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普通に暮らしているだけでは、理解のできない事柄がある。ある事件を通して、はじめて頭の中に、印象が植え付けられる。まだ、ヨーロッパということが、頭の中でしっかりとイメージできずにいる。その頃に、ユーゴスラビアという地で、分裂と紛争が起こる。
政治を扱っている部署では、慌ただしくなる。不幸な事件だが、彼らの働いている動きをみると、ある面ではうらやましくもなる。自分の喝望として、どんなことでもよいから真実に近づきたい、という気持ちがあった。ある事件を通して、人間の存在が浮かび上がることもある。どのように生きることが正しいのか、平和とは、どういう状態なのだろうか、ということもだ。
自分は、あいかわらず、上っ面をすくったような記事を作り上げていた。それは、ある面にとっては、過剰な消費に組み込まれている人たちには、大がつくほどの真実なのかもしれないが、たまには愛着を失ってしまうこともあった。だが、自分の潔癖さを主張して、正しい人間であるとも、消費文化に関与していないとも思ってはいないが、時々、やりきれなくなることもあった。
民族の対立がある状態も、銃をもって立ち上がることも自分にはなかった。多分、今後もないだろう。それが、美しいことだとも、説明抜きに正しいことだとも考えていないが、存在を立証する必要がある人たちもいるのだろう。
自分たちの行動が正しいことだと思っていても、他の人はそう思わないかもしれない。それで国家として、いくつかの制裁を受けることになる。みどりの働いているサッカーの雑誌にもそのことが触れられている。ユーゴという国が、サッカーで魅力的なチームを作っていた。しかし、それらの事件をきっかけにして、さまざまな大会から閉め出しをくっていく。
自分の能力があって、そのことを誰もが認め、尊敬と自信をえるはずだったのに、国際的な場所でアピールすることを奪われてしまう。スポーツなど瑣末なことだと考える人もいるかもしれないが、スポーツを愛する大多数の人にとっては、小さな問題として簡単に片づけることなど出来ないだろう。
そのような内容をスポーツ雑誌の片隅にみどりは残していた。得点と勝敗の結果にしか注目しない人にとってみれば、それもどうでも良い問題かもしれない。だが、自分にとってはその記事を読むことによって、感動をもらった。そして、そのことを電話して直ぐに伝えた。
くどいようだが、彼女の兄はサッカーを愛する少年で、その青い時代のまっさかりに命を落とした。そのためか、途中で夢をあきらめさせられる境遇の人に対して、彼女の同情は厚かった。その純粋な気持ちは、それらのことを経験しないぼくの胸にもしっかりと届いた。
その後のことだが、制裁はながく続き、選手たちの運命も変わっていくのだろう。選手としての寿命は短いものである。働ける場所を探さなければいけない。その頃は、どんな未来が待っているのかもちろん知らない。実現はまだ先のことになるが、その内の一人の有能な選手は、日本のプロ・リーグに表れることになる。争いという貝の中から生み出された真珠のような価値あるプレーヤーだ。その面だけ考えればメリットは大きいのだが、ひとの内面の傷については、他者がどうこう判断することは出来ないだろう。
このように地球の一部の場所では紛争があり、それでも、自分のまわりでは比較的のどかな時間が過ぎていた。
相変わらず、自分の仕事は忙しく、するべきことも拡張していった。自分で、記事を書いたりすることも好きだったが、費用削減なのか、フリーライターをたくさん使い、その選考や選別を自分もすることになった。それらを拾いあつめて、編集する作業を上司にくっついて習った。自分が頑張ると、上司の仕事量はつられて減り、もっと自分の荷も重くなっていく。
それら集まった人たちをライバル視しながら、自分がするべき仕事は、どういうものだろう、とふと悩むこともある。だが、世界が平和で、自分自身の居心地の良い場所があるなら、一先ずの満足を感じなければならないだろう。
普通に暮らしているだけでは、理解のできない事柄がある。ある事件を通して、はじめて頭の中に、印象が植え付けられる。まだ、ヨーロッパということが、頭の中でしっかりとイメージできずにいる。その頃に、ユーゴスラビアという地で、分裂と紛争が起こる。
政治を扱っている部署では、慌ただしくなる。不幸な事件だが、彼らの働いている動きをみると、ある面ではうらやましくもなる。自分の喝望として、どんなことでもよいから真実に近づきたい、という気持ちがあった。ある事件を通して、人間の存在が浮かび上がることもある。どのように生きることが正しいのか、平和とは、どういう状態なのだろうか、ということもだ。
自分は、あいかわらず、上っ面をすくったような記事を作り上げていた。それは、ある面にとっては、過剰な消費に組み込まれている人たちには、大がつくほどの真実なのかもしれないが、たまには愛着を失ってしまうこともあった。だが、自分の潔癖さを主張して、正しい人間であるとも、消費文化に関与していないとも思ってはいないが、時々、やりきれなくなることもあった。
民族の対立がある状態も、銃をもって立ち上がることも自分にはなかった。多分、今後もないだろう。それが、美しいことだとも、説明抜きに正しいことだとも考えていないが、存在を立証する必要がある人たちもいるのだろう。
自分たちの行動が正しいことだと思っていても、他の人はそう思わないかもしれない。それで国家として、いくつかの制裁を受けることになる。みどりの働いているサッカーの雑誌にもそのことが触れられている。ユーゴという国が、サッカーで魅力的なチームを作っていた。しかし、それらの事件をきっかけにして、さまざまな大会から閉め出しをくっていく。
自分の能力があって、そのことを誰もが認め、尊敬と自信をえるはずだったのに、国際的な場所でアピールすることを奪われてしまう。スポーツなど瑣末なことだと考える人もいるかもしれないが、スポーツを愛する大多数の人にとっては、小さな問題として簡単に片づけることなど出来ないだろう。
そのような内容をスポーツ雑誌の片隅にみどりは残していた。得点と勝敗の結果にしか注目しない人にとってみれば、それもどうでも良い問題かもしれない。だが、自分にとってはその記事を読むことによって、感動をもらった。そして、そのことを電話して直ぐに伝えた。
くどいようだが、彼女の兄はサッカーを愛する少年で、その青い時代のまっさかりに命を落とした。そのためか、途中で夢をあきらめさせられる境遇の人に対して、彼女の同情は厚かった。その純粋な気持ちは、それらのことを経験しないぼくの胸にもしっかりと届いた。
その後のことだが、制裁はながく続き、選手たちの運命も変わっていくのだろう。選手としての寿命は短いものである。働ける場所を探さなければいけない。その頃は、どんな未来が待っているのかもちろん知らない。実現はまだ先のことになるが、その内の一人の有能な選手は、日本のプロ・リーグに表れることになる。争いという貝の中から生み出された真珠のような価値あるプレーヤーだ。その面だけ考えればメリットは大きいのだが、ひとの内面の傷については、他者がどうこう判断することは出来ないだろう。
このように地球の一部の場所では紛争があり、それでも、自分のまわりでは比較的のどかな時間が過ぎていた。
相変わらず、自分の仕事は忙しく、するべきことも拡張していった。自分で、記事を書いたりすることも好きだったが、費用削減なのか、フリーライターをたくさん使い、その選考や選別を自分もすることになった。それらを拾いあつめて、編集する作業を上司にくっついて習った。自分が頑張ると、上司の仕事量はつられて減り、もっと自分の荷も重くなっていく。
それら集まった人たちをライバル視しながら、自分がするべき仕事は、どういうものだろう、とふと悩むこともある。だが、世界が平和で、自分自身の居心地の良い場所があるなら、一先ずの満足を感じなければならないだろう。