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仕事が手につかず、はかどらない数日があって、やっと週末になった。土曜は早めに起き、昨夜、仕事帰りに借りたレンタカーに乗って、みどりの実家に向かおうとしている。このような予定は、嬉しい期待感に満ちたものではないが、他者との関係で人生を成立させる以上、だんだんと増えてくるものなのだろう。
誰かの結婚式があり、誰かはどこかで亡くなり、それを見守るための視点が必要である。そのために現場に居合わせて、見届ける時間がいる。そう、常に冷徹な考えでいるわけでもないが、学生時代のように、自分の受験があるので、かかわらずにいてくれ、と強く突っぱねることなどは出来そうにない。そして、そのようなこともしたくはないが。
運転していると、窓外の景色はかわるが、頭の中は常に一定のところにとどまっている。みどりは、母親の病気という経験に耐えられるのか? そのようなときに、どのようなものが頼りになるのかは、自分にとっても不鮮明である。不確かなものでもあるが、実際に直面すれば、自然と解決するものでもあると安心してもいた。
一般の道が国道になり、高速に変わったりしている。いくつかの音楽をきき、ラジオでその日の混雑具合や、ニュースや天気などもきく。そのような声の伝達者に生まれてくるひとの魅力を感じる。また、ソウル・ミュージックの甘い雰囲気も大好きだ。車の中は一瞬にして、なごやかなムードに包まれる。そう、がつがつ生きたり、努力という言葉を使ったりすることもないではないか、と不思議な安心感とここちよい倦怠がある。
サービスエリアで朝食を食べようと車をとめた。思ったより早く着き、ゆっくり行動できそうだ。たくさんのテーブルがあったが、なかは閑散としている。広いスペースがあることを喜んでいる子供が、うれしそうに走り回っていた。いつもより、元気であることの望ましさを自分は感じていた。
また車に戻り、高速道路からも降りた。みどりに聞いていた病院の場所を、再度、地図と照らし合わせて、そこに向かった。遠くからでも大きな建物は目立ち、そこに向かったが、しばらくするとようやく辿りつけた。車のドアを開けると新鮮な空気が流れ込んだ。
部屋の番号を確認し、ノックしてなかに入った。直ぐにみどりの顔がみえた。そのことで自分もいくらか安堵した。横には、みどりの母親が寝ていた。しかし、その顔色も良かったし、病人にはまったく見えなかった。弁解のように、
「来てもらってごめんなさいね。主人が大げさに考えて入院までさせられてしまって」と言った。その横で、みどりの父は難しい表情をしていた。それでも、やはり大きな問題にならずにすんだという軽くなった気持もみえた。
「まあ、来てもらったんだから、ゆっくりして行きなさい」と父は照れ隠しのように言った。
世間話をし、盛り上がったついでにみどりの小さなころのエピソードを聞いて、午前中には病院をあとにした。みどりと父親も実家にもどり、簡単な軽食をいただいた。
「これから、どうする。また荷物をもって病院に向かうけど」
「適当に時間をつぶすよ。夜は空いているんだろう?」
「うん。今夜はどうするの?」
「ビジネスホテルにでも泊まって、明日はどこかぶらぶらするよ」
時間が作れないことを彼女はあやまり、それに対してぼくは、そんな心配はいらないと言った。たまには、のどかな環境に囲まれて、自分の体内に風を通すのは気持ちの良いものだ。東京で暮らすようになって、考えかたが矮小化されていくように感じた。また、昔のように時間にも拘束されない子供時代の記憶と追憶が、自分自身につよく襲ってきた。
さびれたホテルを探し、泊まれるか尋ねると、何の問題もなく低料金でとまれることができた。散歩がてら、方々を歩き回った。小さなカメラで景色を切り取り、どうでもよいお土産屋にはいったり、夕飯がとれそうな場所をみつけたり、まったくの非日常の気持ちになった。
夜には着替えたみどりと待ち合わせ、病状などもきき、大したこともないので、彼女も東京に来週早々には帰れると言った。だが、戻ってしまえば、そうゆっくりと時間もとれないことはお互いが知っていた。
仕事が手につかず、はかどらない数日があって、やっと週末になった。土曜は早めに起き、昨夜、仕事帰りに借りたレンタカーに乗って、みどりの実家に向かおうとしている。このような予定は、嬉しい期待感に満ちたものではないが、他者との関係で人生を成立させる以上、だんだんと増えてくるものなのだろう。
誰かの結婚式があり、誰かはどこかで亡くなり、それを見守るための視点が必要である。そのために現場に居合わせて、見届ける時間がいる。そう、常に冷徹な考えでいるわけでもないが、学生時代のように、自分の受験があるので、かかわらずにいてくれ、と強く突っぱねることなどは出来そうにない。そして、そのようなこともしたくはないが。
運転していると、窓外の景色はかわるが、頭の中は常に一定のところにとどまっている。みどりは、母親の病気という経験に耐えられるのか? そのようなときに、どのようなものが頼りになるのかは、自分にとっても不鮮明である。不確かなものでもあるが、実際に直面すれば、自然と解決するものでもあると安心してもいた。
一般の道が国道になり、高速に変わったりしている。いくつかの音楽をきき、ラジオでその日の混雑具合や、ニュースや天気などもきく。そのような声の伝達者に生まれてくるひとの魅力を感じる。また、ソウル・ミュージックの甘い雰囲気も大好きだ。車の中は一瞬にして、なごやかなムードに包まれる。そう、がつがつ生きたり、努力という言葉を使ったりすることもないではないか、と不思議な安心感とここちよい倦怠がある。
サービスエリアで朝食を食べようと車をとめた。思ったより早く着き、ゆっくり行動できそうだ。たくさんのテーブルがあったが、なかは閑散としている。広いスペースがあることを喜んでいる子供が、うれしそうに走り回っていた。いつもより、元気であることの望ましさを自分は感じていた。
また車に戻り、高速道路からも降りた。みどりに聞いていた病院の場所を、再度、地図と照らし合わせて、そこに向かった。遠くからでも大きな建物は目立ち、そこに向かったが、しばらくするとようやく辿りつけた。車のドアを開けると新鮮な空気が流れ込んだ。
部屋の番号を確認し、ノックしてなかに入った。直ぐにみどりの顔がみえた。そのことで自分もいくらか安堵した。横には、みどりの母親が寝ていた。しかし、その顔色も良かったし、病人にはまったく見えなかった。弁解のように、
「来てもらってごめんなさいね。主人が大げさに考えて入院までさせられてしまって」と言った。その横で、みどりの父は難しい表情をしていた。それでも、やはり大きな問題にならずにすんだという軽くなった気持もみえた。
「まあ、来てもらったんだから、ゆっくりして行きなさい」と父は照れ隠しのように言った。
世間話をし、盛り上がったついでにみどりの小さなころのエピソードを聞いて、午前中には病院をあとにした。みどりと父親も実家にもどり、簡単な軽食をいただいた。
「これから、どうする。また荷物をもって病院に向かうけど」
「適当に時間をつぶすよ。夜は空いているんだろう?」
「うん。今夜はどうするの?」
「ビジネスホテルにでも泊まって、明日はどこかぶらぶらするよ」
時間が作れないことを彼女はあやまり、それに対してぼくは、そんな心配はいらないと言った。たまには、のどかな環境に囲まれて、自分の体内に風を通すのは気持ちの良いものだ。東京で暮らすようになって、考えかたが矮小化されていくように感じた。また、昔のように時間にも拘束されない子供時代の記憶と追憶が、自分自身につよく襲ってきた。
さびれたホテルを探し、泊まれるか尋ねると、何の問題もなく低料金でとまれることができた。散歩がてら、方々を歩き回った。小さなカメラで景色を切り取り、どうでもよいお土産屋にはいったり、夕飯がとれそうな場所をみつけたり、まったくの非日常の気持ちになった。
夜には着替えたみどりと待ち合わせ、病状などもきき、大したこともないので、彼女も東京に来週早々には帰れると言った。だが、戻ってしまえば、そうゆっくりと時間もとれないことはお互いが知っていた。