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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

再論・集団自決!石原教授の致命的証言!援護法申請で

2018-05-22 13:30:56 | ★集団自決

 

 

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 沖縄のイカレた団体に推薦された石原昌家沖国大名誉教授がノーベル平和賞にノミネートされという。

沖縄戦を歪めた似非学者がノーベル平和賞にノミネートとは。

ブラックジョークにしても度が過ぎる!

石原氏といえば昨年発刊された県史「沖縄戦」の執筆を担当したことで知られるが、県史「沖縄戦史を歪めたことでも有名である。

以下はブログ「石原教授の致命的証言!援護法申請で2012-01-29 」を一部編集した引用です。

昨日述べた「援護法」に絡んで「沖縄靖国訴訟」で石原昌家沖国大名誉教授氏は、原告住民側の証人として証言台に立った。

石原氏の「致命的証言」について、報告する。

先ず援護法の概略を知る参考に、古い沖縄タイムスの記事を引用する。

<沖縄タイムス 2005年3月4日 朝刊30面>

戦闘参加者とは誰か](6)
申請
「救えるものは救おう」
役場職員も事務研究

 一九五七年、厚生省は、沖縄戦で亡くなった一般住民のどのような行動が「戦闘協力者」として、該当するかを調査した。その後、実際の受け付け業務は、琉球政府から委託され、各市町村役所が担当した。

 申請の過程でも、援護法が「軍への協力」を前提としていたため、そのことが、強調されていくこととなった。

 長嶺秋子さん(70)=糸満市=は五三年、兼城村役場(当時)の初代の援護係に着任し、その後八年間担当した。

 援護法の申請手続きは、兵隊や現地召集の防衛隊など軍人軍属が先だった。

 「軍人の場合は、政府から一次名簿というのが届いていた。しかし、戸籍がなく、仮戸籍で受け付けた。防衛隊の場合は名簿もないので、各字を回って、誰が隊員なのかを申告してもらった」

 地域の公民館に机を置き、住民が申請に来るのを待った。「援護金の支給があると言っても、なかなか信用してもらえなかった。『戦争のことは思い出したくない。辛いことを思い出すからやりたくない』。そんな声が聞こえてきた」と振り返る。

 その後に、一般住民が対象となる「戦闘参加者」の申請が続いた。

 申請には、戦没者氏名、生年月日、死亡月日、死亡場所に加え、どのようにして亡くなったかを記した「戦闘参加概況書」を添付する必要があった。

 職員は、概況書を基に、「戦闘参加者」の基準となる二十項目、「義勇隊」「直接戦闘」「弾薬運搬」「戦闘協力者」などの、どれに当たるのかを判断した。

 申請は、琉球政府を通して、厚生省援護局未帰還調査部に送付。厚生省は、添付資料を基に、「戦闘参加者」に「該当」するのか、否かの審査をした。その結果を「戦闘参加該当予定者名簿」として、市町村に送り返され、該当遺族に通知が送られた。

 厚生省へ送付される「戦闘参加概況書」では、住民が協力した、軍隊の部隊名も特定する必要があった。住民の立場からすると、混乱した戦場での正確な記憶が求められるのは、土台無理な話だった。しかし、書類はそれを要求していた。

 結局、申請を受け付けた役場職員が、日本軍の作戦状況を把握して、日時場所から、部隊名を記入することもあった。

 市町村の援護課職員は事務研究の連絡会をつくり「戦闘概況」について、どう記せばいいのかを検討し、連携したという。長嶺さんは「琉球政府の方針も、沖縄は復帰できるかも分からない、援助できるものは援助しようということでした」と振り返る。

 同村役場三代目の援護課担当だった大城美根子さん(62)は六五年に着任。当時の業務は、「戦闘参加該当予定者名簿」の中から、「『非該当』の人を『該当』となるように救うことだった」と振り返る。「沖縄戦で亡くなった人たちが、救えないのはおかしい。亡くなった人たちは、皆『戦闘協力者』だと思っています」と語る。(社会部・謝花直美)

                          ☆

裁判所に提出した上原さんの陳述書見れば自明だが、琉球新報の「言論封殺」は慶良間島の集団自決の真相にターゲット絞っており、集団自決は「援護法」に大きく絡んでいる。

簡単に言えば本来軍属にのみ適用されるはずの「援護法」を政府主導で強引に沖縄住民に適用するように政令を発して特例を設け、住民の中の「戦闘参加者」を適用対象としたのである。

「援護法」の申請の流れはこうだ。

住民(遺族)⇒各市町村の援護課⇒琉球政府⇒厚生省援護局

そして各担当部門で出来るだけ「『非該当者』を『該当者』となるように救う」という思惑が働いた。 

昨日紹介したように厚生省側でも祝嶺さんのような沖縄出身者を担当職員に配置転換し出来るだけ「援護法』の適用させるように指導した。

当初は市町村の窓口でも申請書の記入などに不慣れな職員が多く、多くの申請書が厚生省側から突き返されたという。 

だがそれには厚生省側の「受理されるノウハウ」の指導が付いており、結局要領を掴めば簡単に「戦闘参加者」として受理れ援護金支給の対象となった。

政府(厚生省)、琉球政府、各市町村の三者が「出来るだけ受理する」という思惑で動けば、その申請手続きの過程で、どうしても該当しない申請者に虚偽の申請をするものが出てきても、見て見ぬふりをする。 それどころ積極的に「偽造申請書」に加担する者も多かった。 組織ぐるみで加担した場合も多かったと聞く。

援護法」の研究者を自認する石原昌家沖国大名誉教授は、申請書を書けない住民に代わって申請書を書く手伝いをしたと語っている。 

この石原氏、援護法の研究だけやっておればそれなりの評価をされたのだろう。

だが、沖縄で名声を得るには反日左翼複合体に迎合する必要を感じた。

イデオロギー丸出しの論調で新聞紙上を賑わし「集団自決」訴訟では被告の大江・岩波側の弁護に回った。

そして「軍命派」の論陣を張った。

その一方で「沖縄靖国訴訟」では原告(遺族)側の証人となって法廷で証言をした。

その際、イデオロギーと研究の狭間でついうっかり自分の現在の立ち位置を見失ってしまい致命的発言をしてしまった。

石原氏は、沖縄戦で犠牲になった住民を靖国に合祀するため政府主導で「軍命による自決」などの「戦闘参加者」を作って援護金を与え口封じした、という趣旨の意見書を提出し、証言台では次のような趣旨の証言を行った。

被告側弁護士:石原先生の説明ですと、沖縄の遺族の中で援護金を貰っている人の中には本来、もらう資格が無い方々が多く含まれているということですか?」 

石原証人:   「いえいえそうではありません。ほとんどです」

被告側弁護士と石原証人との尋問で、石原証人は次のことを証言したことになる。

■石原証言のポイント

1)戦闘参加者という受理条件を与えるために、日本政府がその基準に合うように暗に指導していた。

2)日本軍が住民に命令や要請を受けた時点で国と住民に雇用関係が発生すると考えで、積極的な戦闘協力をした、と指導した。

3)壕の提供は、軍事行動であり、現認承認があれば軍属と認める。

4)厚生省から突き返された書類は、結果的に書き換えて受理となった。

5)援護法の実態を解明することは、沖縄戦の事実を引き出すことになる。

               ☆

この証人尋問が、極悪複合体(反日左翼複合体)にとって何ゆえ致命的なのか。

石原氏は別の裁判である「集団自決訴訟」では大江・岩波側を支援し「軍命あり派」の論陣を張った。

その一方、「沖縄靖国訴訟」では、「軍命は『戦闘参加者』を作るための虚偽記入」であり、国がそれを指導したと主張した。 

ということは法廷で軍命は虚偽だったと証言したことになる。

石原氏の証言に関しては反日左翼複合体の側からも批判の矢が飛んでいると聞く。

だが、結局、石原氏法廷での宣誓の通り、真実を語ったことになる。

真実を語ったため「集団自決」は軍命であるという持論を結果的に石原氏自ら否定してしまったのだ。

もっともこの石原氏の致命的証言は、琉球新報、沖縄タイムスが報道するはずもなく、法廷記録として残っているだけである

結局、石原氏の証言を要約すると、援護法と靖国合祀は、住民を死に追いやった戦争責任を回避するための口封じという「恨み辛みの歴史観」になる。

【おまけ】

<沖縄タイムス 2005年3月6日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](8)
東京の目
援護法での救済に腐心
「生かされた」責任感じ

 沖縄戦で看護隊として亡くなった女子学徒は、援護法で「準軍属」にあたる。一九五五年、女子師範学徒八十八人に、死亡公報が発せられた。それに基づき、援護法申請の手続きが取られていった。

 申請書類をめくると、女子師範、一高女、寮で一緒だった同級生や下級生の名前が記されていた。審査にあたった厚生省職員の祝嶺和子さん(77)=静岡県=は「寮で枕を並べた友達が、死んでいるんだから。絶対救わなくちゃいけない。そんな気持ちがありました」。当時の悲しみが再び込み上げて、言葉を詰まらせた。

 「でも、それだけやったから、私はね、自分が生きてもね、みんなには『お前は来なかったな』と言われないで済むと思っていました」

 夫、正献さんの生前の口癖は「特攻隊で自分の友達も皆、死んだ。自分らは生き残ったから、国のために何かやれということなんだ」。名護にいた幼少時から空手を学んでいた正献さんは、六三年に空手を基にした武術「躰道」を本土で広めることに努めた。

 「自分は生き残った」という思いを持ち続けた祝嶺さんは、沖縄戦で犠牲になった人々を援護法の対象として救うことに、心を傾けていった。

 一般の住民は逃げ回っていたのではないか。軍人が住民にも一緒に戦えと命令したのか。軍人が「自分たちが使うから、おまえたちは出て行け」と言って、住民を壕から追い出した―。

 「戦闘参加者」として、一般住民の申請書類が上がってきた時に、厚生省で批判的にみる人もいた。

 祝嶺さんは振り返る。「逃げ回っていた人もいたと思う。でも、そういうと沖縄の人が救われない。『戦闘参加者』として参加したんだと、はっきり言った」

 沖縄戦では、住民と軍隊が混在した。三カ月にも及ぶ戦闘の中で、一人の人間の死に至る過酷な体験は問題にされることはない。援護法の適用で、注目されるのは「軍への協力」、その一点だ。

 書類の審査で難しいケースについては、最終的には沖縄戦体験者の祝嶺さんのところに、回ってくるようになった。

 「軍への協力」が必要と、入り口を絞られた書類の上の沖縄戦。戦場で同じような行動をしていても、書き方一つで住民は「戦闘参加者」か、そうでないかに分けられる。

 「事実を書いてあるのだが、書類では通すことが難しい事例がある。だから、ほかはこのようにして通っているのだから、これと同じような書き方でと、そうちらっと教えた覚えはあります」

 「今からいうとおかしいかもしれないが、自分は生かされた。死んだ人はどうしても救わないといけないという、責任みたいなもんがあった。私はただ、沖縄の人を救えばいいという気持ちだった」(社会部・謝花直美)(毎週木―日曜日に掲載)

 

 

 

 

 

 

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コメント (1)

再論・集団自決、法廷で証言!石原昌家氏、「自決軍命は虚偽」石原昌家氏、

2018-05-22 10:49:55 | ★集団自決

 

 

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前の記事でノーベル平和賞に、暴力男の山城博治被告や暴力おばぁの島袋文子氏がノーベル平和賞にノミネートされるとは、県民をバカにしていると書いた。

 

翁長知事、山城議長らノーベル賞にノミネート 県内から8氏2団体 琉球新報 2018年5月21日 18:24

 

 
 8氏は翁長知事と山城氏のほか、元知事公室長の高山朝光氏、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家氏、元読谷村長の山内徳信氏、沖縄戦の遺骨収集を続ける具志堅隆松氏、辺野古新基地建設に反対する島袋文子氏、元白梅学徒の中山きく氏。
【琉球新報電子版】

 

だが、ノミネートされた8人に中に沖縄国際大学名誉教授の石原昌家氏が含まれているのを見て、平和に貢献した大学教授の印象を持つ人がいる可能性がある。

だが、石原氏こそ沖縄戦を歪曲し、「集団自決は日本軍の命令」というデタラメ流布させた張本人である。

過去記事を引用して石原教授にデタラメを暴いてみよう。

以下は過去記事「法廷で証言!「自決軍命は虚偽」石原昌家氏、2013-07-16 」の引用です。

 

 

■世界日報 7月15日掲載

【連載】貶められた旧日本兵 「援護法」に隠された沖縄戦の真実(7)
靖国合祀取消で原告証人/
「自決軍命は虚偽」と証言


   集団自決は、沖縄だけではなく樺太や満州でも起きていた。それでは、なぜ沖縄の集団自決だけが大きく問題にされるのだろうか。 理由の一つが「援護法」の沖縄県民への拡大適用。もう一つが沖縄タイムス社編「鉄の暴風」(朝日新聞)、大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波出版)などの沖縄戦関連書籍による元隊長に対するいわれなき誹謗(ひぼう)である。
   集団自決で特に問題にはならなかった沖縄本島中部の金武村(きんそん)(現在の金武町)では、援護金申請の依頼を受けた村の指導者が、すべての申請書に「軍の命令による」と記入し、命令を発した軍人の名を「田中軍曹」という架空の名前を使用した。

   架空の軍人を申請書に書いて援護金の受給を受けた成功談は、戦後金武町教育委員会町史編纂(へんさん)室に務めた奥間俊夫氏が高橋秀美著「からくり民主主義」(新潮社)の中でこう証言している。

   <もらえるものはもらいなさい、という役所の指導があって病気や空襲で死んだ人たちの遺族も便乗して申請したんです。申請書類には誰の命令で行動したか、を記入する欄があるんですが、なぜかほとんどが“田中軍曹”でして、調べてみるとそんな人は実在しないんです。>

   「援護金」を受給するために“田中軍曹”という架空の日本兵をでっち上げ、村民が「口裏合わせ」をしたことで金武村の場合は丸く収まった。

   しかし、この場合、「戦闘参加者概況表」で示された集団自決の地域(座間味村、渡嘉敷村、伊江村)には該当しない。援護法が拡大適用され、それが黙認されたことが分かる。

   一方、渡嘉敷、座間味両村の場合は、実在の梅澤裕氏と赤松嘉次氏を「軍命を下した日本兵」と明記したため、その後に大きな問題を残した。歪曲(わいきょく)・捏造(ねつぞう)された証言も一旦、公的刊行物に掲載されると公式見解としての「沖縄戦史」として独り歩きすることになってしまう。

   石原昌家沖国大名誉教授は、「沖縄靖国合祀(ごうし)取消訴訟」では原告(遺族)側の証人となって法廷に意見書を提出した上、証人にもなっている。石原氏は、沖縄戦で犠牲になった住民を靖国に合祀するため政府主導で「軍命による自決」などと「戦闘参加者」をつくって援護金を与え口封じした、という趣旨の意見書を提出した。

   ところが被告側弁護士の尋問で「歴史の改竄(かいざん)」について次のような証言をした。


 <被告弁護士 「事実と異なる内容の申請書を最初から出して、何の問題もなく適用された人も当然いますよね」

 石原証人 「そうです。圧倒的ですよ」>

 
   「戦闘参加者」という援護法の受理条件を与えるため、「虚偽記入」を指導して援護法を適用させた事実を認めた。

   石原氏は、「大江・岩波集団自決訴訟」では被告側を支援し「軍命あり派」の論陣を張った一方で、「沖縄靖国合祀取消訴訟」では、「軍命は『戦闘参加者』を作るための虚偽記入」であると主張したのだ。

      (「沖縄戦の真実」取材班

                ☆

沖縄メディアに登場する日本兵は、鬼の形相で幼児を抱く母親を銃剣で威嚇する蝋人形(沖縄県平和祈念資料館)が象徴するように、米軍と戦うというより沖縄住民を虐殺するために沖縄に派遣されたかのような印象さえ与える。



さらに、沖縄県民は常に被害者で日本軍は敵である、という主張が延々と続く。いちいち蝋人形で場面を再現しなくてもよさそうなものだが、とにかく悲惨だ、悲惨だ、ひどい目に遭った、と感情論に訴える展示が続く。

実際はどうだったのか。

典型的な日本兵の暴状として頻繁に証言される「壕の追い出し」は、一般住民を米軍の馬乗り攻撃から守るためだった。 

米軍の馬乗り攻撃とは、壕の上に米軍が馬乗り状態になり壕の中に潜む日本兵の火炎放射器、手榴弾などで攻撃し、日本兵の全滅を図る攻撃。

その際民間人が壕に留まったら、玉砕の巻き添えを食うことになる。

 

以下に出典を記して、「援護法と軍命の捏造」の実態を列記する。

■出典:那覇市史2-6 島尻郡旧真和志村戦争記 8頁(戦争と市民生活198頁)

証言者:金城 嘉味(明治32年生)

    金城 光順(明治26年生)

    比嘉 康進(明治20年)

内容: 

【金城 嘉味】空襲の時には区民は各自で掘った防空壕や墓などに入ったが、区民の大部分は戦車壕に避難した。私も戦車壕に入ったが、二十年三月二十五日にここを追い出された。その日壕の入口から海を見たら、一面米軍の艦船で埋まっていた。一緒にいた兵隊から「米軍はここに上陸するかもしれないから、一般民は出ろ」といわれて戦車壕から出された。それから私たちは国頭に行った。壕を出てからの行動は皆バラバラであった。夜は艦砲射撃がないとわかったので、昼間は寝て夜だけ歩いて四月一日に大宜見村の根路銘に着いた。

【金城 光順】私は戦車壕を出てからチブガーバル(壺川原)の親戚の墓に行った。そこに一ヵ月位住んでいた。そこにいる時には墓の入口に畳をたててあったので、それで爆風をまぬがれることもあった。米軍が勢理客に近づいた時に、軍命令によって玉城村に行けといわれた。

【比嘉 康進】私は戦車壕に入らず、石部隊の兵隊と一緒に協同で掘ったナーチュの壕にいた。壕には七家族,三十七人が隠れた。戦いが激しくなってからは、毎晩十人位の兵士が斬り込みに出かけたが、帰ってくるのはほとんどいなかった。斬り込み隊員が出かける時には、同僚たちは「斬り込みにいったらけがをしてはだめだよ、死んで帰ってこいよ」と励ましとも慰めともつかない見送りをしていた。

 石部隊が全滅したので、かわって球部隊がきた。彼らは壕に入ってくると私たちに「壕から出て行け」といったので、「出ない」といったら「殺すぞ」と脅迫した。―略

 

■優しかった兵隊さん

那覇市史第2巻中の6

114頁、公募原稿・市民の戦争体験沖縄戦32頁

8少年時代の悲惨な戦争体験    那覇市識名五 玉城秀時

昭和20年5月下旬頃、識名から西方凡そ六百米の大石森から機関銃の銃声が聞こえて来たので、私達は日本軍の機関銃の銃声だと思い込んでいたら日本の兵隊さんが、その銃声は敵だから君達は南部へ避難しなさいといって道順まで教えてくれた。識名東原を通り通称泊下橋を渡り現在の四十四号線に出た。そこに与那原へ向かっておよそ百米の地点で、日本の兵隊さん約三十人にであった。その際私達に向かってみなさん元気でなあ、と声をかけてくれた。その時兵隊さん達は鉢巻をしていたが、武器らしい物は持たず、なにか爆薬らしい小さな遺骨箱の様な物を持っていて、みんな歌を歌っていた。―略―

■その他、壕からの善意の追い出し

*6月18日 ひめゆり学徒の居た第三外科壕で比嘉軍医は、学徒に解散を命じ壕から出てゆくようにたしなめたが、なかなか出ようとしない学徒を追い出す為に日本刀を抜き、出なければ斬ると脅し出した。 出なかった者たちは米軍のガス弾で戦死した。

 

*沖縄第六十二師団 特設警備第二二三中隊 永岡敬淳隊長は、6月22日山城(旧喜屋武村)に集結したものわずか四名遂に負傷し戦闘する力尽き自決する。

永岡隊長は暗い壕の中で手探りで一人びとり握手され「ご苦労さまでした。君たちは若い、死んではいけない!捕虜になりなさい。アメリカ軍は君たちをころすようなことはしないと思う。だから武器を(手榴弾)捨てて出なさい」と、「隊長さんは?」と訊くと、「私は、沢山の部下を失ったので・・」とおっしゃったあと、懐から数珠を出され、私たちの無事投降を祈られるように、「安子、生きて私の家族に巡り逢うことがあるはずだから、この数珠を預かってくれ。よろしく頼む」と私の首に掛けられました。それから、「だれも私の後について来るな」と言われ壕の出口方向に行かれました。多分そののち自決なさったと思います。(翁長安子)

*野戦病院長小池勇助隊長(少佐)は、6月26日真壁村糸洲の壕から積徳高等女学校の学徒に解散命令をだした。

「長い間、軍に協力してくださりご苦労だった」「・・・決して死んではいけない。必ず生きて家族のもとに帰りなさい。そして凄惨な戦争の最後を、銃後の国民に語り伝えてくれ。」と言われ看護隊一人一人と別れの握手をされた。

 

 

■壕の追い出しは、県民を救う為に行なったものである

 

 1、 西平 守盛 元警視正(沖縄戦当時 警部補)玉城村付近一帯受

 

「銃突き付け日本兵は、住民を救うため」

 

 「ひらめき」14号21頁(国旗国歌推進沖縄県民会議会誌)平成12年2月11日

 

米軍の飛行機は「非戦闘員は、知念半島に避難せよ」という趣旨の「ビラ」を摩文仁方面で撒いた。それで、日本兵は、壕の中にいる住民に、「知念半島は安全だから壕を出て知念半島に行け」と言った。しかし、住民は聞き入れなかったから「銃突き付けたら聞き入れるだろう」と思って銃突き付け「出て行け」と言ったのである。・・・日本兵が自分の身の安全を図るために、沖縄住民を犠牲にしたと曲解して、「日本兵は悪者である」と悪宣伝しているのが、沖縄の現状である。

 

  *ビラを拾った人は、壕の外に出て行動した人々であり、より勇敢な人たちだった*

つづく

【おまけ】

「白旗の少女」として有名な比嘉富子さんは、1フィート運動の記録映画にでてくる自分の映像を利用し、「白旗を掲げる少女を盾に投降する卑劣な日本兵」の汚名をそそぐ為発刊した自著で、日本兵の壕追い出しについて次のように述べている。

(比嘉さんが壕に潜んでいたら、日本兵が入ってきた。)

以下引用。

5、6人の兵隊さんがやって来て、「どけどけ、ここでまもなく戦闘が始まるぞ!はやくほかえいけ!」とどなりました。わたしは夜になるのを待ちきれず、まだ日のあるうちにぬけ出し、あちこちのガマ(壕)からガマへとわたって、「ネェネェ、ネェネェ(オネーチャン・引用者注)」といいながら覗いては、先にガマに住んでいる人から、シ、シとまるで犬か猫のように追い出されるしまつでした。」

(負傷兵がいる壕に逃げ込んだ比嘉さんに、日本兵が語りかける。)

「『ねぇ、そこの」女の子。逃げるならいまのうちよ!もうすぐ、入り口をふさいで、爆弾でみんながしぬのよ。 それとも、わたしたちといっしょに死ぬ?』 わたしは、ぴくっと体をふるわせて、あわててガマをとびだしました。そしてできるだけ遠くへ逃げようと崖をおりました。 しばらくすると、うしろで大きな爆発音がして谷間にごうごうとこだましました。」

 

 

 

 

 

 

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コメント

悪い冗談!ノーベル平和賞 翁長知事らノミネート 沖縄の8氏2団体を推薦

2018-05-22 06:51:38 | マスコミ批判
 

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ブラックジョークにしては面白いが、悪い冗談。

だが、本気なら、正気を疑う。

大学教授ら推薦人の狂気の沙汰ということだ。

きょうの沖縄タイムス社会面左トップの見出しを見た感想だ。

翁長知事ら平和賞候補

ノーベル賞委から連絡

見出しを見る限り、ノルウエーのノーベル賞委員会がノミネートした結果を翁長知事に連絡してきた印象。

だが、実際はそうではない。

沖縄のイカレ団体が勝手にノミネートし、ノルウェーのノーベル賞委員会に送付し、同委員会がその旨通知してきただけの話だ。

沖縄2紙の翁長知事に関する印象操作だ。

沖縄2紙には前科がある。

翁長知事が国連で演説資格が無いのに、あたかも国連から招待されて演説したかのように報道し読者を騙した同じ手口だ。 

ちなみに演説資格の無い翁長知事は、国連に発言枠を持つ左翼団体から3分間の発言枠を譲り受け「3分スピーチ」をしたに過ぎなかった。

 

 

17年は故・大田昌秀元知事がノミネートされていたが、これも「勝手連」によるノミネート。

 

今回も同様の勝手連ノミネート。

 

だが、いくら思想信条の自由が保障されているとはいえ、複数の暴力事件で逮捕起訴され有罪判決を受けた「くるさりーんど山城」こと山城博治被告や、暴力おばぁの島袋文子氏などがノーベル平和賞ノミネートとなると、あまりにも常軌を逸している。

県民をバカにするのもいい加減にしろといいたくもなる。

 

暴力おばぁ⇒この動画を見れば一目瞭然

 

 関連画像

 

「山城博治 暴行」の画像検索結果

 

沖縄タイムス+プラス ニュース

 沖縄県内の大学教授や市民団体の有志らでつくる「命どぅ宝のマブイ(魂)を継承し、平和の礎を創設した沖縄の人びとにノーベル平和賞を」実行委員会は21日、県庁で会見し、翁長雄志知事を含む8氏2団体がノーベル平和賞にノミネートされたと報告した。ノルウェーのノーベル平和賞委員会から通知があった。今年は個人216人、114団体が候補として登録されたという。

国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦で亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」(沖縄県糸満市摩文仁)

沖縄県の翁長知事

国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦で亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」(沖縄県糸満市摩文仁)

沖縄県の翁長知事

 
沖縄県の翁長知事 国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦で亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」(沖縄県糸満市摩文仁)

 ノミネートされた個人はほかに、沖縄平和運動センターの山城博治議長、元県知事公室長の高山朝光さん、石原昌家沖縄国際大学名誉教授、元読谷村長の山内徳信さん、戦没者遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表、沖縄戦を経験し名護市辺野古の新基地建設に反対する島袋文子さん、元白梅学徒隊の中山きくさん。

 2団体は、わびあいの里(伊江村)とひめゆり平和祈念資料館(糸満市)。

 大学教授や国会議員ら14人が8氏2団体を一つのグループとして推薦した。推薦書では、国籍や軍人、民間人を問わず沖縄戦の犠牲者を記名した平和の礎の創設や、辺野古新基地建設に非暴力で反対の意思を示していることなどを取り上げ、「平和構築への道を照らす光だ」と評価。沖縄の平和運動を「70年以上も続く住民の根強い運動だ」とした。

                                ☆

 

翁長知事、山城議長らノーベル賞にノミネート 県内から8氏2団体

 

 

 

「翁長雄志知事ら8氏2団体が一つのグループとしてノーベル平和賞候補にノミネートされた」と発表する市民団体のメンバーら=21日午後、県庁記者クラブ

 翁長雄志知事や沖縄平和運動センター議長の山城博治氏ら県内8氏と2団体が一つのグループとして、2018年のノーベル平和賞候補にノミネートされた。

 「命どぅ宝のマブイ(魂)を継承し、平和の礎を創設した沖縄の人びとにノーベル平和賞を」実行委員会の高良鉄美共同代表(琉球大学法科大学院教授)らが21日、県庁で記者会見し、ノルウェーのノーベル平和賞委員会から4月20日に連絡があった、と発表した。

 8氏は翁長知事と山城氏のほか、元知事公室長の高山朝光氏、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家氏、元読谷村長の山内徳信氏、沖縄戦の遺骨収集を続ける具志堅隆松氏、辺野古新基地建設に反対する島袋文子氏、元白梅学徒の中山きく氏。

 団体は伊江島の一般財団法人「わびあいの里」と糸満市のひめゆり平和祈念資料館。

 同実行委が「平和運動を70年以上も続ける県民の代表」として選定し、大学教授ら14人が連名でノーベル平和賞委員会に推薦していた。高良共同代表は、沖縄戦を出発点とした過重な基地負担を念頭に「平和賞受賞者はこれまでも『圧政に対して抗している人』が多い。沖縄の平和運動の継続性は意義がある」と受賞に期待を込めた。

 18年のノーベル平和賞には330の個人と団体がノミネートされている。発表は10月5日の予定。17年は故・大田昌秀元知事がノミネートされていた。【琉球新報電子版】

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【琉球新報】翁長知事や山城博治氏らノーベル平和賞候補にノミネート

 

 

 

1: 孤高の旅人 ★ 2018/05/21(月) 16:28:13.16 ID:CAP_USER9
翁長雄志知事らノーベル平和賞候補にノミネート
5/21(月) 15:54配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180521-00000019-ryu-oki

 翁長雄志知事や沖縄平和運動センター議長の山城博治氏ら県内8氏と2団体が一つのグループとして、2018年のノーベル平和賞候補にノミネートされた。

以下略

スクリーンショット 2018-05-21 17.28.40

243: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:58:30.50 ID:DHRR2IJx0
>>1
えっ??

265: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 17:01:57.07 ID:a7mjhd6qO
>>1
ぶほっ
コーヒー噴いたわwww

10: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:30:03.33 ID:31tWtTza0
平和とは遠い人たちやん

15: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:30:27.20 ID:mfccb4Io0
基本的に争いの種を生んだ人だけど・・。
【参考】







 
42: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:33:42.54 ID:H1J3lwF00
あー思い出した、コレだw 

https://ja.wikipedia.org/wiki/憲法9条にノーベル平和賞を
抜粋
ノルウェー・ノーベル賞委員会によれば、毎年1月末の締切後の段階では有資格者からの推薦すべてを候補として登録しており、
推薦者には受理の通知が送られるものの「受賞基準に合うかどうかの見解を示すものではない」と断っている。
したがって報道されているようなノミネートではなく、単なる受領書であることが判明した。

84: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:38:26.71 ID:7fCHOBQ30
>>42
そうだったよな
一応受け付けましたってだけで
候補になったかどうかは誰もわからないって言ってたな

200: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:52:51.86 ID:cxe65aVV0
>>42
そういうカラクリかw

278: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 17:03:04.79 ID:xGx3CuPJ0
>>42
良い知識をありがとう

285: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 17:05:23.79 ID:SXmMaKWn0
>>42

16: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:30:27.79 ID:7xPki8ah0
相応しいと思う 

偽りの賞として

36: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:33:02.91 ID:ZXLXeB9v0
政治家でノーベル平和賞貰った人って 
その後ろくな事になっていない

46: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:34:24.63 ID:8wD3F02/0
>>36 
ノーベル賞のお笑い枠だからw

51: 名無しさん@1周年 2018/05/21(月) 16:34:51.03 ID:1h/V7iO90
平和に貢献してないのに平和賞とかギャグでしょw
あっそういう賞でしたねw

引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1526887693/

 

政治 沖縄関連ニュース

翁長雄志知事、沖縄平和運動センターの山城博治らノーベル平和賞候補にノミネート~ネットの反応「ノーヘルが?」「平和とは真逆の人たちやん」

投稿日:2018年5月21日

翁長雄志知事らノーベル平和賞候補にノミネート
5/21(月) 15:54配信

翁長雄志知事や沖縄平和運動センター議長の山城博治氏ら県内8氏と2団体が一つのグループとして、2018年のノーベル平和賞候補にノミネートされた。

 「命どぅ宝のマブイ(魂)を継承し、平和の礎を創設した沖縄の人びとにノーベル平和賞を」実行委員会の高良鉄美共同代表らが21日、県庁で記者会見し、ノルウェーのノーベル平和賞委員会から4月下旬に連絡があったことを発表した。【琉球新報電子版】

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180521-00000019-ryu-oki

 
管理人
ネットの反応
名無し
ノーヘルが?
名無し
ワロタw
名無し
いやいや、人前では常に被ってるでしょ
名無し
平和とは真逆の人たちやん
名無し
基本的に争いの種を生んだ人だけど・・。
名無し
息のかかった組織の自薦をノミネートって言いかえるの辞めてくれないかな?
名無し
ノーベル平和賞は詐欺師が貰える賞だから残当
名無し
テロリスト山城が平和w
 

 

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コメント (6)