爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(55)

2011年01月22日 | 存在理由
(55)

 みどりの影響もあってか、サッカーを愛するようになっている。当面の目標としては、1994年にあるアメリカでのワールド・カップに参加することだ。当然だが、長い予選を勝ち抜いて出場権が得られる。それまでに、さまざまな強化を強いられる。人間の筋肉と同じだ。適度にあった負荷こそが、鍛えるためには必要になってくる。

 秋には、アジアカップが行われた。ブラジルで青春期を過ごした少年がいる。サッカーを愛する民衆を率いる希望の象徴として、彼がいた。そして、その当時のそのサッカー選手はいつも期待を裏切らない状態にいた。追い風に吹かれているのが分かるほどの人間を見るのはまれだが、彼はまさしくそれを体現していた。

 日本の青いユニフォームは広島で暴れ、オランダ人の監督の指導のもとで、東アジアに続き、アジアでもナンバー1の座を手に入れる。結果が残れば、わたしたちの希望も自然とふくれあがるものである。このメンバーなら、なんとかなるのではないか、との甘い約束である。

 それまでは、韓国という野蛮なほど魅力的な攻撃に、いつも苦渋をなめさせられていた。彼らを倒さないことには、日本の存在証明もなかった。また、アジアで最高レベルに達しないならば、世界には到底追いつけないことを認めるのは必至だった。それさえも脱却させる希望が、そのチームにはあった。

 こうして、暇な時間はテレビをみて過ごすことが多くなる。また、たまにはみどりと一緒に見た。好きなことを仕事にしてしまうことは、楽しいことなのだろうか、と言わないながらも自分は常に気にした。きっと両方が表裏一体であるのだろう。だが、気分転換を多く必要とする自分みたいな人間は、難しいのだろう、と決めつける。

「サッカー、見るの好きになったよね?」と、そのような一日に語りかけられた。うん、と返事をしたが自分でも気づかずにそうなっていた。だが、野球を見ることも多かった。とくにシーズン終了間際には、盛り上がって力が入った。

 歴史を塗り替えることが出来るなら、多分、このことを替えたいと思っていることがある。その頃に起こった事件だ。アメリカに留学に行っている学生がいた。言葉の問題ととらえられて報道されたが、文化の違いでもあったかもしれない。銃をもつことが文化なのかどうかは、説明できないが、正当に所持されている銃で玄関先で撃たれた日本の少年がいた。彼は、まだ16歳だった。自分の人生でこうした事件が起こるとも知らなかっただろう。未来は急速になくなってしまった。こうした事実の積み重ねによって、ハリウッド映画で青春の日々を作り上げた自分でさえも、こころの一部にかすかな溝や隙間が入り込んできたのだろう。もしかして、あの国はそんなに宣伝するほどの自由の国ではないのではないかとの疑問がだ。

 またその頃にアメリカの次代の大統領が決まった。いまの自分は知っているが、好戦的な親子に挟まれた女性好きの大統領という認識だ。優秀な妻をもっていることでも名が知られた。

 その国で、サッカーのワールド・カップが開かれる。本当に、その国に踏み込む価値があるのだろうか、という疑問も生まれる。一人の人間で、その国全体を判断することはフェアではないだろう。しかし、いちど芽生えてしまった疑問は、そう簡単には消えることはない。シェークスピアの悲劇のムーア人の主人公もそれで、妻を殺害するくらいだから、不変の事実だろう。

 だが、地球規模のスポーツの祭典だ。こうした事実を覆い隠してしまうほど、それ自体が強烈な力をもつ。そこにはじめて参加する可能性があるのだ。チャレンジすることは、まったく問題ないだろう。

 スポーツ・バーにいる。みどりが横に座っている。冷えたビールも温くなりはじめている。日本は快勝した。
「もう一杯飲む?」
「そうだね。頼んでくるよ。同じものでいい?」と、ぼくは言って立ち上がった。

 冷えたグラスを両手でつかみ、席に戻ってくる。彼女は、小さな鏡を取り出して顔を覗き込んでいた。目の中に小さな異物がはいったようだ。ぼくがその目の中を確認してみると、なにもなかった。近づいて見た顔は、数年の短い歴史で、色褪せてしまうこともなく、ぼくはドキドキした。

「なんか顔が赤くなってるよ」と言われ、適切な言い訳を頭の中で探した。
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存在理由(54)

2011年01月22日 | 存在理由
(54)

 4月に入社した新入社員もそれなりに会社に馴染んでいく。なにかを頼まれなくても、自分で工夫して仕事を見つける。それが出来る人は自然と忙しくなり、逆に出来ない人は、空を見つめる時間が多くなる。ぼくの部署は外に出て、人に会ったりしないと仕事が始まらないので、そうした人間も少なくなる。

 みどりもよその会社で同じようなことをしている。日本のサッカーは夜明け前のような状態で、緑色を基調としたユニフォームが当時、有力なチームだった。スター選手が集まり、美しいサッカーを作り上げ始めていた。どこにもライバルは必要なように、青いユニフォームのチームもそれに匹敵するような形だった。しかし、プロ・リーグが出来る前に、その選手生命のピークを終えようとしている人もいる。それも、だが仕方のない事実だった。自分の思い通りにいかない人生もあることを、ぼく自身も知り始めていた。あることを成し遂げるには、コネや権力や多少のラックを必要とする世の中なのだ。それで、自分の人生にはまだ足りない部分がたくさんあることにも気付くのだった。

 だが、このようなプロ・リーグを作らないことには、ワールド・カップやオリンピックの常連国になることは難しいだろう。そこに居ないことにはなにも始まらない。常任理事国に入っていない日本のように、サッカーでは常に蚊帳の外だった。サッカーのチームとしてももちろんだが、まだ一人として日本人スターも輩出していなかった。今後、そのような可能性を持っている人が出現するかは、まだ誰にも分からなかったかもしれない。しかし、プロ・リーグが出来ることによって、その種は植えられていくのだろう。

 自分の仕事も重要だったが、普段、みどりとの会話から、それらのことを学んでいく。誰かのフィルターを濾過して通った情報は解釈が間違っていることもあるが、みどりの言うことは全面的に信じていた。それで、話すことがお互いにない、という状態は今でもなくて済んだ。それは、恋愛感情をぬきにしても、とても励みになる交友関係でもあった。

 ある日、みどりの写真が家の中で増えていることに気づく。整理もされず乱雑に引き出しにしまってあった。大きなアルバムを買って、きちんと並べて保管しようと考えて、休日に実行した。時期によって、髪型や服装が少しずつ変わっていった。ある年代の女性の責任を負ったことを思いめぐらす。そして、もっと重要なことと考えてみるのだが、自分の一時期の生活を詳しく知っているのは、みどり以外にいないんだな、という事実にも驚いてみる。このことは、もっと後になって強く実感することにもなるのだが。

 目の前にまとまったアルバムが出来上がった。それを紅茶を飲みながら、テーブルに広げ眺めてみる。横には、ぼくが並んで写っている写真も多い。多分、二度と会うこともない通りすがりの人に頼んで撮ってもらったのだろう。腕前が左右する写真じゃない。ただ、記録として残っていることに感謝するのみだ。彼女は、気持の揺れがあまり大きくなく、それが表面に出ないだけかもしれないが、そのため、どの写真も表情は一定を保っている。季節と日差しと服の色が違っているくらいだ。その反面、自分はどれも同じ人間には見えないようだ。喜びの表情もあるし、眠さを隠し切れていない顔もあった。だが、こうしてまとめて見ないとそのことは分からなかった。

 それから数日して、家に遊びにきたみどりに、そのアルバムを見せた。彼女はおとなしく見つめていた。少し経って、あのときはああだった、とか解説をした。自分では忘れていることもあったので、彼女の記憶に関心もした。

「このころは、まだ二人とも学生だったね」と、みどりは言った。 

 その当時、流行っている雑誌から抜け出たような格好を自分はしていた。いまでも、タンスの奥にその服は眠っているのだろうかと考えた。きっと、どこかにまだあるのだろう。引っ越しを数回繰り返すと、いつの間にかなくなってしまうものもある。しかし、それとは反対に、捨てたつもりでもいつまでも手元に残ってしまうものもある。取捨選択の権利は自分にはないのだろうか。
「また、これからも増えるといいね」

 と、みどりはキッチンに向かいながら言った。その表情は見えなかった。自分もそうなってほしいとは思いながらも、その言葉は口からは出なかった。自分でも思いがけないことだ。しかし、口に出さないからといって、望んでいなかったわけでは決してない。この選択も自分にあるのかは謎だった。
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