狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

田原総一郎の琉球新報批判!

2011-12-09 12:16:21 | 県知事選

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当日記は、琉球新報の「田中失言」に関する一面報道を、捏造新聞の暴走だとして批判してきた。

発言した居酒屋席には約10社のマスコミが同席していたにもかかわらず、またあの沖縄タイムスでさえも発言の真偽確認できなかった「失言」を、琉球新報一社のみが報道し、同席した他のマスコミが、翌日から琉球新報に追随した事実からも「失言」の曖昧さがわかる。

それに今回の八重山教科書問題でも明らかなように、琉球新報のイデオロギーのためには事実を歪曲・捏造するという日頃の報道姿勢から判断して捏造の疑念が拭えないのだ。

何よりも琉球新報の体質を表すのには、自社の紙面に長期連載した沖縄戦記の執筆者の上原生稔さんから「言論封殺」で提訴され係争中であるという厳然たる事実も琉球新報の劣化の証左ということが出来る。

評論家の田原総一郎氏が「劣化するマスコミ」として琉球新報を批判しているので紹介する。

劣化するマスコミ、「失言」報道はナンセンスだ
田原総一郎 2011年12月02日 

 一川保夫防衛相は11月29日、不適切な発言をした田中聡沖縄防衛局長を更迭した。30日付の各紙朝刊を読むと、どの新聞も「更迭は当然だ」という論調で報じていた。

田中前局長の発言は悪趣味の極み。だが……
 田中氏の発言は28日夜、沖縄で開いた新聞記者やテレビ局の報道記者との「オフ懇」(オフレコ懇談、非公式懇談会)の場で飛び出した。

 米軍普天間基地の移設に必要な環境影響評価(アセスメント)の評価書を沖縄県に12月中に提出するかどうかを記者に聞かれ、田中氏は「犯す前にこれから犯しますよ、とは言わない」と答えたというのである。

 この発言を報道したのは琉球新報のみ。オフ懇の場では記者は黙って発言を聞き、翌日の新聞に記事を書いた。すると、「発言はとんでもない」と大騒ぎなり、大手各社が後追いしたのである。オフ懇には9社が参加していたという。

 田中氏の発言は、悪趣味の極みだ。相当下品である。その点で田中氏を擁護するつもりはまったくない。

 しかし、これはオフ懇での発言である。公式には話せない内容を本音でしゃべり、記者にその背景や前提などを知ってもらうのがオフ懇の主旨である。

発言に異論があるのなら、記者はその場で論争せよ
 私は信頼する新聞記者何人かに話を聞いてみたが、「新聞記者であるならば、オフレコは守らなければならない。もし内容に問題があるのなら、その場ですぐに論争すべきだ」と言っていた。

 記者が黙って聞き、翌日の新聞にドンとその発言を出す。これは完全にルール違反である。

 発言が重大問題であり、報道すべき内容だと判断したのなら、記者はその場で相手にそう言うべきである。そして相手が記者の言い分に対して「いや、これはこういう意味だ」と答えたのなら、それを含めて報道すべきである。

 オフ懇での発言を「よし、もらった」とばかりに新聞に書き立てるなど、まさにルール違反。足をすくうどころか、だましているようなものだ。

 今年9月、野田内閣の発足から9日で経済産業相を辞任した鉢呂吉雄氏の失言問題の頃から、マスコミはおかしいぞと私は思っていた。

マスコミの質が低下していると思う理由
 あの問題は次のような経緯から生まれた。

 鉢呂経産相が原発被災地を視察した感想を聞かれ、「残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」と答えた。この「死の町」が不適切だと新聞やテレビで叩かれ、さらに別の場で鉢呂氏を取り囲んだ記者に「放射能をつけちゃうぞ」と発言したことまで大きく報じられたのである。

 鉢呂氏に防災服の袖をこすりつけられるような仕草をされた記者は冗談だと思って記事にしなかったが、その場にはいなく、又聞きしたテレビ局がオンエアして大騒ぎになり、各紙が翌日に後追いしたのだった。

 このように「してやったり」とほくそえむようなマスコミの質を私は問いたい。こんなことを繰り返していては、「言葉の魔女狩り」をやっているようなものだ。政治家や官僚たちは「何か言ったら大騒ぎになるかもしれない」と警戒し、本音を語らなくなってしまう。オフ懇など誰も開かなくなるだろう。

 マスコミの質が下がっていると感じることは他にもある。オフ懇などで聞いた話を週刊誌に売る記者がいるのだ。「オフレコの場で聞いた内容は新聞には書けない、だから週刊誌に売ろう」というケースが結構ある。一体いつから記者の倫理感が失われたのだろうか。

暴力団と写真を撮ってはいけないのか?
 一連の問題を見ていて、「日本のマスコミは危ない」と私は危惧する。それを正面から言う人も少ない。「大変だ」と大騒ぎしているのが最も安全で、「ナンセンス」と批判すると自分の身が危ない。だから誰も何も言わなくなるのである。

 11月26日深夜の「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)で「激論!暴力団排除条例と社会の安全」というテーマの討論をした。暴力団排除条例に批判的な人物も賛成の人物もパネリストとして招き、議論した。このテーマを取り上げるマスコミは他にない。

 島田紳助さんが今年8月に芸能界引退の記者会見を行ったが、なぜ彼は引退しなければなかったのか。ある週刊誌が、彼が暴力団幹部と一緒にいるところを撮った写真を発表するのを恐れたからだろうか。

 私自身、暴力団員と一緒に並んだ写真は20~30枚ある。なぜなら、取材したときに写真を撮っているからだ。

 取材をすれば一緒に食事することもある。相手のことをとことん聞くために、お茶を飲みながら時間をかけて取材することもある。暴力団と写真を撮ってはいけないのか? 一緒に食事をしてはならないのか?

暴力団排除条例について、なぜ議論しないのか
 今、暴力団に所属している人はアパートが借りられないらしい。ホテルも暴力団関係者は宿泊することができないことがある。暴力団がタクシーに乗ろうとすると運転手は拒否する。弁護士ですら、暴力団の弁護から逃げ腰になる……。

 暴力団が飲食店などから「みかじめ料」と呼ぶ一種の用心棒代をとっていたが、今は違法とされている。警察が「そんなことは暴力団に頼まずに警察に頼め」と言ったところで、もし何かあったときに警察は本当に助けてくれるのだろうか……。こうしたことを「朝まで生テレビ」で話し合った。

 私は、暴力団がのさばる社会はよくないと思うし、暴力団を弁護する気はない。

 しかし、暴力団排除条例について議論がないのはおかしいと考える。警察も、暴力団員を更生させる努力をしないまま、またその議論もしないまま、ただ「排除」するというのはおかしくないか。

 暴力団との「付き合い」や「関係」とは何なのか。テレビ業界は「暴力団と関係のあるタレントやタレント事務所は使うな」としているようだが、どういった「関係」なら悪いのか、その線引きはとても曖昧である。

本質を議論できない社会になるのが怖い
 新聞やテレビは問題の本質を論じるべきなのに、まったく論じない。枝葉末節なことばかりを取り立てて、大騒ぎをする。

 ひどいと感じるのは、週刊誌がタレントの実名を出して、「誰それは暴力団の結婚式に出席した」などと書き立てることだ。それでいて暴力団排除条例についての議論はいっさいしないのである。これこそマスコミの質が落ちたと思う瞬間である。

 こうしたマスコミの姿勢はきわめて不健全である、と言わざるを得ない。

 最も怖いのは、本質的なことが議論されない社会に次第に傾いていくことである。

              ☆

発言に異論があるのなら、記者はその場で論争せよ

 私は信頼する新聞記者何人かに話を聞いてみたが、「新聞記者であるならば、オフレコは守らなければならない。もし内容に問題があるのなら、その場ですぐに論争すべきだ」と言っていた。

 記者が黙って聞き、翌日の新聞にドンとその発言を出す。これは完全にルール違反である。

 発言が重大問題であり、報道すべき内容だと判断したのなら、記者はその場で相手にそう言うべきである。そして相手が記者の言い分に対して「いや、これはこういう意味だ」と答えたのなら、それを含めて報道すべきである。

 オフ懇での発言を「よし、もらった」とばかりに新聞に書き立てるなど、まさにルール違反。足をすくうどころか、だましているようなものだ。≫

 

まったく同感である。

田原総一郎氏もたまには良いことを言う、と思う方

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コメント (10)

最後の頼みは「署名提出」?、バカバカしい

2011-12-09 08:34:33 | 八重山教科書採択問題

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12月末の「死刑執行日」を目前にして、焦った市民グループが最後の望みを託し「3万人署名」を執行官庁の文科省に届けたという。

が、文科省は粛々と執行を実施するだろう。

これは署名が3万人か30万人かの問題ではなく、わが国が法治国家か否かの問題である。

法的に決まった執行を、3万人の署名で停止できるなら法治国家ではなくなるわけで、4年前、「11万人集会」で全会一致で採択された「教科書検定撤回の要請」決議もあれほどマスコミを動員して大騒ぎしたにもかかわらず、文科省は本日現在、検定意見を撤回していない。

ましてや今回は閣議決議を署名でひっくり返せという要求だ。

これが通るようでは、わが国はまさに無理が通って道理が引っ込む無法国家として世界の物笑いになるだろう。

■八重山日報 12月8日

教科書問題
「東書版を」3万人署名
住民グループ 文科省に要請
 八重山地方の中学公民教科書採択問題で、石垣市や竹富町の住民
グループが7日、文部科学省を訪れ、9月に3市町の全教育委員の
会議で選んだ東京書籍版を採択地区内の教科書と認めるよう、約3
万人の署名を添えて要請した。
 この問題では、採択地区協議会が8月に保守色の強い育鵬社版を
答申。反発して東京書籍版を採択した竹富町に対し、中川正春文科
相は「教科書の無償供与の対象にならない」としている。住民側は
この発言の撤回も求めた。住民側によると、文科省側は「大臣に伝
える」と答えたという。
 要請後の集会では「子どもも強い関心を持っている」「学校現場
を受け持つ教員が選んだ教科書を尊重すべきだ」との意見が出た。
 教科書無償措置法は採択地区内の教科書を同一にすることを定め
ており、決着するため全教育委員の会議が開かれた。県教育委員会
は会議の結論を有効としたが、政府は否定。採択の一本化を求めて
いる。


■八重山毎日 12月9日

文科省に直訴
3万人余の署名提出
教科書問題で住民団体
 竹富町の子どもに真理を教える教科書採択を求める会(仲村貞子
会長)子どもと教科書を考える八重山住民の会は7日、文科省を訪
ね、群民大会の決議に基づく要請を行った。
東京書籍で無償を求め
る訴えに賛同した町民1916人、「東京書籍」を採択した9月8日の
全員協議の有効性を認める3万870人の署名もそれぞれ提出した
。成
井崇文部政務次官は「大臣に伝える」と述べるにとどまった。
 一行は仲村会長ら7人。文科省の鈴木宏幸初等中等教育局教科書
課長補佐との面談は1時間30分余にわたったが、9月8日の全員協議
をめぐる認識はすれ違ったままだった。成井政務次官とのやりとり
は30分で終わった。この後、支援者や県選出国会議員らと意見交換
した。竹富町から参加した石原純一竹子連会長は「子どもたちも教
科書が決まらないから不安に陥っている。早めの解決策を」と話し
た。住民の会と保護者らが集めた3万870人の署名の内、郡内から
約7000人が集まったという。

          ☆

報告書の提出期限を目前にしての署名提出が無意味であること承知している八重山日報が、淡々と事実を伝えているのに対し、署名の効果を必死に願うかのような八重山毎日は、署名の数に拘って「3万870人」とか「町民1916人」とか細かい数を報じているが、語るに落ちるとはこのことで、署名の94%は竹富町以外のプロ市民の署名であることを暴露しているのには大笑いである。

言葉を換えれば、約5万人の住民がいる八重山地域の問題を僅か1915人の町民の我がままでひっくり返し、さらに全国を騒がしていることになる。

それも発禁本を教科書にせよというのではない。 自分が属する国が認めた教科書を無償で給付するという極めて当たり前のことに反対しているのだ。

今からでも遅くないから「8.23八重山採択協議会」の選定に従うと言えば騒動は一件落着となるはずなのだが・・・。

イデオロギーで思考停止した方々にはそう簡単には行かないのだろう。

「県民集会」もやったし、「署名提出」もやったし・・・・、

残るの手段は、文科省相手の行政訴訟ですか。

やれやれ。

 

【おまけ】

女子高生の自分の子どもを政治利用して、新聞投稿で玉津協議会長を批判させておきながら形勢不利となると、公開質問等とマスコミを焚きつける愚かな親が息巻いている。

いよいよ泥仕合の様相を呈してきた八重山教科書問題の土壇場を午後のエントリーで触れてみたい。

八重山教科書問題で 生徒の親が石垣市教育長らに公開質問状

どなたかこの愚かな親の情報をお持ちの方、下記まで御連絡いただければ幸いです。

ezaki0222@ybb.ne.jp

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