爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(51)

2011年01月18日 | 存在理由
(51)

 普通に暮らしているだけでは、理解のできない事柄がある。ある事件を通して、はじめて頭の中に、印象が植え付けられる。まだ、ヨーロッパということが、頭の中でしっかりとイメージできずにいる。その頃に、ユーゴスラビアという地で、分裂と紛争が起こる。

 政治を扱っている部署では、慌ただしくなる。不幸な事件だが、彼らの働いている動きをみると、ある面ではうらやましくもなる。自分の喝望として、どんなことでもよいから真実に近づきたい、という気持ちがあった。ある事件を通して、人間の存在が浮かび上がることもある。どのように生きることが正しいのか、平和とは、どういう状態なのだろうか、ということもだ。

 自分は、あいかわらず、上っ面をすくったような記事を作り上げていた。それは、ある面にとっては、過剰な消費に組み込まれている人たちには、大がつくほどの真実なのかもしれないが、たまには愛着を失ってしまうこともあった。だが、自分の潔癖さを主張して、正しい人間であるとも、消費文化に関与していないとも思ってはいないが、時々、やりきれなくなることもあった。

 民族の対立がある状態も、銃をもって立ち上がることも自分にはなかった。多分、今後もないだろう。それが、美しいことだとも、説明抜きに正しいことだとも考えていないが、存在を立証する必要がある人たちもいるのだろう。

 自分たちの行動が正しいことだと思っていても、他の人はそう思わないかもしれない。それで国家として、いくつかの制裁を受けることになる。みどりの働いているサッカーの雑誌にもそのことが触れられている。ユーゴという国が、サッカーで魅力的なチームを作っていた。しかし、それらの事件をきっかけにして、さまざまな大会から閉め出しをくっていく。

 自分の能力があって、そのことを誰もが認め、尊敬と自信をえるはずだったのに、国際的な場所でアピールすることを奪われてしまう。スポーツなど瑣末なことだと考える人もいるかもしれないが、スポーツを愛する大多数の人にとっては、小さな問題として簡単に片づけることなど出来ないだろう。

 そのような内容をスポーツ雑誌の片隅にみどりは残していた。得点と勝敗の結果にしか注目しない人にとってみれば、それもどうでも良い問題かもしれない。だが、自分にとってはその記事を読むことによって、感動をもらった。そして、そのことを電話して直ぐに伝えた。

 くどいようだが、彼女の兄はサッカーを愛する少年で、その青い時代のまっさかりに命を落とした。そのためか、途中で夢をあきらめさせられる境遇の人に対して、彼女の同情は厚かった。その純粋な気持ちは、それらのことを経験しないぼくの胸にもしっかりと届いた。

 その後のことだが、制裁はながく続き、選手たちの運命も変わっていくのだろう。選手としての寿命は短いものである。働ける場所を探さなければいけない。その頃は、どんな未来が待っているのかもちろん知らない。実現はまだ先のことになるが、その内の一人の有能な選手は、日本のプロ・リーグに表れることになる。争いという貝の中から生み出された真珠のような価値あるプレーヤーだ。その面だけ考えればメリットは大きいのだが、ひとの内面の傷については、他者がどうこう判断することは出来ないだろう。

 このように地球の一部の場所では紛争があり、それでも、自分のまわりでは比較的のどかな時間が過ぎていた。

 相変わらず、自分の仕事は忙しく、するべきことも拡張していった。自分で、記事を書いたりすることも好きだったが、費用削減なのか、フリーライターをたくさん使い、その選考や選別を自分もすることになった。それらを拾いあつめて、編集する作業を上司にくっついて習った。自分が頑張ると、上司の仕事量はつられて減り、もっと自分の荷も重くなっていく。

 それら集まった人たちをライバル視しながら、自分がするべき仕事は、どういうものだろう、とふと悩むこともある。だが、世界が平和で、自分自身の居心地の良い場所があるなら、一先ずの満足を感じなければならないだろう。
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存在理由(50)

2011年01月18日 | 存在理由
(50)
 
 ふたたび、みどりとの関係は安定され良好なものになっていく。もちろん、大幅に下向をしていくというふうなことはなかったが、ぼくの気の多さをとがめるようなこともなかった。彼女は空いている時間があると、友人に最近、赤ちゃんができたとのことで、そちらに行くことも多かった。自分は、その当時は、家庭的なことに一切興味が涌かなかった。それで、その家に何度か誘われたこともあるが、三回に二回は断ってしまう。

 それでも、写してきた写真をみれば、それなりに可愛いものだとは思う。思うが、自分の家に、その存在がいることは、理解できなかった。それよりも、その年齢としては当然のことかもしれないが、仕事で成果をあげることを最前に考えていた。
 徐々に紙面で自分が関わることも増えていった。圧倒的な正解がないことにより、よりこちらの方がよさそう、よりこうすれば良くなると思案すると、時間はいくらあっても足りなかった。みどりも違う会社で、同じようなことをしているはずだから必然的に、お互いが提出しあう時間は、少ないものになっていく。

 それでも、お互いの性格を理解し始めるという段階ではないので、直ぐに関係が薄らいでしまうということはないかもしれないが、長期的に考えれば、隙間の予感のようなものが訪れるかもしれない。しかし、若さという結果を心配しないものは、いまが上手くいっていれば、このまま継続するものだ、という浅はかな考えに包まれるものだろう。

 だが、彼女に合わせることもした。自分でもその頃は、休日の一部にもなっていたが、一緒にサッカーを観戦した。彼女は、横にいるぼくのことを忘れてしまうほど、熱狂した。その熱狂の気持ちは、客観的な視線につながるのかは理解できなかった。しかし、そのような熱中のモーターがなければ、みどりの仕事の維持は難しかったのだろう。

 会っていないときには、どこかにみどりの存在を意識していることがある。それで、目の前に表れると安心して、かえって話さなくなることもあった。それは、もう劇的な変化を通過する時期でもないので、仕方のないことかもしれないが、女性にとっては不満の残ることもあるだろう。彼女は、ぼくの言葉数がすくないと言った。

「それは、いまはじまったことじゃないのは、知っているだろう?」と返答するしかなかった。女性は、急に改善要求を突き付けることがある。自分としては、なりたくてなったわけでもない自分の性格を、変えろといわれても、どうすることもできなかった。生まれてくる前に、母親の胎内にいる少年にプログラミングしてほしいところだ。

 と、いいつつも普段は不満など、お互いにもっていなかった。ぼくにとっては、身体に馴染んでしまったようなジーンズを新品ととりかえる必要も感じていなかったし、多分、みどりも同様なことを考えていただろう。

 雑誌社が突然、いそがしくなる時がある。

 ある男性の歌手が死んだ。若い気持ちをとりこにしたその歌手は、その若さの代表の潜在的な気持ちに足元をすくわれるように自分の命をおとした。自分としては、同世代だが、共感したことはなかった。それでも、学生時代のまわりの友人たちはよく聴いていた。そのことで利益を得たのであれば、その代償もとうぜん支払わなければならない、とその時の自分は考える。だが、彼の歌を別の人がうたうのを聴けば、やはり魅力があるものだと感じる。

 20代半ばで亡くなる人がいる反面、まだ、ほとんどの人は、なにひとつ成し遂げていないだろう。そのことでは大変、立派でもある。しかし、時間の経過と淘汰がなければ、なにも結論付けてはいけないと、いまの自分は考えたりもする。

 そして、その時期の自分はなにひとつ成し遂げていなかった。いくつかの人間関係ができあがり、それを維持したり、別のものとつないだりして、ものになる何かを探していた。

 みどりの部屋のラジオから追悼番組と称して、その永遠に若さをとどめた歌手の切なげな歌が流れていた。ぼくは、テーブルに座りながら、意識もせずに聴いていた。彼女は茹でたスパゲティを手にして、そのラジオからの音楽を一緒に口ずさみながら、テーブルに近づいた。なかなか会えなかった日々を埋めようと、彼女は優しさを全面にだした日だった。冷えたスパークリング・ワインを開け、グラスに注いだ。その歌を聴くと、自然にその日の情景がうかんでくるようになった。
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