ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

世界違算?

2013-01-31 21:34:20 | 時事(国内)
この度、日本は、「奄美・琉球」(鹿児島県、沖縄県)を世界自然遺産への
登録を目指すという。

毎年のように増え続ける「世界遺産」、あまりにも多くなると、せっかくの
価値も台無しではと思う。それに世界遺産に登録されると急激に訪れる人が
増え、それに伴う周囲の環境変化も大きく、ひとつ間違うと、世界遺産が街
とそこに住む人の暮らしを変えてしまうことも…。

ラオスのルアンプラバンが良い例である、と言われている。

ルアンプラバンは1995年、ユネスコの世界遺産にも指定された。選考の理由は
、街そのものと人々の暮らしにあった。世界遺産は遺跡や個々の事物への指定
はあるが「街」と「人々の生活と文化」が世界遺産に指定されたのは珍しいと
言われていた。それが、近年、急激に観光化が進み、昔の素朴な姿が失われつ
つある。近年、「街」の中心部はレストランやホテルが建ち、地元の人ではな
く、観光客や会社等を経営するビエンチャンからのラオス人ばかりが目に付く
ようになり、元々、ルアンプラバンの街に住んでいた人々は、家を貸したり売
ったりして、郊外へと移り住んでしまったのだとか…。

私も2年前に再訪したが、初めて訪れた1995年当時と比べて、そのあまりの変わ
りように驚いた。ただ、ユネスコは、ラオス政府に対して、このままルアンプ
ラバンの無計画な観光開発が進み、環境破壊と街並の美観が損なわれれば、世界
遺産を取り消すと勧告をしたという…。

なにせ、ルアンプラバンは「街」そのものと「人々の生活と文化」が世界遺産な
のである。

日本でも「屋久島」や「小笠原」「熊の古道」なども世界遺産に登録されて、訪
れる人がぐっと増えたそうだ。今のところルアンプラバン化はないようが、そこ
の周囲で暮らす人々は、観光業で潤った人を除けば、結構、迷惑しているのでは
ないかと思えてならない。

ユネスコが決める「世界遺産」。

一体、誰のための「世界遺産」なのだろう…?

CENTER>

コメント

引退

2013-01-29 21:58:52 | つぶやき
高見盛が引退した。

一昨年に幕内から十両に下がったが、なんとか踏ん張って関取の地位をキープしていた。しかし今場所で負け越し、来場所の十両の地位はほとんど無理になった。

「関取じゃなくなったら引退する…」

力士の中には、負け越して幕下陥落が決まった翌日からは休場し、そのまま引退宣言という方も多いのだとか…。しかし彼は違った。生真面目なのだろう。人の目を引くようなパフォーマンスをやれば、誰もが人気力士になるわけではない。彼が多くの人に愛されたのは、ひたすら生真面目で、いつも真っ向勝負だったからだと思われる。立ち合いの変化技で勝ちを取りにいくつまらない相撲ではなく、力士らしい力の相撲をやっていたからだ。また、取り組み後に見せる、勝ったときの 「顔を上げて胸を張って花道を歩く姿」 と、負けたときの 「首をうなだれて花道をしょんぼり歩く姿」も彼の愚直な性格を物語っている。

ダサくて格好悪くても、一生懸命な姿は人を感動させる。

最高位が小結の力士でここまで人気が出たのは、彼だからだろう…。

引退後はバラエティ‐番組などでも度々、見かけそうだが、ぜひ、本職に方でも頑張っていただきたい。


CENTER>
コメント

東南アジア的

2013-01-28 20:23:53 | つぶやき
中国でいつも滞在するホテルの周囲には、多くの食堂や商店が集まり、どことなく下町風な感じが気にいっている。

最近、昨年11月くらいからか、夕方から自転車の後部座席を改造したチャリンコ屋台が急速に増え出した。それが、まるでタイにでもいるような雰囲気で、なんとなくうれしくなった。当初は2~3軒だったのが、今では10軒以上にも増殖している。

通りの歩道に均等に並んでいるところをみると、ちゃんと許可を取って営業しているのかもしれない。屋台の内容も様々だ。カットフルーツ屋にお肉の串焼き屋さん、やきそば屋に焼き飯屋に茹でたトウモロコシ屋さんもいる。中には軍艦巻きのすし屋とたこ焼き屋さんもあった。甘栗屋さんを除けば、まさにタイの屋台バリエーションとうり二つだ。またこの通りには、果物屋さんも多く、そこには大量のドリアンが積まれている。そこから匂うのは、強烈なドリアン臭でますます東南アジア的である。ちなみにこのドリアン、まさにタイ産でひとつ18元、およそ270円である。日本で食べることを考えると激安だ。私は大嫌いだが…。

中国でも雲南やベトナム北部ならまだしも、華南のしかも大都会の街中にこのような雰囲気の場所が出来あがって行くなんて…。しかもそこに度々、出向くわけで、なおさらここから離れられなくなった。

仕事を終えた夕方、チャリンコ屋台で焼きそば(チョウメン)やとうもろこしを買って、道端に座って道行く人を見ながら食べる。昔、バンコクのカオサンロードでパッタイや串焼きを買って道端で食べていたのと同じである。
今でもタイには度々、行くし、屋台でも食事をするが、さすがに道端で座ってモノを食べることはなくなった。

それがこんなところで再び…である。

気がつくと、ハルピンビールを飲みながら1時間以上もそこに座っていた。
些細なことだが、そんなことがちょっと楽しかった。


CENTER>
コメント

帰国致しました。

2013-01-27 02:07:22 | つぶやき
帰国いたしました。

この時期の中国、華南は平均気温が20度前後と日本の春を思わせる気候でとても過しやすかった。来月半ばが旧暦のお正月でちょうど今、中華圏では年末という感じだ。そういうこともあってか、街はちょっと騒々しい感じだった。

今回も香港経由だった。本来なら直で行きたいところだが、このところ御用達のチャイナエアラインが香港行きのみを妙に格安で販売している。関空発のLcc対策なのかもしれないが、こんなに安いと多少遠回りでも、その安さに、つい、なびいてしまう。

しかし、そのツケは体力と引き換えで…ということになった。

香港から華南行きの直通列車は年末のせいか往路も復路もすべて満席。特に往路は40分も並んだ挙句、私の5人くらい前で売り切れる羽目に…。手荷物は結構ある。こうなると、一度、深圳まで出て中国と香港との出入国を歩いて超えなければならない。しかし、これが面倒、極まりない。別に荷物もなく時間の余裕もあればなんてことはないのだが、何せ、大きな荷物があると…。

まず、結構、歩かされる。まぁ、これはいい。そしてエスカレーターでのアップダウンがむやみに多い。これも、まぁ、許せる。しかし、許せないのがこのエスカレーター前にある3本のポールだ。これは、本来、中国人の割り込み防止用の策なのかもしれないが、これがあるばっかりに荷物の多い人は、一度立ち止り、いちいち荷物を持ち上げてこのポールを超えてエスカレーターに乗らなければならない。しかもこれがいくつもあるのだ。また、荷物が2つも3つもある場合、後ろから来る人を待たせることにもなる。時には待てない中国人に舌打ちされ、せかされることも度々だ。

この時がかなり辛い。まるで、運動部のちょっとしたシゴキのような感じだ。

さらに、中国、深圳と香港、羅湖側共にイミグレの外国人ブースの数が極端に少ない。なので必要以上に時間がかかるのもしんどい。

一昨年、何も知らずに45キロの荷物を持ってここを超える羽目になったことがある。その時は、あまりの辛さに半ベソ状態で二度とこんな大きな荷物を持ってここを通るのは辞めようと誓ったのに…。

もっとも今回は予定外だったが…。

つくづく体よりもっと頭を使わねば、と思った次第である。

CENTER>
コメント

お知らせ

2013-01-22 02:11:01 | つぶやき
(有)ホリカワからのお知らせ。

明日1月23日(水)より26日(土)まで中国に出張いたします。
この間のお問い合わせへのご返信は27日(日)以降になりますので、
予めご了承下さいませ。

仕事が終わってからの水餃子とハルピンビールが唯一の楽しみで、他には何の楽しみも
ないのが仕事で行く中国である。あっ、でもそれはタイも、いやどこの国であっても同じか…。

では、とりあえず、行ってきます。

CENTER>
コメント

変われない…

2013-01-21 21:45:37 | つぶやき
子供が風邪を引いたと思いきや、それが妻に移り発熱した。
何だか大変だなと思いながら迎えた今朝早くに、お客さんから一本の電話が…。

どうやらうちの従業員がお客さんを怒らせたらしい。始めは穏やかだった口調が、話しているうちに徐々に怒りが増してきたのか、かなりヒートアップしてきた。終いには「これは責任者であるあなたの責任でしょ!」と…。

確かにそうだ。私が悪い。

とにかく「申し訳ありませんでした、今後は二度とこのようなことがないように致します…」とひたすら平謝りだった。

従業員からは予め、話は聞いていた。言い訳することなく、めずらしく自分の非を認めていた。
だから特に、責めるようなことは何も言わなかったが、後になって、やっぱりちゃんと言っておけばよかったかなと思ったりもした。

人に注意を促したり、叱ったりすることは、つくづく難しいなと思う。
私はどちらかと言うと人に注意をされたり、叱られたりするほうが得意というか慣れている。

だからといって、それではいかんしなぁー。

はぁー…。

人間、早々、変われないものである…。

CENTER>
コメント

地の果て…

2013-01-20 21:17:16 | 時事(海外)
「ここは地の果てアルジェリア…」

誰の歌かも知らないが、「アルジェリア」と言えば、まずはこのフレーズが思い浮かぶ。
今回の人質事件、背景はよくわからないが、何人かの日本人も殺害されたようで全く気の毒である。

ヨーロッパや日本の感覚では当然、人命を優先するが、アルジェリアはテロリストの殺害を優先し、人質救出はおまけだとか言われている。普通、 こうした事件の際には人命尊重などは考えないそうなので、おそらく多くの国の首脳らは、アルジェリアがこうした強硬策に出ることはある程度予想していたのではなどと言われている。

日本にはそういう認識はなかったのかもしれないが…。

事件に巻き込まれた方にとって、アルジェリアはまさに「地の果て」に映ったかもしれない…。

CENTER>
コメント

華航四年大限

2013-01-18 20:30:18 | 時事(国内)
とうとうボーイング787が全便飛ばなくなった。

何でも機体の35%ほどを日本が担当し純国産とも言われたハイテク機だったが、度重なる不具合と故障でついに運用を外された。技術大国を謳う日本からすれば、こんなに不具合がでるのなら、純国産などと宣伝しないほうがよかったのではないか、とも思う。数字で見れば、所詮、全体の35%で、残り65%は諸外国で作られているわけである。しかし、航空機製造の世界では35%というのは相当の割合だそうで、ボーイング787型機に関しては日本とボーング社自体が共に35%づつ担当し、残りの30%を様々な国で作ったのだとか…。そうなるとやはり日本の製造責任もあるような気もするのだが…。

しかし、自動車の世界にしても不具合のリーコール問題の時に、下請けの工場などに責任を問うわけでもなく、やはりこれはボーイング社が全面的に原因究明をしないと始まらないだろう。いくら省エネと低コストを重視しても安全が担保されないのでは、誰しも乗りたがらない。

旅好きだった私はこれまでに様々な国の飛行機に乗ってきた。中には相当なおんぼろ機もあった。キューバの旧ソ連製のクバーナ航空やイラン航空、バルカンブルガリア航空は誰の目から見てもすでに内装がボロボロだった。もっとも、その時の機材にもよるのだろうけれど、あまりのボロさは乗ってすぐに乗客を不安にさせるものである。

2年くらい前からは良く台湾のチャイナエアラインに乗るようになった。サービスは別段、可もなく不可もないが、度々死亡事故を起こすことでも有名だ。近年はないが、かつては、「華航四年大限」といい、4年に一度重大事故を起こしていたことから、4年に一度何かあるのではないかとささやかれている。また、そういう噂ゆえに、料金が上げられずサービスの割には価格が安いのではないかと密かに思っている。

とは言っても、飛行機の墜落事故に合う確率など10万回乗って一度あるかないかだと聞いたことがある。これでは宝くじに当たるのとそう違いはない。時々、事故率が高いからといって、特定の航空会社を敬遠する人もいるようだが、つくづくアホだなと思う。

そんなことを言えば、映画「レインマン」の中でダスティンホフマンが、アメリカの東海岸から西海岸に行くのに、「事故を起こしていないオーストラリアのカンタス航空しか乗りたくない…」と行ってメルボルン経由で行こうとしたような愚かな発想に行き着いてしまうのと同じだ。

おそらく近々、787も再び飛び始めるだろう。事故に合いたくないのは誰もが同じである。しかし、787を避けたところで、所詮、事故に合う確率など変わらないわけである。

飛行機などは、もう、落ちたら落ちたで「それが運命だ!」と思うしかないのではないか、と思いながら、いつも乗ることにしている。

CENTER>
コメント (1)

殴り合い

2013-01-16 22:51:35 | 時事(国内)
大島渚が亡くなった。

私の世代だと映画監督としては「戦メリ」くらいで、後は「朝まで生テレビ」くらいの印象しかない。しかし大島渚といえば、何と言っても野坂昭如との殴り合い映像が最も印象的である。

事の発端は大島渚の何十年かの結婚記念日で、友人の野坂昭如に祝賀のスピーチを頼んでおいたことに始まる。見かけによらず、野坂は几帳面に原稿を書いて準備していたのだが、いつまでたってもお呼びがかからず、そのまま会はお開きになってしまった。その間、彼は飲み続けていた。その後、大島渚は、野坂がまだスピーチしていないのに気づいて、あわてて彼を壇上に呼び上げ、用意したスピーチをしてもらった。

殴り合いは祝いの原稿を読み終え、大島が「ありがとうございました」と言葉を発した直後に、野坂のグーパンチが大島の顎に決まった。大島のメガネは飛び、一瞬よろけるが、「失礼はしたが、殴ることはないだろう!」とつかさず反撃に転じ、持っていたマ イクで野坂の頭を殴りつけた。すでに酔っ払っていた野坂は、一発殴ったあとは、大島の攻撃に避けもしないで、頭をマイクで殴られ続けていた。このあたりで映像は終わっている。

これほどまでに、大勢の前でしかもカメラの前でいいおやじ同士が殴り合いを繰り広げるのはめずらしい。しかもふたりは著名人である。その後、野坂が詫びの文章を雑誌に掲載して、一応ケリとなった。

「殴ったことを誇っているわけじゃない。ほんとうに悪かった。しかし殴る相手がいたことをうれしく思う」と、謝ったようにみせながら、「うれしく思う」と、文学者らしく結んで、上手に和解している。

今となってはあの元気も遠い昔話である。野坂氏も今や脳梗塞でリハビリ中で、めっきりメディアにでることはなくなった。私たち40代からすれば、父親が団塊世代なのでその上司にあたる世代だ。昭和ひと桁生まれで、ちょうど日本の血の気の多いのは、この頃だと思われる。

なんだか少し前の気もするが、もう20年以上も前の話である。

とりあえず合掌。
CENTER>





コメント

20歳

2013-01-14 16:11:27 | つぶやき
今日は「成人の日」だった。駅や街中では着飾った新成人を度々見かけた。

「成人の日」、以前は1月15日と決まっていたが、どうして変えたのだろう?ハッピーマンデー成立以後、すっかり祝祭日が覚えられなくなった。それでも、この制度のおかげで都会に出てきている人も故郷で成人式を迎えられることになったわけで、良い部分もあるのかな…。

朝のテレビでは、毎年恒例?の「新成人」に一般常識を質問する映像が流れた。その中で安倍首相の写真を見せ、「この人は誰?」という問いに真顔で「阿部サダヲ」と言うのには笑えた。中には「小沢」という回答もあったな。少し前までは、度々、成人式の式典で暴れていた光景がテレビなどで流れたが、最近はそういうのは無くなったのだろうか?でも、沖縄は相変わらずなのかな?

今にして思えば20歳などまだまだ子供だ。

20代なんて何でもわかっているつもりでも、限りなく自己中で今さえ良ければという感じだった。もちろん、人にもよってだろうけれど、私の場合はそうだった。やりたいことだけをやり、それ以外はすべて後回しで、我慢も忍耐もない。西原恵理子に言わせれば、若いうちの我慢や忍耐は「今したいウンコを我慢しないさい」と言っているようなもので、できなくて普通だとか。今の子はどうなのだろう…。

23年前の成人式の日はバイトで行かなかった。

今も別段、行けばよかったなどと後悔することはないが、一生に一度のことだと思えば、今さらながら行っておいてもよかったのなかと一瞬、思ったりもした。

それだけ年を取ったということなのかもしれない…。

CENTER>



コメント