大毛無山、火打山方面を見る
終点の東飛山には多くの葛屋が残り、懐かしい風景が広がるが、過疎化が進み、自然のなすがままに崩壊が進む空き家も多い。
早春の東飛山
しかし、こんな長閑な風景の東飛山の歴史の中に、今は形骸化してきた、あの忌まわしいサリン事件に絡んだ出来事があったことを知る人は少ない。
坂本弁護士慰霊碑
1989年、オウムが坂本堤弁護士一家を惨殺し、新潟、富山、長野の三県に跨って遺体を遺棄したという事件だ。坂本弁護士はここ名立谷源流の山、大毛無山中に、奥さんは富山県、そして子供は長野と三県に渡って遺棄されていたのだ。慰霊碑は1990年代に建てられ今も慰霊の行事が行われているようだが、そこに至る林道はゲートがあり、関係者以外は立ち入ることはできない。
名立谷・バス停アラカルト 終る
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