大有研のスタッフの方に紹介して頂き、 岸和田の有機農家、尾崎さんを訪問しました。
尾崎さんお父様の代から有機農業に取り組まれて、尾崎さん自身も約30年程有機栽培に取り組まれているそうです。
主に路地栽培と雨よけハウスで年間約60種ほど栽培されているそうです。堆肥には、油かすや籾殻を燻製にしたものなどを使用されていました。油かすはよく肥料として使われていますが、最近では薬品抽出されたものも多いらしく、そのかすには栄養分がほとんど残っておらず、また薬品も残留したままだそうです。機会絞りの油かすを探すのも一苦労ですようと、おっしゃっておられました。
また有機農家は基本的に自ら種を残すことも多く、この地域で有名な貝塚早生や泉黄という伝統的な野菜を栽培されておられました。意外なところでの伝統野菜と出会いもあり、このような残り方もあるのだなと浪速魚菜の新たな可能性を発見。最近、大阪しろ菜も多く出回るようになってきましたが、これも昔からのものと比べると味・葉の広がり方などはも全く異なります。普及すること時代は嬉しいのだけれど、本来の姿で無いものが本物と認識されるのは本末転倒ですよね。また、地産という意味では、最近はしろ菜よりも小松菜の方が栄養価が高いと人気だそうですが、関西の粘土質の土壌ではしろ菜の方がより栽培に向いていて、品質の良いものが収穫できるそうです。
尾崎さんとの話しの中で、「援農」という言葉がありました。昔は、消費者の方が実際の農作業を手伝えなくても雑草を刈ったり、励まし・お礼の手紙を書いたり。消費者と生産者の距離は、今よりももっと近かったそうです。今では、縁農という言葉を使って、尾崎さん自身も多くの時間を消費者さんとの交流に向けているそうです。
尾崎さんは、有機農家の原動力は、やりがい。消費者の下支え、どっぷりと農業に接しなければならないので、それが楽しいと思えないと続かない仕事とおっしゃっていました。
有機農業は、ただ有機で野菜を栽培するだけでなくて、人間関係においても有機的繋がりを築くことが大変充用なのだと再確認できた一日でした。
後日、追記します。