
40年位前のベトナム戦争当時、日本は左翼思想が社会一般に清く正しい考え方であるという雰囲気がありました。それというのも、戦後の東西冷戦の雰囲気の中で、日本がそれぞれの陣営の、プロパガンダの戦いの場所であったことと、共産主義の人々の活動が、非公然と行われたことによるようです。自民党に代表される政治権力に与することは、何となくいかがわしいことのように感じました。
そうした雰囲気の中で、ベトナム戦争が報道され語られたのでした。西側が、ベトナムの独立を容認しなかったのは、共産勢力の拡張を恐れることにありましたが、同時に、それまでの西欧諸国の植民地支配の既得権を守るための戦略の延長でもありました。日本が敗戦により、一方的に侵略国家であるとの烙印を押され、戦後教育で自虐的な歴史観を植え付けられた世代に属する私は、その後の長い時間の中で、そう事は簡単ではないことに気付いています。あるいは、昭和20年代初頭に生まれた団塊の世代に属する人には、そのままの歴史観を持ち続けている人が見受けられますが、本当の姿は全く違っていることでしょう。
さて、本ビデオでは、ベトナム戦争終結後から15年ほどを経たベトナムを海のシルクロードに深く関わった国として紹介しています。かつての南ベトナムは、現地の人々による王国があり、北ベトナムであった地域は中国の強い影響下にあったとのことです。中国の唐の時代に、ローマ帝国と海のシルクロードを経てつながっていたことが、ローマ帝国時代の金貨がベトナムの王国の遺跡から発見されたことから確認されている。また、日本の正倉院に御物として保管されている香木である伽羅が、ベトナムで産出されて渡来したのだそうです。そして、この「伽羅」は、樹木の種類ではなく、樹木が傷を負った際、そこからウィルスが侵入して木質が変質してできるものなのだそうです。現在でも、何億円もの外貨を獲得する、ベトナムの特産品であるとのことです。
評価は3です。
そうした雰囲気の中で、ベトナム戦争が報道され語られたのでした。西側が、ベトナムの独立を容認しなかったのは、共産勢力の拡張を恐れることにありましたが、同時に、それまでの西欧諸国の植民地支配の既得権を守るための戦略の延長でもありました。日本が敗戦により、一方的に侵略国家であるとの烙印を押され、戦後教育で自虐的な歴史観を植え付けられた世代に属する私は、その後の長い時間の中で、そう事は簡単ではないことに気付いています。あるいは、昭和20年代初頭に生まれた団塊の世代に属する人には、そのままの歴史観を持ち続けている人が見受けられますが、本当の姿は全く違っていることでしょう。
さて、本ビデオでは、ベトナム戦争終結後から15年ほどを経たベトナムを海のシルクロードに深く関わった国として紹介しています。かつての南ベトナムは、現地の人々による王国があり、北ベトナムであった地域は中国の強い影響下にあったとのことです。中国の唐の時代に、ローマ帝国と海のシルクロードを経てつながっていたことが、ローマ帝国時代の金貨がベトナムの王国の遺跡から発見されたことから確認されている。また、日本の正倉院に御物として保管されている香木である伽羅が、ベトナムで産出されて渡来したのだそうです。そして、この「伽羅」は、樹木の種類ではなく、樹木が傷を負った際、そこからウィルスが侵入して木質が変質してできるものなのだそうです。現在でも、何億円もの外貨を獲得する、ベトナムの特産品であるとのことです。
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