狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

小佐古教授の涙のわけ

2011-05-05 06:37:42 | 県知事選

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放射線のがんリスク、100ミリシーベルトで受動喫煙なみ
日本経済新聞 2011/4/24

  放射線を健康に影響が出るとされる100ミリシーベルト程度浴びた場合でも、がんの発生するリスクは受動喫煙や野菜不足並みにとどまることが、国立がん研究センターの調べでわかった。肥満や大量の飲酒、喫煙に比べると低い。低線量の放射線による健康影響を考えるうえで、ひとつの目安になりそうだ。


放射線と生活習慣の発がんの相対リスク比較

受動喫煙の女性 1.02~1.03倍

野菜不足 1.06倍

★100~200ミリシーベルトを浴びる 1.08倍

塩分の取りすぎ 1.11~1.15倍

★200~500ミリシーベルトを浴びる 1.16倍

運動不足 1.15~1.19倍

肥満 1.22倍

★1000~2000ミリシーベルトを浴びる 1.4倍

毎日2合以上の飲酒 1/4倍

★2000ミリシーベルト以上浴びる 1.6倍

喫煙 1.6倍

毎日3合以上の飲酒1・6倍

※網かけ(★)は放射線
(注)相対リスクは、例えば喫煙者と非喫煙者のがんの頻度を比較した数字
 広島、長崎の原子爆弾で被爆した人のうち約4万4000人が、その後、どの程度の割合で肺がんなどを発症したかを長期間にわたって追跡調査した放射線影響研究所などの論文と、国立がん研究センターなどが実施してきた生活習慣によるがん発生リスクの疫学研究とを、津金昌一郎・予防研究部長らが比較検討した。

 原爆で100ミリ~200ミリシーベルトの放射線を浴びた集団は浴びていない集団に比べてがんになるリスクが1.08倍だった。生活習慣によるリスクと比較すると、1日1箱たばこを吸う夫を持つ妻が受動喫煙でがんになるリスク(夫が禁煙の妻と比較して1.02~1.03倍)や野菜嫌いな人のリスク(野菜を食べる人と比較して1.06倍)よりもわずかに高い程度だった。

 肥満や運動不足、塩分の取り過ぎなどでがんを発症するリスクは1.1~1.2倍程度で、放射線を100ミリ~200ミリシーベルトを浴びた場合よりも高い。

 一方、男性の喫煙者はたばこを吸わない人よりも1.6倍がんになりやすい。放射線の被曝(ひばく)量でみると2000ミリシーベルト以上浴びた場合のリスクとほぼ同じだという。

 津金部長は「がんは様々な要因が複雑に絡み合って発症する。放射線リスクだけを気にしすぎないようにしてほしい」と話

                 ☆

小佐古教授の報道向け説明会が中止に 官邸から「守秘義務」理由に圧力

内閣参与をしていた小佐古敏荘・東京大教授が、辞任するとき流した涙の意味が良くわからない。 

歳のせいで涙腺でも緩んでいたのだろう程度に納得していた。

ところが佐藤優氏によると「小佐古氏は礼儀をわきまえた知識人なので、ていねいな言葉遣いをしている。しかし、その内容は政府の東京電力福島第一原子力発電所事故の対処が、『法と正義』の原則に則しておらず、『国際常識とヒューマニズム』にも反しているという糾弾だ」として、佐藤氏は小佐古氏の「爆弾発言」を絶賛している。

⇒眼光紙背「小佐古内閣官房参与の爆弾発言に注目せよ」

小佐古氏自身の言葉を借りるとこうなる。

「年間20 mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです」

なるほど、「年間20mSvの被ばくを乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、ヒューマニズムからしても受け入れがたい」といわれると、放射能の知識のない国民は、「抵抗力のない乳児が有害な放射能に被曝する」という地獄図を創造し、小佐古氏が泣きながら会見したわけもわからぬでもない。

ところが、原発事故の地元では、ただでさえ放射性物質への不安が高まっている。小佐古氏の辞任劇は佐藤優氏の言うように「礼儀をわきまえた知識人の会見」といえるか。

それどころかあまりに感情的で唐突な行動のため、一般国民に混乱に拍車をかけることにはならないのか。

放射性物質の健康影響には、2種類ある。

強い放射線で体の組織が傷つく確定的影響と、被ばくによって染色体が傷つき、将来がんになるリスクが高まる確率的影響だ。

昨日のエントリーでも述べたが現代社会はがんの危険因子に取り囲まれているといっても過言ではない。

したがって将来、福島県の子どもががんになったとしても、生活習慣など他の要因との見分けはつかず、今回の原発事故が原因かどうかは医学的に分からない。

さらに小佐古氏の言葉で気になるのは「国際常識とヒューマニズム」という言葉だ。

では放射性物質と健康に関する国際常識とは一体なにか。

世界の放射線の安全をつかさどる国際放射線防護委員会(ICRP)は、「どんな微量でも放射線は危険である」という勧告を発し、1人当たりの自然放射線の年間被曝量の上限を2.4ミリシーベルトに定めている。

ICRPの判断基準は線形無閾値(LNT)仮説に準拠しており、放射線はどんなに微量でも有害であり、少なければ少ないほどよい、ということになる。

しかし、不思議なことに、この微量でも有害とされる放射線をわれわれは日夜浴びながら生活している。 

自然界はさまざまな放射線であふれていて、大地や海、土に育つ植物、そして空から降り注ぐ放射線を浴びながら暮らしており、さらに、地球を取り巻く大気を吸い、大地や海の恵みである食物を食べることで日々の生活の中であらゆる種類の放射線を浴び続けている。

成層圏を飛ぶ国際線のパイロットやフライトアテンダントは、東京・ニューヨークの往復で0.2ミリシーベルトの放射線を浴びるといわれている。週に1回、日米を往復するだけで実に年間約10ミリシーベルトを浴びていることになる。

これだけで基準を完全にオーバーすることになるが、これらの結果は何を意味するのか。

低線量の放射線は、生体に悪影響を与えないばかりか、むしろ有益なものだという説さえある。

LNTは現在国際的学会では否定されており、素人にもわかりやすいように次のように説明されている。

LNT仮説によると、時間当たり線量強度も効果に関係せず、1日で365ミリシーベルト被ばくしても、1日1ミリシーベルトを365日被ばくしても、どちらも年間総量は同じなので、人体の効果は)同じということになる。

この仮説のおかしさは人間にとって必需品である食塩の例えで証明することができる。

一時間で食塩を365g摂取しても、料理に少しずつ使用して1年間で365g使用しても、人体への影響は同じだというのがLNT仮説の理屈である。

ところが近年の研究の成果で、多くの放射線生物学者がLNT仮説に否定的である。

それどころか低線量被ばくの場合は健康にプラスの効果(ホルミシス)つまり健康によいという研究者が相当数おり、少なくとも、放射能被ばくと健康への影響には「閾値」があることは、広く認められているのが国際常識となっている。

言うまでもないが、適量の塩分が人間の健康に必要不可欠だが、それがある一定量(閾値)を超すと健康を害し死に至ることは放射能被ばくと同じである。

小佐古教授が「学者の良心とヒューマニズム」で涙を流すのなら、いたずらに感情的な発言でに国民を惑わし、風評被害を撒き散らすより、「LNT仮説と小佐古理論の矛盾」を丁寧に説明するのが学者の良心に従うことではないのか。

大体、いい歳して、泣きながら記者会見する男なんて信用できたものではない。

本当に泣きたいのは、小佐古教授ではなく、福島の原発避難民ではないか。

 

政府が撒き散らす風評被害粉砕、に同意する方、

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放射能汚染と風評被害、群盲象をなでる専門家

2011-05-04 06:22:33 | 県知事選

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2日のテレ朝「TVタックル」で、青山繁晴さんが「今、菅首相が首相の座に一日でも長く居座れば居座るほど、被災地の災害が増えてくる」と指摘した。

そう、青山さんが言いたいのは、菅首相が震災復興の足かせになっているというより、むしろ災害を大きくしているという現状認識である。

菅首相が撒き散らした放射能の風評被害が、今後の震災復興の最大の問題になりつつある。

番組に出演した武田邦彦中部大学教授は、涙の記者会見をした内閣官房参与の小佐古敏荘東大大学院教授の意見を支持していたが、ここで注目すべきは二人の専門家は原子力専門家ではあっても医学の専門家ではないことである。

福島原発事故が起きて以来、次々と原子力専門家が登場するが、それが逆に混乱を引き起こしてい面もある。 最近の科学の分野では専門が細分化しすぎて、特定の分野の知識はあっても、総合的に物事の判断できる「専門家」がいないような気がしてならない。 

放射能の人体に及ぼす基準値で意見を述べている専門家は、小佐古教授にせよ竹田教授にせよ、原子力・放射能の専門家という"工学の専門家であっても、"医学・健康”の専門家ではないのがその例だ。 

彼らの判断は専門が特化しすぎて「葦の髄から天を覗く」とか、あるいは「群盲象をなでる」の愚を犯してはいないか。 

小佐古教授が泣いたのは象を撫でて蛇と錯覚したからではないか。

そもそも彼らが判断の根拠にしている国際放射線防護委員会(ICRP)の判断基準にしても、医学会では反対されている「閾値なし線形仮説(LNT仮説)に基づいているという。 そしてそのLNT仮説はノーベル賞学者の間違った仮説を根拠にしていることは前に述べた。

では素人の一般国民はどっちの専門家を信じればよいのか。

専門家の意見が違う場合、万一を考えて出来るだけ放射能基準値を低く主張する専門家の意見に従うのが一般的である。 

だがそうなると風評被害がさらに加速されるというジレンマに陥ることになる。

それが行き過ぎると、毎日の天気予報のように放射能予報図が出回ることになる。

 ⇒全国のリアルタイム放射線量マップ

福島原発事故により放射能に対して過剰反応を示す報道が目につく。

だが、そもそも現代を生き抜くことは巷に氾濫する発がん物質を潜り抜けて生きるようなものではないか。

国際がん研究機関が発表したIARC発がん性リスク一覧によると、タバコが癌を引き起こす悪玉なのはもちろんだが、飲酒にも発ガンの危険性はあるというし、

タバコを止めるための「 無煙のタバコ製品 」(Tobacco products, smokeless)にもガン危険因子があるくらいだ。

極端な言い方をすれば発がん物質を恐れていたら、現代は生きてはいけないと言う向きもあるくらいだ。

黄砂に覆われた東京で、放射能を恐れて呼吸を止めるわけにはいかないからだ。

放射性物質が混じる黄砂に警戒感…新造語「黄砂能」誕生=韓国

次に、 チェルノブイリ原発事故でソ連政府(当時)に依頼されて現地で救命活動に従事した放射線被曝治療の専門家、ロバート・ゲイル博士のインタビュー記事を抜粋して紹介する。 ちなみにゲイル博士は放射能治療の専門医師である。この点先に紹介した稲博士と同じ立場にある。

 放射能汚染を巡る日本人の誤解と政府の説明責任
――チェルノブイリの惨状を知る被曝治療の権威
ロバート・ゲイル博士に聞く

 福島第一原発で復旧作業にあたっている作業

放射性物質が広範囲に拡散し、予断を許さない深刻な状況が続く福島第一原発。4月4日には、東京電力は国の基準値の約100倍に相当する濃度の「低レベル」汚染水約1万1500トンを海に放出する異例の措置に踏み切った。タービン建屋地下などに滞留するさらに高濃度の汚染水の回収先を確保するための応急措置であり、放出による人体への影響はないと東電・政府側は説明しているが、事態悪化を招いた両者への不信感は根強く、放射性物質の大気中への拡散や土壌汚染リスクがさかんに報じられるなかで、国民の不安は拭えない。はたして現状の放射線は本当に心配のないレベルなのか。陸海の多様な生物も汚染される中で、長期的に見た場合、放射線の累積量に本当に懸念はないのか。1986年のチェルノブイリ原発事故でソ連政府(当時)に依頼されて現地で救命活動に従事した放射線被曝治療の専門家、ロバート・ゲイル博士に話を聞いた。ちなみに、ゲイル博士は、福島原発事故後も日本を訪れ、事故対応について政府関係者らと意見交換をしている。同氏の結論を最初に伝えれば、現状の放射線量は心配のないレベルであり、そのことを説得力をもって国民に説明できる人間が政府内にいないことが問題だという。
(聞き手/ジャーナリスト、瀧口範子)

ロバート・P・ゲイル
(Robert P. Gale)


白血病および骨髄ガン治療を専門とする医師。分子生物学および免疫学からのアプローチで知られる。放射線生物学にも詳しい。 ニューヨーク大学バッファロー校で医学学士号、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で微生物学および免疫学の博士号取得。1973~1993年までUCLA医学部で教壇に立ち、その間1986年にはチェルノブイリ原発事故後の被曝治療にあたる。薬品会社の研究所などを経て、2007年からセル ジーン社の血液学および腫瘍学の臨床実験担当エグゼクティブディレクター。 福島第一原発で復旧作業にあたっている作業員を診る医師らと会い、作業員を隔離治療する決断をどのような時に下すのかといった点について話し合った。また、東電関係者と被曝のレベルや作業員の保全についても懇談した。消防士や自衛隊、作業員、医師らが待機する事故対応拠点も訪れ、意見交換を行った。さらに、首相官邸では福山哲郎官房副長官と面談し、放射線のリスク、またそれを国民にどうわかりやすい方法で伝えるかについて話し合った。

 

――今回の来日の目的は何か。


――福島第一原発における作業員の作業環境や、日本政府の対応をどう評価しているか。

 医学的な観点から見て、作業員の安全確保は基本的に適切に行われていると考える。被曝線量限度もかなり保守的な目安に従っている。体内被曝、外部被曝を測定する各種計測器をつけて被曝量の管理を適切に行っている限り、そして想定外の爆発事故が起こらない限り、短期的にも長期的にも健康に影響が及ぶことはない

 その一方で、日本政府は非常に難しい立場に置かれている。損なわれた信頼を取り戻すため、頻繁に放射線データを発表し透明性を確保しようとしている様子がうかがえるが、政府内に放射線に詳しい専門家がいないため、かえって混乱を招くだけの結果になっている。国民が理解できるような方法でデータを噛み砕いて伝えることができていないのだ。

 

――どのように噛み砕くのがいいのか。

 たとえば、(日本政府は)現在、飲料水では放射性ヨウ素が1リットルあたり300ベクレルを超えると好ましくないというメッセージを国民に伝えている(乳児の規制値は100ベクレル)。しかし、この数値は何も目の前のコップに入った水を飲むと危険だということを示しているのではない。

 20杯飲んでも大丈夫なはずだ。その値以上の飲料水を5リットルほど毎日1年間飲み続けたら、ガンになる確率が1万分の1上がる可能性がわずかにある、ということだ。そういう説明を、自信を持ってできる人間が政府内にいないことが問題なのだ。

――放射性物質を含む大量の汚染水が海に放出されたことで、魚介類への影響も懸念されているが。

 それについても、同じことだ。

 もちろん、放射性物質を含む汚染水を海に放出せずに済めば良かった。だが放射線が最も危険なのは濃縮した状態だ。広い海に流せば、希薄化する。海への放出は、現状で考え得る最善の選択肢なのだ。

 また、魚介類に対する放射性物質濃度の基準も、他のものを食べず、その魚だけを一生食べ続けたら、ガンになるリスクがわずかに増えるという程度ものだ。そもそも海には以前から放射性物質が含まれている。1994年まで海底での核実験が行われていたし、原子力潜水艦や核弾頭なども海底に沈んでいるからだ。海水の放射能汚染は何も新しいことではない。

 むしろ今後の問題は、人々が怖れるあまり近海の魚が売れなくなり、経済的な打撃を受けることだろう。だが、それは無知に基づいた反応以外の何ものでもない。政府は、専門家による委員会を組織し、そうした説明を国民に向けて行うべきだろう。今からでも決して遅くない。

 

――福島第一原発の周辺地域および住民はこれからどうすればよいのか。

 おそらく最もあり得るシナリオは、こうだ。原発の状況は改善しているが、完全に制御できるようになるまであと数ヵ月かかる。1号機から4号機は廃炉が決定的となったが、その方法が石棺(コンクリートで固める)であれば2~3年はその作業に必要だ。解体撤去には、さらに数十年単位の歳月が必要だ。

 現在避難している周辺住民は、環境を注意深く調査してからの話だが、場所によっては、1~2年のうちに元の住まいに戻ることができるだろう。チェルノブイリでも、立ち入り禁止区域に指定されている30キロ圏内で現在生活している人たちもいる。

――住民が戻ったとして、長期的に見て健康に影響が出る可能性はないのか。

 住民が放射線量の高い雲の中をくぐるようならば話は別だが、それは今回現時点では起こっていない。では、一定期間が経って、保守的な被曝線量限度の目安を超えた場合はどうなのか。むろん、土壌の放射能汚染がどの程度かによって、外部被曝だけでなく体内被曝のリスクも継続的に検査する必要があるのはいうまでもないが、たとえば70歳の高齢者でこれまでタバコを吸い続けてきたような人ならば、現状のレベルの放射線によるガンのリスクは微々たるものに過ぎない。若年層には勧められないが、高齢者ならば、場所によっては住み続ける選択肢もあり得るだろう。

 繰り返しになるが、より深刻な事故を起こしたチェルノブイリの30キロ圏内にも、今では住める場所はある。問題は細やかな環境調査に基づいて「ここはいいが、あそこはダメだ」といった区分けが徹底できるかということと、食糧確保など生活のためのインフラが本当に確保できるかということだ。チェルノブイリの半径30キロが原則立ち入り禁止区域に指定されている背景には、そうした区分けやインフラ確保が難しいからという事情もある。(略) 

つづく

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矛盾に満ちた憲法論、国民投票法は施行されたが・・・

2011-05-03 07:42:37 | 県知事選

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■二律背反の憲法論議

本日は憲法記念日。

「平和憲法を守れ」と狂信的護憲で県民を煽る沖縄タイムスの今日の社説は、「憲法記念日に 終わらぬ戦後を思う」と憲法関連。 

一面はトップは「ビンラディン容疑殺害」に譲ったものの、一面中央の見出しはこれ。

本紙憲法アンケート

「地位協定は違憲」73%

県内41首長県議ら87%が改正要望

沖縄タイムスが県内首長に求めるアンケートがアンケート自体が、異論を許さない圧力を含んだいかがわしいものであることは再三の述べた。

で、「地位協定は違憲」73%という結果は予測できる。

が、一瞬アレ?と思ったのは「87%が改正要望」。

これは憲法改正ではなく「地位協定の改正」と気付き納得。

2面から3面をとおして憲法関連の報道で見出しは、前述のアンケートを基にして次のとおり。

基地集中「違憲」6割

協定への不満 超党派

県議8割「違憲状態」

9条改正「反対」65%

例年のことなので特に感想はないが、結局沖縄タイムスの言いたいことは、米軍基地や地位協定が我が物顔にまかり通る沖縄は、憲法違反がまかり通る特殊な県だということ。

言葉を換えれば沖縄は、日本あるいはアメリカの植民地になっているとでも言いたいのだろう。

 

ここで唐突に、筆者が沖縄タイムスの主張に、全面的に賛成すると言ったら、どうなるか。

狼魔人日記も憲法記念日を契機に宗旨替えをして、ついに沖縄タイムスの軍門に下ったか、と手を打って喜ぶリベラルな読者もいるかもしれない。

お生憎様だが、そうではない。

筆者が沖縄タイムスに賛意を表すのには、「我が国が真の独立国であれば」という但し書き着く。

真の独立国なら現行憲法は当然改正されており、自衛隊は現在の歪な状況から脱皮し、自主防衛のできる普通の国になっているはずである。

普通の国なら米軍という他国の軍隊が国内に常駐することが異常であり、沖縄タイムスの主張する「米軍基地撤去」に賛同するのも当然のことになる。

「地位協定改正」問題など、米軍基地とともにどこかへ消し飛んでしまう。

ところで沖縄タイムスは、見出しで主張する文言が二律背反であり、決して同時には解決できないことに気がついているのだろうか。

憲法改正には反対しながら、一方では米軍基地や地位協定が憲法違反と県民をリードしていることに矛盾は感じないのか。

新聞論調を見る限り、沖縄紙が本気で「米軍基地撤去」に取り組んでいるとは思えない。 いやむしろ「普天間第二小学校の移転」を左翼団体が闘争の盾にしたように、米軍基地も「教科書問題」などの左翼闘争の盾に使っているような気がしてならない。

その意味で、以前から筆者が何度も指摘している危惧は「普天間移設」と「教科書検定意見撤回」をバーター取引である。

■基地問題と教科書問題のバーター取引

現在の菅首相は原発問題で普天間移設や教科書検定に気を使う余裕は無い様に見えるが、どんなに責任追求されても居直って任期一杯務めるようだし、原発問題が小康状態になったら、沖縄左翼が先日の最高裁判断を引っさげて大挙上京し、菅内閣に検定意見撤回を求めるだろう。

普天間移設では現在暗礁に乗り上げたままの菅首相にとって、「政治主導」で検定意見を撤回させ、教科書に「軍の強制で集団自決があった」と記述することなど何の問題でもないどころか、むしろ望む所なのである。

なぜなら2007年9月29日に行われた「11万人集会」には、当時野党だった民主党幹事長の菅直人氏が参加して「教科書検定意見撤回の要請」という大会決議に拳を突き上げて賛成していたからである。

つまり「11万人集会」の時には検定意見撤回の要請書を突きつける立場にいた菅氏が、現在は同じ要請書を受け取る立場にいるのだ。

それこそ「渡りに舟」の密約が成立することは充分考えられる。

 

■日暮れて道遠い憲法改正

沖縄タイムスがいかに沖縄は特殊な県だと主張しても憲法が沖縄県にも適用されることは言うまでもない。

沖縄タイムスの二律背反の主張はさておいて、憲法改正の手続きを定めた国民投票法は去年5月に施行されているはずである。

だが去年の5月といえば鳩山首相が「普天間移設」を大混乱させ、その決着を迫られていた時期であり、憲法改正のための重大案件である国民投票法がその5月に施行された事実を知る国民は少ない。

国民投票法では、衆参両院に改正の原案などを審議するための「憲法審査会」を設置することになっている。

だが国民が選択を誤って民主等による政権交代が成立したため、国会では、憲法改正の原案などを審議する衆参両院の「憲法審査会」がいまだ発足しておらず、見通しさえも立っていない。

ことしに入って、民主党が自民党などの求めに応じて審査会の委員の数を45人とすることなどを盛り込んだ案をまとめ、2日、議院運営委員会の理事会に示し、各党が検討中である。

民主党としては、連休明け、早ければ来週中に規程を定めたいとしているが、今国会では、東日本大震災の復旧・復興を優先せざるをえない。

したがって、参議院で規程が制定されても、審査会そのものが発足する見通しは立っていない。

沖縄の米軍基地を一日も早く撤去するためには、我が国が一日も早く憲法を改正し、

自主防衛の出来る真の独立国になることである、

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「パンドラの箱訴訟」の支援依頼

2011-05-02 06:45:56 | ★パンドラの箱訴訟

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以下に紹介する「支援依頼文」は、3月20日に行われた「上原正稔講演会」の会場で配られたパンフレットを引き写したものである。

 

「パンドラの箱掲載訴訟」をご支援下さい

三善会では、平成23年1月31日に上原正稔氏が新聞社を提訴した裁判「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を支援する為、支援金のご協力をお願いしております。 支援金は、主に裁判の支援支援、その他報告会・講演会等の開催・広報活動に活用させて頂きます。

ご協力いただける方は、ご自身の郵貯の講座とキャッシュカードを作り、以下の口座に振込み頂けましたら、振り込み手数料はかかりません。 よろしくご協力お願い申し上げます。

 

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三善会 会長 當山正範

 

本来なら講演会の直後、当日記でも紹介して皆様のご協力を仰ぐつもりでしたが、沖縄ではその前月まで、美優さんの心臓手術のカンパが町の話題になっており、2億円余のカンパが集まったと新聞が騒いでいる矢先であり、上原さんへのカンパ依頼は少し時期をずらしてお願いすべきと考えていた。

⇒ 美優さん4月5日渡米 来月3日、九大病院に転院(2011.2.25)

ところがその後ご承知の東日本大震災が日本を襲い、それに対する支援金のカンパ以来が連日のようにテレビから流れる状況で、ますます上原さんの支援カンパを言い出しにくい状況になった。

五月になって訴訟の第一回公判が開かれるに及んで、ここに改めて「訴訟支援のカンパ」をお願いする次第です。

その間、読者の義挙人さん、ヒロシさんなどすでにカンパご協力いただいた方も多数おられるようなので、この場を借りて改めて御礼を申し上げます。

筆者は上原さんとは公演会の後数回面談する機会があったが、逢引?の場所は那覇農蓮市場内のびっくり食堂か三越横のマクドナルド。

びっくり食堂はともかく、女子中学生の嬌声が騒がしい国際通りのマックで二人の不審人物が逢引きを重ねる理由はただひとつ。

コーヒーが120円と安いからである。

しかもおかわりは自由というから、いつも長話にいたる二人の不審者にとってこんな安価な逢引き場所は他にはないのである。 先日行った某喫茶店等は一番安いコーヒーが500円、しかもおかわりを頼めばもちろん有料であるというから。

筆者の懐具合が年中寂しいのはさておき、上原さんの懐具合は寂しいどころの騒ぎではない。 上原さんは一昨年『うらそえ文藝』で沖縄2紙の歪曲・捏造報道を名指しで批判して以来、沖縄の言論界では村八分の状況にあり、その原稿を掲載するメディアは新聞もちろんあらゆる出版に出版を拒否されている。

文筆での収入を断たれた上原さんは、最近サンスクリット語の研究による沖縄語の解明に没頭し、『ウチナー口の起源・序章 ~サンスクリット梵語が明かす大いなる秘密』と題する小冊子を知人の協力を得て自費出版したが、その内容が専門的過ぎるのと1000円という高価格のため売れずに困っている模様である。

そんな経済状況で巨大組織である琉球新報を相手に提訴するのだから、訴訟経費等で悩むかと思いきや、ご本人はいたって楽天的で悩んでいる様子は一向に感じ取れない。

訴訟代理人を引き受けて下さった徳永弁護士の手弁当による協力はもちろんだが、支援団体である三善会の支援があってこその訴訟だと考える。

1月31日の提訴以来、徳弁護士は打ち合わせのために数回来沖しているが、そのときも経費は手弁当である。

上原さんは生来の陽気な性格のせいか一向に懐具合の寂しさを気にする様子は見えない。

さて、懐の寂しい二人の不審人物が中学生の嬌声が渦巻くマックで逢引きする話に始まり、長々と前口上を述べたが、これは上原さんが提訴した裁判への協力をお願いしたいからである。

沖縄の言論界を「全体主義」で支配する琉球新報。 

歴史を歪曲して憚らない琉球新報に鉄槌を下すため上原正稔さんが、文字通りの徒手空拳で起こした「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の支援のため、ここに改めて支援カンパをお願いする次第であります。

「パンドラの箱掲載拒否訴訟」については、カテゴリーを設けましたので、同訴訟の詳細についてはご参照下さい。

 

さて、「人生全て塞翁が馬」が口癖の上原さんは何事にも全て前向きである。

だが、筆者は先日の集団自決訴訟の最高裁判決を聞いて、ある程度の予測はしていたものの、残念な気分は拭い去れなかった。

そして日本の法曹界が「戦後民主主義」の呪縛から解き放たれるにはまだ長い時間を要すると感じ暗澹たる気分にに陥るらざるを得なかった。

 読者の町工場の親方さんから関連のコメントをいただいているので、改めて紹介したい。

           ★

法曹界を支配する、空気。 2011-04-25 18:21:55 町工場の親方

チャンネル・桜、掲示板、
『沖縄集団自決冤罪訴訟を応援しよう』、スレより。
北辰様の言葉

>私たちの国が些かなりとまともになる為には、きっと気の遠くなるような時間が必要なのだろう。
それでも、私たちは諦めてはならない。
歩みを止めてはならない。

「百人斬り訴訟」、支援者として戦ったものとして。

雑誌、「WILL」、2010年6月号

〔ある編集者のオデッセイ〕ーーー「日本が仕立てた南京虐殺のの、『実行犯』・・・堤尭

世界に喧伝された、「百人斬り競争」、事件。日本の、「汚名」、を雪がんと
両少尉の遺族は提訴した。およそ裁判の名に値しない裁判が始まった。
元、「文芸春秋」、編集長が縦横に綴る、「痛快!編集無頼の記」

の冒頭は次の文で始まります。

『南京記念館」、を訪れ、前稿の末尾にこう書いた。
ーーー一枚の写真の前に長いこと立ち尽くした。二人の日本軍将校が写っている。野田毅・少尉と向井敏明少尉だ。二人はいわゆる、「百人斬り競争」、事件で、ここ雨花台で銃殺された。
見ているうちに、ムラムラと日本の司法、最高裁への怒りが湧いてきた。

以下、この裁判の酷さ、裁判所側がいかに、原告側を敗訴させるため、証拠を潰したかについて書かれています。

05年、一審判決は、「原告らの世紀雄を却下する」、(主文)、と告げた。前掲の両書で裁判の経過を辿れば、こんなデタラメ裁判もあるのかと憤りを禁じえない。
これはもはや裁判の名に値しない。
原告は十五人の証人を申請した。いずれも南京虐殺の虚妄、ひいては両少尉の無実を証言できる。中に南京戦に参加した証人が数人いて、およそ当時の状況が、「中国人と見れば老若男女を問わず虐殺し、それが六週間も続いた」、などという荒唐無稽とはまったく違う状況だった事実を証言する手筈だった。

たとえば稲垣清氏は南京陥落後の四日目から、一ヶ月以上も南京に滞在した。その間、そのようなこと、(虐殺)、は一度も見たことも聞いたこともなかったという。だとすれば30万人を4日で殺せるのか。

彼等証人たちは、いずれも九十歳前後で、後がない。せめて彼等の証言を残らず公判記録にとどめ、のちの世の史家に供したかった。

ところが東京地裁は前出の佐藤カメラマン一人だけの証言を聞き、あとの14人は却下した。

通常、これだけの証人をカットするのは、「聞かなくてもわかっている」、とする場合だ。稲田弁護人は裁判官の心理をそう忖度して安堵した。ところがあとで思い至る。佐藤氏は、「南京虐殺は100%あり得ない」、と証言した。なにしろ九十歳の身を車椅子に乗せ、「中共とケンカするんだ」、という気構えで臨んだ証言だから迫力がある。
「私の撮った写真があの記念館に飾られているのは恥ずかしい。遺族に対して申し訳ない」、とまで証言した。

これを聞いて裁判官は後の証人を怖れて却下したとしか考えられない。
原告側は本多勝一ら二名の証人尋問を申請したが、いずれも却下された。これまたおかしな訴訟指揮だ。
浅海ノホラ話を一段と増幅させ、遺族等に辛酸を舐めさせた当の本人に尋問できない。もっとも本多が証言台に立ったとしても、ぬらりくらりの詭弁に終始するだろう。・・・・

一審の判決理由を要するに、
ーーー両少尉の職責、日本刀の性能からして、「百人斬り」、を記事の内容どおりに実行したかどうかについては疑問の余地がある。しかしながら重要な部分において、一見して明白に虚偽とはいえない。これについては原告側で立証しなければならない。よって請求を棄却する。・・・
立証行為を散々に妨げておきながら、そのくせ立証を求める。そもそも、「なかった」、ことの証明は、「悪魔の証明」、と呼ばれて難しい。まして七十年まえのことだ。

それでも原告側は残り少ない存命の証人らを集めるなどして懸命の努力をした。それを無にしておいて、判決は、「疑問の余地がある」、としながら、両少尉を、「南京虐殺の実行犯」、として認定した。
稲田弁護人は書いている。

・・・今にして思えば、真ん中に座った裁判長は挙措動作に落ち着きがなかったと思います。左手の若い裁判官は、何度も私たちの方へ同情的な視線を送ってくれたように感じます。右手の年嵩の裁判官は中立的な態度で無表情でした。

裁判長だけが、視線が定まっておらず、被告席や私どもや傍聴席をチラチラ見ておられました。手を組んだり外したりで、一番体の動きがあったように覚えております。・・・・
判決を聞いて、マサさんは嗚咽を抑え切れなかった。
ーーー法廷全体が一瞬思い沈黙に包まれました。が、すぐに、「よしッ」、という賛同の声が傍聴席のあちこちから起こりました。新聞社側の支持者だと思います。私どもの側は寂として声もない状態でした。

掛け声は例の親衛隊からでもあったろう。遺族が背負う、「汚名」、が続く。いや遺族だけではない。日本の、「汚名」、が続く。なのに遺族に一掬の情けも示さず、自国を黒塗りにして歓喜する手合いがこの日本にはいる。・・・・

百人斬り訴訟際裁判を経験して、私は今回の最高裁判決に何の期待もしていませんでした。堤尭氏の上記の文章に語られているように、日本の司法は、民法、刑法、商法に関する裁判でしたら、法に基づいた、納得のいく判決が出されます。しかしイデオロギーに絡んだ、裁判になると、異常な判決が下されます。

稲田朋美・弁護士が、「考えられないような、異常な訴訟指揮から見ても、最初から、我々に勝たす意思はなかった、としか考えられない」、と語っていたのも尤もとおもいました。
どんな筋の通らぬ、ムリな理屈をつけても、「朝日」、「岩波」、大江健三郎らを絶対に有罪にはしない、という強固な空気を感じました。
しかし、嘘や不条理は永久に続くものでないと、確信しています。

>教科書検定に詳しい高嶋伸欣琉大名誉教授は「中学生が読めば、戦争だから犠牲は仕方ない、と受け取られかねない。だが沖縄戦では日本国民が自国民を組織的に虐殺した。そんな国は他にはない」と話し、加害と被害の所在と実態を明確にする必要性を強調した。

こんなのが、時の審判にたえられるものでありません。 
 

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無知を晒す琉球新報の社説、私人間の争いに「検閲」はない!

2011-05-01 08:24:30 | ★パンドラの箱訴訟

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前のエントリーで、最近の司法は人権より表現の自由の方に軸足を置いた判断が多いと書き、幾つかの例を示した。

配信された通信社の記事をそのまま掲載した地方紙と通信社の言論の自由に関する訴訟と「集団自決自決訴訟」に関する最高裁の判断ではいずれも表現の自由に重きを置いた判断をした。

もうひとつ例示した日教組がプリンスホテルを提訴した例は、日教組側の勝訴に対し、新聞各社は「言論・集会の自由を守った」日教組の勝利を声高らかに賛美した。

プリンスホテルという私企業が日教組の「言論・集会の自由」を弾圧するほどの権力を有するはずはない。 ホテル業として宿泊客のことを第一に考えた結果、問題のある日教組大会を拒否したわけであり、当然契約違反による違約金等の支払いは覚悟のうえでの日教組大会開催の拒否であったはずだ。

したがって新聞各社が騒ぐ「言論・集会の自由」云々はプリンスホテル側としてはお門違いと考えたであろう。

そのお門違いで、琉球新報が声高に「集会の自由・表現の自由は憲法の認める、最も大切な基本的人権の1つだ」と吠えた当時の社説を全文引用する。

会場使用拒否 ホテルは社会的責任自覚を

琉球新報 2008年2月3日 
     
 企業の社会的責任の自覚を、限りなく疑わせるものだ。理不尽な暴力に屈した末の判断であるならば、この国は果たして法治国家としての資格を備えているのか。そんな批判も、一概に的外れとも言えまい。
 
日教組(森越康雄委員長)が予定していた教育研究全国集会の全体集会を、会場となっていたグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が、一方的に使用を断ってきた。右翼団体による妨害行為などを理由にしている。
 教研集会は学力、指導方法、いじめなどの問題について、全国の教職員が研究、話し合いをする場だ。1951年以降、毎年1回の全国集会を実施しているが、全体集会が中止に追い込まれたのは初めて。これまでも、集会のたびに右翼団体の街宣車が会場周辺をマイクでがなりたてるなど、妨害行為を繰り返している。
 今回の教研集会は2日から4日までの日程で、全国から延べ1万2000人の参加、全体集会には約3000人が出席の予定だった。
 
昨年5月、日教組はホテルと会場の使用契約を交わした。ところが11月になって、右翼団体による妨害の可能性などを理由に、ホテル側が一方的に契約破棄を通告してきた。日教組の申し立てに基づき、今年1月には東京地裁が会場使用を認める仮処分を決定、さらに東京高裁もホテル側の抗告を棄却していた。
 裁判所が結論を出した後も、ホテル側はかたくなに使用を拒み続けていた。集会を開けば右翼の妨害で客や周囲に迷惑を掛ける、というのが言い分だ。また、右翼の妨害行為などについて、契約の前に日教組から説明がなかった、とも主張している。
 これに対する東京地裁の認定はこうだ。日教組は前回の集会に関して、街宣車が来て警察が警備した、とホテル側に述べており、説明責任は果たしている、とする。
 集会中止を発表した森越委員長は「司法の判断に従うのは法治国家の基本。ホテルの姿勢は自由や民主主義を壊滅させるもの」と批判したが、当然の認識だろう。
 直接、右翼などの脅迫があったのだろうか。ホテル側の態度を見ると、こう疑われても仕方ない。
 
集会の自由・表現の自由は憲法の認める、最も大切な基本的人権の1つだ。今回のホテル側の態度は、こうした権利をも奪うものと批判されかねない。
 企業の社会的責任とは何か。いま一度、思い起こすべきだ。理不尽な行為に対してはむしろ批判の声を上げ、さらに日教組や警察と一体となって対策を練り、集会の進行に万全を期す。こうした毅然(きぜん)とした態度こそが、求められているのではないか。不法者を喜ばすような愚だけは、避けるべきだ。

              ☆

■私人の論争

 「集団自決訴訟」が先日の最高裁で原告敗訴と確定した後、教科書検定に関して記者団に問われた高木文科相がこのように答えた。

 「私人の論争なので司法が下した判断についてコメントする立場にはない」(沖縄タイムス)

 この「私人の論争」という耳に馴染まない文言は高木大臣が、記者に問われてとっさに出た言葉ではなく、文部官僚が熟慮して考えた言葉である。

最高裁判断があった4月22日の午後、文部科学省教科書課は既に次のようなコメントをしている。

「この訴訟は一般の市民間の法的な争い。教科書検定の内容が問われているものではなくコメントする立場に無い」(23日琉球新報)

では何故文科省はこの裁判を「私人の論争」とか「市民間の法的争い」と市民間の争いに拘るのか。

一方の被告側は、高裁、最高裁各判決後のコメンで、この裁判は「表現自由の勝利である」と述べている。

■最高裁判断直後軍関与認めた判決確定 「集団自決」めぐる岩波・大江訴訟 2011年4月23日

「表現の自由」に考慮し、公益目的で真実性のある書籍が新たな資料により真実性が揺らいだ場合、記述を改編せずに出版を継続しただけでは不法行為とはいえないとした。

■大阪高裁判決直後最高裁に棄却求める 岩波訴訟判決報告会2008年11月23日 

 秋山弁護士は高裁が「新たな資料などで批判、再批判が繰り返され意見が形成されていく。その過程を保障することが民主主義社会の存続の基盤を成す」などと示したことを紹介し、「判決は新たな資料の出現で表現が萎縮(いしゅく)することの不利益は大きいという判断を示した」と説明。表現の自由が重視された判決として評価した。

ここで再度憲法21条を引用する。

 第21条〔表現の自由〕
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
  
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

教科書検定意見は「表現の自由」を侵犯する「検閲」であると主張したい被告側が、最高裁判断を「表現の自由」の勝利であると位置づけたい気持ちはわかる。

だが憲法第21条第2項が禁止している「検閲」は、判例の定義では概ね次のように定義される。

1 行政権が主体となって、
2 思想内容等の表現物を対象とし、
3 その全部又は一部の発表の禁止を目的として、
4 対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に発表前にその内容を審査した上、
5 不適当と認めるものの発表を禁止すること
(最判昭59年12月12日)。

 一方の被告側は、何とか今回の裁判の結果を教科書検定に結びつけ教科書検定が憲法21条第2項でいう検閲に相当し、憲法違反であると主張したいのである。

翻って「集団自決訴訟」が私人の法的論争であるという文科省側のコメントは、この裁判は行政が主体となる「検閲」とは何ら関係がないと主張したいのである。

では、上記引用の「日教組・プリンスホテル」訴訟で、琉球新報が高らかに謳う「表現の自由」はどうか。

これも明らかに「日教組vsプリンスホテル」という私人同士の論争であり、少なくとも政府という国家権力が介入した話ではない。

したがって琉球新報が垂れ流すご高説がいかに無知でピントはずれであるかが良くわかる。

 

では「パンドラの箱裁判」ではどうなるか。

琉球新報という私人が上原正稔という私人の原稿掲載を拒否したからといって、言論封殺ではあっても、言論弾圧というのには疑問が残る。

通常、言論弾圧とは国家権力が検閲等の手段で言論を弾圧することであり、もちろん現行の憲法では禁じられていることである。

ところが無知な琉球新報は、私人間の争いである「日教組・プリンスホテル訴訟に対して、憲法21条の表現の自由を適用したピンと外れの社説を書いた。

琉球新報の社説が正しいとしたら、自身が被告人となる「パンドラの箱訴訟」では、被告の琉球新報側が憲法違反をして検閲をしたことになるではないか。

大笑いの巨大ブーメランである。

もちろん法律の専門家が代理人を勤める法廷では琉球新報のような無知な発言は無いと思うが、その第一回公判が愈愈今月の連休明けに行われる

 

 ★講演会のご案内★

沖縄県祖国復帰39周年記念大会

 ■日時:平成23年5月15日(日) 開演13:30~16:00

■参加費: 500円 学生無料

■会場:  かでな文化センター 嘉手納町嘉手納588

(町役所隣・かでなロータリー内)

■主催: 沖縄県祖国復帰39周年記念大会実行委員会

     実行委員長:中地昌平

■共催、連絡先:日本会議沖縄県本部 那覇市若狭町1-25-1(波の上宮)

      090-1942-1675(仲村)    

 プログラム

●第一部: 「今明かされる祖国復帰の真実」

    ※全国の各界代表、県民代表、先島代表ほかより挨拶

 ●第二部: 「記念講演」

   ★「尖閣諸島・沖縄を守れ」

   講師:青山繁晴 独立総合研究所主席研究員

   ★「日本経済の復興と成長と虚構の中国経済」

   講師:三橋貴明 作家、経済評論家

 ●第三部: 沖縄祖国復帰記念パレード

       ※希望者のみ   

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