「裸の島」「原爆の子」、新藤兼人監督が死去(読売新聞) - goo ニュース
一度だけ、現場でご一緒させていただいたことがある。
って、「ご一緒」なんておこがましい言い方だよね。エキストラに毛が生えたようなモノ。
1999年の『生きたい』という作品で。
その時、大竹しのぶさんのすぐ隣で、髪をセットしてもらった。
実は中学生の頃から「大竹さんに似てるよね」と言われ続けて早何年。
父親似の私は、最初は「じゃあお父さんも似てるってコト?」なんて茶化した。
でも『和宮様御留』で、水鏡に映る顔を見たとき、私は初めて「本当に似てるんだ」と思ったのだった。
それはさておき。
メイクさんが並んで座る私を、ちょっと驚いたように見てたのを覚えてる。
大竹さんはメイクの細部をご自分で触りながら、何かを口ずさんでらした。
そこにいるようで、そこにいない。
不思議な感覚の方だったなぁ・・・。
その大竹さんを、新藤監督はとても気に入ってらして、ずっと主演で起用されてるのだった。
その現場が、新藤監督の作品だということは、聞かされていた。
だから、実はちょっと、いやかなり怖かった。
ベテランどころか重鎮もいいところの監督さんの作品。
例えエキストラに毛が生えたような役でも、絶対にヘタはできない。
もう13年も前の話。
その時、新藤監督は87歳。
静かな、銀色の光。私にはそう見えた。それを覚えてる。
因みに『生きたい』は、 モスクワ映画祭グランプリ・国際批評家連盟賞、ロシア批評家賞を受賞してる。
100歳というのは、世間的に言えば大往生なのだろう。
でもこの言葉は、私は身内しか使っちゃいけない言葉だと常々思う。
どれだけ生きれば「是」なのか。
それは本人にしか判断できないと思うし。
でも、監督。
あなたがかつて仰っていたように。
人間は、いつか必ずカタチも消えてなくなる。
だけど映画は残ります。
お疲れさまでした。ありがとうございました。
一度だけ、現場でご一緒させていただいたことがある。
って、「ご一緒」なんておこがましい言い方だよね。エキストラに毛が生えたようなモノ。
1999年の『生きたい』という作品で。
その時、大竹しのぶさんのすぐ隣で、髪をセットしてもらった。
実は中学生の頃から「大竹さんに似てるよね」と言われ続けて早何年。
父親似の私は、最初は「じゃあお父さんも似てるってコト?」なんて茶化した。
でも『和宮様御留』で、水鏡に映る顔を見たとき、私は初めて「本当に似てるんだ」と思ったのだった。
それはさておき。
メイクさんが並んで座る私を、ちょっと驚いたように見てたのを覚えてる。
大竹さんはメイクの細部をご自分で触りながら、何かを口ずさんでらした。
そこにいるようで、そこにいない。
不思議な感覚の方だったなぁ・・・。
その大竹さんを、新藤監督はとても気に入ってらして、ずっと主演で起用されてるのだった。
その現場が、新藤監督の作品だということは、聞かされていた。
だから、実はちょっと、いやかなり怖かった。
ベテランどころか重鎮もいいところの監督さんの作品。
例えエキストラに毛が生えたような役でも、絶対にヘタはできない。
もう13年も前の話。
その時、新藤監督は87歳。
静かな、銀色の光。私にはそう見えた。それを覚えてる。
因みに『生きたい』は、 モスクワ映画祭グランプリ・国際批評家連盟賞、ロシア批評家賞を受賞してる。
100歳というのは、世間的に言えば大往生なのだろう。
でもこの言葉は、私は身内しか使っちゃいけない言葉だと常々思う。
どれだけ生きれば「是」なのか。
それは本人にしか判断できないと思うし。
でも、監督。
あなたがかつて仰っていたように。
人間は、いつか必ずカタチも消えてなくなる。
だけど映画は残ります。
お疲れさまでした。ありがとうございました。