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存在理由(52)

2011年01月20日 | 存在理由
(52)

 旅行のための荷物をみどりは作り、オリンピックの取材のために出掛けた。行き先はバルセロナだ。そこに、日本のサッカーチームはいなかった。しかし、全世界の若さを主体にした市場にとっては、見応えのある競技だろう。そこは、自分をアピールできる場所でもある。

 みどりの母親の体調は、すっかり良くなり元の生活に戻っていた。その面では、彼女は安心していた。サッカーの取材を生きがいに感じている彼女にとっては、またとないチャンスと楽しみという機会でもあるのだろう。いくつかの生涯の記憶になるようぼくは望んでいた。

 みどりは現地にいたが、ぼくは暇をみつけてはテレビの前にいる。

 テレビの前でもいくつかのことは判断できるが、その地にいることによって理解できる興奮は分からない。分からないながらも、吸収しようと努力はしたのだが。

 普段は、自分が日本人であるということも深く考えずに生活している。しかし、同じような顔立ちの同じ言語のひとが活躍すれば、それは感情移入と応援の対象になる。当然だが、何人かの人は活躍し、また何人かの人は思ったような力を発揮できずにいた。

 活躍した中には、日本の女の子もいた。その後、ニュースで何度も使われた言葉を発する。「生きてきた中で、一番しあわせ」、という内容だ。そのセリフは、目標をもって歩んできた人間が、それを達成して、結果をのこしてはじめて発言をしてもよい言葉だ。

 多くのベルトコンベアー的に流れ作業の一環として働いている労働者にとっては、もちろんのこと、精密さの程度の差はあれ、自分もその一員であるのだが、考えられない言葉である。そのために、4年に一度は、このような大会が営まれるのだろう。多くの利権の奪い合いとして、正当なアマチュアスポーツの祭典であるとか、頂点を決めるとかのことを度外視しても、それらは開催される意味があるのだろう。

 また、スポーツの祭典とは似つかわしくないオペラ歌手の歌も聴こえた。

 日本人の作曲家も、自分の能力を発揮する。電気音楽をつかった人は、いまは、立体的な、ある面では東洋的な音づかいで世界を魅了する。それもまた、日本にいる自分にとっても、励みとなるものだった。

 自分の一存でなにごとも、仕事をすすめられない自分がいる。なにごとも調整と、打ち合わせと、予定と、多少の衝突で日々が過ぎていく。その余波として休日があるのだが、その休みの日の頭のなかも、何が流行りか考えてしまう気持ちがあった。
 オリンピックが終わり、数々のメダルは自分の行き場所を決め、栄光と挫折をそれぞれの気持ちは味わい、お祭りは終わる。終わってしまえば、すべてはあっという間のことだ。

 みどりも1・5倍ぐらいになった荷物をかかえ、戻ってきた。充足した顔と、まとめる作業の焦りを含んだ表情も、そこにはあったのだろう。

 着いた連絡をもらったが、彼女は、やはりどこかで心配している母親のことを最優先にし、早めの夏休みをとって帰省した。ぼくは、またもや人が少なくなったオフィスでワープロを打っている。その明滅する光をとおして、自分の存在が表れるような気持ちに、最近はなっている。

 少なくなったオフィスで同僚の顔を見つけては、ビールを飲みに誘った。そのビールを飲んだ開放感で同期から、さまざまな情報を入手する。そういう情報を集める能力がある人がいて、同期はまさしく、そのような人物だった。自分には、知らない会社内の秘密がたくさんあることを知る。しかし、知らなくても良いことまで、入ってきてしまった。やはり、自分は、そのような情報を手に入れる時間があるなら、取材をつうじて、まともな記事を作ることに専念した方がよさそうだ、という考えに到達する。

 そのようなことを何日かして、自分にも夏休みがやってくる。最近は、あきらめているがみどりと一緒になることもなかった。テレビをつければオリンピックで活躍できた人が、引っ張りだこで、どこの番組にもあふれ出していた。彼らは、そのような活躍をしたのだろう。しかし、忘れやすい大衆がいて、4年間もこの記憶を維持できるかは誰も知らない。

 去年の雑誌という形体もそうである。

 1992年の夏の話である。
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