狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

【速報】蓮舫が辞意 午後に記者会見

2017-07-27 14:27:19 | マスコミ批判

 

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2017.7.27 13:32

更新


民進党の蓮舫代表が辞意 午後に記者会見

民進党の蓮舫代表民進党の蓮舫代表
 

 民進党の蓮舫代表が周囲に辞意を漏らしていることが27日、分かった。党関係者が明らかにした。蓮舫氏は同日午後に記者会見し、進退について表明するとみられる。

 これに先立ち、民進党は臨時の執行役員会を国会内で開催。今月2日投開票の東京都議選で惨敗した責任を取って辞任する意向を表明していた野田佳彦幹事長の後任など執行部人事をめぐって協議したもようだ。

 都議選で民進党は告示前の7議席を割り込み、旧民主党時代も含めて過去最低の5議席と惨敗した。今月18日までに計6回開催した都議選総括のための国会議員会議では蓮舫代表の責任を問う声が出ていた。

 蓮舫氏は昭和42年生まれ。青山学院大学在学中に芸能界デビュー。タレント、キャスターなどを経て平成16年の参院選東京選挙区に旧民主党公認で立候補し、初当選。現在3期目。民主党政権では「仕分け」を担当し一躍有名になり、行政刷新担当相も務めた。昨年9月の民進党代表選に出馬し、前原誠司元外相らを破って就任したが、台湾籍と日本国籍の「二重国籍」だったことが発覚し、説明を二転三転させた。

                     

蓮舫代表は、辞任の理由を都議選での惨敗云々、としているが実際の理由はこれだ。

>台湾籍と日本国籍の「二重国籍」だったことが発覚し、説明を二転三転させた。

 

与党第一党の代表で、首相になれる可能性のある蓮舫代表が、二重国籍で違法行為をしているなら、辞任しか選択肢はないでしょう。

【追記】

辞任記者会見を見たが、居並ぶ記者の中に誰一人「二重国籍」について質問する者はいなかった。

勿論蓮舫の口から二重国籍の話はひと言も無かった。

日本のメディアでは、政治家の二重国籍に言及するのはタブーなのか。

安倍首相は違法ではないが蓮舫代表は違法である --- 池田 信夫

 

7/26(水) 16:40配信

アゴラ

 

“camomille @camomillem

蓮舫代表の質問が、蓮舫氏自身への問いかけにしか聞こえない件

重国籍に関するこれまでの蓮舫発言https://twitter.com/camomillem/status/888647133502373888 … #kokkai #閉会中審査
2017年Jul25日 20:50”(https://twitter.com/camomillem/status/889815146985435136)

国会の閉会中審査が終わった。加計学園についての集中審議で何か出てくるのかと思ったが、野党は何も出せなかった。そもそも最初から、これは何が違法なのかわからない事件だった。首相の問題だから多少の疑惑が追及されるのはしょうがないが、森友学園の用地買収にからむ不正のような違法性の疑惑さえなかった。

文科省から出てきた怪文書を否定した菅官房長官の初期の対応はまずかったが、その中身は加計学園の獣医学部新設が「総理の意向」だという内閣府の話を文科省の官僚が書いたメモにすぎない。たとえ国家戦略特区で首相の意向が働いたとしても、金銭の授受がない限り違法性はない。

特区は内閣府の所管だから、文科省の縄張りを守りたい前川喜平氏は不愉快かもしれないが、特区とはそういうものだ。「総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う」という和泉補佐官の言葉さえ否定され、前川氏は証拠が出せなかった。それが彼の憶測だといわれてもしょうがない。

しかも安倍首相は、加計学園の件を知ったのは「今年1月20日」だと答弁している。その細部に誤りがあったが、話は一貫している。蓮舫代表がそれを「虚偽答弁だ」というなら、20日ではない証拠を出さないと話にならない。きょう(7月25日)の審議(http://www.sankei.com/politics/news/170725/plt1707250063-n1.html)で彼女はこう質問した。

“蓮舫氏「私たちは何を信頼すればいいのか。『記録を出してください』と言ったら『破棄された』。『証言してください』と言ったら記憶をなくす。そして『丁寧に説明する』と言った総理が『国会の答弁は正確でなかった』と、聞かれて初めて修正する。国会の審議は何なんでしょうか」

首相「国家戦略特区諮問会議にかかる際に、議長である私にそこで初めて説明があるわけなので、1月20日ということは重ねて申し上げておきたいと思う」

蓮舫氏「もはや全く信頼できない。総理。予定されている国会の日程は、きのうの衆院予算委員会5時間、きょうの参院予算委員会5時間。まさかこれで幕引きと思っていませんよね」”

同じことを彼女にもいいたい。私たちは何を信頼すればいいのか。「1985年に台湾籍から帰化」したという彼女の選挙公報は虚偽だが、それを指摘されたら最初は逃げ回り、逃げられなくなったら「あの時は正確でなかった」と説明した。おまけに出てきたのは失効した1984年の旅券で、それで台湾国籍が喪失できたとは考えられない。

最大の違いは、安倍首相の行為は違法ではないが蓮舫代表の行為は違法(公選法違反・国籍法違反)だということだ。公選法違反は今でも選管が選挙無効を宣告したら、議員歳費の返還を求めることができる。国籍法違反(1989年から2016年まで27年間)の証拠もそろっている。もはや全く信頼できない。まさか今月18日の記者会見で幕引きとは思っていないだろう。首相に退陣を求めるなら、まず自分が辞任してはどうだろうか。

 

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危険なのは「欠陥住宅」!オスプレイでは無い、コンクリ片落下

2017-07-27 11:07:40 | 辺野古訴訟

 

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当初、この記事の見出しと写真を見て、オスプレイからコンクリート片が落下し、民家を直撃したと錯覚した。
 

こんな大きなコンクリート片が落下するようでは、オスプレイが危険な軍用機である言わざるを得ない。 正直そう思った。

ところが実際は、築何十年か知れないが、超老化した民家のコンクリーがオスプレイの振動で落下したという。

いや、むしろ老化したコンクリート片が自然に落下した可能性もある。

そのとき、たまたまオスプレイが飛行していたのかもしれない。

仮にオスプレイの振動でコンクリートが剥離し、落下したのなら、危険な欠陥住宅に住んでいる方が悪いのではないか。

地震どころか台風でも木っ端微塵に家は吹き飛ばされるはずだ。

むしろ欠陥住宅と知らせてくれたオスプレイに感謝すべきではないのか。

大爆笑の記事がこれ。

オスプレイ訓練で住宅破損か 宜野座村城原、コンクリ片落下

オスプレイの飛行訓練の直後に自宅軒先のコンクリート片が落下したことを訴える大城信助さん=25日、県庁

 宜野座村城原区(崎浜秀正区長)は25日、沖縄防衛局を訪れて集落に近いヘリコプター着陸帯・通称ファルコンの撤去やつり下げ訓練の即時中止を求めた。崎浜区長は「度重なる米軍機の低空飛行と騒音、粉じんで健康被害が生じている地域住民もいて苦情が絶えない」と訴えた。区民からオスプレイの振動により住宅のコンクリートブロックが破損した、との報告もされた。

 対応した伊藤晋哉企画部長は「住民生活に大きな影響を与えていることにおわびする」とし、「先週も米海兵隊には強く申し入れたが、今回の抗議を受けて改めて申し入れたい」と答えた。

 伊藤企画部長は、住民らがオスプレイの振動により住宅軒先のコンクリート片が落下したと指摘したことに対し「因果関係を含めて確認が必要だと思うので、直接的にこれ(ブロック)の対応ではないが何らかの負担や被害が出ていることについては具体的に解決しなければならない」と話し、コンクリート落下に対する明確な回答は避けた。

 この日、崎浜区長らは県議会で新里米吉議長と、県庁で吉田勝広政策調整監とそれぞれ面会し、ファルコン撤去とつり下げ訓練の中止を要請した。新里議長は「県議会としての対応は9月議会まで待たないといけないが、まずは私から沖縄防衛局に電話し抗議の意を伝えたい」と応えた。

 県の吉田勝広政策調整監は「タイヤつり下げ訓練事故の落下場所や原因も明かされないままの訓練再開は許されない」と述べた。

 県は区の要請を受け、同日、沖縄防衛局と在沖米海兵隊に口頭要請を行い、ファルコンでのつり下げ訓練の中止のほか、住宅地に隣接した着陸帯の運用停止を検討するよう求めた。

 崎浜区長は同日に宜野座村役場も訪れ、當眞淳村長に対し(1)午前0時まで飛行訓練が実施されている(2)騒音、粉じんによる異常事態が起きている(3)区民で何度も抗議をしているが変化がない―ことを挙げ、解決策を見い出すよう村に求めた。

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沖タイ、「空港の発着遅延」が一面トップ!八重山日報は黙殺!

2017-07-27 07:36:24 | マスコミ批判
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神ならぬ身の人間が作った機器で故障の無いものは無い。

連日世界を飛び回っている膨大な数の旅客機、にせよ軍用機にせよ何らかの故障は避けては通れない。

ところが沖縄2紙は軍用機の中でもオスプレイに限定し「危険な欠陥機」と喧伝し、あたかもいつ墜落してもおかしくない欠陥機が沖縄の住宅密集地の上空を飛行しているかのような印象操作に余念が無い。

昨日、自衛隊機がトラブルを起こし那覇空港の発着便に遅れが生じた。

発着便の遅れなど、国内外の各空港では日常茶飯事のはずだ。

だが、沖縄2紙はその原因が自衛隊機であるときに限って、あたかも大事故が発生したかのように一面トップで大騒ぎする。

今朝の沖縄タイムスは一面、社会面で「発着便の遅れ」で大騒ぎ!

これが自衛隊機でよかったものの、仮にオスプレイのトラブルだったら、沖縄2紙は号外を発行して狂喜乱舞していただろうに。

■一面トップ

空自機トラブル空港閉鎖

那覇発着8便欠航

到着4時間遅れる

部品落下に

■社会面トップ

乗客足止めに怒り

暑い機内4時間超缶詰め

相次ぐ事故影響懸念

敢行業界「イメージダウン」

ちなみに本日の八重山日報本島版は「飛行機の発着遅延」などニュースではないと判断したのか、沖縄タイムスが一面、社会面トップを飾った那覇空港の「那覇発着8便欠航」については、当然のことながら一行も触れていない。

沖縄タイムスが異常で八重山日報が正常なのはいうまでもない。

沖縄タイムスはよっぽどニュースに困っているのか、第二社会面の最下部を」こんなベタ記事で埋めている。

抗議船破損訴え

地検が不起訴に

「証拠集まらず」

 

「逮捕後倒れ話せず」

山城議長ら公判 男性牧師が証言

 

機動隊派遣違法

愛知で住民提訴

高江の離着帯警備

 

 

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続・大田昌秀著 「二人の『少女』の物語」の大嘘 太田昌秀氏の大嘘を暴く

2017-07-27 00:45:55 | オカッパの少年

 

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■続・大田昌秀著 「二人の『少女』の物語」の大嘘

■琉球新報の衝撃的スクープ?

2007年、その年は沖縄にとってまさに狂乱の年だった。

その年の3月、文科省が高校の歴史教科書の検定意見が、沖縄・慶良間諸島で起きた集団自決に関し「軍の命令による」という従来の記述を削除するよう求めた。

地元2紙がこれに反発し、集団自決に関する特集を組み、検定意見撤回を求めるキャンペーンを展開した。そして9月29日の「11万人集会」(「高校歴史教科書検定意見撤回を要請する県民大会」)へと狂気のように雪崩れ込んで行った年であった。

2007年とは「残虐非道の日本軍」を糾弾するキャンペーンで沖縄中が大きく揺れた年であった。ちなみに同じ年の6月には、琉球新報は連載中の沖縄戦記「パンドラの箱が開く時」の第2章「慶良間で何が起きたのか」を、突然「社の方針と反する」という一方的理由で掲載拒否し、著者の上原正稔氏によって「言論封殺」で提訴された年である。 

その年の8月25日、各市民団体、労働団体の検定意見に対する抗議声明が連日の紙面を飾り、反日本軍キャンペーンが熱気を帯びている最中、沖縄戦の語り部の大城氏ははるばる伊丹市から沖縄を訪れ、驚愕すべき証言をした。

当時の琉球新報は大城氏の証言を次のように報道している。

「玉那覇春子 朝日新聞。(1985年8月1日)」の画像検索結果大城盛俊氏

<教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。・・・ 表紙の“少女”の正体が大城さん。・・・5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した

大城氏は1983年、喉頭がんで声帯を失ったが、人工声帯で沖縄戦の実相を全国各地で語り続け、講演は23年で1120回を数えると記事は結んでいる。

だが、「残虐非道の日本軍」の印象操作に必死の琉球新報が、その時、沖縄戦の語り部である大城氏に那覇市では一回の講演も依頼せずに伊丹市に戻しているのはいかにも不自然だった。



他にも疑問が続出した。

特に不可解なのは、戦時中に米兵の毒牙から身を守るため女の子が髪を切って男の子に変装する話は仄聞する。

だが、その逆のケースは聞いたことがなかった。

坊主頭の軍国少年がオカッパ頭に髪を伸ばしたら、学校で苛められるのは明らかである。 筆者は大城氏の証言をそのまま信じることは出来なかった。

もう一つの大きな疑問は、こうだ。

琉球新報が発行した『これが沖縄だ』は、大田昌秀氏の数多ある著作の中でもベストセラーといわれ、各書店はもちろん県平和資料記念館などの各戦跡・観光地でも販売され県民なら一度は目にしたことのある有名な本だ。
その表紙を飾る写真の少女が、発売以来30年たってから初めて、出版元の琉球新報によって「少女」が変装した大城氏の写真だった知らされたことが腑に落ちなかった。

大城氏が表紙の少女が大城氏自身であると、初めて知ったのは1984年(昭和54年)だという。

その時大城氏は著者の大田昌秀氏を訪問し、2人は感激のあまり肩を抱き合って泣いたという。

だが何故その時、2人はこの感動の戦争秘話を本の出版元である琉球新報に連絡しなかったのか。

日本兵の暴行により片目を失明し、片足が不自由になった「少女」が実は男の子の変装した姿だった・・・琉球新報にとって「残虐非道の日本兵」を喧伝する材料としてこれほどオイシイ話は無いはずだ。

大城氏と大田氏が肩を抱き合って感激の涙を流した1964年から、2007年の琉球新報のスクープ報道まで20年以上も時間の経過している。 

何故20年もの時の経過が必要だったのか。

特に大城氏は表紙の「少女」が自分であると大田氏に名乗り出て以来、沖縄戦の語り部として23年間の間、「少女」を売り物に講演活動を展開している。

沖縄のメディアがこんなオイシイ話を20年余も放置していたのはいかにも不自然だった。

琉球新報のスクープ記事の後、筆者は大城氏の出身地である沖縄南部の「具志頭(ぐしかみ)村立歴史民俗資料館」の「沖縄戦コーナー」を確認した。

「玉那覇春子 朝日新聞。(1985年8月1日)」の画像検索結果うつろな目の少女

だが、「うつろな目の少女」の写真は「村内収容所」「傷の手当てを待つ少女」とキャプションをつけ展示されてはいるが、大城氏が変装した姿だったという断り書きは無い。

さらに沖縄県平和祈念資料館でも確認したが問題の写真は展示さえされていなかった。

学芸員も表紙の少女が女装の少年だったということは知らなかった。

■日本兵の暴行と目の傷の矛盾■

疑問は次々湧いてきた。

大城氏は日本兵に顔面を殴打され右目を失明したという。その時の状況を、「頭や背中、膝から血が出て、目は腫れ上がっていた。おじさんは傷口を小便で洗い、木の葉とタバコと豚の脂とを練ってあててくれた。しかし目の傷がなかなか治らず、ウジ虫がわいた。右肩が脱臼して手が垂れ下がるので、首から紐で吊った。それから1週間ほどしてアメリカ軍に保護された。」と説明している。

あらためて「少女」の写真と大城少年が日本兵に暴行を受ける記述を比較検証してみた。 

写真の少女は着衣が黒く汚れているが、顔は無傷で腫れなども無い。細紐で首から右手を吊るしているが、顔や手足の露出部分に腫れや傷の痕跡はない。

撮影当時の少女の目線は両眼ともカメラに焦点が合っており、とても目が不自由には見えない。

大城氏の説明では、目が傷で腫れ上がり、手当てをしてもらっても「目の傷はなかなか治らず」、そこにウジが湧くほどの重症である。

その一週間後に米軍に治療してもらったというが、63年前の米軍の野戦病院でのことだ。

ウジが湧くほどの重い傷が1週間後には写真のようにカメラ目線の無傷の目に治療できるとは到底考えられない。

「少女」が63年前の大城氏であるかどうかはさて措いても、後年大城氏が右目を失明した原因が、そのときの日本兵に殴打されたためという主張には大きな疑念が生じてくる。

■暴かれた大城氏の嘘

そして2011年の9月、筆者は「少女」に関する衝撃的事実を知ることになる。

戦争に翻弄される子どもたちを描いた記録映画「戦場ぬ童(いくさばぬわらび)」の中で玉那覇(たまなは)春子さんという女性が「うつろな目の少女」は本人だと名乗り出ていることを知ったのだ。

「玉那覇春子」の画像検索結果玉那覇春子さんが名乗り出たことを報じる朝日新聞(1965年8月13日)

沖縄県西原町の玉那覇春子さんが、映画に出演するようになったきっかけは、1枚の写真だったという。

米軍従軍写真班が撮影した右腕を負傷したオカッパ頭の少女だ。

玉那覇さんは、この写真を夫が買って来た写真集で見て「自分ではないか」と直感した。

写真の少女の右腕と、右わき腹のけがは、戦場での自分の傷と一致している。現在の玉那覇さんは、右腕のひじの先がない。

右腕とわき腹に負傷し、鉄の破片が入っていた。その時、親類の若いおばさんが、自分の着ていたかすりの着物を引き裂き右腕を吊ってくれた。

逃避行の果てに、気がついた時は、米軍の野戦病院のベッドに横たわっていた。

右腕は切断されていた。だが現在も目は不自由ではない。

写真の少女については、「首にかけた布が、私のものと同じで、身につけている花柄の生地は、当時は沖縄では珍しかった。新しがり屋の母は洋装好みだったし、砲弾を浴びる少し前にどうせ死ぬのだから、きれいなかっこうをしようと、一番いい服に着替えさせてくれた。

戦争で母の写真もみんな焼けてしまったが、ハワイに移民した親類が数年前に送ってくれた母の写真を見ると、同じような柄の洋服を着ています」と玉那覇さんは語る。




映画の中では右手がない様子がわかります。
新聞の記事には「右手は義手」と書かれています。

大城さんが正しいのか、


「うつろな目の少女」を自分だと名乗り出た玉那覇春子さんを報道する朝日新聞。(1985年8月1日)


このフィルムの中で玉那覇春子さんが「うつろな目の少女は自分」と名乗り出ている。

 

■一フィート運動の成果、記録映画「戦場ぬ童」

「戦場ぬ童」は1985年、沖縄戦44周年記念記録映画として製作され、1985年第32回教育映画祭(日本視聴覚教育協会主催)で、優秀作品賞を受賞している。

このことは地元2紙にも大きく報道され、平和教育の絶好の教材として全県各地で、繰り返し上映された。

現在でも各図書館にはDVD化されたものが所蔵され誰でも見ることが出来る。

やはり大城盛俊氏は嘘をついていた。

その前年の1984年に大城氏が「少女」は自分であると大田昌秀氏に名乗り出て、その年から「うつろな目の少女」を売り物にし、全国で講演を活発に展開した。

そんな時期に玉那覇さんが名乗り出た。大城氏自身、「少女」を演題にしたら、講演の申し込みが殺到したと告白している。

当然「うつろな目の少女」は沖縄戦の語り部を自認する大城氏の講演の絶好の売り物になる。

以後大城氏の講演会のチラシには必ず「少女」の写真と現在の自分の写真が並んで掲載されるようになる。

 

(★チラシ写真)

大城氏は、沖縄戦のプロの「講演屋」として、「少女」を捏造した講演の売り物にしていた。

23年間に1120回という膨大な回数の講演会をこなした理由もこれで理解できる。

ところが、大田昌秀氏は大城氏が自著に掲載の「少女」に成りすまし嘘の講演を続けるのを黙認した。

その当時の大田氏は琉球大学教授であり一フィート運動の役員をしていた。 

一フィート運動のフィルムを基に製作され、優秀賞を受賞した記録映画「戦場ぬ童」を、沖縄戦の泰斗を自負する大田氏が見ていないはずはない。

大田氏はその前年の1984年5月、大城氏と対面し、その「数奇な運命」の告白を聞いている。

一方の大城氏はその年の9月、厚生省から「援護法」の申請を却下され、それを契機に講演活動を始めている。大城氏が日本兵に食料を強奪され、壕を放り出され、その際受けた暴行で右目は失明、後遺症で歩行障害まできたし、実母は日本兵にスパイ容疑で虐殺されている。

大田氏は「残虐非道な日本軍」を主張するために、大城氏ほど絶好な例はないと考えた。 事実をイデオロギーで覆い隠すのが得意の大田氏としては、「少女」を講演の売り物にした大城氏が「残虐非道の日本軍」を喧伝し全国で講演会を続けることは自分のイデオロギーの喧伝に利すると考えたのだ。

 大田氏と同様、大城氏の嘘を黙認していたのが沖縄2紙だ。琉球新報と沖縄タイムスが、自社紙面で優秀賞受賞を大きく報じた「戦場ぬ童」の内容を知らないはずは無い。

大田氏と沖縄2紙は共謀して大城氏がその嘘を題材に講演活動することを黙認してきた。

そして琉球新報が2007年の「検定意見撤回運動」のどさくさに紛れ、大城氏の嘘を大きく報道し、嘘が一人歩きを始める事になる。

その年2007年は連日「残虐非道の日本軍」の悪行を糾弾する証人が登場し、嘘の証言を垂れ流した。

当時県議の仲里利信氏などは、食糧事情の悪化した戦時中の沖縄では考えられないことだが、「日本兵に毒おにぎりを食わされそうになった」というデタラメな証言をした。

ちなみに仲里氏は2014年の衆院選で「オール沖縄」の波に便乗・当選し、現在国会議員である。

「仲里利信」の画像検索結果

不思議なことに「毒おにぎり」と「うつろな目の少女」の二つの記事は、現在琉球新報のウェブサイトから削除されている。

そして2008年の「沖縄慰霊の日」。

大城盛俊氏の嘘はついには朝日新聞の一面トップを飾ることになる。

朝日による嘘のロンダリングだ。

ここで連想するのは「従軍慰安婦」問題で詐話師といわれた吉田清治氏のことだ。

吉田氏がついた嘘の体験談を朝日新聞が後押し、一人歩きさせ一時は教科書にまで掲載された。

大田昌秀氏と大城盛氏の関係は吉田氏と朝日新聞のそれに酷似している。

大城氏がついた嘘を大田氏が検証もせずに是認し、それが琉球新報、朝日新聞と嘘のロンダリングを続けた。

最後は「少女」の生みの親である大田氏が自らの書籍で嘘のロンダリングを完成させることになる。

つづく

 

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