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27日のエントリー「洗脳される人々、オウムと八重山教科書問題 」で八重山毎日への読者の投稿文を紹介したが、この読者は一般の善意の読者ではないことが判明した。
投稿者の黒島精耕氏のことを、八重山毎日の偏向記事で洗脳された善意の市民と考え、投稿内容の酷さにはあえて触れず、紹介のみに止めたが、その後の情報により黒島氏は「ゾンビの会」のメンバーであることが判明したので、改めて引用する。
読者の安仁屋正昭さんのコメントにこんなものがあった。
≪八重山日報が7月20日付の朝刊で報じた市民の会(何やら市民の党と似ている)のメンバーことペンギン市長の腰巾着(元教育長)を紹介することに致します。
仲山忠亨・村田栄庄・内原英忠・波平長吉・江川三津惠・登野原武・大仲康文・黒島精耕・島袋憲一・慶田城久 以上の10人
8月23日午後3時から教科書採択の委員会会場を沖教組等が大挙して包囲する予定とのこと。≫
大浜前市長時代の悪行が露見するのを恐れ、「玉津教育改革」を阻止するため必死のゾンビの会の面々。
ちなみに江川三津恵氏は玉津教育長の前任の教育長である。
じっくり鑑賞してください。
■八重山毎日新聞 11月27日 【投稿】
教科書問題の結末を迎えるに当たって
~9・8協議決議を起点に着地点を目指して~ 黒島精耕
一、もはや議論は尽くされた
6月末、教科書採択協議会の規約改正を機に始まった教科書問題もおよそ5カ月の長きにわたる議論を経て、いよいよ結末を迎えるに至った。その間、わたしも3度にわたり、本紙のお世話になった。「八重山地区教科書採択の仕組みの問題点~子どもの手によりよい教科書を~」(8月18日)、「無理が通れば道理引っ込む~再協議による打開への道を~」(8月30日)、「八重山地区教科書採択の行方~県教育庁の方針を受けて~」(9月21日)の通りである。またマスコミにおいて、それぞれの社説で、わたしの手もとにあるだけでも本紙が6回、琉球新報が6回にわたって本問題について論じている。それだけではない。県内の各民主団体や平和団体がそれぞれの立場から本問題を取り上げ、問題の本質がどこにあるかを論じている。これらの論調の中でもとりわけ、いまわたしの心に印象深く残っているのが本紙不連続線における八重洋一郎氏の4度にわたる本問題の本質に迫るするどい指摘である。八重山住民はもとより、全県民の意思を代弁しているような内容で、とても感銘を受け、早速本人へ敬意の電話をし、感謝を申し上げたところである。そしてさらに、これまでの論議を整理し、分かりやすくまとめていただいたのが、琉球新報に掲載された仲山忠克弁護士の「憲法の文科省見解~八重山教科書問題~」である。この論文の提起によってこれまで議論されてきた教科書問題の論点がよくまとめられ、同問題についての議論は尽くされたものと思われる。あとは関
係当局がどう決着をつけるかにかかっている。
二、ホップ・ステップ・ジャンプを踏まえた決着
わたしはこれまでの論議を通して、本問題の流れを次のようにとらえている。すなわち、6月末に提起された規約改正問題の時点をホップとして位置づけるとすればこれに基づいての手法によって協議された8月23日の採択時点はステップとして位置づけられよう。これがいわゆる8・23の協議における答申で、石垣・与那国両教委がこの答申を拘束力のあるものとして重視しているのに対し竹教委がこれに異を唱えたことにより協議はまとまらず、その決着は再協議の場に持ち込まれた。これが全教育委員による協議であり、いわゆる9・8協議決議である。これがジャンプの位置づけでこの時点で、同問題は決着したものだと考えている。これで教科書問題は終わりだと思っていたところに、例の中川文科大臣の発言である。これについては先に述べた仲山論文で明快な答えが出ているすなわち、本問題の終点ー着地は、育鵬社ではなく、東京書籍だという結論である。
三、着地点への3つの対応
マスコミをはじめ、県内の多くの世論が、教科書問題は9月8日の協議決議を持って決着したものとみていた。本問題は流れとして
は、ホップ・ステップの段階を経て、さらにジャンプをもって一応決着したものだとしてとらえ、あとはその着地点を待つのみであった。ところが、着地寸前になって文科大臣により、何ら根拠のない石垣・与那国教育長の県を飛び越えた例の公文書により「協議は整っていない」発言となり、さらにひどいことにはこれがさらに発展して、「竹富町への教科書は有償」との文科省の決定によって、結末寸前において流れは止まっている。ジャンプした後、東京書籍に降りよう賭したまさにその寸前において、文科大臣の待ったがかかり、東京書籍上空において宙に浮いた流れは止まったままであるその事態にどう対応していくのか。それには3つの対応が考えられる。1つは、県教委の示すもっとも現実的な対応で、9・8を踏まえた市町教委の再協議による着地である。2つは、住民の父母会の提起した署名運動による文科大臣発言の撤回である。そして3つ目は、教科書をえらぶ会の2人の母親によって提起された裁判による着地である。この3つはいずれも9・8協議による決議を有効としてとらえ、これを起点に、東京書籍版公民教科書を子どもたちの手に渡すという目的は一つであるが、終点に至る対応において、その着地点を求め、取り組みを展開しているところである
終わりに、ここでわたしが特に強調しておきたいことがある。それは第1に教育行政当局に対してである。まず地元3市町教委はこれまでの論議を踏まえ、八重山教育の新しい夜明けを迎えるためにいま一度しっかりした協議をしていただきたいということである。もしそれができないのであれば県教委の示す指導・助言および援助(規定では、援助をしなければならない)を真摯(しんし)に受け止めていただきたい。また、県教委に対してはこれまで文科省に対してぶれることなく、一貫して対応してこられた姿勢に対しては敬意を表すと同時に事態が事ここに至っては、文科省の指導・助言および援助(規定ではすることができる)にこだわらず、リーダーシップを発揮し、ここで断を下していただきたいということである。まさにいまがタイミングである。
第2に、住民の会としては、文科大臣の発言の撤回を求め、署名運動をさらに強化拡大し、断固初志貫徹まで戦い抜く決意である。それにしても玉津教育長は何を勘違いしてのことか、憲法で保障されている署名活動に対し、圧力をかけるようなことだけは直ちに止めていただきたい。何よりも玉津教育長には8・23協議会における議事録の説明責任を果たしていただきたい。このことを強く求めるものである。
第3に石垣・与那国両教委と文科省当局の不条理の判断に対し、やむにやまれず立ち上がった2人の母親の、裁判に訴えてでも終点の着地を見いだそうとする姿勢には、本当に頭が下がる思いでありぜひ志を共有し、目的貫徹まで共に頑張っていきたいものである。
私の教科書問題への投稿もこれをもって終わりにしたい。そのためにも最後に一言。文科大臣はこれまでのメンツにこだわることなく、直ちに発言を撤回し、東京書籍版公民教科書を認めていただきたい。これが正当な手続きであり、八重山はもとより県民の大多数が求めている民意だからである。また、文科省の撤回発言の前に県教委にお願いしたい。本県教育の最高責任を担う立場において、いま求められている地方分権化の時代にふさわしく、21世紀ビジョンに示された時代を切り開く意味において県教委には、ぜひ長期にわたる教科書問題の終末、結末に際し、主体性をもって英断を発していただきたい、ということを強く求めて、私の本稿結びのことばとしたい。(新栄町16の25)
☆
突っ込みどころ満載でとても1人の手に負えるシロモノではないので、とりあえず、いつも誤記を正して頂いている石垣市在住の匿名氏からのメール引用して突っ込みの助太刀を願った。
ご本人は、個人攻撃になるので公開を憚るとの但し書きがあるが、軽妙洒脱な指摘が的を射て興味深いので、筆者の責任であえて紹介する。
■以下引用
おはようごさいます。欠かさず拝読しています。
今朝のブログメインタイトル「国喧に嘩売る・・・」の誤記、
一大事の慌てぶりに、ンンッ、と読者を引きつける。
賢明な読者ですから、笑って読み進むことでしょう。(引用者注:すぐ訂正しますー汗)
昨夜、県教委員会との協議「物別れ」との貴ブログ速報の配信、
TVドラマ「水戸黄門」を見終えて拝見しました。
今回の「水戸黄門」劇場、ある藩の勘定奉行選任を巡って
二つの「算学塾」の「算学藩主御前勝負」の巻き。
そういえば思い出しました。八重山毎日「不連続線」筆者八重洋一郎先生、
大学は哲学科卒業のようですが、東京時代から今も数学塾の先生だそうです。
ご自身の子らは生後から東京で育てて、56歳になられて単身石垣島に戻り、
島の生活やよしとする田舎住まいの詩人(?)が評価されたのか、
「(アナーキスト)詩人賞」をいくつか受賞され、そして八重山郡域の教育問題を論ずる。
その論調に、なぜか、いつも違和感を覚えていました。
ところで、27日(日)の地元八重山毎日新聞の投稿者「黒島精耕」氏、
姓は「黒島」ですが、「小浜(こはま)島」出身、元竹富町教育長です。
投稿文タイトル「教科書問題の結末を迎えるに当って」と意味深なのです。
投稿文前段、八重山毎日コラム「不連続線」筆者「八重洋一郎」氏について、
「・・・本問題の本質に迫るするどい指摘である。八重山住民はもとより、
全県民を代弁しているような内容で、とても感銘を受け、早速本人へ敬意の電話をし、
感謝を申し上げた・・・云々」と勝手に激賞する自己陶酔ぶりは、
いつぞやの気色悪い「○山○堂」氏の私書開示投稿と似て
お互いを褒めまくる同じ調子を感じますね。
お互い褒めまくるのはそちらの勝手ですが、でも、
勝手に「八重山住民、全県民を代弁する」などと書くな!(怒)
「類を以って集まる。」、[類は友を呼ぶ。」の類(たぐい)であり、
「肝胆愛照らす」、(訂正)「肝胆相照らす。」友情には、
「教科書問題の結末を迎えるに当って」ご両人、実に涙ぐましい限りです。
しかし、「肝胆寒し」とも言います。
ご両名のご関係に「ぞっとする寒気」を感じますね。
おそらく、この方々は、若かりし頃の「大学紛争当時」のまま思考停止して、
今に生きる「八重山化石人」ではないでしょうか。
「ぷれずに」、「ぶれずに」とオウムのように連発する者らが、
「ぷれまくって」論理が破綻する様は、滑稽ものです。
自陣の攻撃するボールばかり見て、追っかけばかりだから、
自らの「ぶれ」や「論理破綻」に、まったく気づかぬばかりか、
「関係法」や「法に則った手続き事実」を見ていないばかりか、
見ようともしないのです。
自ら正義だ、と信じきっている思い上がりを感じます。
前にも、八重氏「カントが・・・」なんだらかんだらと知識をひけらかし、
自意識過剰な言葉遊び(失礼)が本業の「詩人(?)」が、
いつのまにか、時事評論家気分で八重山毎日新聞に物書きする「自由を獲得」し、
「読者の思考の自由を侵害」しています。
八重氏曰く、政治に関心をもった原点は、沖縄復帰当時、
「本土の沖縄化」という仲間
(中核、核マル、社青同、赤軍派、その他いろいろあったが所属仲間派は不明)
のスローガンに疑問を持ったことだそうです。(WEB検索より)
根っからの(化石思考の)今もサヨク活動家なのでしょうね。
若かりし頃のあの「高揚した気分」を思い起こし、またぞろ活動しだした。
さしづめ「ゾンビ活動家」と命名します。
さらに、「八重氏」11/3の「不連続線」中、数学の「帰謬法(きびゅうほう)」
なる知識をひけらかし、簡単な例をあげて、うんちくをたれています。
「数学には帰謬法(きびゅうほう)という証明方法がある。・・・略・・・」
ほう、そうですか。「帰謬法」聴きなれないので調べたら、昔の数学論理用語、
今の高校生らは「背理法」の用語で学ぶようです。
「八重氏」70歳になろうかの年齢が知れますね。(笑)
「黒島元先生」の投稿にあるように、近々「教科書問題の結末を迎える。」
つまり、結末の「事実」が明らかになる。(もう少し先になるのか・・・)
いずれにしても、一定の結末(結論)は近いのです。
八重氏が数学知識で披瀝する「帰謬法」、
(いわゆる氏が主張する)「仮定」(教科書選定経緯)が間違っていたことを
証明したいようですが、果たして、「結論、結果」は、八重氏の思惑どおりの
結果、結論となるでしょうか。八重氏の「仮定は誤り」(教科書選定経緯)を
証明する努力は報われるだろうか、それとも水泡に帰するか、であります。
ともかく、何も数学の論理学を持ち出して当てはめずとも(無理がある)
今般の「教科書問題」凡人が普通に考えても理解できそうなことですがね。
単なる知識のひけらかし、「算学」いや「数学」を持ち出すまでもない、
と言いたいのです。つまり、「数学論理学」思考で読者を煙に巻いて
自説を主張する独りよがりの手法は、
「どうだ、分かるかね。」と言わんばかりで鼻につく、
読者に分かりやすい言葉を使わないのは、まやかしのアンフェアー。
そして、八重氏は10月6日不連続線「例えばの話しだが、・・・略」の文中、
わが石垣市教育長を「彼」呼ばわりしたうえ「うそつき」と貶めた。
限度を超えた「言論の自由」は必ず破綻する。
つまり、一連の八重氏記名になる「不連続線」により、
八重氏が論ずる「帰謬法」で自身が「うそつき」であることを
自ら証明することになるでしょう。
そのときは原稿料を新聞社に返還してくださいね。
そして毎日新聞は、その分購読料から差引いてくださいね!
それから、そのような事態になったとき、八重氏の「数学知識」を信じた
「八重山住民はもとより、全県民」を裏切ったことになりますから、
それなりに「結果、結論」から「帰謬法の仮定」は間違いではなくて、
「正しかった」ことをきちんと説明し、謝ってください。
「数学論理学」は確かでないこともある、「数学論理学」は間違いだ、
「仮定の立て方を間違えた。」などと、決して「数学」に責任を転嫁し、
「言い訳」しないでください。「数学塾」の先生ですから。
おわりに、「物言わぬは腹ふくるる業」といいます。
お忙しいところ、長い「独り言」で失礼しました。
ご面倒なお付き合い、お詫びいたします。すみません。
「狼魔人日記」ブログ発信ある限り、
不条理な者らに決して負けることはない、と確信します。
ご自愛のほど祈り、お礼といたします。
以上、一読者のお礼と勝手な「読者の独り言」まで
(個人攻撃になりますので非公開に願います。)
-- 石垣島、匿名
■引用終了
蛇足を一つ。
>マスコミをはじめ、県内の多くの世論が、教科書問題は9月8日の協議決議を持って決着したものとみていた。本問題は流れとしては、ホップ・ステップの段階を経て、さらにジャンプをもって一応決着したものだとしてとらえ、あとはその着地点を待つのみであった。
黒島氏はジャンプをもって一応決着したものと言っているが、ジャンプの踏み切り場所は固いグラウンドであることが正確なジャンプの条件である。
だが、黒島氏の指摘するジャンプの踏み切り場所は一見固いグラウンドのように見えるがその下は穴だらけ隙間だらけの液状化現象を起こしており、到底ジャンプの踏み切りに耐えうる代物ではなかった。 当然着地がうまくいくはずはない。
間違った着地の寸前に文科省の待ったがかかり、着地点(育鵬社版の採択)を指導したことは遅まきながら適正な処置である。
黒島氏がジャンプの踏み切り点と信じる「9・8全教委協」の「協議」が法的瑕疵に満ち溢れていることは何度も指摘されており、その違法性は八重山日報の連載特集「逆転採択の現場」(1~6)シリーズで、既に白日の下に晒されている。
黒島氏には、いまからでも遅くないから「不都合な真実」に目を閉ざすことなく、是非八重山日報の特集を読んでから、再度ご高説を聞きたいものである。
少なくとも、次のリンクを読んでから・・・。
ペテン会議の内幕!八重山日報特集
狩俣悪代官の悪行!八重山日報の暴露シリーズ
続・マスコミを恐れて不当介入!狩俣課長が証言
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