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物語の連鎖
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存在理由(49)

2011年01月13日 | 存在理由
(49)

 ある日、才能が勝手に溢れ出てしまうような人間を見つける。その人に注目し、自分もああなりたいとも思うし、見習うべきなにかを嗅覚で感じ取り近づいたりもした。仕事で知り合った、デザイン会社の人にそうした男性がいた。ぼくと、同年代で物知りでもあった。世の中のさまざまな経験を通して成長する人間もいれば、才能のつまったスーツケースを絶えずズルズルとひきずるように生まれながらにして、もっている人もいる。うらやましい反面、厄介なものを与えられてしまったものだな、といまの自分は逆に思ったりもする。

 雑誌のデザインを刷新するよう前々から検討中でもあったのだが、ずるずると伸びていた。そのことを頭の片隅に置いておくようにとの命令があり、手垢のついていない人間を探すプランがあった。自社には、そうした人材がいなかったので、他社の人間にも視界は広がる。ある日、デザインを専属とする会社に出向いた。たぶん、その会社の違う人に用があったはずだが、忙しい人間の代わりに丁寧に応対してくれた人と話すことになった。

 出会いというものは、分からないもので、どのように大きく転ぶかは不透明なものである。その前の本来の用件である仕事は片付いたのだが、表紙の件は社内の中でも思案中であった。山本さんという丁寧な応対をしてくれた人とは、友人関係になり、いっしょに仕事が終わったあとも過ごすようになった。彼の夢は、絵をかいて生計をたてることだったらしいが、デザインでも優れていたので、仕事も数回依頼した。彼の仕事ぶりをみに、家まで行ったこともある。デザイン帳のようなものを見せてもらい、その溢れ出す才能に唖然とした記憶がいまでも鮮明にある。

 彼の近い将来の活躍を応援したくもあったが、こちらも自分が関わっている雑誌の体裁のことも念頭にあるので、彼のデザインを社内にもちかえり、相談することになる。会議でも検討され、それで見事に納まった。

 仕事をしてもらったことは嬉しかったが、彼のような才能は、そんなに日常的なことに追われなく、ゆとりの時間を多くつくってもらい、ゆっくりと仕事をしてもらいたいものだと考えた。考えて当人にも言ったりしたが、生活の心配や面倒にかかわらない自分にとっては、どうとでも言えたことだった。

 こうして、蹴落とすということなどはまったく介在しないライバル関係のようなものをこちら側で作り上げ、彼に張り合うような仕事を、いつか自分でもしてみたいものだと、単純に考えた。考えてみたが、もちろん、それは、机上の空論で急に変化が訪れるわけでもなかった。それより、人間に囲まれ、良い面や愛おしむべきもの、卑怯な面やたくさんの愛や悪意を知ってしまいたいということも、自分には強かった。つまりは、簡単にいえば人間の標本のようなものを作りたかったのだろう、自分の脳内と記憶の中でだが。

 ふるい考え方かもしえないが切磋琢磨のようなものがあり、彼を尊敬した。いつか成功が約束され期待されている人として彼を見た。

 そのころ、みどりと一緒に会ったりもした。彼女の誘いで、山本さんの友人も連れて行き、4人でサッカーを観戦したりもした。天候は晴れで、思いっきり声を出して応援し、その後、近くの店でたくさんのビールのジョッキを空けたこともあった。

「気難しいような人じゃない?」
「ぜんぜん。さっぱりとしている人だよ」
「だと、いいけど」と、会う前に彼女はいくらか心配した。決してそんなことは、いままでにはなかったのだが、自分があまりにもほめるものだから、警戒の気持ちが浮かんだのだろう。人は、将来の未知なるなにかに対して臆病になるときもある。

 このように、太陽のしたで、時間を過ごすことが好きなみどりは、同じことができる彼のことを気に入ったが、もっている才能までは理解していなかったかもしれない。

 そのように才能がある人なので、その後はたくさんの仕事の依頼があって、少しずつ疎遠になってしまったのだが、その時の自分はかなり心酔していたのだろう。その後も、美術館に出向いて彼の解説をききながら絵を見る楽しみが増えていったことも覚えている。だが、誰が現世的に成功するか、成功しないかの判断なんか、自分たちにはできないことだと身をもって知る。しかし、才能のスーツケースにものが詰まっているのならば、それを引き摺っていくしか方法はないだろう。