(53)
夏休みになった。その頃は、まだ今ほどには温暖化と叫ばれてはいなかった。それでも、暑い夏にはかわりはなかった。
思い立って、沖縄に行ったことがないので、一人でチケットを取り、ホテルを手配して飛行機に乗った。頭の中身が、いまの現状での限界が来ると、新鮮な風をいれたく、見知らぬ町を歩いてみたくなる。その土地として、沖縄は理想的な場所だった。
空港に着き、レンタカーを借り、町を彷徨った。ガイドブックを頼りに、旧跡を調べ、食したこともない料理を味わった。その日常的な生活から離れることによって、見えるものもあるし、足りない部分が理解できることもある。
日差しの落ちかけたプールに、海水着で出向いた。なにも要求されず、読みかけの本を片手に暗くなるまでいた。となりにみどりが居れば、もっと良かったかもしれないが、休みが合わないので仕方がない。また、合わす努力をしていないのも否めない事実だが。
次の日には、ゆっくり起き、朝食をたべて、再びきれいになったシーツの上で横になっていた。テレビを見るともなく見ていると、その夏の話題の高校生が野球をしていた。その大きな体格をした選手は、相手チームの作戦により、連続して敬遠され、バットを振り回すことは許されなかった。結果として、相手のチームは勝ったが、それだけに批難もあり、失ったものも大きかった気がする。勝つことが大前提のゲームだが、その美学のないところに多くの観客は、あきれてしまったようだ。長い期間、その選手の成し遂げたことは、それが一番だったような気もするが、のちに世界の名だたる都市で野球をすることなど、知る由もない。その選手は、グローブをはめる左手首に大怪我をした後、長いリハビリを経た休みのあとに登場した試合で、4本もヒットを打つことにより、自分の復帰を祝い、高校生のときとは違い、勝負ということが好きな国で、新たな名誉で、過去の亡霊を塗り替えた。全席勝負ができず、歩かされた高校生ではなくなっていたのだ。
テレビに疲れると、またプールサイドで時間を過ごした。楽しそうな家族を見ると、自分にもそうしたものが作ることが出来るのかが心配になった。子供の歓声は、水面に響き、その周りに共鳴していった。それは、楽しさの最大限の表れだった。うるさく感じることもなかったが、耳には自然と入ってきた。しかし、読みかけの本に没頭すると、それらのことを忘れてしまった。まわりから人が減っていくことにも、注意しないうちに、またきれいな夕焼けの景色にかわった。
その所為で、身体の色は赤くなり、いくらか熱を発してもいた。
夜は、近くのお店で食事をとった。沖縄の音楽が演奏され、より一層開放的な気持ちになった。のちに、あるロック・バンドがそのリズムでヒット曲を作ったが、まだそれは先の話だった。
沖縄のお酒で、揺れる足を心配しながらホテルの部屋に戻った。夜にもなれば、窓の外の波の音は原始的なものとつながり、この旅で得たものを思い返す。いくつかのことが浮かんだが、それもベッドの上で数分しかもたなかった。
また逆の道を通り、車を返し飛行機に乗った。はじめて来たのだが、とても名残惜しい気持ちに包まれる。多分、何回か今後も来るような気がした。その時は、みどりも横にいるのだろうか、といくつかのことを頭の中で空想する。たくさんの空想は、たくさんの実現不可能なことにかわり、少しの現実になりかわる。それでも、人間の頭脳をそれらは止められないのだろう。数時間の機内でそれらのことを考えていたが、あっという間に羽田に着いた。また蒸し暑い東京と向き合わなければならない。高校生は、熱した球場での野球ではなく学業にもどって、自分は通勤の日々にかえって行った。
お土産をもって、みどりに会いに行く。夏が終わると、ヨーロッパのサッカーはリーグ戦がはじまるため、その準備に、彼女は追われていた。その忙しい日常のことを当たり前のこととして自分は認識していた。ヨーロッパと同じように、やっと、日本にもプロリーグが検討され、来年の春には開始されることになった。最初は、10チームで、入れ替え戦が行われる。競争がないところには、繁栄もないということだろう。
日焼けのした身体で、クーラーの部屋にはいる。そうすると、ちょっと前まで青い空と白い砂浜が目の前にあったことなど忘れてしまう。でも、この経験がいずれ仕事でも役にたちそうな予感がする。
夏休みになった。その頃は、まだ今ほどには温暖化と叫ばれてはいなかった。それでも、暑い夏にはかわりはなかった。
思い立って、沖縄に行ったことがないので、一人でチケットを取り、ホテルを手配して飛行機に乗った。頭の中身が、いまの現状での限界が来ると、新鮮な風をいれたく、見知らぬ町を歩いてみたくなる。その土地として、沖縄は理想的な場所だった。
空港に着き、レンタカーを借り、町を彷徨った。ガイドブックを頼りに、旧跡を調べ、食したこともない料理を味わった。その日常的な生活から離れることによって、見えるものもあるし、足りない部分が理解できることもある。
日差しの落ちかけたプールに、海水着で出向いた。なにも要求されず、読みかけの本を片手に暗くなるまでいた。となりにみどりが居れば、もっと良かったかもしれないが、休みが合わないので仕方がない。また、合わす努力をしていないのも否めない事実だが。
次の日には、ゆっくり起き、朝食をたべて、再びきれいになったシーツの上で横になっていた。テレビを見るともなく見ていると、その夏の話題の高校生が野球をしていた。その大きな体格をした選手は、相手チームの作戦により、連続して敬遠され、バットを振り回すことは許されなかった。結果として、相手のチームは勝ったが、それだけに批難もあり、失ったものも大きかった気がする。勝つことが大前提のゲームだが、その美学のないところに多くの観客は、あきれてしまったようだ。長い期間、その選手の成し遂げたことは、それが一番だったような気もするが、のちに世界の名だたる都市で野球をすることなど、知る由もない。その選手は、グローブをはめる左手首に大怪我をした後、長いリハビリを経た休みのあとに登場した試合で、4本もヒットを打つことにより、自分の復帰を祝い、高校生のときとは違い、勝負ということが好きな国で、新たな名誉で、過去の亡霊を塗り替えた。全席勝負ができず、歩かされた高校生ではなくなっていたのだ。
テレビに疲れると、またプールサイドで時間を過ごした。楽しそうな家族を見ると、自分にもそうしたものが作ることが出来るのかが心配になった。子供の歓声は、水面に響き、その周りに共鳴していった。それは、楽しさの最大限の表れだった。うるさく感じることもなかったが、耳には自然と入ってきた。しかし、読みかけの本に没頭すると、それらのことを忘れてしまった。まわりから人が減っていくことにも、注意しないうちに、またきれいな夕焼けの景色にかわった。
その所為で、身体の色は赤くなり、いくらか熱を発してもいた。
夜は、近くのお店で食事をとった。沖縄の音楽が演奏され、より一層開放的な気持ちになった。のちに、あるロック・バンドがそのリズムでヒット曲を作ったが、まだそれは先の話だった。
沖縄のお酒で、揺れる足を心配しながらホテルの部屋に戻った。夜にもなれば、窓の外の波の音は原始的なものとつながり、この旅で得たものを思い返す。いくつかのことが浮かんだが、それもベッドの上で数分しかもたなかった。
また逆の道を通り、車を返し飛行機に乗った。はじめて来たのだが、とても名残惜しい気持ちに包まれる。多分、何回か今後も来るような気がした。その時は、みどりも横にいるのだろうか、といくつかのことを頭の中で空想する。たくさんの空想は、たくさんの実現不可能なことにかわり、少しの現実になりかわる。それでも、人間の頭脳をそれらは止められないのだろう。数時間の機内でそれらのことを考えていたが、あっという間に羽田に着いた。また蒸し暑い東京と向き合わなければならない。高校生は、熱した球場での野球ではなく学業にもどって、自分は通勤の日々にかえって行った。
お土産をもって、みどりに会いに行く。夏が終わると、ヨーロッパのサッカーはリーグ戦がはじまるため、その準備に、彼女は追われていた。その忙しい日常のことを当たり前のこととして自分は認識していた。ヨーロッパと同じように、やっと、日本にもプロリーグが検討され、来年の春には開始されることになった。最初は、10チームで、入れ替え戦が行われる。競争がないところには、繁栄もないということだろう。
日焼けのした身体で、クーラーの部屋にはいる。そうすると、ちょっと前まで青い空と白い砂浜が目の前にあったことなど忘れてしまう。でも、この経験がいずれ仕事でも役にたちそうな予感がする。