ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

2024年、仕事納め

2024-12-29 08:55:48 | つぶやき
店の大掃除をして今年が終わった。

2024年はコロナ禍からフルに脱した最初の年だった。今年こそ4年ぶりに明るい年になるんじゃないかと期待していたのに完全に予測は外れた。
能登の震災に始まった今年のスタートは、その翌日に飛行機事故の映像を見せられて、日本全体が暗い始まりとなってしまった。史上最高値の株高はあったけれど、円安と物価高により暮らし難さが増した。暗い話題が多かった中、ドジャースに移籍した大谷さんの大記録と活躍だけが、日本の暗い世相をちょっとだけ打ち消してくれた感じだった。

年が変われば自然に事態は好転する、というわけではなく、来年も引き続き物価高が続くだろうし、自身の商売を取り巻く環境も明るい兆しはない。それでも11月に中国のノービザ入国が復活し、今年から躊躇なく仕入れに行けるようになったのは大きい。来年はというより、今後はより工夫が求められるだろし、だからといって守りばかりではなく、前に進むことも考えながらならないといけない。試行錯誤しながらやっていこうと思う。

コロナ禍以前の実績はリセットしたので、今年が最初の年とカウントすることにした。来年は今年度の5%アップを目標にしたい。

今年の旅はメキシコとインドネシアだった。
来年春は中国、カシュガルに行くことにしている。夏の旅は娘が受験を控えているので、今のところ行かせてくれそうにない。高校受験なんて「9月から頑張ればいいじゃない!」と思っているが、確実に反発を喰らいそうなので余計なことは言わないでいる。隙を見て、「気分転換に香港の重慶マンションにでも泊まりに行きませんか…」と提案しようと思っている。娘は「重慶マンションのボスは知っている」を読んでいるので、そこには若干、興味を持っている。まぁ、ともかく今年は旅の楽しみが半減する予定だ。なので中国の仕入れの帰りに、どこかに立ち寄るショートトリップでもして、ストレスの発散をしようと思っている。

とまぁ、来年こそは戦争も終わって、円高に向かうのと、そこそこの株高の維持と物価の高止まり。そして大きな災害なしで、平和で穏やかな1年でありますように…。
多くは望まないので、せめてこのくらいは叶ってほしいなと思う。

それでは、2024年もあと3日、

皆さま、風邪など引かぬように良い年をお迎えください。

本年も立ち寄っていただきまして、ありがとうございました。


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良くやった!

2024-12-27 16:11:44 | 時事(国内)
午前中は年末調整をやろうと思い書類を前にトライする。

ただ今年度は定額減税があり書式の記入が不確かだったため、経理事務所へ行くと税理士さんが一通りやってくれた。帰宅後、すぐに事務所から連絡があり、「先ほどの書類に記入ミスがあったので、もう一回来て…」と言われる。いかに税理士さんでも、変更点があった年なんかは、手違いで間違えることもあるんだとか…。というか、この人、いかにも仕事ができなさそうな人で、何かと手が遅い。見ていてイライラすることもあり、「単純にあなたが理解していないだけでしょ!」と言いたくなったが黙っていた。しかも半年前の源泉徴収の金額も150円ほど間違っていたのが、今日判明する。そういえば、半年前もこの人がやってくれたのを思い出した。たしかその時、「新米です…」と、言ってたなと。新米だろうがなんだろうと、税理士さんが計算したものを、まさか間違っているとは思わないのが普通だ。ここには確定申告時にもお世話になるので、この人だけには当たらないようにしないといけないなと思った。帰宅して、今年分の事務仕事をすべて終わらせる。今年は在庫の圧縮が過去最高にでき、これだけは大満足。来年もこの点だけは引き続き、スリムにやっていきたいと思う。

中国人の短期ビザの発給要件を緩和したことが、結構、批判されている…。
でもこれ、ちょっと違うように思う。対応としては日本人のビザ免除再開に呼応した形だが,内容を良く見ると、取得後3か月以内に日本入国を求めるルールの撤廃にせよ、団体ビザについて,滞在可能日数を15日以内から30日以内に変更することについても、実際の旅行者にはあまり影響を与えそうにない。つまり中国人にとってあまり大きな緩和になっていないということ。強いていえば,最長5年の数次ビザを10年に延長することなどにより、日本へのリピーターにとって利便性がやや高まるくらい。いずれにしても、条件を緩めるというポーズをとりつつ、実態はあまり緩和していない内容と言える。批判は的を得ていないどころか、逆に日本は良くやったなと言えるんじゃないかと思う。

年末に一層、円安が進んでいる。日経平均4万円オーバー。
株高は良いけれど、円安160円間近には落胆しかない。

外国人観光客は益々、日本は安い安いと大喜び。反対に日本人は、モノが高くなったと悲鳴をあげている。

その落差には悲観しかない。

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端島ロス

2024-12-24 19:03:13 | つぶやき
今日、録画しておいた「海に眠るダイアモンド」の最終回を観た。

本当に面白いドラマだったと思う。端島を舞台にした物語だったが、戦後から現代を生きた日本の息づかいをちょっと感じることができたドラマだった。最後のシーンはタイタニックの最後を思わせる演出も良かった。辛いことばかりでも、その分報われる最後であれば良かったのかもしれないけれど、そうはならなかった。それでも主人公の人生は悲観ばかりではなかったと思わせる最後だったから救われた。続きやスピンオフも観たいけれど、どう考えても続きようがない物語で、これはこれで良かったのかも。端島で暮らしていた人たちは、全員が観たんじゃないかと思う。あのセットには、相当お金がかかっているはず。もしもタイムスリップができるなら、当時の端島へ渡り、朝子の働く食堂でちゃんぽんを食べ、端島銀座を歩いてみたい。

今日はクリスマスイブ。
クリスマスが終われば、すぐに年末年始、正月がやってくる。今年は奇跡の9連休ということで、旅行に行く人も多いと盛んに宣伝されている。それでも正月に海外旅行する人は約50万人だという。考えてみれば、日本の人口からすると0.5%にも満たない。200人の従業員がいる会社に例えると、海外旅行するのはたったの一人だ。世界的な中間層の急増にともない、海外旅行者が世界全体で増え続けているのとは対照的だ。

韓国に一人あたりのGDPも抜かれ、3年連続かなんかでG7でも最下位となっている。為替の影響もあるとか、人口比での比較は一概には言えないなどという解釈もあるんだろうけど、下降線を辿っているのは間違いない現実である。しかもまだまだ底は見えず、これからも落ち続ける予測も出ている。
せめてそれに備えた心の準備と、かつてのアジアナンバーワン意識は、すでに昔話だと認識しておかないといけない。

来年はロシアとウクライナの戦争終結、円安の解消、物価の安定、震災ゼロで、今年よりは少しでも良くなってほしいなと思う。

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日韓航路 高速船廃止

2024-12-23 21:38:34 | 時事(国内)
博多と釜山を結んでいた高速船、撤退へ…。

なんでも2年前に新造した高速船の欠陥で就航できず、何度も修理したが安全を担保できないというのが理由なんだとか。日韓航路といえば、戦前から続く関釜フェリーが有名で、今でも下関と釜山を毎日運航している。こちらは大型カーフェリーで夜発、朝着のスケジュールでおよそ11時間かかる。かつては担ぎ屋さんと呼ばれる韓国人のおばちゃんが、日本で仕入れたものを韓国で売り、韓国で仕入れたものを日本で売るという、ほぼほぼこの船で暮らして行商していたことでも知られていた。今ではそんな商売、成り立たないだろうけれど…。

船で11~12時間かかっていた関釜フェリーしかなかった当時、初代高速船、ビートルが3時間で博多と釜山を結ぶというニュースはとても新鮮に感じた。福岡に住んでいたころ、この先代ビートルで何度か釜山を往復した。リズム良く前後に大きく揺れるので、毎度、寝てしまっていた記憶がある。当時はLCCもなかったし、往復9,800円なんていう切符もあったから、九州の人にとって気軽に日本脱出ができたものだった。しかも博多港は博多の町からも近いし、釜山港も町の中心にも近いので、着いてからも街の散策にとても便利だった。

新造船が就航するタイミングでコロナ禍になったのも運の尽きだが、浸水を隠しながら就航し続けたのがバレたのも痛手だった。JR九州という鉄道会社が船舶事業に参入して30年、ノウハウも十分習得できたと思うし、なんだかもったいないなと思う。欠陥船なら製造元へ補償とか請求すれば良いと思うし、そもそも提供されたスペックで運行できないなら契約違反じゃないのかなと…。

ただ日本人のパスポート保有率は10人に2人以下ということからすると、おそらく韓国人専用船になっていたんじゃないかと思うので、別に日本人が不自由になるわけじゃないということだから、まぁ、良いかというのもある。それに関釜フェリーは健在だし、大阪ー釜山間のフェリーも再開している。同じ博多港から釜山へは6時間かかる船は存続しているようなので、船にこだわる人には、まだまだ選択肢はある。

また島根県の境港から韓国の東海へのフェリーも再開というニュースもあった。この船は、本来、境港ー東海ーウラジオストックを結んでいたのだが、多分、現在はロシアへの制裁でウラジオストックへは就航していないはずだ。この船は稚内ーサハリンのコルサコフを結んでいたサハリン航路が廃止されてから唯一のロシアへの航路だっただけに、早く再開されると良いなと思う。まぁ、乗るわけじゃないんだけれど…。

時間があれば、船で出国も悪くない。大阪ー上海航路も再開されたようだし…。
飛行機を使わずヨーロッパへ、で、そのまま陸路でアフリカへ…。

長期旅行者も、もう、そういう旅のスタイルはないのかな…。


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スーパーの味

2024-12-21 12:05:31 | つぶやき
妻がインフルエンザに罹ったので、寝室に隔離して出来るだけ接触しないようにしている。

とりあえず朝食と学校に持っていく娘の弁当作りが課せられてしまった。特に慣れない弁当作りが苦痛だ。自分のならどうでも良いが、例え娘のだとしても多少は気を使うもので、野菜のバランスとか見栄えとか、そういうのを考えるのが面倒、極まりない。1日目はどうにか頑張ったが、2日目はスーパーの総菜詰め合わせパック、しかも夜だったので半額のやつを弁当箱に詰め替えて乗り切った。学校から帰宅した娘から「一瞬、見た感じは凄いなと思ったけど、食べてみたら全部スーパーの味だった…」と言われてしまった。

世間の風潮として、スーパーの総菜や冷凍食品をなんとなく良くないモノと見なす傾向にある。それは添加物や手抜きという側面からのものだと思うが、私はあまり拒否感はない。美味しい不味いは人それぞれだし、だいたいスーパーの総菜がそんなに不味いと思ったことがない。そんなに不味いものなら、おそらく売れないだろう。だから普通に食べられる味であるのは間違いないはず。にもかかわらず、スーパーの総菜と聞いた途端に、添加物=体に悪いというフィルターが罹り、なんとなく体に悪いモノに変わってしまう。たしかに添加物は入っているのだろうけれど、それを徹底的に排除していったら、食べれるもは極端に限定されてしまうし、家で作るモノだって使う調味料によっては添加物が入っているものだってある。

昔、デパ地下の総菜屋さんでアルバイトしていたことがあった。当時、遅番のラストまでの時は、余った総菜を自由に持って帰れた。社員の人や長く働いている人は、ほとんど持って帰らなかったので、初めの頃はこれでもかと持って帰っていた。100グラム400円とかする総菜で、ローストビーフのサラダとかエビとブロッコリーのサラダとか、見る限り美味しそうなものがたくさんあった。最初の頃はあえて遅番にしてもらってそれはそれは喜んで毎日食べていた。けれどそれも2週間が限界だった。15種類くらいあったが、そのうちどれを食べても胃が受け付けなくなった。美味しくない訳じゃない。しばらくして社員の人から「今日は持って帰らないの…?」と言われ、「ちょっと飽きたというか、胃がもたれるような気がして…」と言うと、「店の総菜はね、とにかく味が濃いんだよね。美味しく感じるけど、調味料の量が違うんだよ。だからカロリーも高いし、時々はいいかもしれないけど、毎日食べるもんじゃない。僕は10年以上働いてるけど、新しい商品以外、ここ10年近く食べたことない…」と。

家庭で作るものはそれに比べると圧倒的に薄味である。だから毎日食べても、胃の負担も少ないし飽きないのかなと。でも、毎日、外食の人や連日総菜、という人もいるわけで、あとはお金を払って食べるのとタダで貰って食べる違いもあったかもしれない。

娘に「スーパーの味、連続、何日いける?」と聞くと、「1週間くらいはいいよ、ただ種類は変えてほしい…」と言われた。
これで何かあったときは、スーパーの総菜で1週間は大丈夫と自信を持った次第である。

で、今日、なんとなく、喉がイガイガする…。
体もだるい様な…。

インフルエンザ、うつったかも…。


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教育面談

2024-12-18 18:03:09 | つぶやき
妻が朝から発熱、病院へ行くとインフルエンザだった。

今日は娘の塾の教育面談があり、本来は妻が行くことになっていたが、代わりに行く羽目に。これまで学校行事でいえば運動会や文化祭には行くことがあったが、教師との面談や授業参観には一度も行ったことがない。学習面に関しては妻が把握していて、私は全く関知していない。しかも塾に親面談というものがあり、それが定期的に行われているなんてまったく知らなかった。中3で受験を控えているのなら未だしも、中2の今頃に面談なんかして何の意味があるのだろう?と思ったくらいだが、塾へ行くとそれも納得。

「受験はすでに始まっているんです…」という教育産業で働く人の定番のような言葉から始まった。塾では定期的に全県模試というのが行われており、そこでは偏差値と県内の順位、それと志望校に対しての合格率判定が出る。で、それに基づいて話が進められる。愛知県の高校入試では、当日の合計点数と内申点(これは主に中3の一学期の成績)で判定されるという、他県とは異なる形態で入試が行われるということ。妻はすでに知っていたようだが、私は漠然としか知らなかった。しかもすでに志望校もある程度決まっていたみたいでびっくり。私はここが地元ではないし、有名校か超アホ学校かの2択以外の学校を良く知らないので、まぁ、それを知る良い機会にはなった。とはいえ、まったく知らないというのも、なんだか無関心な親だと思われたくなかったので、最大限、知っているていで挑んだけれど、微妙にバレていた感もある。

昔と違って少子化で受験も随分、様代わりしている。しかも関東圏と東海圏での違いもある。私学と公立との価値観の違いも。で、今は高校選びも、難関大学の指定校推薦枠をどのくらい持っているとか、そいうところでも高校選びの基準になるらしい。出来る子は別らしいが、いかに受験せずに難関校へ入るか、ということも見据えて志望校を考えて下さいと…。ある意味、最近の受験事情をいろいろ知れることができて良い経験だったかも…。

あえて落ちる必要はないが、長い目で見れば入学試験に落ちるのも、一つの良い人生経験ではないかと思う。
私は出来が悪かったせいで高校で3つ、大学で4つ、計7つ落ちている。最初は大変ショックだったが、高校で3つも落ちていたせいで、大学の4つはすでに免疫ができていたおかげで、難なく乗り越えられている。落ちるということは、ある意味、メンタルが鍛えられるということでもある、と思う。

まぁ、良い学校に行けるなら、無理してでも行くべきなんだろうと思う。
頭の良い学校の方が、それなりに面白い友達と出会えるだろうと思うし、勉強したい人なら学べる環境もグッと良くなる。しかも会社で働くなら、学歴はその後の人生について、ずっと付いて回るはず。同じホームレスでも、東大出ているホームレスだと、ちょっと見方は変わったりもする。世間の見方なんて、そんなもんかも。

でも、それを必要としない人生もある。
選択するのは、本人次第だ。
ただし、その選択を判断する時期は、遅くても良いんじゃないかと思ったり…。

これには、ベストな選択はあっても、正しい選択なんかないのかもしれない。
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日本一

2024-12-15 19:01:06 | つぶやき
滋賀県の大津市へ行ってきた。

妻が今年の私の誕生日に行きたい店があると言って、以前から予約していた店だった。

うなぎの「かねよ」

行くと、日本一うなぎ”と看板に書いてあるが、何をもって日本一と称しているのかわからない。店近くにある看板には、すべてこの「日本一うなぎ」と書かれていて、それがちょっとおこがましい気がした。そもそもそういうことは客や第三者が評価するものであって、自分でアピールするものではないと思う。店は本店と別棟があるようだが、本店はすべて個室。しかも日本庭園が素晴らしい。庭園内には旧東海道を示す、石作りの道標が残されていて趣があった。

「かねよ」さんは、うなぎプラス錦糸卵重で有名なんだとか。普通、錦糸卵は薄焼き卵を細く刻んだものだが、このお店では刻む前の状態でドーンと出てくる。見た目のインパクトは凄いので、これで評判になったのではないかと思うほど。お気に入りのお店があるけれど、うなぎは高いので年に1~2度しか食べれない。外はカリカリ、中は脂がジュワーっとしているのが好みだ。けれど、ここのは全部、中途半端な感じ。錦糸卵も至って普通で、なんでこんなにお客さんがが押しかけてくるのか良くわからなかった。良かったのは、個室と日本庭園の雰囲気だけ。あれほど日本一、日本一とアピールして、これはちょっと残念すぎる。

あくまでも味は主観だが、もしも本気でそう思っているのなら、未来はなさそう。名古屋や岐阜の関市のほうが、よほど美味しいと思える店がある。
どうしても日本一と言うのなら、「日本一インパクトのあるうなぎを出す店」が精一杯。

帰りに琵琶湖に寄って帰ってきた。
琵琶湖に来たのは、かれこれ15年以上ぶり。水はあまりキレイではないけれど、やっぱりデカいな…。

滋賀県の市内では、あの有名な「とび太くん」をたくさん見れたので良かったとしよう。

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名作

2024-12-13 18:52:48 | つぶやき
「海に眠るダイアモンド」にハマっている。

テレビドラマを継続して見るのは何年ぶりだろう?本当に久しぶりだ。
あの長崎の軍艦島、端島が舞台のドラマである。あれはCGなのか、当時の島の再現が大変リアルで凄いなと思う。時代設定は昭和30年頃から40年代、日本初のコンクリート建築に暮らす人々の暮らしぶりも垣間見れて面白い。外から眺めると現代の団地のような感じだが、建物の通路側、いわゆる玄関廊下側では常に扉が開いていて通路を歩いていると、どこの家庭も部屋の中が丸見え、妙に隣近所との距離が近い暮らしぶりは、いかに団地といえど、まさに昭和の暮らしが再現されている。また炭鉱会社で働く人らにも当然ながらヒエラルキーがあり、幹部住宅は広い作りで風呂付で別連にあるとか、廃墟となった今では、すべて同じ作りに見える建物にも、それぞれ違いがあったのがわかる。
ドラマは脚本も回を重ねるごとに良くなっていると思う。過去と現代の行き来も別に違和感ないし、未来から過去が解き明かされるのも悪くない。

でも、肝心の視聴率は最悪なんだとか…。

民放の場合、スポンサーがいなければ成り立たないのはわかるが、高視聴率イコール良い作品という訳ではないし、今の時代、タイムリーの視聴率にどれほどの意味なんかあるんだろうか?T-verやU-nextで見ている人もたくさんいると思う。

昨年3月に端島へ行ってきた。
上陸して決められた場所を歩き、眺めるだけだったが、ドラマで再現された実際の場所もあり、大変興味深かった。

おそらくかつてあった日本中の炭鉱町にはこういう人間模様がいくつもあったと思う。

思いを馳せると、ちょっと感慨深いものがある。

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教訓…

2024-12-12 21:47:50 | 時事(海外)
ロシアへ亡命したシリアのアサド元大統領が暮らしていた大統領宮殿が公開されている。

映像には典型的な独裁者が好むような、まさに贅を尽くした宮殿の内部が映っている。ほとんどの部屋のモノは略奪されてもぬけの殻で、一部の部屋は燃やされたりしているが、駐車場には何十台、もしかすると百台以上の高級車がずらりと並んで残されている。1台も持ち出せる時間がなかったのだろう。また違法薬物を作っていた部屋も残されているようで、これも奴の資金源になっていたとすると、まさにクズ中のクズである。しかも銀行の公庫は空で、これまたクズ通貨であるわずかなシリアポンドだけが残されていたとか。おそらく外貨はすべて持ち出したと思われる。また海外の銀行口座には使いきれないほどの外貨預金に株などの金融資産もたんまり持っているはずだから、アサド一家はロシアから追い出されない限り半永久的に安泰だろうと思う。おそらく新政権から何らかの訴訟を起こされ、海外資産の凍結なんかを要求されると思うが、その前になんらかの手を打つはずだから、なかなか効果的な手段がないのが残念なところだ。

最近で言えば、リビアのカダフィは海外に15兆円以上の資産を持ち、日本にも3500億円の資産があったという。彼の場合、本人が死亡しており、そのほとんどが凍結され、リビアの再建に回されたようだが、独裁者というのはとてつもない資産を隠し持っているものだなと。あのイラクのサダムフセインは3兆円の資産だったというから、やはり石油の出る産油国は桁が違う。シリアもわずかしか石油は出ないから、お隣同士だったフセインくらいかも、ただし奴の場合、違法薬物でタンマリ稼いだ可能性もあるから、もっと持っているかもしれない。シリアの民は困窮しているというのに、独裁者は贅沢三昧。日本の北にある、あのでっぷりとした将軍さまの国と重なるものがある。

今頃になって国連はアサド元大統領を見限ったロシアとイランを非難したが、あまりにも他国に安全保障を依存すると、最後は梯子を外されるというのは歴史の教訓かもしれない。さらにいイスラエルとトルコは漁夫の利を得ようと、ここぞとばかりにシリア領を侵略している。せっかくアサドとロシアを追い出して自由を勝ち取ってお祝いムードのシリア反体制派は、イスラエルやトルコがシリアで好きなことし始めてる状況に気づいた時、間違いなく怒り出すんじゃないかと思う。

混乱に乗じて、油断するといつの間にか国境は変わってしまうもの。

これも歴史の教訓かもしれない。

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有限性…

2024-12-10 14:28:50 | 時事(国内)
朝、めざまし8で小倉さんが亡くなったのをずっとやっていた。

なんとなく、長い時間見てしまった。小倉さんといえば、今でも大橋巨泉の弟子というイメージがずっとある。たしか巨泉さんが亡くなったちょっと後のタイミングで小倉さんがガンを公表したというのも今思えば、変な巡り合わせだ。で、その小倉さんの愛弟子が元フジアナの笠井さんってことになっている。彼もまたフジテレビを退職してすぐにガンに罹患している。これはまさか病気繫がりってことではないと思うけれど、大橋巨泉からの系譜で言えば、笠井さんだとちょっとダウングレードし過ぎで物足らなく感じてしまう。

小倉さんは常々「老後にやろうはダメ!」と語っていたとか…。
彼のように資産はたくさんあっても、結局、健康じゃないと何もできないんだということを実感した言葉で、やりたいことは若いうちにやっておくほうが良い、というのは、まさにいい得ているんだろうと思う。けれど、若いうちにやりたいことしかやらずに「みじめな老後」というのもある。真ん中とって、程よく働きながら程よくやりたいことをやる、なんていうのが理想なのかもしれないが、人なんて所詮、ないものねだりだ。

いつか医学が発達して、人は自分の寿命を知ることができたらベストだとなと思う。
生まれたときから、自分の寿命がわかっていたら、それはそれは可能な限り理想的かつ効率的に生きられるような気がする。早世の人なら仕事はほどほどにして、自身の生活の優先することができるし、長寿で100歳まで生きるとなれば、手堅く貯蓄に励むのも良い。でもわからないから、良いのかな?苦悩しながら生きるのが、人生なのかも?

歳を取ると見慣れた人がどんどん亡くなっていく。
若い時にはわからなかったけれど、寂しさはもちろん、自分もいずれという気持ちも同時に感じる。

人の訃報は、あらためて自身の人生の有限性を再認識させてくれるものなんだなと思う。
今後の生き方や価値観を見直すきっかけにもなるし、より充実した人生を送るための動機付けにもなるような気もする。

で、これまでピンピンコロリが理想かと思っていたけれど、そうでもないなと…。


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