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みどりの影響もあってか、サッカーを愛するようになっている。当面の目標としては、1994年にあるアメリカでのワールド・カップに参加することだ。当然だが、長い予選を勝ち抜いて出場権が得られる。それまでに、さまざまな強化を強いられる。人間の筋肉と同じだ。適度にあった負荷こそが、鍛えるためには必要になってくる。
秋には、アジアカップが行われた。ブラジルで青春期を過ごした少年がいる。サッカーを愛する民衆を率いる希望の象徴として、彼がいた。そして、その当時のそのサッカー選手はいつも期待を裏切らない状態にいた。追い風に吹かれているのが分かるほどの人間を見るのはまれだが、彼はまさしくそれを体現していた。
日本の青いユニフォームは広島で暴れ、オランダ人の監督の指導のもとで、東アジアに続き、アジアでもナンバー1の座を手に入れる。結果が残れば、わたしたちの希望も自然とふくれあがるものである。このメンバーなら、なんとかなるのではないか、との甘い約束である。
それまでは、韓国という野蛮なほど魅力的な攻撃に、いつも苦渋をなめさせられていた。彼らを倒さないことには、日本の存在証明もなかった。また、アジアで最高レベルに達しないならば、世界には到底追いつけないことを認めるのは必至だった。それさえも脱却させる希望が、そのチームにはあった。
こうして、暇な時間はテレビをみて過ごすことが多くなる。また、たまにはみどりと一緒に見た。好きなことを仕事にしてしまうことは、楽しいことなのだろうか、と言わないながらも自分は常に気にした。きっと両方が表裏一体であるのだろう。だが、気分転換を多く必要とする自分みたいな人間は、難しいのだろう、と決めつける。
「サッカー、見るの好きになったよね?」と、そのような一日に語りかけられた。うん、と返事をしたが自分でも気づかずにそうなっていた。だが、野球を見ることも多かった。とくにシーズン終了間際には、盛り上がって力が入った。
歴史を塗り替えることが出来るなら、多分、このことを替えたいと思っていることがある。その頃に起こった事件だ。アメリカに留学に行っている学生がいた。言葉の問題ととらえられて報道されたが、文化の違いでもあったかもしれない。銃をもつことが文化なのかどうかは、説明できないが、正当に所持されている銃で玄関先で撃たれた日本の少年がいた。彼は、まだ16歳だった。自分の人生でこうした事件が起こるとも知らなかっただろう。未来は急速になくなってしまった。こうした事実の積み重ねによって、ハリウッド映画で青春の日々を作り上げた自分でさえも、こころの一部にかすかな溝や隙間が入り込んできたのだろう。もしかして、あの国はそんなに宣伝するほどの自由の国ではないのではないかとの疑問がだ。
またその頃にアメリカの次代の大統領が決まった。いまの自分は知っているが、好戦的な親子に挟まれた女性好きの大統領という認識だ。優秀な妻をもっていることでも名が知られた。
その国で、サッカーのワールド・カップが開かれる。本当に、その国に踏み込む価値があるのだろうか、という疑問も生まれる。一人の人間で、その国全体を判断することはフェアではないだろう。しかし、いちど芽生えてしまった疑問は、そう簡単には消えることはない。シェークスピアの悲劇のムーア人の主人公もそれで、妻を殺害するくらいだから、不変の事実だろう。
だが、地球規模のスポーツの祭典だ。こうした事実を覆い隠してしまうほど、それ自体が強烈な力をもつ。そこにはじめて参加する可能性があるのだ。チャレンジすることは、まったく問題ないだろう。
スポーツ・バーにいる。みどりが横に座っている。冷えたビールも温くなりはじめている。日本は快勝した。
「もう一杯飲む?」
「そうだね。頼んでくるよ。同じものでいい?」と、ぼくは言って立ち上がった。
冷えたグラスを両手でつかみ、席に戻ってくる。彼女は、小さな鏡を取り出して顔を覗き込んでいた。目の中に小さな異物がはいったようだ。ぼくがその目の中を確認してみると、なにもなかった。近づいて見た顔は、数年の短い歴史で、色褪せてしまうこともなく、ぼくはドキドキした。
「なんか顔が赤くなってるよ」と言われ、適切な言い訳を頭の中で探した。
みどりの影響もあってか、サッカーを愛するようになっている。当面の目標としては、1994年にあるアメリカでのワールド・カップに参加することだ。当然だが、長い予選を勝ち抜いて出場権が得られる。それまでに、さまざまな強化を強いられる。人間の筋肉と同じだ。適度にあった負荷こそが、鍛えるためには必要になってくる。
秋には、アジアカップが行われた。ブラジルで青春期を過ごした少年がいる。サッカーを愛する民衆を率いる希望の象徴として、彼がいた。そして、その当時のそのサッカー選手はいつも期待を裏切らない状態にいた。追い風に吹かれているのが分かるほどの人間を見るのはまれだが、彼はまさしくそれを体現していた。
日本の青いユニフォームは広島で暴れ、オランダ人の監督の指導のもとで、東アジアに続き、アジアでもナンバー1の座を手に入れる。結果が残れば、わたしたちの希望も自然とふくれあがるものである。このメンバーなら、なんとかなるのではないか、との甘い約束である。
それまでは、韓国という野蛮なほど魅力的な攻撃に、いつも苦渋をなめさせられていた。彼らを倒さないことには、日本の存在証明もなかった。また、アジアで最高レベルに達しないならば、世界には到底追いつけないことを認めるのは必至だった。それさえも脱却させる希望が、そのチームにはあった。
こうして、暇な時間はテレビをみて過ごすことが多くなる。また、たまにはみどりと一緒に見た。好きなことを仕事にしてしまうことは、楽しいことなのだろうか、と言わないながらも自分は常に気にした。きっと両方が表裏一体であるのだろう。だが、気分転換を多く必要とする自分みたいな人間は、難しいのだろう、と決めつける。
「サッカー、見るの好きになったよね?」と、そのような一日に語りかけられた。うん、と返事をしたが自分でも気づかずにそうなっていた。だが、野球を見ることも多かった。とくにシーズン終了間際には、盛り上がって力が入った。
歴史を塗り替えることが出来るなら、多分、このことを替えたいと思っていることがある。その頃に起こった事件だ。アメリカに留学に行っている学生がいた。言葉の問題ととらえられて報道されたが、文化の違いでもあったかもしれない。銃をもつことが文化なのかどうかは、説明できないが、正当に所持されている銃で玄関先で撃たれた日本の少年がいた。彼は、まだ16歳だった。自分の人生でこうした事件が起こるとも知らなかっただろう。未来は急速になくなってしまった。こうした事実の積み重ねによって、ハリウッド映画で青春の日々を作り上げた自分でさえも、こころの一部にかすかな溝や隙間が入り込んできたのだろう。もしかして、あの国はそんなに宣伝するほどの自由の国ではないのではないかとの疑問がだ。
またその頃にアメリカの次代の大統領が決まった。いまの自分は知っているが、好戦的な親子に挟まれた女性好きの大統領という認識だ。優秀な妻をもっていることでも名が知られた。
その国で、サッカーのワールド・カップが開かれる。本当に、その国に踏み込む価値があるのだろうか、という疑問も生まれる。一人の人間で、その国全体を判断することはフェアではないだろう。しかし、いちど芽生えてしまった疑問は、そう簡単には消えることはない。シェークスピアの悲劇のムーア人の主人公もそれで、妻を殺害するくらいだから、不変の事実だろう。
だが、地球規模のスポーツの祭典だ。こうした事実を覆い隠してしまうほど、それ自体が強烈な力をもつ。そこにはじめて参加する可能性があるのだ。チャレンジすることは、まったく問題ないだろう。
スポーツ・バーにいる。みどりが横に座っている。冷えたビールも温くなりはじめている。日本は快勝した。
「もう一杯飲む?」
「そうだね。頼んでくるよ。同じものでいい?」と、ぼくは言って立ち上がった。
冷えたグラスを両手でつかみ、席に戻ってくる。彼女は、小さな鏡を取り出して顔を覗き込んでいた。目の中に小さな異物がはいったようだ。ぼくがその目の中を確認してみると、なにもなかった。近づいて見た顔は、数年の短い歴史で、色褪せてしまうこともなく、ぼくはドキドキした。
「なんか顔が赤くなってるよ」と言われ、適切な言い訳を頭の中で探した。