今回も酒蔵見学のお話。
なぜ、最近酒蔵さん巡りをしているのですか、と偶に訪ねられます。このブログ、読んでくれているご様子。有難うございます。いろいろ理由はありますが、ひと言でいうと縁ですね。今の時期、畑は丁度種植えの準備などの土作りなのです。なので、見学を申し出ると折角来てくれるなら4月頃の方がイイよ、と言われることが多いのです。そして、ある方に今の時期なら酒蔵なんか行けば勉強になるよ、と教えて頂いたのです。そして、それから大阪にも頑張っている酒蔵さんがたくさんあることを知り、実際に足を運ぶようになったのです。
午前中は、大阪の最南端に位置する浪花酒造さんを訪問させて頂きました。
浪花酒造さんのある阪南市尾崎町はかつて海だったといわれ、5メールも掘ると貝塚の層になるそうです。和泉山脈の伏流水がこの貝殻層でミネラルを含みながらきれいにろ過され、中硬水の地下水になるそうです。創業以来250年一度も枯れた事の無い井戸水を100%使った酒蔵さんです。
また、この井戸がとても特徴のある六角形。この六角錐は外圧に強く出来ていて、城や神社などのごく一部でしか使うことの許されない貴重なものだったそうです。この技術をもっていた岐阜の六角氏を戦国武将の織田信長が手厚く登用たそうです。(そういえば、安土城の天守閣は六角だったかな?)また、この地域は大阪では珍しく織田信長との縁も深いのです。 1577年に当時信長が高野山の宿場町と栄えた根来寺などで雑賀衆の占拠、また雑賀衆が本願寺派だったために雑賀攻めが行われたそうです。この雑賀攻めには信長自ら出陣し、浪花酒造さん付近のお寺にも信長遠征の際の逸話があるそうです。そのような時代を背景に、このような六角錐の井戸が後世の浪花酒造さんの井戸の形にも表れたのではないでしょうか、と案内をしてくださった蔵人の新田さんが説明してくださいました。
酒蔵を実際に見学させて頂きながら、新田さんはとても親切に説明してくださいました。特に印象的だったのが、酒母を自主管理していることと、佐藤杜氏さんの素晴らしい実績。また、枯場と呼ばれる麹室と外気にさらす間に作られた部屋。温度の高い麹米を直接冷たい空気にさらして、麹米に湿気がつかないようにとの配慮からこの枯場があるそうです。
案内して頂いた新田さんに浪花酒造さんが目指す酒造りをお聞きしたところー飲んで飲みあきないお酒。料理との相性・相乗効果で、もう一杯飲みたくなるお酒造りが目標だそうです。 また、お酒造りで大切にしていることについてー誠心誠意に造る事、正直にお酒に尽くす事、とお答え頂けました。
一度大阪に戻って、簡単な打ち合わせ。その後、河内長野にある西條酒造さんを訪問させて頂きました。
西條酒造さんの代名詞はなんと言っても天野酒ですよね。かの太閤秀吉も愛飲したというお酒で、室町中期から戦国時代にかけて「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ズ」と絶賛されたお酒だそうです。
西條酒造さんは1718年から創醸され、当時の河内長野は堺方面と生駒方面からの高野街道が合流する宿場町としてとても栄えていたそうです。天野酒の源流は、天野山金剛寺の僧坊酒として600年前から2段仕込みの甕酒(画像のある甕を使用)になります。当時のお酒は、どぶろくのようなものがほとんどで、一日経つと酢になるような完成度のかなり低いお酒だったそうです。そんな中で、精米度90%・4日麹・加水の量が今の半分ほどで造られるお酒は、日にちが経っても酢になることなく、透明で甘みの当時としては画期的なものだったそうです。その僧坊酒も江戸時代で一旦途絶えるのですが、また西條酒造さん創醸によりその流れが復活し、昭和46年より金剛寺からの許可も得て「天野酒」が現代に再び復活したのです。
現在造られている天野酒は、もちろん当時のお酒と同じと言うわけではありません。当時の僧坊酒の作り方を再現したお酒を試飲させて頂きましたが、とても甘くて上等の紹興酒に角砂糖を混ぜたような感じでした。当時のお酒は水で割って飲まれていたこともありますが、私的には十二分に楽しめるお酒だと思います。それでは、現在造られているお酒はというと、やはり流行りの淡麗辛口ではなくて、やや甘みのある芳醇なタイプという当時の天野酒の流れに沿ったお酒となっています。
蔵主の西條陽三さんがいろいろと談笑をしながらの酒蔵を見学。経費のかかる自家精米にこだわるのは、特Aの山田錦を扱うことが多いため。折角の良質のお米をしっかりと自分達で管理したいというこだわりなのです。また、蒸米の状態により麹米とかけ米と使い分けてますし、本醸造以上のお酒は、全て精米度数を60%以下にして、出来るだけ水を加えない原酒に近い状態で味わってもらいたいという心意気の表れだそうです。
西條酒造さんの酒造りのこだわりについてー天野酒は広辞苑にも記載されるような歴史のあるお酒です。その流れをしっかり守っていきたい。甘み・旨みのあるお酒作り。(塩を舐めて、甘く感じることがありますよね。塩が甘いはずないので、それは感じた旨みを甘いという言葉を使って表現するんですよね。そういう意味で、天野酒も深い旨みを甘いと表現するのかもしれません。) 目指すお酒造りについてー造りの量は増やさない。大阪、特に南大阪、その中でも河内の人々に愛されるお酒でありたい。地酒、これぞ地酒。といえるようなお酒を造り続けたい。
浪花酒造さん、西條酒造さんともに古い歴史を持ち、そのお酒作りの背景には当時の時代の流れを感じることができます。織田信長縁の浪花正宗と太閤秀吉縁の天野酒。それぞれの歴史背景を感じながらの飲み比べもなかなか趣深いではありませんか。
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