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(昨日の続編です)
■R紙の詭弁を覆す証拠の数々
さて、上原氏の原稿が掲載拒否された2007年の沖縄マスコミ界の状況を再度振り返ってみる。その年の3月、文科省が高校歴史教科書の「沖縄戦の集団自決は軍の命令」という従来の記述を削除せよと検定意見が出た。R紙を筆頭に沖縄メディアは一斉にこれに反発し「検定意見の撤回を求める」大キャンペーンを張った。
そしてその年の9月には「11万人集会」にマスコミ指導でなだれ込んでいったことは記憶に新しい。原告側は、R紙が「社の方針に反する」という理由で掲載拒否した事実を立証すべく、当時R紙に掲載された社説、コラム、識者の論等数多くの証拠物件を既に提出済みではある。その中から数例抜粋しただけでも次のようになる。
1、 軍命は無かったと言っている 金城武徳氏の証言は載せない
2、 金城重明氏が、軍命は聞いていない、手榴弾は自分も友人らも貰っていない事を裁判で証言したことを隠蔽
3、 大阪地裁勝訴の報告集会で、安仁屋政昭氏がこの勝利に、R紙、O紙の多大な貢献があったと発言、満場も喝采をうける
4、 大阪高裁承認尋問の模擬裁判の会場の取材に行った世界日報敷田記者は、「貴方の社の方針とこちらは違いますから」と主催者から退場させられたが、R紙は取材許可された
5、 沖縄県の41市町村議会で教科書検定の取消と「軍命」の掲載を求める決議がR紙・O紙の命令・強制・関与・誘導によって行われた
6、 2007年の高校の歴史教科書問題から2011年の八重山地区教科書採択問題までのR紙の報道は、集団自決は軍の強制と強い関与によって引き起こされたという論調と証言のみを掲載。軍命は、無かったという証言や識者の論調は一度も掲載していない。上原正稔氏が集団自決に軍命は無かったことを書いた原稿を掲載しなかったのは、R紙の明らかな方針であり、同じ文章をもちいたからという反論は、後から取り繕った真っ赤な嘘である。
詳細は省略するが原告側は合計354点に及ぶ膨大な数の証拠物件を提出してあるが、これら354点の記事及び社説で、集団自決に軍の強制や強い関与があったと記述しているのに対し、集団自決には軍命が無かったとする記事や社説は皆無である。これを見ても、掲載拒否は、同じ文章を引用したたからという論拠は破綻しており、軍命があったとするもの以外は掲載しないというR紙の方針であることは明白である。
■決定的証拠
だが、これら膨大な証拠物件が無駄になるほど致命的かつ決定的な証拠物件が、13日の第6回口頭弁論の法廷に提出された。被告側は掲載拒否の理由として「同じ引用」を主張しているが、掲載拒否を4ヶ月間続け、水面下では上原氏とR紙が再開に関し、すったもんだのバトルの末10月になって連載を再開したのだが、実はその再開された連載記事の中には以前と同じ引用文が含まれていたのである。
再開後に掲載された記事そのものがR紙の反論を破綻に追い込んでいるのはいかにも皮肉である。つまりR紙は同じ引用は掲載拒否すると主張しながら、再開された原稿に同じ内容の引用があってもこれは平気で掲載しているのである。実は上原氏は6月に掲載拒否される以前にも同じ引用をR紙に掲載しており、同じ引用を使用することにより問題の焦点を絞っていくのが自分の著述スタイルであると明記しているのだ。従って掲載拒否される以前の第12話まではR紙の編集委員からは一切文句は出ていない。
これは何を物語るのか。R紙の報道姿勢は、上原氏原稿が「慶良間の集団自決」の真相に触れない限り、掲載に問題はないということであり、R紙が「慶良間の集団自決」の真相を覆い隠そうとしていることが証明されるのだ。つまり原告R紙がどうしても掲載拒否したかったのは「慶良間で何があったか」の部分の「軍命はなかった」と明記した原稿だったのである。
R紙にとって引用の重複などは問題ではなく、「慶良間に何があったのか」という原稿そのものを封殺したかったのである。そして13日の口頭弁論でわかったことは、被告側は上原氏と執筆依頼の合意が成立したとき、「毎回新しい資料に基づいて原稿を書く」と合意しており、以前に使用した資料を再度引用するのは契約違反と言い出していることである。
勿論上原氏はそんな契約など取り交わした事実はないない。そもそもノンフィクションの分野で沖縄戦を掘り下げている上原氏の著述の手法は米公文書館より入手の資料や、実際に足で取材した証言などを繰り返し引用し、その積み重ねの中から歴史の真実を解き明かそうとするものであり、創作作家のように自分の想像力で書き上げるものとは似て非なることは言うまでもない。
従って新しい検証の光を当てるため過去に引用した資料を再度引用し再検証することが、上原氏の著述スタイルであるため、R紙が主張するように過去に引用した資料を引用せずに沖縄戦を記述することに合意するはずはないのである。
R紙のでたらめな主張は、例えて言えば過去の判例は一切引用せずに法廷で論戦をせよ、と弁護士に強要するようなものである。弁護士が自分の論拠を立証するたびに自分で新しい判例を作って引用などしたら弁護士として失格なのは論を待たないのと同じことである。上原氏はR紙の連載に当たって過去の資料を引用すると同時に当然のことながら新発掘の資料も駆使して論述している。資料の使用に関して、上原氏は次のように述べている。
「ここで強調したいのは新資料だけでなく忘れられた資料や既に刊行された文献を使わなければ物事の真相や人間の真実にはたどり着けない、ということだ・・・全13話から成る「パンドラの箱を開ける時」のほかの物語でも新資料を基にした大なり小なり過去に発表したものからも引用して「人間の真実」に迫るというぼくの著述スタイルを貫いているが、第12話まではR紙の編集委員からは一切文句は出ていない。
これは何を物語るのか。すなわち「慶良間の集団自決」の真相に触れない限り、OKだということであり、R紙が「慶良間の集団自決」の真相を覆い隠そうとしていることが証明されるのだ。事実、第13話「そして人生は続く」の最終稿(181回目)で、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命じておらず、それは援護法の適用外の住民が援護金を貰うために嘘の報告を出し、そのために赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしたのだ、という旨の原稿を出したら、R紙はその最終稿をボツにするという前代未聞の暴挙に出たことで裏付けられる。」
■星雅彦氏が原告側証人に
本裁判には県文化協会会長で『うらそえ文藝』の編集長でもある星雅彦氏が原告側証人として証言台に立つ予定である。
星氏は沖縄の知識人としては誰よりも早い時期に県の依頼を受け、慶良間の集団自決の現地取材行った人物であるが、星氏自身もR紙に「慶良間島の集団自決」につい原稿依頼された時に「軍の命令はなかった」という趣旨の原稿を送ったところ上原氏と同様に掲載拒否された経験があるという。県史の編纂にも参画した経験のある沖縄の代表的知識人星雅彦氏が証言台に立つことにより「パンドラの箱掲載拒否訴訟」もいよいよ大詰めに近づく。
「付記」裁判の原告である上原正稔氏自身が、R紙に掲載拒否された「慶良間で何が起きた」と題する幻の原稿を中心に今回R紙を提訴した心情を新たに纏めて近々本紙に寄稿の予定である。読者の皆様ご期待下さい。
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