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存在理由(59)

2011年01月28日 | 存在理由
(59)

 会社に入ってからの利害を抜きにしても、何人かの友人ができ、それにかわって学生時代の友人たちと会う頻度が減っていく。そうしたことを悲しいとも気づかずに日々は過ぎ去っていく。

 今度、連絡をとろう、と頭の片隅のメモ帳のようなものには印しているはずなのに、大きなイベントに絡めない限り、会うこともない。それにもまた無頓着であった。

 冬と春の季節が入れかわる予兆のようなものがある。自分の人生にも、そのような兆しを感じたりもする。みどりは、いつも忙しく飛び回っていた。彼女の自分に対する本心が分からなくなってしまう時もある。その核心に触れる機会もないまま、時間は無常なまでに早く過ぎる。立ち止まって考えることが不可能なほどだし、誰かが回転を速めているのかと誤解するぐらいだ。

 相変わらず、自分は生活の虚構の部分を仕事で担当している。一握りの裕福な人がどこかでページをめくっているのだろう。そのことで、自分にも少なからずメリットもあるが、もっと本質にふれるようなことを考えたくも思う。それが、自分の性分だとも思いだした。

 世界の大部分は、限りないまでも貧困なのだ。

 かといって生活の大筋は、そんなに急に変わらないことも確かだ。与えられたことをうまくこなしながら、生活の糧を得ている。

 学生時代の女性たちも、結婚する人が多くなってきた。自分には、まだ先のことだと思っている。しかし、みどりの周りにもそれらの人は多くなり、彼女も休みには着飾って、そのお祝いに行ったりもした。共通の友人になった場合は、自分も参加することが多くなった。彼女も、まだ自分の結婚などは、近い将来には訪れないこととしているようだ。それに対して、自分も不満はなかった。

 だが、学生時代から知っている仲だが、それぞれ社会に出て、出会うべき人間も増え、年代差も大幅に変わっていく。それによって自分の興味ある対象も自然と違った形をとるのだろう。

 職場のそばに仕事帰りに立ち寄る店ができた。自分に勢いがあるときは、多分近づくこともなかったかもしれないが、世の中の疑問と向き合ったり、解決策のない問題を頭の中でこねくり回すときに、そこにいると落ち着いた。

 なんどか会社の廊下ですれ違った人とも、そこで話すようになる。その人は社内ではベテランなのだが、会社が発行する雑誌がシフトし出したときに、自分の立場を失った、と言った。そのことに不満はないようだが、自分の経験を生かせないことが、不服らしい。そのことを聞いて、こうした機会を通して自分を成長させてもらうよう、さまざまなことを教えてもらおうと思った。それを口に出しては言わなかったが、お互い了承したような気持ちをもった。

 社内でこうした経験をもっている人に最前線で活躍してもらえない状況があることは知っていたし、そうした処遇に不可解さももっていたが、目の前にあらわれた男性は、一見しては分からないが、長く過ごすと能力のある人間だということは、だいぶ年下の自分にも分かった。その人から、業務上のノウハウをたくさん得ることによって、今後の働きの意欲に転嫁させようと思った。そして、そのことは成功したと思う。

 彼は、3月で退職することになっていた。まだまだ一線で活躍できそうだが、半分リタイアして東京を離れて暮らすそうである。その数か月の間に、自分は仕事が終わったあとに気楽な立場で学ぶことができた。知らない知識を、直ぐそばにいる人間がもっていることも分からないで右往左往している状態がかなりあったが、このような経験をとおして、恥を忍んで人に聞くことを苦にしないようと決めた。

 退社する前に、一緒になってその店で飲んだ。生意気だとも思ったが、数々の良い思い出の代償として、その人に奢った。その人も快く受けてくれた。

 店を後にするときに固い握手をして別れた。帰り道、地下鉄に向かう途中で無性に涙が流れてとまることはなかった。近くの公園のベンチにすわり、そのまま泣き続けた。誰かを失って、2度と取り戻すことが出来ない時間にたいして後悔することが起こる。そのベンチから立ち上がり歩きだす頃、自分はなるべく時間を無駄にしないようと決めた。しかし、決めたことを守り通すことの方が難しいことは、自分でも良く知らなかったのだと思う。
コメント
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