爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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償いの書(13)

2011年01月01日 | 償いの書
償いの書(13)

 東京に向かう特急電車にまた乗っている。それは、過去との邂逅を終えたぼくらにとり、関係性をあらためて認識しあったので、それを暖め膨らませる時間でもあった。ぼくらは交際を再スタートさせていたが、本当を言えば、その日から実感として、ぼくらの物語はまた始まったのかもしれなかった。

 ぼくは、裕紀のシアトルでの学生時代の話をきき、何人かのボーイフレンドのことを話題にした。当然のこと、ぼくのことも話さなければならない。

「あの女性・・・」彼女は、名前で呼び実体を与えたり、実在させてしまうのを恐れるかのように、そのひとを話題にするときは、いつもそう呼んだ。だが、ぼくら二人のなかでは、あの女性と称すれば誰のことを指しているのかは理解できていた。「お腹のなかに赤ちゃんがいるんだってね?」
「そうみたいだね」
「もっと感想はないの?」

「嬉しいけど、不思議な気分だよ。だって、ぼくにとっては、お母さんになってるあのひとをイメージできないんだから」
「もう、戻れない」
「戻る気もないよ。裕紀がいるんだし」
 ぼくは車窓から流れる風景を眺めながら、自分の家に戻るという気持ちが生まれていることを知った。東京の小さなアパートが、もうぼくにとっての我が家のイメージだった。いつのまにか、ぼくの地元は用がない限り戻らない場所になっていた。そこに暮らす雪代のイメージも、そこに含まれて考えるようにもなっていた。逆に我が家にとって近い存在である裕紀は、現在であり未来という範疇にはいる存在だった。その電車のなかで、そのことをよく考えた。

 ぼくは売りに来た女性からビールを買い、缶のふたを開けた。その女性はどこか雰囲気が妹に似ていた。それで、ぼくは、つい言葉をもらした。
「妹、いまごろなにしてるかな?」
「心配?」

「いいや、山下がそばにずっといるんだから。あの体格なら外国人も襲わないよ」
 彼女はその光景を頭のなかで思い浮かべたように、すこし経って小さくフフフと笑った。ビールといっしょに買ったアイスクリームを食べるのを止め、裕紀はそのまま微笑み続けた。

 途中の停車駅で何人かは降り、何人かはその代わりに乗ってきた。だが、総体的な数では、埋まっていない座席が増えてきていた。ぼくは、ここ何日かで起きたことを会話の合間に考えている。妹は結婚した。両親もとても喜んでいた。すこしだけ、ぼくにプレッシャーを与えようと両親は考えているようだった。裕紀の存在はあたたかく迎えられ、ぼくがこの度にした選択を賢いものだと周りのひとは考えており、過去に行った選択はどう考えても間違っていて、遠回りしたに過ぎないと決めているようだった。

 雪代にまた会うことも驚きなのだが、それに加えて彼女のお腹には子どもがいた。彼女に今後、どのような生活が待っているのかしらないが、それが平穏で幸福であることをぼくは切望している。

 裕紀は、ゆり江という子にあった。ぼくのことも話題にしたようだが、知らないことは知らない方が幸福なのだ、と考え、今後も、彼女の内面に衝撃を与えるようなことは避け、ぼくがそれを守れる場合は、きちんと防御しようと考えている。それは、都合の良い話にも思えたが、彼女を傷つけることは二度としたくないというぼくの証でもあるのだ。

 横を見ると彼女は眠りに入ってしまったようだった。彼女の家族が抱えている問題にぼくは深入りできないでいる。それを彼女は避けているようにも感じている。いずれ聞くことがあれば、それを表面化して解決できる問題なのか考えなければならないだろう。そうしているうちに、車内のアナウンスが流れ、終点が近付いていることを知らせた。そこから、ぼくの家は20分ほどだった。

 改札を抜け、ぼくは裕紀に話しかける。ぼくの両手には大きなバックがあり、彼女は小さなバックを肩から提げていた。
「どうする? これから? うちに寄ってご飯でも食べていく?」彼女は声を出さずに頷いた。
「そうしてもいいの?」
「いいよ、少し休んでいくといいよ。裕紀の家まで遠いし」
 駅前でタクシーを拾い、その日の道路は空いていて、思っているより短い時間で家に着いた。部屋に入ると締め切っていた部屋の匂いがした。ぼくは、カーテンをずらし、窓を開けた。そうすると秋の終わりのような空気が部屋のなかに侵入した。

 裕紀は、テーブルの椅子に座り、よそよそし気な態度で座っていた。ぼくは缶ビールを取り出し、それを開けて口に含み、次の工程を考えた。簡単にできそうなので、引き出しからパスタを出し袋を破った。それから、冷凍されたソースを取り出し、残っていたピーマンを包丁で切り、茹で上がったものと絡めて皿に載せた。

 そうするとビールは、丁度空になっていた。冷蔵庫から冷えた白ワインも取り出して、グラス二つを片手の指に乗せ、テーブルに運んだ。
「味の保証はないよ」
「でも、おいしそうだよ」と彼女はいったが、いつもより少しアンニュイな様子だった。
 食べ終えたころには、8時を少し回っていた。ぼくらは、その後自然とそうなるようにお互いを確認し合った。その一日は、ぼくらの今後にとって、忘れられない、いや、これまでと今後をつなげる役目の日として忘れてはいけない一日になったのだ。
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