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繁栄の外で(16)

2014年05月03日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(16)

 17歳になろうとしている。友人の知り合いに紹介してもらい、新たなバイトをするようになった。何かの部品の一部をつくるような根気のいる仕事だった。しかし、当然のようにその間、学校にいっている友人たちよりは収入があった。だが、それも根本的にはお金に無頓着である自分には、喜びともつながったり連動したりはしていなかった。

 後日、きちんと教育を積んだ人間に抜かされることは自明の事実である。

 午後の休憩になると、短い時間ながらもキャッチ・ボールを前の駐車場の空き地でした。それはのどかな光景だった。そののどかさの一部に、自分は自然と溶け込んでいた。

 いま考えると8年周期ぐらいで自分の人生は変化していたんだな、と感じるときがある。このころから、本気で本を読むようになる。まるで、人生を探求するように、登頂するように。

 古い小説なども読み始める。それは、誰かが真剣になった姿の証拠だった。自分は、そのころ影響を受けることが多いものと直面する時代だった。もしかして、自分も「人間失格」や「こころ」(それぞれの作家の最高傑作は別のものであるという認識でいまはいる)のような小説を書くことが要求されているのではないか、という錯覚も生じる。そして、ワープロがまだ普及する前だったと思うので、ペンを白い紙にすべらす。

 こうして、紙に自分の思いをぶつけると、それは普遍的なにおいを帯びた。不思議なことだ。いくらか書いたものがたまると、それを公表したくなる気持ちが芽生えるのは常だが、なぜかそこは商売っ気と、コネと、世襲で出来ているという思いが捨てきれず、自分の実力も度外視して、その一部に加わる気などさらさらないことを知る。商品として、パッケージにくるまれ、人々の口々にのぼることなどイメージできない。イメージできないことは、実現できないということでもあるだろう。ある日、いくらか溜まったものを、燃えるゴミの火にまとめて捨てた。手放してしまえば、自分にはそんな才能が一片もなかったという事実も理解できるようになった。

 バイトをしたお金を手にして、表参道やいまでいう裏原宿というところに通うようになった。そこで、気に入った古着を買ったり、アンティークの小物を買ったりした。最後は渋谷の方まで歩き、輸入レコードショップに入ったりした。そこには独特のにおいがあり、当時は万引き防止のためだったのだろうか長方形の紙製の箱にCDは包まれていた。家でパッケージを破ると、そうとうのゴミが出た。

 週末は、友人に乞われ地元から少し離れた街へナンパをしに行った。当然のように自分は、最愛のものがそうした形で手に入るとは思ってもいなかったし同行している友人がハンサムでもあったので、自分に振り向いてもらうことも不可能だと感じていた。そもそも、それを補う話術もあるわけでもないので、友人のアシストをするためだけに自分は付いていった。もうちょっと、建設的なことに時間を費やしても良いのにといまの自分は思うが、時間の大切さはその年代によって全然ちがうものなので、それも仕方のないことだろう。

 友人は、それで何回かはうまくいき、そのうちのひとりの子をぼくも見た。ビリヤードを一緒に行って楽しんだ、ということもきいた。なかなか可愛い子だった。

 あるエピソードとして、彼の容貌はたしかに良かった。あるファミレスの店員に声をかけ、その店員は気持ちが動いたのだろう。ある日、彼はナンパした女の子とその店に行く。その席の担当は彼が数回、声をかけたその女の子だった。そこで、表情も変えずに水が入ったコップをテーブルに思いっきり、中の水がこぼれるほどの勢いで置いたそうで、その後気まずい思いをした、と言っていた。

 格好良い男もそれぞれ、大変で面倒なことが多いんだな、と自分はひとごとのこととして楽しく話をきく。

 自分は、古着のジーンズを履いて、新宿や渋谷の映画館に入る。あらゆる知識が欠けている、という事実を受け入れ、それを一つずつ消していきたいと考え実行する。みなが見ないような過去のハリウッド映画なども名画座で見る。

 その頃は、古い映画を安く見せる場所が都内にもいくつかあった。その映画館の場所などを通じながら都内の地図をインプットしていったのかもしれない。

 まだ、新宿の西口にも大きな空き地があり、未来を予想したり空想したりする余裕のある時代でもあった。
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