今年もあと1カ月半で終わってしまう。1年を振り返るにはまだ少し早いが、注目した事柄ついて書くことにする。まずは、すっかりメジャーになった感がある「オーダースーツ」についてである。
スーツのオーダー=「誂え」は、はるか昔からあったわけで、別に珍しくも何ともない。むしろ、1960年代までは今のように「吊し」=既成スーツがそれほど出回っていなかったこともあり、誂える方が主流だった。筆者の父親もスーツをオーダーしていたのを記憶している。会社オフィスの出入り業者がいて、春や秋のシーズンには注文をとって回っていた。
業者は生地を反ごと持って来てきちんと採寸してくれた。「仮縫い(体形に合わせてシルエットやデザインを確認ために仕付け糸で布を仮に縫い合わせること)」付きだから、自分の体形に合った着心地の良いスーツを誂えることができた。しかも、随所に芯地を使うなど丹念な仕上げで、縫製にはミシンだけでなく身頃や襟の裏、袖付けなど見えない部分には「手縫い」が施してあった。レディスの洋裁師であるお袋も「よく縫っているね」と感心していたほどだ。
70年代に入ると既製スーツがメジャーになり、80年代には「青山」「はるやま」「コナカ」などのスーツ量販店が台頭。バブル景気が崩壊すると、コストの安いアジア生産の低価格スーツが浸透した。昨今はビジネススタイルにカジュアル化の波(環境対策のクールビズも)が押し寄せ、スーツ離れで既製のものは減少の一途を辿っている。それは青山商事、他3社の2019年3月期の決算がすべて減収減益であることからもわかる。
そんな中でも、時代の流れや景気の影響を受けず、比較的堅調なのが「テーラー(紳士服の仕立て屋)メード」のスーツではないだろうか。こちらは英国、イタリアなどの輸入服地を使った完全フルオーダーで、熟練の職人が採寸から仮縫い、縫製までに手間と時間をかけるため、最低でも1着20万円以上する。
昨年、テレビ番組が「麻生太郎財務大臣が着ているスーツが1着35万円」と報道し、いろいろと物議を醸したが、高級輸入服地を使用した完全フルオーダーなら妥当な価格だと思う。麻生大臣がテーラーメードのスーツを愛用するのは、英国スタイルに傾倒した祖父の故・吉田茂元総理が影響している。
しかし、それだけの理由ではないと思う。これは一度でも洋服をフルオーダーした人ならわかるが、着た感覚が既成服とは全く違うからだ。職人が本人の体型を細かく計測し、それに対してジャスト、きつ目、ゆる目など微妙な調整まで行うので、着ていて少しも疲れない。肌に吸い付くような感覚とは、まさにこのことを指すのではないか。
財務大臣ともなれば早朝の閣議から省内での業務、国会出席、諸々の会議など分刻みの過密なスケジュールだ。仕事を終え、バーで寛ぐ時もスーツは脱がない。就寝と入浴以外は着ているのだから、着疲れしないためにはテーラーメードが一番いい。この感覚は着てみないとわからないし、着てみると皆が気づくと思う。そこには価格に代え難い価値が存在するのである。
一方、既製スーツを販売して来た事業者の間でも、オーダーにシフトする動きが顕著で、近年はすっかりメジャーになった。ただ、こちらは本質が全く異なる。価格によりピンキリあるが、基本は既製の「型紙」を何十通りか用意し、その中から本人サイズの近似値を選んで微調整し仕上げるもの。所謂「パターンオーダー」だ。生地は予め用意され限られたものから選択し、附属のボタンやボタンホールのステッチカラーも選べるので、お客はいかにもオーダーした気分になる。
しかし、肝心な採寸や縫製、仮縫いに手間やコストがかかっているわけではない。真のオーダー=誂えとは似て非なるものなのだ。ネット上にサイトを開設し、いかにもテーラーを装うオーダーサロンもあるが、実際はマンションの一室に店を構える過ぎないという話も。あるサロンで注文した人の話によると、「基本パターンのジャケットやパンツが2、3着掛けてあり、それを着ていちばん合うものを微調整する極めてアバウトな手法」だったとか。ここまで来ると、もはやオーダーメードと呼べるシロ物ではない。
誂え素人お客には、それぞれの業者がどこまでのレベルのなのか、サイトを見たくらいでは判断がつかない。生地についてもパソコンやスマートフォンで見る画像だけでは実際の色や肌触りはつかめない。デジタルの3D画像で出来上がりイメージは確かめられても、仮縫いをしないのだから仕立て上がりのフィット感が微妙と感じるお客はいるはずだ。まあ、価格が安ければ、クレームを付けるとまでは行かないだろうが。
ITは手仕事を代行できない
「似非オーダー」が出回る理由は何か。それはスーツ離れが深刻な中で、やはり商品在庫を抱えなくて勝負できることに尽きると思う。価格別にいろんな業態が乱立する。関係者から聞いた話では、フリーランスというか、ノマドというか、店舗も材料も持たずに電話で営業し、注文を取る個人事業者もいるとか。サロンに勤務していた時の顧客名簿を頼りに、自分のお客として直接アプローチすればいいのだから、独立も簡単なようだ。
結局、オーダースーツ流行は、お客の潜在ニーズを掘り起こすのが目的ではなく、売る側がデジタル技術を口実にしてお客に注文服のイメージを摺り込み、在庫を持たずに商売しようという側面の方が強い。ただ、それは所詮ビジネスモデルの一つに過ぎず、英国のセビルロウやイタリアのナポリが生んだ誂え文化とは別次元のものだ。世界的なSDGs(持続可能な開発目標)の流れを見ると、無駄な商品を少しでも削減できる点には賛成できるが、根本的には原料である羊毛の生産にまで遡って考えなければならない。
もっとも、ZOZOスーツの失敗でも言われたが、衣服を身体にフィッティングさせるには、熟練のスキルとお客一人一人の着こなしや好みの違いをしっかりヒアリングして、掴むことが不可欠だ。ECが衣料販売のメーンチャンネルになり、ITを駆使したバーチャル接客が主流になっても、試着でのフィッティング確認がなくなることはない。しかも、それは人間の感覚に左右されるいたってアナログなものだ。
かつては百貨店が「イージーオーダー」という名称で催事を行っていた。この時も「仮縫い付きじゃないから」と冷めた見方をされる一方、二着で◯万円という値ごろ感ならそれで十分との支持層もいた。ただ、ここまでオーダーが広がり、前出のような業者がいることを考えると、水面下ではいろんな問題も発生しているのかもしれない。
筆者が懸念するのは、下請けの縫製業者への工賃値下げである。似非オーダーの価格帯は、スーツで5万円〜、ジャケットで3万5000円〜が主流だったが、業者が乱立しているせいで最近はスーツ2万円台というのも珍しくない。これには生地や服資材、営業などの費用が含まれるわけで、オーダー受注業者の利益分を差し引くといったい縫製工賃をいくらなのかと思ってしまう。受注業者は国内製造を売り物にしているが、ロットにならないからそうせざるを得ないのだ。
縫製業者によっては既成服の製造が減った分、オーダーを受けるところもあるのだろうが、工賃の値下げ圧力がかかっても不思議ではない。前出の注文者は、見本を試着して「襟を太めで、短くしてほしい」「ボタンは2つのままで」と指示したにも関わらず、でき上がったものはなぜか「3ボタン」だったという。おそらく詳細な「縫製指示書」の類いはなく、丸投げされた工場は襟の形がいちばん近い既製パターンで縫製したのかもしれない。 もちろん、注文者は縫製し直してもらったというが。
やり直しの場合の生地代や縫製工賃などは、受注業者がもつのか、それとも工場側が負担するのか。その辺の契約内容はわからないが、受注業者がコスト削減の安易なシステムで工場に丸投げするから、トラブルが発生する面は否めない。これで縫製業者が責任を被るのは筋違いだし、値下げ圧力などはもってのほかだ。まだまだ消費者庁がお出ましになる状態にはないにしても、「オーダー」と呼べる明確なビジネス基準を決めてもいいのではないかと思う。
また、英国やイタリアでは熟練の職人が育成されているわけで、日本のテーラーでも後任の育成が不可欠だから、経済産業省はもっと側面からサポートしても然るべきではないのか。まあ、そもそもは環境省主導のクールビズなどビジネススタイルの変化により、スーツ離れが深刻なことが引き金でもあるのだが。ただ、似非オーダーはシステムさえ整えれば、それほど参入障壁が高くないから乱立しているわけで、レッドオーシャンになるの時間の問題と思う。
おそらく来年は淘汰されていく事業者も出始めるだろう。最先端のデジタル技術やシステムはアパレル業界でも重要になることに異論はない。でも、お客からは「せっかくオーダーしたのに、これなら既製スーツでも良かった」という声なき声が聞こえてきそうな予感がしないでもない。
スーツのオーダー=「誂え」は、はるか昔からあったわけで、別に珍しくも何ともない。むしろ、1960年代までは今のように「吊し」=既成スーツがそれほど出回っていなかったこともあり、誂える方が主流だった。筆者の父親もスーツをオーダーしていたのを記憶している。会社オフィスの出入り業者がいて、春や秋のシーズンには注文をとって回っていた。
業者は生地を反ごと持って来てきちんと採寸してくれた。「仮縫い(体形に合わせてシルエットやデザインを確認ために仕付け糸で布を仮に縫い合わせること)」付きだから、自分の体形に合った着心地の良いスーツを誂えることができた。しかも、随所に芯地を使うなど丹念な仕上げで、縫製にはミシンだけでなく身頃や襟の裏、袖付けなど見えない部分には「手縫い」が施してあった。レディスの洋裁師であるお袋も「よく縫っているね」と感心していたほどだ。
70年代に入ると既製スーツがメジャーになり、80年代には「青山」「はるやま」「コナカ」などのスーツ量販店が台頭。バブル景気が崩壊すると、コストの安いアジア生産の低価格スーツが浸透した。昨今はビジネススタイルにカジュアル化の波(環境対策のクールビズも)が押し寄せ、スーツ離れで既製のものは減少の一途を辿っている。それは青山商事、他3社の2019年3月期の決算がすべて減収減益であることからもわかる。
そんな中でも、時代の流れや景気の影響を受けず、比較的堅調なのが「テーラー(紳士服の仕立て屋)メード」のスーツではないだろうか。こちらは英国、イタリアなどの輸入服地を使った完全フルオーダーで、熟練の職人が採寸から仮縫い、縫製までに手間と時間をかけるため、最低でも1着20万円以上する。
昨年、テレビ番組が「麻生太郎財務大臣が着ているスーツが1着35万円」と報道し、いろいろと物議を醸したが、高級輸入服地を使用した完全フルオーダーなら妥当な価格だと思う。麻生大臣がテーラーメードのスーツを愛用するのは、英国スタイルに傾倒した祖父の故・吉田茂元総理が影響している。
しかし、それだけの理由ではないと思う。これは一度でも洋服をフルオーダーした人ならわかるが、着た感覚が既成服とは全く違うからだ。職人が本人の体型を細かく計測し、それに対してジャスト、きつ目、ゆる目など微妙な調整まで行うので、着ていて少しも疲れない。肌に吸い付くような感覚とは、まさにこのことを指すのではないか。
財務大臣ともなれば早朝の閣議から省内での業務、国会出席、諸々の会議など分刻みの過密なスケジュールだ。仕事を終え、バーで寛ぐ時もスーツは脱がない。就寝と入浴以外は着ているのだから、着疲れしないためにはテーラーメードが一番いい。この感覚は着てみないとわからないし、着てみると皆が気づくと思う。そこには価格に代え難い価値が存在するのである。
一方、既製スーツを販売して来た事業者の間でも、オーダーにシフトする動きが顕著で、近年はすっかりメジャーになった。ただ、こちらは本質が全く異なる。価格によりピンキリあるが、基本は既製の「型紙」を何十通りか用意し、その中から本人サイズの近似値を選んで微調整し仕上げるもの。所謂「パターンオーダー」だ。生地は予め用意され限られたものから選択し、附属のボタンやボタンホールのステッチカラーも選べるので、お客はいかにもオーダーした気分になる。
しかし、肝心な採寸や縫製、仮縫いに手間やコストがかかっているわけではない。真のオーダー=誂えとは似て非なるものなのだ。ネット上にサイトを開設し、いかにもテーラーを装うオーダーサロンもあるが、実際はマンションの一室に店を構える過ぎないという話も。あるサロンで注文した人の話によると、「基本パターンのジャケットやパンツが2、3着掛けてあり、それを着ていちばん合うものを微調整する極めてアバウトな手法」だったとか。ここまで来ると、もはやオーダーメードと呼べるシロ物ではない。
誂え素人お客には、それぞれの業者がどこまでのレベルのなのか、サイトを見たくらいでは判断がつかない。生地についてもパソコンやスマートフォンで見る画像だけでは実際の色や肌触りはつかめない。デジタルの3D画像で出来上がりイメージは確かめられても、仮縫いをしないのだから仕立て上がりのフィット感が微妙と感じるお客はいるはずだ。まあ、価格が安ければ、クレームを付けるとまでは行かないだろうが。
ITは手仕事を代行できない
「似非オーダー」が出回る理由は何か。それはスーツ離れが深刻な中で、やはり商品在庫を抱えなくて勝負できることに尽きると思う。価格別にいろんな業態が乱立する。関係者から聞いた話では、フリーランスというか、ノマドというか、店舗も材料も持たずに電話で営業し、注文を取る個人事業者もいるとか。サロンに勤務していた時の顧客名簿を頼りに、自分のお客として直接アプローチすればいいのだから、独立も簡単なようだ。
結局、オーダースーツ流行は、お客の潜在ニーズを掘り起こすのが目的ではなく、売る側がデジタル技術を口実にしてお客に注文服のイメージを摺り込み、在庫を持たずに商売しようという側面の方が強い。ただ、それは所詮ビジネスモデルの一つに過ぎず、英国のセビルロウやイタリアのナポリが生んだ誂え文化とは別次元のものだ。世界的なSDGs(持続可能な開発目標)の流れを見ると、無駄な商品を少しでも削減できる点には賛成できるが、根本的には原料である羊毛の生産にまで遡って考えなければならない。
もっとも、ZOZOスーツの失敗でも言われたが、衣服を身体にフィッティングさせるには、熟練のスキルとお客一人一人の着こなしや好みの違いをしっかりヒアリングして、掴むことが不可欠だ。ECが衣料販売のメーンチャンネルになり、ITを駆使したバーチャル接客が主流になっても、試着でのフィッティング確認がなくなることはない。しかも、それは人間の感覚に左右されるいたってアナログなものだ。
かつては百貨店が「イージーオーダー」という名称で催事を行っていた。この時も「仮縫い付きじゃないから」と冷めた見方をされる一方、二着で◯万円という値ごろ感ならそれで十分との支持層もいた。ただ、ここまでオーダーが広がり、前出のような業者がいることを考えると、水面下ではいろんな問題も発生しているのかもしれない。
筆者が懸念するのは、下請けの縫製業者への工賃値下げである。似非オーダーの価格帯は、スーツで5万円〜、ジャケットで3万5000円〜が主流だったが、業者が乱立しているせいで最近はスーツ2万円台というのも珍しくない。これには生地や服資材、営業などの費用が含まれるわけで、オーダー受注業者の利益分を差し引くといったい縫製工賃をいくらなのかと思ってしまう。受注業者は国内製造を売り物にしているが、ロットにならないからそうせざるを得ないのだ。
縫製業者によっては既成服の製造が減った分、オーダーを受けるところもあるのだろうが、工賃の値下げ圧力がかかっても不思議ではない。前出の注文者は、見本を試着して「襟を太めで、短くしてほしい」「ボタンは2つのままで」と指示したにも関わらず、でき上がったものはなぜか「3ボタン」だったという。おそらく詳細な「縫製指示書」の類いはなく、丸投げされた工場は襟の形がいちばん近い既製パターンで縫製したのかもしれない。 もちろん、注文者は縫製し直してもらったというが。
やり直しの場合の生地代や縫製工賃などは、受注業者がもつのか、それとも工場側が負担するのか。その辺の契約内容はわからないが、受注業者がコスト削減の安易なシステムで工場に丸投げするから、トラブルが発生する面は否めない。これで縫製業者が責任を被るのは筋違いだし、値下げ圧力などはもってのほかだ。まだまだ消費者庁がお出ましになる状態にはないにしても、「オーダー」と呼べる明確なビジネス基準を決めてもいいのではないかと思う。
また、英国やイタリアでは熟練の職人が育成されているわけで、日本のテーラーでも後任の育成が不可欠だから、経済産業省はもっと側面からサポートしても然るべきではないのか。まあ、そもそもは環境省主導のクールビズなどビジネススタイルの変化により、スーツ離れが深刻なことが引き金でもあるのだが。ただ、似非オーダーはシステムさえ整えれば、それほど参入障壁が高くないから乱立しているわけで、レッドオーシャンになるの時間の問題と思う。
おそらく来年は淘汰されていく事業者も出始めるだろう。最先端のデジタル技術やシステムはアパレル業界でも重要になることに異論はない。でも、お客からは「せっかくオーダーしたのに、これなら既製スーツでも良かった」という声なき声が聞こえてきそうな予感がしないでもない。