さらに今回の特別損失の発表において「東京本社ビルに占める同社の東京本社使用比率を総面積の30%以下にする」と公告している。つまり、東京本社ビルでは7割以上を他社に貸し出すことになる。不動産オーナーになったと言えば聞こえがいいが、ヤマトインターナショナルにとって、ビル建設の時点で規模に見合う事業拡大が見込めたのかとの疑問も残る。もちろん経営陣は目論んでいたのだろうが、バブルが弾けたことで、攻めの経営ができなかったのも事実だ。
そこで考えてみたいのが、アパレル企業にとって自社ビルは必要なのかである。もちろん売上げ規模、利益、財務、ファイナンス、資産、創業者の出自など、いろんな条件で変わってくると思う。例えば、登記簿上の「本社」は創業の地に置き、ビジネス上の本部を東京の都心部に置くケースは少なくない。その場合、本社または本部のどちらかを賃貸オフィスにするか、また自社ビルを取得するかである。もちろん、取得には莫大な資金を必要とするし、自己資金で賄えなければ銀行からの借り入れが不可欠になる。
アパレルにビル1棟は不要かも
一般論として経営戦略が軌道に乗って少しずつ組織を拡大し、スタッフが増員されていけば、オフィスが手狭になるから広いスペースに移らなければならなくなる。それでも自社ビルか、賃貸ビルかはやはり経営者の考え方次第だと思う。
スキームとして「アパレルは水ものだから万一に備えて資産を持ち、そこからの現金収入を得られる=キャッシュフローにも目を向ける」という考えがある。これも自社の土地に自己資金でビルを建設すれば別だが、借金して物件を取得した場合、自社だけが利用するオフィスなら返済のみで収入はない。その分の売上げまで確保できないと経営は厳しくなる。自社ビルの一部を賃貸するにしても、返済額以上の賃料収入がある=利回りが良くないと運用は上手くはいかない。それに不動産は立地や地名などで資産価値に影響が出る。条件が良くなければテナントが集まらず、家賃を下げなければならないリスクも付いてまわる。
アパレルの多くは産地や問屋が生まれた大阪や名古屋から発展した。全国展開をする上で、東京は情報を受発信する上で拠点を構えざるを得なくなったのだ。ただ、自社ビルを取得するということは別問題である。バブル景気という追い風を受け、銀行が融資をしてくれたまでは良かったが、好景気の終焉で土地神話も崩壊。資産価値が下がり、自社ビルは売れず不良債権と化したケースは、アパレルにおいても例外ではない。
その後、台頭して来たIT関連の有名企業は、六本木ヒルズやミッドタウンにオフィスをもっている。しかし、これらにも1フロア数千万円の賃料を払ってまで高額なオフィスを借りる必要があるのかと思う。働いているスタッフは1年ごとの契約社員で、昼食には380円の弁当を食べているものもいるからだ。経営者はステイタスのつもりだろうが、雇用されている社員の状況とはあまりに格差があり過ぎる。
まして収益性が低いアパレルが自社ビルをもっても、相当厳しいはずだ。組織的に見ても、メーン部署は企画デザインと卸営業である。素材はすでに外部から調達しているし、製造はアパレル工場に外注する。自社工場であっても都市部で用地確保は無理だし、物流網の発展から本社近くにある必要はなくなっている。MDの部署も必要にはなるが、ここも出張が多くなるから、オフィスの使用頻度は下がる。1か所にそれほど大きなオフィスをもつ方が必要な機動力が阻害されるのかもしれない。ましてITの時代である。生産性がない部署は、コストが安い地域に置くという経営判断があっても良いはずだ。ならば、アパレルはビル1棟なんて不要だと思う。
DCアパレルのビギグループが代官山に本社を移した時は、場所柄から多層ビルを建てられない規制もあり、ブランドごとに小さなオフィスを建設した。旧山手通りに面する東京バブテスト教会裏手にあったビギ本社ビルは安藤忠雄の設計で、地下が倉庫、1階が営業部、2階が会議室、3階が社長室だった。周辺の猿楽町や南平台、目黒方面に下った青葉台にも関連会社やブランドのヘッドオフィスがいくつもあった。すべて歩いて行き来できる距離で、どれもこじんまりとしたビルだった。
そこには大楠祐二代表の「会社は小さくなければならない」との経営哲学があり、会社ごとに経営陣や社員の競争心を煽り、業績を争わせる狙いもあった。企業規模が小さいからこそ、こうしたマネジメント術が結果につながったとも言える。ビギグループは分社経営をグループ躍動の原動力にして、成長軌道に乗せていった。言い換えれば「ビッグオフィスに象徴される大きなヒットブランドをもつより、いくつかの小ヒット商品を持つ」という戦略がアパレルとして見事に奏効したとも言えるだろう。
自社所有で何を産み出すかが重要
筆者は独立するとき、故郷である福岡の大名に建つマンションに事務所オフィスを構えた。中心部天神の隣街である。東京で言えば、京橋や恵比寿といった立地だろうか。隣に雑居ビルがあった。1、2階が店舗スペースで、3階からがオフィスになっていた。不動産会社の話ではうちのマンションより後に建ったらしい。
ところが、筆者が賃貸契約をする時、隣のビルは裁判所の競売物件になっていた。旧オーナーはアパレルメーカーだったという。銀行融資を受けて建て、資産運用から賃貸ビル経営にも乗り出したようだ。福岡は東京よりバブル景気が弾けるのが遅かったが、93〜94年にはこのアパレルもビル購入などの負債が重なり、倒産したようである。経営判断が甘かったと言えばそれまでだが、店舗を必要とする小売りならともかく、アパレルにとって都心部の大名にオフィスをもつ必要はない。単なる資産運用、財テクで乗り出した不動産ビジネスは、中小アパレルにとってはあまりに荷が重過ぎたということだ。
ビル自体は競売後も転売されている。場所柄、1〜2階の店舗スペースには焼肉店、日本料理店、居酒屋、ピザ屋など入れ替わり立ち代わり入居したが、どれも2年と続かず退店している。構造上1階と2階が螺旋階段でつながり、2フロアまとめて借りなければならないことから、どの業態もコスト的にペイしなかったようだ。バブル期におけるビル設計がいかに実需とかけ離れたものだったのかと思い知った。数年前には取り壊された。ビルとしてはわずか20年程度の寿命だったようだ。後にはワンルームマンションが建ったが、それとて全部は埋まっておらず、1階のテナントもいつまで続くかは疑問である。
ヤマトインターナショナルの東京本社ビルに話を戻そう。外観を見る限り砲台や防御甲板、風筒を思わせるようなパーツを積み重ねた造りだ。内部を見てないので何とも言えないが、これらの一つ一つが部屋になっているのだろうか。それなら切り貸しはしやすいのかもしれないが、幅が狭いフロアをズラしたような部屋ではかえって使いにくいのではないか。まあ、オーナーにとっては大きなお世話だろうが。
ただ、ヤマトインターナショナルの決算、本社ビルの賃貸施策を見る限りでは、経営戦略のゴールはしっかり定まっていないように見える。自社所有の土地建物がどんな果実を生み出してくれるのか。それが本業にどんな効果を与えるか。その辺のスキームがアパレル業界ではいたって漠然としているように感じる。