ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

お知らせ

2016-12-28 21:35:25 | つぶやき
(有)ホリカワからのお知らせ。

明日12月29日(木)から新年1月5日((木)まで冬季休暇のためお休み致します。
この間のお問い合わせへのご返信は、1月6日(金)以降になりますので予め、御了
承下さいますようお願い申し上げます。

ということで、本日、仕事納め。

今年は、年末の中国行きを年明けにしてしまったことで、なんとなく消化不良のまま
の年越しになってしまったけれど、まぁ、仕方ない。

今日は、掃除に片づけをし、正月の従業員さんへの連絡事項を記して一日が終わった。
2016年、どうであれ、まぁ無事に終わって良かった。

さて、来年はどうなんだろう?

今年は、その時々で思ったことをメモに残しておいたので、それを一つづつやって
いこうと思っている。ひとつは、ちょっと大きなことなので、もし実現出来れば、
再来年はガラリと環境も変わるはず。今年は夏場に大きな失敗があり、その挽回を
2月に取り戻すのも目標のひとつだ。あとは、小さなことがいくつかあるので、それ
らの見直し。

そして数字ばかり追うのではなく、少し先を見据えた展開の為に、時間を使おうと
思っている。

また、旅行にも行きたいけれど、それはどうかな…?

それでは、今年もホリカワをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。

来年もまた、何卒、よろしくお願い申し上げます。

それでは、皆さま、良いお年をお迎え下さい。






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観てしまった…

2016-12-27 17:35:50 | つぶやき
ちょっと観てしまった「SMAP×SMAP」最終回。

私は別段ファンでないけれど、こうやって観てしまうということは、やっぱり彼らが
「国民的アイドル」だからなんだろうか?良くわからないけれど…。

何も語らず、ということ終わってしまったけれど、所詮、彼らの思いなどを推察する
ことなどできないし、様々な噂話が、本当に正しいかどうかは分からない。けれど、
あんなに寂しい終わり方ということで観れば、やっぱり普通ではないんだなと思うに
至った。

それにしても、日本の芸能界は怖いなとつくづう思う。なぜタレントが事務所を単に
契約期間満了をもって事務所を離れるという普通のことができないのか?契約期間が
あり、その更新をするかどうかだけで、なぜ収まらないのか。なぜ「これまで育てた
恩が」とか「筋を通せ」といった明文化されない事柄を主張するのか?
もし事務所側が「今までありがとう。新天地でも頑張ってね」と送り出してくれれば、
このような形にはならなかったはす。

「ここまで育てるのにいくらかかったと思っているんだ」という主張があるとしても、
それなら「これから君を大々的に売り出す。だから給料も倍にする。その代わり1年
契約でなく5年契約にしてくれ…」などの手順を踏めばいい。たしかに、事務所の強権は、
ゴシップや不祥事も大きな怪我とはならずに済ませてくれる場合もあるし、普通の人を
スターを作り上げ、世の中に押し出してくれるノウハウもあるわけで、一概にその力を
否定はできないけれど…。

それにしても、思考がちょっと「その筋っぽい気がする…」

今回のSMAP解散騒動は、事務所のゴタゴタがそもそもの発端のはず。事務所が件の
マネージャーを追い出さなければ解散はなかった。
キムタクうんぬんの前に、事務所がこのマネージャーと和解できていれば、何も起こら
なかったのに…。

結局、誰も得をしなかったし、皆が不幸に見舞われただけで終わってしまった感じがする。

何だか、もったいない…。






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47歳の気力?

2016-12-25 21:52:09 | つぶやき
今日、同業者の知人が商売を辞めるので挨拶に来てくれた。

うちとはそれほど親しいわけではなかったけれど、「気力がなくなっちゃって…」
聞くと、半年ほど前に決断したとのこと。

「気力がなくなる…」これ、本当に良くわかる。

気力とかモチベーションを維持するのが、加齢と共に難しくなるのは周知のとおりだが、
自営の場合、人からやらされるプレッシャーがない分、やる気を維持するのが結構、難
しい。特に自分に甘い人は、「今日は頑張った、あとは明日にしよう…」と、つい、ず
るずる先延ばしにしてしまう。こうしてやるべきことが溜まっていき、尻に火がついて
から慌ててやる羽目になり、大変な思いをする。

本来、一度で学習するべきところだが、同じことを再び、いや毎度のことのように繰り
替えし、あまりの学習能力のなさに自己嫌悪になったりもする。こうして、現実から目を
そらし、日本脱出を考える。けれど、帰国すれば現実からは逃れられず、仕方なくやらざ
る得なくなる。けれど、気分は優れない。そんな時に、こうやって同業者が辞めるなどと
言う話を聞くと、さらに気力が…

思えば、今年はエジプトに旅立った日が誕生日だったため、特に47歳を意識することなく
過ぎてしまい、今に至っている。47歳、中途半端だが、もう、立派なアラフィフだ。
40代、世間では働き盛りなんて言うけれど、四十も後半にもなると、体力も衰え、労働が
体に良くないということを度々実感することも多くなった。

世間では長時間労働が問題になっているが、ワークシェアで1日半分の時間でも日本経済は
回っていくとか、そういう話がかつてあったのはどうなったのだろう。

まぁ、自営は関係ないか…。

今月は、一年の疲れがどっと出ているのかもしれない。

明日は、スーパー銭湯にでも行こうかな…。





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バタバタ

2016-12-24 21:04:43 | つぶやき
四日ほど前に、急遽、思い立って26日(月)から中国へ行こうと思い、キャンセル待ちを
していたのだが、希望の便が取れず断念することに…。

ここ数年、ずっとこの時期に数日、出かけていたので、今年は久しぶりに年末をのんびり
できることになった。

久しぶりの清原。メディア露出は、まだ、ちょっと早いような気もするけれど、写真で見る
限り、すっかり凄味が無くなっていたのにはびっくり。それにしても、佐々木はいい人だ。
著名人の中で見捨てなかった唯一の人ではないのか。元木なんかは、どうしたんだろう?

困った時に、手を差し伸べてくれる人が一人でもいてくれたら、それを支えに何とかやって
いけるものなのかな…。

今日は、クリスマスイブ。

今年もあと、一週間。

掃除に整理整頓、事務仕事…。

ここのところバタバタしていたので、でも、とりあえず、まずは、近所のスーパー銭湯に行きたい。











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ミャンマー人と…

2016-12-21 22:08:01 | つぶやき
知人のミャンマー人家族と食事に行った。

このミャンマー人家族、ご主人がミャンマーでチャイニーズレストランを奥さんが練り物と飲茶の
工場を経営していて、超お金持ち。ひとり息子はオーストラリア、シドニーの全寮制進学校(高校)
に通っている。月の学費が寮費も入れると日本円でおよそ100万円なんだとか。
今回は、アメリカのロサンゼルスに住んでいる従妹の女子大生も名古屋に集結し、皆で日本を満喫
するんだとか…。

約10日間の日本滞在。お買い物の予算だけでもおよそ100万円。これとは別に北海道旅行と京都、
そして大阪のUSJジャパンに行くらしい。先日、妻がお昼を一緒にした際は、皆でウナギのコ
ースを、ひとり6千円で。そのままデパートで奥さんが8万円のワンピース二着と5万円のブラウス
を購入したそう。

このミャンマー人奥さん、4年前に練り物と飲茶の工場をヤンゴンに作った。工場の土地と建物の
資金と日本で中古機械の資金のおよそ5千万ほどは旦那さんが出してくれたものの、あとは、ひとり
でこの4年の間に軌道に乗せているから凄い。

話も思考も華僑そのもの。こういう方々には、そもそも企業に勤めるという発想はない。教育には
金をかけ、アメリカやイギリスの一流大学に行かせるのは、すべて人脈の為で一流企業に入るため
ということではない。どんなに大企業でも、働いて数年程度の給料などはたかが知れたもの。
自分でやる、彼らの場合は親の仕事を継ぐ、この方が実入りは全然いいということである。

確かに開国したばかりで、隙間だらけのミャンマーでのビジネスには、まだまだ伸びしろがいくら
でもあり、老人大国で先細りの日本とは、事情が大きく違う。

日本で何かを始める場合、失敗することのリスク回避を可能な限り考える。投資が大きくなれば
、まぁ、当然の話だけれど、その辺、彼らは勢いでドーンと行ってしまう。だからやることも早い
し、ダメなら、また別のことをやればいいと、切り替えも早い。こういう思考は、ぜひ、見習いた
い部分ではあるけれど、日本ではそう単純にはいかない。

やはり南国の年中温かい国では、無一文になっても、親戚縁者に身を寄せれば、なんとか食べさせ
てくれるという助け合いの文化が根付いているのも大きい。日本で同じことをやったら、「二度と
来るな!」と塩でも撒かれるのがオチだ。

この頃は、というか、もう数年前からだが、発展著しい東南アジアの国々が羨ましく思えて仕方が
ない。衰退する日本と勢いのあるアジア。この格差は縮まるばかりだ。

彼らに、今の日本はどう映っているんだろう?

もっとも、そんなことは別段、考えず、ただ美味しいものを食べ、買い物をし、行きたいところに
行ければそれでいい、そんなところなんだろうけれど…。

ここにいるミャンマー人が、ほんの一部の特別に恵まれた人たち、というのはわかっているのだ
けれど。

それでも、ちょっとまぶしく見えた…。





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当て逃げ

2016-12-20 20:45:01 | つぶやき
つい、先日、当て逃げにあった。

ショッピングセンターに置いて、買い物から戻ると、フロントガラスに一枚の紙が
ワイパーに挟んであった。

「目撃者、トヨタ、シエンタ?みたいな車。後ろ、バンパーぶつけたと思います。
以下、ナンバー〇〇〇〇多分?」と書いてあった。

当て逃げを見つけた親切な方が、書いてくれたみたいだった。大変、ありがたい。
傷は小さなものだったが、一応、警察に届け、連絡を待った。そして、本日、警察
から連絡があり、どうもナンバーが該当しないとかで、相手を特定することができ
ないとのことだった。

見かけた方も、多分?と書いていたように、もしかしたらナンバーを見間違えた可
能性もあるので、仕方ないけれど、せっかく目撃者がいてこういう手紙まで置いて
いってくれているのに、まぁ、なんとも悔しい。おそらく当てた本人は気づいている
と思われる。きっと、そのうち階段から落ちたりとか、何か罰が当たるに違いない。

昨夜は、自転車に乗っていたところ、二人組の男に追いかけられる羽目に。最初は
気づかず、そこそこのスピードで走っていると、何か後ろから走ってきている足音
らしきものが確かに聞こえていた。長い直線で真っ暗だったこともあり、後ろは振
り返らずにさらにスピードをあげると、向こうも加速したらしい気がしたのと、足
音と共に何やらカシャカシャという音も聞こえた。

さらに「行け!」という、男の声もした。

ここで、嫌な予感がしたのだが、振り返って逃げているという感じになるのも嫌で、
後ろを見ず、さらに加速すると、今度は「ちょっと、止まってくださーい」という
声が聞こえた。

そこで、意を結して止まって振り向くと、警官2人だった。一人は若手、もう一人は
中年警官で、こちらは完全バテバテ状態だった。

何かと思ったが、「無灯火なので、防犯登録の確認させてください」とのこと。
初の職質かと思いきや、そうではなかった。

そうとわかって、こちらもひと安心だったが、走って来られるのが、かなり恐怖だった
ので、それを言うと、さすがに「驚かせて、すみません」と丁寧にお詫びがあった。
取り締まりは、いつもは自転車かバイクとのことだったが、今日はたまたま徒歩で巡回
だったとのこと。

警察に走って追われる初めての体験だったが、今思えば、あれで振り切った場合とか
わざと捕まらない程度にもっと引っ張るとかしたら、どうだっただろうと思ったり。

まぁ、こんな年の瀬に、ちょっと嫌な気分に…。

なんでも、美輪明宏の「正負の法則」によると、良いことがあると、それと同程度の
悪いこともあるというから、仕方ないのかも。そういえば、今年は福引が2回も当た
った年だった。一度目は2等で5千円。二度目は特別賞で三千円だった。

その対価がこれなんだろうか?

でも車のキズ、直せば2万円はしそうだな…。





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ひとつひとつ…

2016-12-18 21:19:14 | つぶやき
知人のネクタイ屋さん。

「来年3月で商売を辞めるよ…」と二日前に言われた。

会ったり話したりするのは、月に2~3回くらいの仲だったが、割と何でも話せる人だったので
残念でならない。一時は4つも5つも店舗を持って、随分、羽振りもよかった。京都で作られた
生地を使い、こだわりのちょっと良いネクタイを作っていたのだけれど、販売不振で運転資金が
滞り、借金が増え続けてついに…ということらしい。

近年は夏場に「クールビズ」という、半ば国策的な反ネクタイ運動が商売の足を引っ張った。そ
ういえば、何かにつけて、今の都知事でクールビズ発案者と言われる小池さんを目の敵にしてい
た。

さらに「今の若い人は、良いネクタイを付けようとはしないんだよ…」「安物でもなんでもいい
の、中高年の役職者だって、安物しかしない人もいるしね…」商売柄、付けてるネクタイでおお
よそ、年収や職業、勤めてる企業の大小に役職がわかると言っていた。会社のなかには必ず、一
人や二人、こだわった高そうなネクタイを付けている人がいたりする。そういう人はワイシャツ
もちょっといいモノを着ている傾向にある。けれど、圧倒的に少数派だ。

日本人の消費志向が変わった、という見方もある。

昔は、終身雇用で、なんとなく皆が年功序列で給料も上がり、出世もできた。歳を取れば、給料も
上がるから、ネクタイもシャツもグレードを上げた。けれど、今や給料はなかな上がらず、リスト
ラだってある。良いものを身に着けたいと思っても、そこに回すだけの余裕がない。これは志向以
前の問題だけれど…。中間層が激減しているのも大きい。

来年は、今年よりさらに悪くなりそうな気もしている。

これまで通りではいかないだろう。

何かアイディアや新たな行動が必要だと思われる。

思いつくことを、ひとつひとつやっていきたい。






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エジプト ルクソール編

2016-12-15 21:24:30 | 旅行(海外)
空気の悪いカイロから一路、国内線でルクソールへ。

さすがにこの日程で、アブシンベル、アスワンを回るのは難しく、せめてルクソールだけでも、という妻の希望でルクソールへ飛んだ。ここは、あの王家の谷、ツタンカーメンが出てきたお墓などがあるところ。あとはカルナック神殿やルクソール神殿などの遺跡がごろごろ。

好きな人にはたまらないだろうけれど、私には退屈、極まりない。しかも、昔、一度見ているので、もう、本当にお腹いっぱい。やっぱり遺跡より、人々の今の生活の方に興味がある。途中で飽きてきた子供と、遺跡でかくれんぼをして、妻の「もう、いいよ」をひたすら待つ。

そういえば、エジプトでは娘がなぜか、大人気?だった。歩いていると、「娘さんと一緒に写真を撮らせてくれ…」のオンパレード。ピラミッドでもスークでも教会でも、列ができるほどだった。ピラミッドでは中国人の若い女性も大人気で、写真待ちの行列が出来ていた。

これはおそらくだが、今、エジプトでは外国人と一緒に写真を撮ってSNSに投稿するのが流行っていると思われる。それも、欧米人よりアジア人、そんな感じだった。困ったのは、娘の頬にキスをする輩も出てきたことだ。しかも、ひとりのおっさんは唇にしようとしたので、「汚いから、辞めろ!」と叫ぶと、渋々引き下がったことも…。まったく、侮れない。うちの妻には、声がかからなかったが、私を指名してきたおっさんが一人いた。てっきり「また、娘かよ…」と思って娘を呼ぶと、「NO、NO,YOU…」と…。気色悪かったが、笑顔で写真に納まってあげた。

それでも、ルクソールはカイロと違って田舎だし、こじんまりしているのがいい。ナイル川に沿って開けた街は、適度に歩ける大きさなのでのんびりするにはいいところだ。と、言いたいところだけど、街中には、
土産物屋の客引きにガイドの押し売りそして馬車引きの客引きがいて、これがわんさかやってくる。

もう、鬱陶しいったらありゃしない。中には、客引きをあしらってくれた親切な人かと思いきや、こいつがまた、客引きで、もう、誰も彼も信用できない状況を作り出してくれるのには閉口した。本来なら観光シーズン真っ盛りのはずなのに、ムバラク退陣後の混乱で、ツーリスト激減で争奪戦が起こっていると、後で、宿の方が教えてくれた。たしかに遺跡にはそれなりに観光客の姿はあったが、言われてみれば少ないし、街中では、ほとんど見かけなかった。そんな中でアジア人の私たちは、まさにネギカモに見えたに違いない。

子供も、もう、慣れたもので、「また、来たよ…、きっと、ワンダラーって言ってくるね…」

ルクソールの客引きの口癖だ。「馬車はどうだい?1時間ワンダラーだよ」「このお土産、全部でワンダラーだよ…」実際、そんなわけにはいかないのだけれど、とりあえずの誘い文句がこの「ワンダラー」だった。

一大観光国で、観光客が来なくなる。すると、ツーリスト産業で食べていた人らが、皆、半失業状態におかれてしまう。今のエジプトはそんな感じだった。

自分たちで民主化を選んだことで、国が混乱してしまい、未だ、立ち直れていない。自由との引き換えに、
職を失ったエジプト人は思いのほか多い。安定するのに、あと、どれくらいかかるのだろう?

それでも、今月、久しぶりに、エジプト航空がチャーター便で日本からエジプトへ観光客を運んだというニュースがあった。少しづつでも、回復していければ良い。

ただ、さすがに、もう、エジプトはお腹いっぱい。
どうせアフリカへ行くなら、今度はエチオピアがいい。

おそらく、無理だろうな…

終わり…







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エジプト カイロ編(2)

2016-12-14 21:19:55 | 旅行(海外)
初日の宿は、ピラミッドのすぐ前にあるバックパッカー宿に泊まった。こういう宿は久しぶりだ。

ただ、ドミではないし、部屋にトイレとシャワーも付いて充分快適だった。ここの売りは部屋からピラミッドとスフィンクスが見えること。さらにピラミッドを眺めながら屋上で朝食が取れるので子供も大喜び。

また、ゲートにも近く、たくさんの人が来る前に見に行けるので、それも良かった。といっても、最初だけ。9時もなれば、どんどん人はやってくる。けれど、外国人は少なかった。中国人の団体もわずかで、ほとんどが地方のエジプト人と遠足とか修学旅行の学生の団体ばかりで、あらためて観光客離れを実感する。

ピラミッド周辺で有名なのが客引きだ。外国人旅行者が少ないのでとにかく目立ってしまい、彼らの格好のターゲットに。土産物売りにラクダ引き、もうしつこいのなんの…。特に子供が居るので、皆が皆、子供に「これプレゼントです…」といって土産物を渡してくる。「要らない、要らない」といっても子供に無理やり持たせたり置いて行ったりしてしまう。で、しばらくすると、戻ってきて「1000円とか5ドル」とか何かしらのお金をせがみに来る。このパターンに子供もうんざり気味で「ノーサンキューって言ってるでしょ!」とキレたのには驚いた。

一応、エジプト人の名誉のために「あの人たちも、これが仕事なんだよ…」とフォローしておいたが、「悪いことしているから、嫌い…」と、これ以後、彼らが近寄ってくると、いの一番に、手を引っ張って逃げる
ようになった。自己防衛というものを覚えさせるには、いい経験になったと思われる。

5段くらい上に登ったところで、ようやく一息。地上に降りると、また、客引きが寄ってくるので、随分、
高いことろで長い間ボーっとピラミッドを堪能していた。

昔、カイロに長いこと滞在していた時、エジプトに旅行にきたまま、およそ7年くらい滞在しているYさんという方と出会った。彼は宿の主的な存在で、その時はアパートに住んでいたのだが、時々、宿に来てアルバイトの斡旋などをしていた。暇だった私は積極的に彼の紹介でバイトをさせてもらっていた。

そのひとつに、彼が紹介する人をピラミッドを登らせるお仕事、というのがあった。夜中の3時に宿を出て、お客さんの宿泊ホテルに向かい、ピックアップして、4時前にピラミッドに到着。監視の目をすり抜けて、四隅の一角から登頂を開始する。40分後の5時前には登頂完了。上る朝陽を見て7時ちょい前に下山する。係員にワイロを払って、客をホテルに届け終了。これで50ドル貰えた。Yさんはいくら抜いていたのかわからないけれど、7人くらいの登頂を手伝った。一人で請け負う前に、一度、前任者について登頂をしていたので、8回ほど登ったことになる。頂上には、乾燥うんこが結構、あった。私は他人とかち合うことはなかったが、結構、登る人はいたらしい。今はどうなのか、わからなかったが…。

その後、考古学博物館へ。今は、市内中心部にあるけれど、近い将来、ピラミッド近くのギザに移転するらしい。その新たな博物館は日本の支援で建設していた。現在の博物館は、展示が結構、雑で平気で触れるのが特徴だ。もちろん、ツタンカーメンなど厳重な警備に置かれているものもあるけれど、多くがべたべた
触れてしまう。一応、禁止らしいが、そういう雰囲気にないので、皆、結構、触ってしまっている。
おそらく、新しい博物館になれば、そうはいかないと思われる。私は、正直、あまり興味がないので、退屈極まりなかったが、子供の手前、大人しく見学していた。

久しぶりに、国民食「コシャリ」も食べ、フルーツジュースも飲み、カフェで水煙草も…。
禁煙してから7年目、まさかエジプトで水煙草で破るとは、思いもしなかった。

翌日は、スーク(市場)を訪ね、広範囲に渡って本当によく観光した。道案内は私の役目で、妻の計画通り動くのはなかなか大変だったが、たまたま子供の機嫌が良く、歩いてくれたから良かったと思っている。

タクシーもメーターではなかなか行ってくれず、交渉も面倒で、アジアと比べると、煩わしいことが多いけれど、これで子供を伴い、インドやバングラも行けるかなと、思ったり…。

結構、疲れたけれど、こうしてカイロが終わった。

つづく…



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エジプト、カイロ編(1)

2016-12-13 20:59:59 | 旅行(海外)
ドーハからカイロへやってきた。

ビザ代が25ドルになっていた。以前は15ドルだったのに…。エジプトは今回で5度目だ。結して、好きな国ではないけれど、アフリカ縦断の起点としたり、ヨーロッパからの帰りに寄ったり、バンコクで買ったニューヨーク行きのチケットの最安値がエジプト航空でそのついでに寄ったり、長い時は3か月くらい滞在したこともあるなじみのある街で、本当にいろんな思い出がある。

着いて早々、換金しているわずかな間に、子供が手すりに上り、そこから見事に落下。で、足を打ち出血して大泣き。おかげでタクシーの客引き集団をかわすのに役立ったけれど、「もう、歩けない…」と言い出した為、抱っこする羽目に…。20キロの荷物が一つ増えたことで、出鼻を挫かれた感じだった。

カイロ市内は慢性渋滞。昔はこんなにひどくなかった。しかも、排気ガスによる大気汚染が最悪だった。日本ではまったく報道されないけれど、もしかすると北京なんかよりも酷いのではないか、と思うほど。そうでなくても、砂ぼこりが酷いのに、もう、マスクなしでは車には乗れない状態だった。しかも、タイミング的に冬なのでエアコン入れることもない。なので窓は常に開けっ放し。そして渋滞。苦痛以外の何者でもない。

可能な限り地下鉄を使うのだが、路線が限られていてどうしてもバスやタクシーに乗る羽目になる。すると
渋滞に巻き込まれ、近くの移動でも異様に時間がかかった。カイロ、いつからこんなに住みにくい街になってしまったんだろう。

長らく続いたムバラクさんが失脚して、エジプトは大混乱だったらしい。旧市街のモスクで休んでいると
エジプト人の団体客を率いていたガイドさんが話しかけてきた。このガイドさん、実は日本語のガイドさんで革命後、日本人がほどんど来なくなってしまったので、こうしてエジプト人観光客のガイドをしているらしい。ガイドさんによると、革命後、多くの外国人は出国し、観光客は激減。物価は上がり失業者も増え、治安も悪くなり経済はガタガタ、インフラ整備も滞りで、まったく良いところがなかったのだとか…。
今は、少しマシにはなってきているけれど、依然、外国人観光客は戻ってきていないと嘆いていた。

私たちが帰国した直後、ピラミッドのあるギザ周辺で爆弾テロがあり、さらに一昨日、だったかオールドカイロのコプト教の教会でも爆弾テロがあり25人が亡くなっている。この教会、私たちも訪ねていた。カイロに中心地から地下鉄で四つ目の駅前にある古い雰囲気のある教会だ。
こういうニュースが流れると、ますます足が遠のくだろう。さらにルクソールの南にあるアスワン周辺で
日本人観光客の乗った車が横転して、二人が亡くなったと帰国してすぐにニュースで知った。

エジプトは、いろいろ災いが多いなと感じた。

つづく…






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