ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

インドネシア旅4

2024-08-06 20:37:50 | 旅行(海外)
宿を移動してラブハンバジョの町を車で北上する。で、小さな漁村のようなところまで行く。
そもそもこの町はタクシーというものがなく、道で手を上げていると適当に車が止まってくれる。で、料金交渉をして連れて行ってもらう感じだ。つまりここは車を持っている人なら誰もが副業で稼げる白タクシステムになっている…?一応相場があり、それは宿の人に聞いたりすれば教えてくれる。これって本当に便利だし、小さな町では理に叶っていると思う。

で、その漁村で待っていると、初老の船頭さんが乗った小さなボートがやってきた。これから向かう宿の迎えの船だ。
これから向かう宿は車道からは行けないことはないが、ちょっとした距離のあぜ道をトボトボ歩かないといけないので、一般的には船を利用して行き来をしている。おじさんは荷物も持ってくれたけど、多分、「こいつら、なんでこんなに果物持ってるんだよ!」と思っていたと思う。

宿はかやぶき屋根のバンガローで周囲には店も何もない。一応、Wi-Fiは繋がる。シャワールームはピザ窯の大きなやつみたいな作りで、粗雑だけど味のある作りになっている。独立したバンガローにはバルコニーが付いている。ダイニング兼レセプションがある大きな建物が海の目の前にドーンとあり、そこには終日、ゴロゴロできるベッドや椅子がたくさん置いてあり、部屋に帰らなくても良い環境になっている。まさに欧米人のバックパッカーが好みそうな感じだなと思ったら、客はすべて西洋人、しかも9割がフランス人。しかもその半分が小さな子供のいる家族連れだった。ここに泊ると3食ここで食べることになるが、市内と比べてもそんなに高くないし、ミネラルウォーターはいつでも飲み放題。

で、目の前はプライベートビーチになっている。このビーチの凄いのは、沖に4~5メートル行くと、そこで見れる魚群がすごいこと。水族館で見るイワシのトルネードどころじゃない、それはもうちょっと怖いくらいいる。陸からこの距離でこんなに魚がいるなんて、ちょっと考えられないほど。しかもそれがダイビングなどせずに、浮き輪で見れてしまうわけで、もう昨日見たコモドドラゴンなんぞすっかり忘れてしまうくらいのインパクトだった。世界にはまだまだ面白いところがあるんだなと思った。こんな海はなかなかない。ボートも借りられ沖まで出れるし、この宿は当りだった。フランス人には知られた宿なのかもしれない。ちなみに「中国人はたまに来るけど、韓国人と日本人は来ない…」と言っていた。

フローレス島の西端、ラブハンバジョ周辺は今まさに開発ラッシュの只中にある。周囲にはどんどん高級ホテルや大型ホテルが建設中で、このバンガローも設備を随時アップデート中で、もうすぐこんなバジェット宿では無くなってしまうような気がする。コモド島には空港が作れないので、この町がコモド島のゲートウェイということで、近い将来は国際線も飛ぶようになるんじゃないかと思う。もう2度と来ることはないと思うけど、数年後はすっかり変わっているはずだ。

今回はバリのツリーハウスに泊る、という当初の目的をキャンセル料を支払ってまで、覆してフローレスとコモド島に行ってきた。
あまり移動することなく一か所に滞在というのはそのままにして、あくまでものんびりするのが目的だった。

コモド島は、まぁどうでも良いが、あのバンガローの滞在が本当に良かった。あの日に帰りたいと、今は毎日、思っている。

次にインドネシアに行くときは、やっぱり念願の西パプアしかない。もう多分コテカのおじさんは観光客の為にしか残っていないかもしれないが、それでもいつか行ってみたい。で、同時にパプアとの国境を越えて…も、その時、ぜひやってみたい。

次は、どこへ行こう…。

やっぱり知らない土地に行くって楽しいな。

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インドネシア旅3

2024-08-05 20:58:45 | 旅行(海外)
今日はコモド島へ行く日。

朝7時過ぎに船は出航する。私たちの船にはスペイン、アメリカ、オーストラリア、イタリアと西洋人ばっかりで、アジア人は私たち3人だけ。船はコモド島へ行く間に2つの島とその後、3か所のシュノーケルスポットに寄ることになっている。船はさすがにスピードボートだけあって早い。途中でスローボートを追い越していく。一見すると、スローボートのそれは難民船のような船で、私たちアジア人があの船に乗っていると、ひと昔前のベトナム難民船を思わせるような感じだった。それでも、あっちの方が良かったなと思ったり…

最初の寄港地の無人島に着く。ここからコモド諸島(国立公園)ということで、この島で入場料の3,100円が徴収される。この島では展望台までのトレッキングが組み込まれていて、ひたすら山を登るだけの辛い上り坂を展望台まで40分くらい歩かされる。他の船の人の中には途中で断念する人もいた。入場料を払うところで国立公園の係の人が「この島を含むコモド諸島では絶対にたばこは吸わないでくれ!」とキツく言われたのに、早々、眺めの良いところで中国人が気持ちよさそうに一服していて激怒されていた。あれほど注意されてもやらかす中国人に、その場にいた多くの人らが、心底呆れていた。

次に寄るのがピンク色したビーチの島。ドローンで上空から撮影すると、ちょっと凄い写真が撮れそうだが、普通の視線では全然、感動がない。ピンクが薄くて汚れて見える、気もする。その後、ようやくドランゴンが生息するコモド島へ上陸。上陸すると各グループに一人のレンジャーが付く。この島では、レンジャーの指示に従って歩くことになり、自由行動は島の一部でしかできない。肝心のコモドドラゴンはこの島と、もうひとつ近くにあるリンチャラ島という島以外には生息していないらしい。で、見れる見れないは、運次第。中には、全く見れずに帰る運のないお客さんもいるんだとか。で、私たちは歩くこと5分程度で1匹、その後すぐに親子の2匹を、さらにまた1匹とサクサク見れる。ある程度近くまで寄って写真もOKだ。

でも、ドラゴンって、結局、大きなワニ?かトカゲ?

であり、個人的感想を言うと、皆、どうしてこんなのを、わざわざ遠くから見にくるんだろう?と、自分もそうなのに、ちょっと不思議に思った。
ただし、娘も含めて、多くの子供たちは大喜びしていた。まぁ子供の為に来るならわかるが、所詮ワニやトカゲなんて、かわいいわけでもないし、見ていて微笑ましくなる表情とかするわけでもないから、何かを期待してくると激しく後悔するんじゃないかと思う。島の滞在時間はおよそ45分だった。

結論として、これはわざわざ見に来なくて良いと思う。時間がもったいない。(あくまでも個人的な感想です)

こうして何の感動もないままコモド島を後にして、船の中でお弁当のランチタイム。しょぼいお弁当だったが、これがなかなか美味しかった。
で、次に向かったのは、シュノーケルスポット3連発。一つはマンタ、もう一つはサンゴの群生、そして最後はウミガメと、どちらかというと、これがメインだったんじゃないかと思うほど。インパクトのある大きな魚が見れるのは、確かに凄い。いずれにしろ、コモド島の生き物満載ツアーはこうして終わる。

宿に戻ると、妻が「そういえば、先月、名古屋の東山動物園にコモドドラゴンが1匹やってきたらしいよ…」と。

それを聞いて、「えーっ!車で20分の近所で見れるのに、わざわざここまできたわけ!」と、ちょっと落胆する。

まぁ別にこれを旅のハイライトと思って来たわけではないけれど…。

で、明日からはちょっと田舎にの方に移動してバンガローライフを満喫しようと思っている。
離れ小島ではないのに、船でしか行けない宿である。

つづく…。


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インドネシア旅2

2024-08-04 20:09:36 | 旅行(海外)
この日はシンガポールからバリへ飛び、そのまま乗り継いでフローレス島へ行く予定だ。
昨日のパスポート置き忘れ騒動は忘れて、今日からあらためて仕切り直しといきたいところだったが、いきなりバリ行きの便が遅れた。バリでの乗り継ぎ時間は2時間45分しか確保していない。乗り遅れればデンパサールーラブハンバジョ間のチケットはパーになる。LCCのバテックエアの最安値のチケットは変更もキャンセルもできない。百も承知だが、いざ乗り遅れ危機を迎えてしまうと、便の変更がきく、もうひとつ上のランクを購入しておけば良かったと後悔する。

結局、シンガポールを1時間遅れて出発。バリに着いた時点で次の便の出発まであと1時間45分しかない。電子ビザのおかげで入国はあっという間だったが、今度は荷物が延々出てこない。結局、出てきたのは30分後、出発までこの時点であと50分だった。不運なことに近年デンパサールの空港は超近代的な空港に生まれ変わっていて、以前のようなこじんまりした空港ではなくなっていた。国際線と国内線のターミナルも別々になっており、この間歩くと15分程度かかる。チェックインの締め切り時間は出発の45分前、あと5分しかない。出口付近から3人で猛ダッシュする。途中で電動カートの運転手がいて、事情を伝えると親切にも乗せてくれた。国内線ターミナルに着くと、今度はカウンターまで猛ダッシュ。すでにこの時点で出発の45分前は過ぎていた。誰も並んでいないビジネスクラス列のカウンターに駆け込み、チェックインをお願いする。一瞬、拒否されそうになったが、どこかへ電話をかけ、確認を取るとようやく受け付けてくれた。

ギリギリ間に合った。

あの電動カートのおじさんが乗せてくれなければ多分、乗れてなかった。この日と昨日、2日連続、現地の人に救われた。もう感謝しかない。

バリを発ったバテックエアーは1時間20分後、予定通りフローレス島、ラブハンバジョに到着。
この日は明日のコモド島へ渡る船の手配をしないといけないので、宿に荷を下ろすと、すぐに船旅を扱う旅行会社を何社か回る。どこも横並びの内容と価格だが、それでも千円単位の価格差があった。当初は一番格安のスローボートで行く予定だったが、直前に妻が「この2日間連続でいろいろあったから、明日はスピードボートで楽に行きたい…」と言い出し急遽変更。スローボートとスピードボートの違いは、まず出港時間と帰港時間の違い。前者は朝4時50分集合で18時帰港。後者は6時50分集合で16時半帰港。しかも宿への送迎付き。内容の違いは前者がコモド島を含む4つの島やシュノーケルスポットへ立ち寄る。後者は6つ。共にミネラルウォーター飲み放題の昼食付。価格は共に最安の会社の分で前者が5400円。後者が9900円。他にコモド島への入島料が別途3100円かかる。

予約して支払いを済ますと、ラブハンバジョの町を散歩する。町といっても村程度の大きさしかないが、港には70~80隻を超える大小の船が停泊していて、町を見下ろせる丘から眺めるとインパクトのある写真が撮れる。この町はコモド島へ向かう船の出航地となっていて、ちょっと町の規模と船の数がアンバランス過ぎ。今はまだ大型ホテルは2つくらいかないが、現在大型ホテルの建設ラッシュで、近い将来、第2のバリになっていそうな感じがする。町の中心地はツーリスティックだが、ちょっと離れると素朴な田舎。物価はタイなんかよりずっと安い。ナシゴレンとかミーゴレンなんかは町の食堂なら200円程度から食べれる。ちょっと良さげなところでも400から500円とかそんな感じ。逆に果物は高い。いかに南国でもスイカもマンゴーも、この島では取れないようだった。安いのはバナナだけ。スイカは超大玉を900円で購入。マンゴーは緑マンゴーの種類でひとつ80円くらい。でもこれはこれで黄色いマンゴーとは違って、また美味しい。あとはボンタンとジャックフルーツも買う。この2つの価格は忘れてしまったが、ジャックフルーツは紫タイプで大変美味しかった。基本、市場がないので八百屋さんか現地のしょぼいスーパーでしか売っていない。もしかしたら遠くにあるのかもしれないけど…。


赤道よりやや南にあるフローレス島、その西の端にあるのがラブハンバジョという町で、島の人はイスラムとキリスト教徒が混在している。
日中は33℃くらいで夜は海風が涼しく、エアコンは要らないほど。朝なんかは本当に清々しくて気持ち良かった。

それに比べ、近年の日本の夏は暑すぎる。
日本人にとって、今後インドネシアの島々は避暑地となり得るのかもしれない。

つづく…

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インドネシア旅(シンガポールの奇跡)

2024-08-03 19:24:07 | 旅行(海外)
名古屋発シンガポール行き、久しぶりのシンガポール航空はエコノミーでも大きなシートモニターだし、機内食の後のハーゲンダッツもうれしい。ANAもそうだけど、中国の大陸系とは何もかも異なり、やっぱりちゃんとした会社は違うなとあらためて感じた。6時間後、シンガポール到着。今日はここで1泊。

この後の予定はホテルに荷物を置いた後、バスでマレーシアのジョホールバルへ出国。夕食を食べて再びシンガポールに戻ってくるつもりだった。で、地下鉄でホテルへ向かう。ホテルはシンガポールの赤線地帯と呼ばれるゲイラン地区。シンガポールで安さを求めると、おのずとこの辺りになる。ちょうど10年前、あの屋上プールがあるマリナベイサンズに1泊だけ泊まり、翌日、都落ちして泊ったのも、やっぱりゲイランだった。

シンガポールの地下鉄は少し前から紙の切符を廃止している。乗るには日本のトイカのようなシステムを使用するか、1回1回利用する場合は、ビザかマスターのタッチ決済のできるクレカを使用する。便利だが、複数人いる場合、1枚のクレカではダメで人数分のクレカが必要になる。これを知らなかった私は1枚のクレカで改札をくぐり、改札前で待つ妻にクレカを渡すこの方法で乗ろうとしてしまった。当然、妻の改札は開かない。すぐに係員が飛んできて事情を説明され、ようやく理解する。そこで妻と娘のクレカを用意しようと近くにあった切符売り場のカウンターにバックの中身の一部を置いてクレカを取り出した。

これがいけなかった。

その後、地下鉄に乗り、無地にホテルに到着。そこで3人分のパスポートと現金15万円の入ったポーチがないことに気づく。幸い取り出したことでクレカだけは手元にある。すぐにあの時、あのカウンターに…と気が付いたが、あれから45分は経っている。現金はともかくパスポートがないことに絶望と落胆、プラス血の気が引く。多分、もうない…。これで明日、インドネシアには行けない。妻は激怒し、事情のつかめない娘は「パスポート再発行すればいいじゃん…」と呑気に言っている。ともかくすぐに来た道を引き返し空港へ戻る。移動中も妻の怒りは収まらない。何年か前にオマーンでタクシーの中にデジカメを忘れたことまで持ち出して、ここぞとばかりに責め立ててくる。ごめんなさいを30回以上は言ったと思う。事情を理解した娘は「シンガポール楽しめばいいじゃん!」と、割と前向きだった。頭の中ではパスポートの再発行の手順を考えていた。幸いクレカはある。現金はなくてもお金には困らないから、最悪の事態は回避できる。ただもしかすると現金だけ抜き取られ、パスポートだけは返ってくるのではないかと、一縷の望みにかけていた。

空港に到着、すでにこの時点で1時間40分経っていた。置き忘れた地下鉄の切符売り場のカウンターへ行くと何もない。すぐに係員に事情を伝えると、「向こう側のカウンターへ行ってみて…」と何かを知っていそうな感じだった。向こう側のカウンターへ向かうと、ガラス張りの事務所の向こうに見覚えのあるポーチが見えた。確認すると現金も含めてすべて無事だった。中にいた駅の係員が拾ってくれた別の係員にお礼の手紙を書いてほしいと、紙とペンを持ってきた。最大限、丁寧にお礼の手紙を書き、そこにいた係の人に感謝を伝え、再び宿へ向かった。

ここまでで2時間が経っていた。
ホッとしたせいか、ドッと疲れが出て、もう完全にマレーシアへ渡る気力が無くなっていた。これがインドやメキシコならおそらく無かっただろう。シンガポールだったのと、見つけたくれたのが、駅の係員だったのが幸いしたと思う。

まさにシンガポールの奇跡と言うほかない。

妻の怒りもようやく収まって、やっと強いストレスから解放された。それにしても、あんなところに大事なパスポートを置き忘れるなんて、つくづく焼きが回ったなと思い落胆する。初日はそんなこんなで、宿の近くで夕食を済ませて、早々、宿に帰り、あらためて駅の係員に感謝して眠りについた。

つづく…
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メキシコ旅(3)

2024-04-10 00:03:29 | 旅行(海外)
別の日にもう一つの目的である、エクスプロールへ行く。

エクスプロールとは「自然の地形を生かした巨大なアドベンチャーパーク」なんだとか。どこでそんなのを見つけてきたのか、私も行くまで全く知らなかった。いわゆるアスレチックとアトラクションをコラボさせ、そこに運動的な体感をプラスさせた施設だ。お年寄りには向かない。健康体である60代くらいまでの方じゃないと体がもたないかも。オールインクルーシブになっていて、中に入ったらアトラクションはやり放題、食事も1日中食べ放題に飲み放題。すごい種類のバイキングをずっとやっている。飲み物は所々に飲み物スタンドがあり、フルーツの絞ったものなどが飲める。飲んで食べて遊んでの無限ループ、お値段は一人2万1千円。

まずはジップライン。日本でもいろんなところにできているが、1本がなんせ長いし、それを何本も乗り継いでいく。一体、どのくらいの距離なんだろうと思うほど。眼下に見えるのはジャングルだ。最後は水に突入して終わる。もう一生分やった感じ。

次に水陸両用のバギー。これを運転してジャングルや洞窟を爆走するというもの。これも長い、10キロの道を走ることになる。しかも妻も運転したいというから2回やる。合計20キロ。面白いが、もうヘロヘロ。

そして手漕ぎボート。洞窟の水路をは筏(いかだ)に乗って、手に板をつけて漕いで進むもの。これも長い。距離不明、終わるまでに1時間くらいかかる。手と腕がパンパンになる。

次に洞窟スイム。これも細長いセノーテをライフジャケットをつけて、延々と洞窟の中を泳いでいく。これもやっぱり長い。ただしこれが自然にできたものに、若干の手を加えてあるだけのものだと思うと感動する。そろそろ辛くなってきてようやく終わる。

で、地下洞窟探検。洞窟を歩いたり、水につかったり、最後はウォータースライダーで滑って終わる。やっぱり洞窟モノが多くなる。地上は暑いので、地下で遊ぶというのは理に叶ってはいる。

だいたいこんな感じだ。

これをひと通りやると、クタクタになる。気に入ったらもう一回やったりすると、2回目は途中で後悔したりする。
ひとつひとつがとにかく長いし、結構ハードなので体力がいる。そして時間もかかる。日本のアスレチックとは規模そのものが違う。すごいのは自然の地形を生かしていて、施設のほとんどは地下の鍾乳洞を多少なり加工して作られている。だからジップラインとバギーの道以外は、上から見るとジャングルの中に埋もれていて何も見えない。この辺りはかなり暑いので、こういう作りだとエアコンが必要なく常に涼しい。エコそのもの。考えて作られているんだなと思った。最初は何もメキシコまで来てテーマパークなんてと思ったが、やってみるとスケールが大きいので驚きの連続だったし、なによりも健康的で私的には遺跡を見に行くより、ずっと楽しめた感じ。

基本エクスプロールに行くには、タクシーなどの車かホテルまで迎えに来てくれる送迎バス(チケット代にプラスされる)で行くことになる。けれど私たちは例の乗り合いバスのコレクティーボを使って出かけてしまった。コレクティーボは乗り合いバスなので入口のゲートまでは行ってくれない。降ろされたのは入り口から一番近い高速道路の停留所だった。しかし、入り口は降りた停留所から通りを渡った向こう側にある。これが誤算だった。確かにすぐ目の前に見えるが、行くには片側4車線、計8車線の高速道路を横切らなくてはならない。歩道橋などは一切なく中央分離帯があるだけ。どう考えても渡らないとたどり着けない。それはつまりエクスプロールに行く人は、コレクティーボなんか使わないことを想定しているということ?だと思う。

間隔とタイミングを取って一気にダッシュする、けれど100キロ以上でバンバン走ってくる車の早いこと早いこと。渡り切ってからも足が震えていた。娘にも大変申し訳ないことをしたと思っている。意外と楽しんではいたけれど…。まさか高速を渡るなんて想像がつかなかったとはいえ、車に轢かれても自業自得どころか、轢いてしまった人にも申し訳ない。今後の人生、2度と高速道路は渡らないと誓った。しかし帰りは大丈夫。ゲートからトボトボ歩き、高速道路の脇に立って手を挙げていれば、帰る方向が車の進行方向なのでコレクティーボが止まってくれる。案の定、ほとんど待たずに帰れた。結局、エクスプロールで一番記憶に残ったのは、この高速横断アトラクションだったんじゃないかとさえ思う。

今回の日程で、1日だけ何もしない日があった。
一人でふらふら出かけた。プラヤデルカルメンのツーリストエリアの反対方面を歩いていくこと30分、大きな広場があってビニールテントがいくつも広がっていた。一見するとホームレスの集合体のようにも見えたが、近くに寄っていくとそれは大きなフリーマーケットの集合体だった。中に入っていくとメキシコ人でいっぱい。古着や古道具、古本にゲームカセット屋さんもあった。ほとんどがガラクタのようなものばっかりだったけれど野菜や果物も売っている。タコス屋さんもあるし、揚げたてのチョロスも売っている。その中にマンゴー屋さんも出ていてスーパーでキロ400円だったのが、ここでは250円。つい買ってしまった。甘そうなのを選んでいるとおばちゃんが選んでくれた。で、去り際に「グラーシャス、チノ…」と言われた。またマーケットを歩いている時、遠くの男の集団からは「チャンチュンチョン…」と言われた。昔から中南米では、中国人を小ばかにした言い方として、こんな風に言われていたので懐かしくもあった。まぁ彼らから見れば中国人も日本人も判別できないし、言われるたびに「ハポンです…」といったところで、さほど意味もない。もうこんな風に言わなくなったのかなと思っていたところ、まだこういう庶民的なところでは言ったりするんだなと、なんとなく変わらない安堵感みたいなものにホッとしてしまった。ここにきてやっとメキシコにいる実感が湧いてきた。帰り際、昔メキシコに来た時、良く立ち寄っていたような食堂を見つけ、入ろうかどうか迷ったけど、結局止めてしまった。

ということで、なんだかせっかくメキシコに来たのにメキシコが遠い旅になってしまった。まぁ、それもメキシコで、これもまたメキシコではあるけれど…。
旅の仕方で見える景色も全然違う。若い頃の金を使わないでする旅が完全に染みついてしまっている。宿と食事はアップデートできてきたものの、移動手段についてはやっぱりダメ。タクシーは金の問題以外に閉ざされた空間ゆえ、怖いイメージがどうしても消えない。これは過去のタクシー強盗のトラウマだと思っている。ただしウーバーの出現で徐々にこれもアップデートできそうな気もしている。それでも現地の庶民の乗り物はどこか楽しいので、これくらいは残しておいても良いかなと思っている。

帰りは時差の為、1日がスっ飛んで翌々日になって成田に到着。

帰ってくると、またどこかへ行きたくなる。

でも来年は娘の受験なので、1年間はどこにも行けないよ、と釘をさされてしまった。
大学受験ならまだしも、「高校なんて誰でも行けるじゃん!」と言おうものなら、「どこでもいいわけではないんだよ、この人でなし!」と返ってきそうなので、黙って従うことにしている。

考え方は人それぞれ。

多様な意見も尊重してほしいと願うばかりだ。
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メキシコ旅(2)

2024-04-09 20:45:32 | 旅行(海外)
ビバ・アエロブスというLCCでカンクンに到着。
このLCC、予約に苦労した。直サイトで航空券を購入しようとしても日本発行のクレカでは決済ができなかった。例外もあるらしいが、うちにあるすべてのカードで使えなかった。仕方ないのでスカイスキャナーで旅行会社を通して買うしかなかった。すると金額そのものと預け荷物の重量条件などが直サイトと随分異なり、結果、LCCの価格メリットが半減。この会社を利用するなら可能な限り預け荷物なしで乗る工夫が必要かもしれない。現に多くの人が10キロ以内の手荷物だけで乗っていた。日本から行く場合、なかなか難しいけれど…。さらにフライトキャンセルが頻発した。私たちは復路では2度のフライトキャンセルに合った。成田行きのANA便に合わせて予約していたのだが、時間に余裕があったから良かったものの、ひとつ間違えば乗り継げていなかったかもしれない。アジアのLCCより、随分、無責任度が高い、気がする。

カンクンはカリブ海のリゾート地で、今や物価も宿もアメリカ並みに高いとのことで、ここはスルーしてバスで1時間のところにあるプラヤデルカメルンという町に行く。ちょっと前まではカリブ海の隠家的な場所だったらしいけれど、なんてことはない、今や完全に欧米人御用達のメジャーなリゾート地になっている。ただし大きなホテルがないのでカンクンよりはずっと地味ではある。妻に「なんでここにしたの?」と聞くと、Airbnbで見つけた宿が安くて超快適な感じだったから…」とのこと。
宿に着くと、コンドミニアムそのもの。施設にはプールもあるしジムも併設されている。部屋もきれいで広いしキッチンもある。トイレもバスルームも大きくて、バルコニーには洗濯物もたくさん干せる。これで1泊8,000円は、たしかに安いと思う。

ビーチまで歩いて5分、大きなスーパーにもほど近い。で、私たちはここで自炊することにした。メキシコシティで妻がちゃんとしたメキシコ料理が食べたいということで、SNSで見つけた味も悪くないと評判のきちんとしたレストランで食事をした。何品も頼んだけれど癖があるせいか、どこれもこれも半分ほどしか食べれなかった。ほぼほぼ私しか食べてない。屋台のタコスも美味しくないと言って食べないし、スタンドのハンバーガーも肉が臭いという。そもそもメキシコの食べ物が合わないということで、庶民が利用する食堂に行く前にメキシコ料理が却下されてしまった。ちなみに私は辛くなければOKなので、何がそこまで不味いのか今一つわからないまま。まあ、そんなことで、以後、ここでは米に油に調味料なども買って、昼以外は、おうちごはんで済ませることに。スーパーではご当地産のマンゴーも売っていた。1キロ400円程度。たくさん買って、たくさん食べた。タイのマンゴーより濃厚で、結局メキシコではマンゴーが一番美味しかった。

この町ではウーバが使えない。タクシーはツーリストプライスで3キロ先まで行くのに2,000円とか平気で言ってくる。安く上げるにはコレクティーボという乗り合いのミニバスを利用するしかない。時間帯によってはすし詰め状態だったりするが、そうでない時もいつもそこそこ混んでいる。躊躇しているといつまでたっても乗れないので、メキシコ人がやっているように「えぃ!」と気合入れて乗り込む。乗ったタイミングで降りる所を大声で叫ぶと着いたら降ろしてくれる。で、降りる時に金を払う。一度やると慣れるが、娘にとっては何度やっても苦痛だったようで、泣きが入っていた。これで市内ならほぼほぼ90円で移動できる。1時間くらい先の町まで行く長距離版もあるので、これに乗り慣れると長距離バスが高く感じる。

で、まず行ったのがセノーテ。
妻が希望する目的のひとつである。セノーテは大きな陥没穴に地下水が溜まってできた天然の泉のこと。この辺りに大小合わせると3000くらいあるんだとか。太古の昔、小さな隕石がこの地に降り注ぎ、その時にできたとも言われている。この天然の泉と鍾乳洞が繋がっていて、ここをライフジャケットを借りてシュノーケルをするのが目的だ。なんといってもこの泉の透明度が半端ない。魚もいて4~5メートルの底まで見える透明度と何とも言えない雰囲気で、これぞ神秘的な感じとしか言いようがない。水が嫌いな私でも、ここでプカプカ浮いているだけで別の惑星にでも来たような気分になり大満足だった。

普通はこの辺りの遺跡と抱き合わせでツアーで回るのが一般的らしいが、それだと1時間程度しかいられないし大勢で入るので騒がしく気分的によろしくないという、妻の前情報があり、私たちは早起きしてコレクティーボでやってきた。個人で来ると停留所から3キロ歩かないといけないが、頑張って歩くと先に2人の西洋人のバックパッカーがちょうど帰るタイミングだった。ツアーの人らがやっくる10時過ぎまで2時間くらい静かなセノーテを充分に満喫できた。整備されたセノーテは国が管理して入場料を取りツーリストに開放している。外国人は1人3600円。以外に安くない。けれど思いのほか、海とはまた違って面白かった。

その後、再び炎天下の来た道を3キロ戻り、コレクティーボを捕まえトゥルムという町へ向かう。ここで中国人の安食堂を見つけてお昼を食べた。それから遺跡に向かう。トゥルム遺跡だ。メキシコの遺跡は日差しを遮るものがなく延々と炎天下を歩く羽目になるので「暑いから、止めてほうが良いんじゃない…」と、何度となく遠回しに言うのだが、行くと言ってきかない。この日は特に暑かったので、遺跡に入って20分ほどで、「やっぱり無理…」となり、早々退散。外に出て、冷えたヤシの実を売っていたので、そのまま割ってもらって飲む。これってぬるいと美味しく感じないが、冷えていると美味しいなと初めて思った。

コレクティーボの停留所で、日本人の親子と出会った。お父さんと中学1年生くらいの息子さんの2人旅だ。お父さんは大きなバックパックを背負っていて、3週間くらいメキシコを旅しているとのこと。歳は私と同年代くらいだが、完全に現役のパッカーに見えた。時間がなくてあまり話せなかったけれど、この息子さん、お父さんが行先の乗り場と合ってるのか悩んでいると、「僕が聞きに行ってくるよ!」と、率先して聞きにあげたりしていて、なんだか楽しそうで微笑ましかった。

反面、うちの娘はというと、口には出して言わないものの「なんでこんな疲れることして楽しいんだろ、それよりまずタクシーに乗せろよ!」と、思っていたと思う。しかも、時々英語習っているんだからちょっと聞いてきて、と頼むと「ごめん、今、ちょっと人としゃべりたくないんだよね…」などと返ってくる。もうちょっと旅行と向き合ってくれ、と思うが、まぁどちらかと言えば、親に付き合わせてるので仕方ない。

あのお父さんがちょっとうらやましく思えた。

つづく…。


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メキシコ旅(1)

2024-04-07 19:57:04 | 旅行(海外)
成田発メキシコシティ行き。
ひと昔前は、JALの成田発ロス経由のサンパウロ便などの長距離便があったが、今はANAの成田発メキシコシティ行きが日系国際線の最長距離便になっている。行きは追い風に乗って12時間半、帰りは向かい風になり14時間半はやっぱり長かった。

時差がマイナス15時間あり、成田を夕方経っても到着は同じ日の午後2時半。治安の面であまり評判の良くないメキシコシティに明るいうちに着けるのはありがたかった。ありがたついでに市内までは地下鉄を利用する。メキシコの地下鉄はどこまで行っても一律5ペソ(45円)と激安。ただしスリも多ようで、被害の実例もたくさん語られているせいか、短期旅行者は避ける人が多いらしい。けれどこういうのは、一度利用すると案外慣れるのもなので、妻には何も言わず「地下鉄は渋滞もないし便利で早いから…」と言って、あえてタクシーは使わなかった。これが功を奏したようで、その後も市内の移動は、ほぼほぼ地下鉄で済ませた。メキシコシティはウーバーも使える。一度夜になってからの移動で使ってみたが、それほど高くないし、たしかに深夜は早朝はこっちのほうが安全だなと思った。

旅先での旅程はいつも妻と折半する。旅の趣向がもう絶望的に違うので半々にせざる得ない。当初、私は日程の半分をキューバに充て、妻はユカタン半島に絞り、メキシコシティは1日のみの予定だったが、キューバ行のチケットが思いのほか高く、またフライトスケジュールも微妙な時間だったので諦めざる得なくなった。意気消沈した私はこの旅の要望分はすべて妻に返上し、その代わり、いつの日か再びインド・ミャンマー国境が再開した際は、無条件に白骨街道に付き合うこととバーターした。ということから、今回のメキシコ旅はすべて妻が決めた行先に付き合う羽目になった。

行先は教会とか博物館とか世界遺産とか、とにかく盛り沢山なので、これが大変忙しい。「記憶に残らない思うところは、行かなくてもいんじゃない…」と言っても「省いてこれだから…」と返ってくる。旅なんて突き詰めれば、目的地に着けば、もうどこにも行かなくても良いのではないかと思う。そうすれば時間はいくらでもあるし、朝もゆっくり寝てられる。だから疲れることもない。そんな中で、「ここくらい行っておくか…」と、いうくらいがちょうどいいのではないかと。もちろん考え方は人それぞれだし、ここだけは外せないというのはあるだろうけれど…。

「One day,One things」とはよく言ったもの。

これは期間の長短に限らず言えるんじゃないかと思う。まぁ、家族旅行なので致し方ないが、おかげでメキシコシティの見どころをたくさん見れたけれど…。

27年前のメキシコは未だ節約すれば1日1,000円程度で旅ができた国だった。当時、記していた日記には「タイより少し高い程度、マレーシア並み…」と書いてある。国民食のタコスは米ドルで50セント(当時のレートで65~75円)だったのが、今や(200~300円)以上する。公共交通機関は据え置いているようだけど、水もコーラもお菓子も、基本、座って食べる外食は総じて日本よりずっと高い。メキシコのような国でさえ今の日本から行くと、何もかも高く感じる。逆に言えば、これは日本が安すぎるということでもある。もちろん円安もその一因だが、それ以前に健全に経済成長してこなかったからというのが、そもそもあるんだろうなと…。今や精一杯、節約しても3000円以上はかかるかも。もちろん普通に旅をすれば1万円は軽く飛んでいく国である。

宿は市内の中心地に近いところにして、夜も外出しやすいところに取った。ドミも併設するホステルのようなところで、さすがに3人部屋でトイレシャワーの付いた部屋だったけれど。客は西洋人ばかりで東洋人は皆無。メキシコは人気がないのか、主な見どころでも、中国、韓国人も本当に少なかった。もちろん日本にもほとんど会っていない。そしてメキシコシティと言えば、何はともあれティオティワカン(ピラミッド)である。シティからバスで1時間ちょっとのところにある階段状のそれだ。ここには昔も来ている。残念だったのが、昨年観光客が転落して亡くなり、それ以降、登れなくなっていた。それ以外にも、様々な規制が敷かれていて、昔のように無防備な感じではなくなっていて、時代の変化を感じた。

メキシコシティの中心地は言われるほど治安は悪くないが、通り1本外れるとガラリと雰囲気が変わるところもある。知らないうちに入り込んで、「あれっ!」と気が付くことが2~3度あったし、夜ウーバーで宿に帰る途中、ここはさすがにヤバいな、という通りもあった。中南米は銃も出回っているから、そんなところも気が抜けない。標高2240メートルの高地にあるメキシコシティ、空気が薄いせいかちょっと疲れやすい気がする。朝晩は冷えるし、寒暖の差が激しかった。

ちょっと疲れを残したまま、ユカタン半島へ飛んだ。

つづく…。

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おまけのバンコク

2023-08-11 00:11:11 | 旅行(海外)
復路はデリーからタイ航空でバンコクへ、乗り継いで名古屋というルートで帰ってきた。

バンコクでちょうど8時間ほど乗り継ぎ時間があった。荷物はスルーで名古屋まで行ってしまうので、手ぶらで一旦入国して街へ出てみた。妻が久しぶりにMBKに行きたいというのでエアポートリンクで終点まで行き、スカイトレインに乗り換えてMBKへ。タイに寄るつもりなどなかったので、とりえず空港で両替すると1バーツ、4,3円という最悪レート。空港だからというのもあると思うけれど…。相変わらずの円安にめげてくる。

インドではすべてATMからキャッシングで済ました。円ルピーの換金だとレートが悪そうだし、いちいち両替場所を探すのも面倒そうだからだ。結局、マイナー通貨の国なんかではこの方法がもっとも効率が良いのかも。帰国してすぐにカード会社へ連絡して「繰り上げ返済お願いします…」と伝え、翌日振り込めば、振り込み日までの最短金利だけで済むから、換算すれば換金率もそう悪くないはず。で、その分もクレカのポイントにもなる。米ドルやユーロなどのメジャー通貨は違うかもしれないけど…。

MBKの中に良質素材のTシャツ屋さんがあり、そこが一番のお目当て。それぞれ自分の好みを購入して、ちょっとふらふらして、再び空港へ戻る。インドからくるとバンコクがきれいな町だなと錯覚する。でも、決してそうではない。単にインドと比較しての錯覚なだけだ。

ようやく中国の団体旅行先に日本も加わった。
これで間もなく中国系キャリアも完全復活しそうだ。ということはチケット代金の高止まりが予想される。すぐに2019年ベースにはならなくとも、年内には落ち着くかもしれない。加えて中国ビザ緩和の話もあったようだけど、これがノービザ復活を示すのか、単にビザ発給要件の緩和のみの意味なのか分かり兼ねる。

秋には一度、ビザを取ってでも中国へ行ってみようと思っている。
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インド旅(夜行列車、デリー編)

2023-08-10 00:57:51 | 旅行(海外)
ジャイサルメールでの滞在を終え、デリーまで夜汽車の旅。

旅を卒業してから18時間も列車で移動するのは初めてのこと。移動はバスより列車の方が断然好きだ。特に長距離となると飽きたらふらふら車内を歩ける鉄道は楽だし楽しい。座席だと辛いが、寝ていける寝台車は昔も良く利用した。節約のためエアコンなしだったけれど。今回は2等の2段式エアコン車両、上段を3席。3人とも上段にしたのは下の段は日中、上の人が座りに来るし、時々知らない人まで座りに来ることがあるからだ。そのうち追い出されたりするけれど、外国人の私たちだとなかなか言い出しにくい。やっぱり寝ていたいときに寝れる上段がベストだ。

ジャイサルメールを夜23時25分の出発だったので、走り出すとすぐに就寝。翌朝は9時頃まで寝ていた。列車はガタゴトと同じリズムで揺れるのでよく眠れるのかもしれない。下段のインド人の乗客らはすでに皆起きていた。車内販売のおじさんからチャイを買う。砂糖たっぷりのチャイは寝起きの体に浸みわたる。インドの長距離列車の乗車口扉は走行中でも開けっ放しだし、たとえ閉まっていても自分で開けられる。空いた扉の前でボーッと外を眺めていた。昔も良くそうしていた。そのうち飽きた娘もやってきて、2人でずっと外の景色を眺めていた。

で、ひと言「インドは汽車に乗ってても、牛のうんち臭いんだね…」
確かに臭い…。

夏場のラジャスターンはとにかく暑いので、この時期はほんとうに旅行者が少なかった。欧米人をわずかに見かけただけで、アジア人は韓国人の2人組くらい。ただ最近の日本の猛暑を体感していると、「もしかすると日本のほうが暑いかも…」と、思うこともあり、さほど苦痛には感じなかった。それでも日中は暑いので、昼間の一時は町から人が居なくなる。朝早く7時くらいから行動し、昼までには一旦宿に戻り、夕方から再び出かける。こんな感じだ。

当然、宿にいる時間が長くなるので、ジャイサルメールの宿だけは奮発。でもこれで大正解。これまで泊った宿の中で多分、一番気持ちの良い宿だった。値段とか星の数とかそういう意味ではなくて、泊ればわかる凄い宿だ。とにかくスタッフのホスピタリティが半端ない。押し売り感ゼロだし、程よい距離感を維持してくれているインドでは珍しい宿。ジャイサルメールの宿はどこも皆、キャメルサファリの売り込みが激しいが、ここは全然売る気なし。聞けば2~3外の旅行社を教えてくれる程度。物理的なサービスで言えば、ミネラルウォーター、コーラ、冷蔵庫のジュース類、部屋に置いてある果物やポテチやチョコレートケーキ、チョコレートこれ全部無料でお代わり自由。ライトなクラブルームの感じ。けれど表向きはそれを謡っていない。外出して帰ってくる度に、これとは別に飲み物のオーダーを取りに来てくれる。この時のアイスコーヒーが、また絶品だった。暑いのでミネラルウォーターの消費が半端ないが1度も買うことはなかった。顔を見れば「お腹すいてない?何か飲み物は?」と聞いてくれるし、サファリの時も「食べモノが口にあわないといけないから…」と、食料をたくさん持たせてくれた。

で、そのサービス精神半端ないその理由は、要するに口コミだった。
帰る時、駅まで送ってくれる車の車内で、「予約したサイトへの口コミ依頼をお願いします…」と。もっとも、それすら謙虚な感じだったけれど。途中から、この半端ない接客はもしかしたら口コミかなと、なんとなく思ってはいたけれど、やっぱりそうだった。それにしても、例えそういう魂胆だったとしても、余りあるおもてなしには感動しかない。今の時代、どこでもある程度はそういうことを気にしながらやっているはずだし、多分この半端ないおもてなしを続けているうちに、本当にお客さんが感動してくることが喜びになってしまったのではないかとすら思える。

どうであれ、あれほど手厚くされたら、誰でも感謝しかない。こんなところに日本人のお年寄りが泊まったら、感激のあまり「皆さん、これを何かの足しにして下さい…」と、大金を置いてくるんじゃないかと思う。で、そういう私もちょっとばかり渡してきた。ちょうど私たち以外に宿泊客がいなかったこともあり、すべてが私たちのためにという感じだったし…。けれど、繁忙期にはとてもできないんじゃないかと思うけれど、どうなんだろう?
とにかく予約サイトの口コミには最大限の賞賛と評価をしておいた。

まぁ、そんな宿もあるんだということで…。

ジャイサルメールは、インドの中でも人が柔らかいと言われている。そういえば、土産屋の客引きなども全然、鬱陶しくなかったし、それはここの土地の人の特性なんだと、何かの本にも書かれていた。確かに嫌なことなど何もなかったけれど。たしかに土地柄と人柄は同じ国でも、場所によって大きく変わるもの。

で、18時間後、汽車は無事にデリーに到着。と思ったら、私たちは見事に通り過ぎてしまった。そもそもこの列車はデリー行きではなく、その先があったということ。車両の行先表示も見たけれど、私たちの車両とその前後はヒンドゥー語のみの表示だったのもいけなかった。到着予定時間の少し前に少々、長く停車した駅があった。これはデリー駅の一つ手前の駅かと勝手に思い込んでいた。この時、私たちの下段のインド人の乗客らは、すでに降りてしまっていたのも不運だった。あれだけの駅だから多くの人が降りるはずで、普通なら間違えるはずなどないのに、気が付いたときはすでに遅かった。30分ほど走った次の駅で下車した。

すぐに駅の窓口に行き、30分後にデリーに向かう次の電車を確認して、3人で95ルピー(103円)の切符を購入した。教えてもらったホームへ行くとすでに列車が止まっていた。今思えば、この列車に乗って待っていればよかったのに、私たちはなぜか対面のホームに列車がやってくるものだと思っていた。で、30分後、停まっていた列車は静かに出て行き、私たちはこれを見送った。その時私たちは、この駅に群がるサルの軍団を見て笑っていた。完全にアホだった。

愚かな行為に、激しく落胆する。
もう鉄道で行くのは止めよう。

タクシーでデリーに帰ろうと、駅前でウーバーで捕まえたタクシーで1時間かかってデリーの宿に着いた。500ルピー(900円)だった。予定より1時間半以上遅れた。
デリーの宿は、パハールガンジ、ニューデリー駅のすぐそば。懐かしいメインバザールやコンノートプレイスは昔とほとんど変わっていなかった。特にメインバザールは汚いし、騒々しいしニューデリー駅前の店なんかもボロボロ感が全然変わっていない。ネオンの付いた電飾系の看板が目新しさを感じさせる程度。ここは一応首都なのに、なぜここまで変わらないのか不思議なほど。特にニューデリー駅前は一国の首都の鉄道駅の玄関口だ。

インド最後の夕食は、コンノートプレイス付近のご飯屋さんでタンドリーチキンとチキンティカの晩餐。

とにかく事故や体調不良もなく無事に終えて良かった。

変わらないけど変わりつつあるインド、奥が深いなと思った。


やはり旅は移動を伴ってこそ、次の旅は来年3月。
さて、どこへ行こうかな…?
サウジやイランも行ってみたい…。

終わり。

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インド旅(ジャイサルメール、キャメルサファリ編)

2023-08-09 00:24:15 | 旅行(海外)
かつてはインドの西の辺境と言われたジャイサルメールも、数年前から飛行機が飛び随分行きやすくなったようだ。
けれどAIRは冬のシーズン中のみで、夏場は飛んでいない。私たちはムンバイからエアーとバスの組み合わせでやってきたが、ムンバイから直通の列車が1日1本、17時間で結んでいる。けれど時間帯が悪く効率を考えるとちょっと使えなかった。

上空から見るとタール砂漠の中にあるオアシス都市にも見えるけれど、完全な砂砂漠ではないのでオアシスのイメージとはちょっと違う気がする。町は城壁があり城壁内とその周囲はどこを撮っても絵になる感じ。まさに中世の町そのもの、インドというよりどこか中東の国にいるような感覚に陥る。近代的なビルもなく発展からは取り残された感じがプンプンする。多分それが居心地の良さに繋がっているんだと思う。程よくツーリスティックなのも良い。長旅の途中なら1週間は居たかもしれない。

付いてすぐに宿のすぐ近くにあったレンタルバイクを借りる。城壁内へ行くには急坂の連続だし、暑いので疲れを防ぐにも役立つ。3ケツは大変だったけれど、夏のジャイサルメールには絶対おすすめ。もちろん交通ルールなど何もないに等しいので運転には十分注意が必要です。まずはここを発つ列車の切符を買いに町外れにある駅に向かう。ちなみにウーバーなどの配車アプリはこの町でも未だ使えなかった。こういう町では特にバイクは効力を発揮する。

インドで列車の切符を買うのも22年ぶりだ。記入用紙をもらい3日後のデリー行き、エアコン2等寝台の上段を3つ無事に確保。デリーまで1人1800ルピー(3240円)だった。18時間の距離を思うと、まだまだインドの鉄道は安いと思う。これでエアコンなしならこの半分くらいになる。夏はちょっと選択の余地はないけれど…。これで2か月半前、タイのチェンマイ駅でバンコク行きの夜行列車に乗り込む旅行者を見て以来、夜汽車の旅がしたいとの願いがようやく叶う。

次は明日からのキャメルサファリの手配。目ぼしを付けていた旅行社へ向かう。この時期はオフシーズンなのでどんな手配でも前日でOK。これが10月からのオンシーズンになるとこうはいかないらしい。この町に来るほとんどの旅行者はこのキャメルサファリがお目当て。サファリはここから車で1時間ほど西へ行った小さな村からラクダの背に乗って2時間、着いた砂漠の真ん中にベットを置き、そこに一晩泊って翌日また同じ行程で帰ってくるというもの。ラクダ使いのお兄さんが作ってくれる朝夕食付。夜は満天の星空の下で眠り、朝は夜明けとともに起きる。まさにネーチャートラベリングだ。ご予算1人2200ルピー(3960円)ほど。

でもこれ私一人だったら、多分行かない。

ちょっと考えてみてほしい。ラクダの2時間はまだ許せる。けれど往復で考えれば4時間だ。決して乗り心地の良くない動物の背中に4時間は長すぎる。まず腰がやられる。で、砂漠でベットだけ?ということは壁も屋根もないということ。つまり風が吹いたら砂まみれだし、寒ければ眠れないはず。風邪だって引きかねない。満天の星空?はどこにそんな保証があるのか?曇りの日や満月や新月なら明るくて星など見えない。この辺は行く前から予測可能だ。けれど妻と娘は行かないなど考えられないほど盛り上がっている。

で、仕方なく参加する。

そして案の定、ラクダは辛かったし、腰が酷く痛かった。1時間がマックスだと思う。満天の星空はやはり月が明るくてほとんど見えなかったし、夜は強い風がひと晩中吹いて、毛布もあったが、屋内ならどこでも眠れる私はほとんど眠れなかった。明け方にうとうとし始めたと思ったら、今度は朝日が眩しく眠れない。これには腹が立つほどだった。これでわかったことは、私にはホームレスには向かないということ。そんな私をよそに妻と娘は熟睡していた。

個人的にはキャメルサファリはお勧めできない。冬ならテントを借りてもマジで寒いだろうし、間違いなく体を壊すと思う。辛い環境に耐えるのが好きな人には良いかも。私にとっては罰ゲームに近かった。ちなみにラクダ使いのお兄ちゃんが作るご飯も大変不味い。カレーは辛すぎだしマギーの麺類も煮物かと思うほど茹で過ぎで流動食かと思うほど。ちなみにサファリはアメリカ帰りのインド人大家族と一緒の混載ツアーだった。これは別に問題ないけれど…。

SNSで行った人の記事を見ると、多くの人が楽しかったとか素晴らしかったとか賞賛するものばかりだった。これ絶対、無理してると思う。あれほどノリノリだった妻と娘もそこまで否定はしないけれど、一度で充分だと言っている。

思い出を美化するのは自由だが、正直な感想もほしいところです。

つづく…
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