爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(48)

2011年01月12日 | 存在理由
(48)

 春になって、仕事も一年間が終わったことになる。同時に、新入社員も入り、後輩ができることになる。一年前の自分はあんなにもオドオドしていたのかと思うと、慣れというものが、世の中の全てのような気がした。それと、自分の継続した仕事もあり、辞めた人の仕事の引き継ぎもあって、さらには、新しく入った社員をひきつれて取材に行ったり、急に忙しくなってしまった。

 忙しくなれば、自分の余暇の時間が削られていく。外国ではきちんと休暇という制度が確立されている、とよく耳にする。耳にするが日本人には縁のないものらしい。それで、精神も乱さずに日常をやり過ごさなければならない。

 何人かの後輩を目にする。性急な判断というのは無意味なのかもしれないが、直ぐにでも役に立ちそうな人もいれば、どういう人事の判断があって入社したのか分からない人間もいる。それで、詳しく知らなければ、深く付き合わなければ理解できないなにかを持っているのだろう、という期待をもって見ることにする。

 期待をもつが実際の時間は、とれずにいた。だが、誰かに誘われれば極力、その誘いにはのることにしていた。米沢さんの部署にある女性が入った。数人の内輪での飲み会なので、盛り上がりが期待できないためか、ぼくにも声がかかった。自分には返事の決定権がないらしく、すでに行くことにはなっていたが。

 米沢先輩の目から見れば、ぼくだっていつまでも後輩であることには違いがなく、静かな瞬間を迎えたときに、ぼくの失敗を語って、笑いにつなげられた。とくに嫌でもないが、彼らの目から見れば、頼りない男性という目で見られてしまうのだろうかと、少なからず心配した。だが、覚えてもらうという点からみれば、成功なのだろう。彼女の目論見もそこらにあったのかもしれない。

 帰りが一緒になった彼女と久々に話した。
「ごめん。さっきは」
「なんですか、米沢さんが謝るなんて珍しいですね」
「あの子たち、なんか覇気がなくて、あんたの失敗の話でもしたら、自分たちもそんなことが許されると安心するんじゃないかと思って言ってみただけ。あとね、あんたのこと頼りにしてもいいよ、という売名行為でもあるし、自分の名前じゃないけど」
「へぇ、意外ですね。ぼくって頼りになるんですか」

「この会社の期待の星でしょ。社長と部長と気安く話せる人なんか、ここにいないじゃない」

 と、言われれば、さすがにそうかもしれないと考えるしかない。「このまま、もう一軒付き合わない?」と誘われた。かなり酔いは回っていたが、彼女とともにする時間は快適な刺激があるので、一緒にいると楽しいし、またとても勉強になった。そのような理由がもしなかったとしても、多分、いっていたのだろうが。

 米沢さんは先輩風を吹かせて、黙って私についてこい、という空気を出していた。それに付いてこない後輩に、ちょっとやる気が失せているのだろう。指示待ち症候群という言葉のようなタイプの人間に魅力を感じられないらしい。そのことを少しだけ愚痴りだした。このことも珍しいことだった。自分に後輩ができた面倒より、彼女の変化に驚いた。だが、すべての困難をいつか平らにならしてしまう彼女のことだから、いずれ解決するのだろう。ぼくは、となりに座って、ただうなずいたり、相槌をうったり、ほほ笑んだりしていればよかった。

 こうした具合だったので、彼女はおもったより自分の酔いに気づかなかったらしい。

「わたしの家まで送って行きなさいよ」という命令のもとタクシーに乗せ、米沢先輩のマンションまで連れて行った。今度は、「わたしが眠るまで、見届けなさいよ」と言ったが、すぐに寝た。電車もないので、ソファをかり、明日までの仕事を急に思い出し、ネクタイを緩め、それに取り掛かった。カバンから資料をとりだし、8割がたまとめたところで、記憶がなくなっていく。

 翌日、カーテンが開けられ、陽がさしている窓の眩しさを感じた。先輩はいつもの先輩にもどり、ぼくらの関係もいつもの関係に戻った。またもや、新しいYシャツがでてきて、「それ、あげるよ」と言われ一緒に出社した。コーヒーを片手に会社に早めに入り、残り2割分の仕事をかたづけ、採算はようやっとあった。そろそろ、24歳になる直前のある一日のことだった