繁栄の外で(17)
その頃の時代の風潮として、ある人々は不動産投機にはしったり、一攫千金をねらったり、女性たちが自分たちの地位をさまざまな面でもちあげたりする時代でもあった。自分は、それらに加わるにはきちんとした大人ではなかったが、いくらかのあぶく銭はまわってきたような気もする。
バイトも忙しくなっていた。いま勤めているところの上役には兄弟がいた。弟がいるのは別の会社だが関連した同じような業務だったので、暇になった土日にでも、ちょっと時間を貸してくれないか、と言われ勧められるままそこで働いた。兄弟でどのような取り決めがあったのか知らないが、ぼくはそちらの業務に向いているらしく、職場をかわった。時給も数百円上乗せしてくれるという約束であった。
馴れない仕事だったので、数ヶ月は黙々と働いた。まじめに働けば誰かの注意が向くこともある。向かないことも当然のことに多いが、それはまた別の話だ。
ある日、休憩中にその弟さんの方に呼ばれた。
「今度、暇なときにうちに飯でも食いにこいよ」と面倒見がよいとうわさ通りの表情でぼくを誘った。ぼくは、断る理由もないので、その誘いに乗った。
その家には、大学一年の兄と、高校生になったばかりの妹がいた。その妹は、社内でも可愛いとの評判がたっていた。ぼくも、はじめて目にしたが、その噂が本当であることを知った。その子供たちの母があらわれ、ぼくにくつろぐように言ってくれ、娘とかわるがわるに料理をテーブルに運んだ。その往復は数回にもおよんだ。
その上役は山田さんといった。山田さんは、ビールの瓶のふたをあけ、ぼくにも注いだ。すばやく自分も飲み干すと早々と、もう少しアルコール濃度の濃い酒に切り替えた。顔がいくらか赤くなってそこらのお兄さんのような口調になり、お酒がそうさせたのだろうが饒舌になった。そうなってから、ぼくの仕事ぶりをほめてくれ、ガールフレンドはいないのかと問いたずね、いないなら休日はどうして過ごすのかと、問いを増やしていく。問いに比べ、その答えを欲しているようにも思えなかったのだが。
その執拗な問いに多感なとしごろの娘は、もう少し控えるように父をさとした。
懲りずに父は、自分は草野球をしているので、今度一回見に来ないかとの約束が生じた。本音としては、娘が小さいときは見にきたが、いまはいろいろ忙しいとの口実を設け、足が遠のいているので一緒に見に来てほしい、ということのようだった。ぼくもその提案はいたって悪くないので、そのプランを受け入れる。彼女は、ちょっと父に対していやそうな顔をしたが、たまには仕方がないかという表情に直ぐにかわった。
数時間たち、手には食べられなかったデザートの小さな箱をもたされ、ぼくはその家をあとにする。母は食器を洗っているらしく手が離せず、父はもうすでに眠気を覚えていて、この地上とのつながりから切り離されようとしていた。兄は、友人と電話をしていた。なので、送ってくれたのは多恵子というその家の娘だけだった。
ぼくは、丁寧に礼を述べた。
「あの野球のけん、迷惑じゃなかった?」と彼女はきいた。今度の週末に彼女と見に行く方向で話は決まっていた。ぼくは、もちろん最大限できるだけの笑顔をつくり、楽しみにしていることを告げた。こうして、新しい恋心が自分をノックするのではないかとの予感があった。
それで、きっちり一週間が過ぎ、その間、山本さんはこの前の約束の話をしないので、あれは社交辞令なのかなと考えていると、その日の帰りがけに、
「多恵とどこで待ち合わせしているんだ?」と、きいてきたので、ぼくは慌ててその場所を答えた。
彼女は小さなころにその職場にきていたらしく、多くの人が彼女の存在を知っていた。それぐらい家族のような環境の小さな会社だった。
事務をしているおばさんが、声の調節が狂ったように、「多恵ちゃんきれいになったかしら。わたしも見たいわ。一緒に野球みにいくの?」と大きな響く声で言ったので、ぼくは小さな声で「ええ」とだけ答え、すぐに上着をはおってそこを後にした。
しかし、ぼくの心底では前の女性が根付いてしまっているのも、またまぎれもない事実だった。
その頃の時代の風潮として、ある人々は不動産投機にはしったり、一攫千金をねらったり、女性たちが自分たちの地位をさまざまな面でもちあげたりする時代でもあった。自分は、それらに加わるにはきちんとした大人ではなかったが、いくらかのあぶく銭はまわってきたような気もする。
バイトも忙しくなっていた。いま勤めているところの上役には兄弟がいた。弟がいるのは別の会社だが関連した同じような業務だったので、暇になった土日にでも、ちょっと時間を貸してくれないか、と言われ勧められるままそこで働いた。兄弟でどのような取り決めがあったのか知らないが、ぼくはそちらの業務に向いているらしく、職場をかわった。時給も数百円上乗せしてくれるという約束であった。
馴れない仕事だったので、数ヶ月は黙々と働いた。まじめに働けば誰かの注意が向くこともある。向かないことも当然のことに多いが、それはまた別の話だ。
ある日、休憩中にその弟さんの方に呼ばれた。
「今度、暇なときにうちに飯でも食いにこいよ」と面倒見がよいとうわさ通りの表情でぼくを誘った。ぼくは、断る理由もないので、その誘いに乗った。
その家には、大学一年の兄と、高校生になったばかりの妹がいた。その妹は、社内でも可愛いとの評判がたっていた。ぼくも、はじめて目にしたが、その噂が本当であることを知った。その子供たちの母があらわれ、ぼくにくつろぐように言ってくれ、娘とかわるがわるに料理をテーブルに運んだ。その往復は数回にもおよんだ。
その上役は山田さんといった。山田さんは、ビールの瓶のふたをあけ、ぼくにも注いだ。すばやく自分も飲み干すと早々と、もう少しアルコール濃度の濃い酒に切り替えた。顔がいくらか赤くなってそこらのお兄さんのような口調になり、お酒がそうさせたのだろうが饒舌になった。そうなってから、ぼくの仕事ぶりをほめてくれ、ガールフレンドはいないのかと問いたずね、いないなら休日はどうして過ごすのかと、問いを増やしていく。問いに比べ、その答えを欲しているようにも思えなかったのだが。
その執拗な問いに多感なとしごろの娘は、もう少し控えるように父をさとした。
懲りずに父は、自分は草野球をしているので、今度一回見に来ないかとの約束が生じた。本音としては、娘が小さいときは見にきたが、いまはいろいろ忙しいとの口実を設け、足が遠のいているので一緒に見に来てほしい、ということのようだった。ぼくもその提案はいたって悪くないので、そのプランを受け入れる。彼女は、ちょっと父に対していやそうな顔をしたが、たまには仕方がないかという表情に直ぐにかわった。
数時間たち、手には食べられなかったデザートの小さな箱をもたされ、ぼくはその家をあとにする。母は食器を洗っているらしく手が離せず、父はもうすでに眠気を覚えていて、この地上とのつながりから切り離されようとしていた。兄は、友人と電話をしていた。なので、送ってくれたのは多恵子というその家の娘だけだった。
ぼくは、丁寧に礼を述べた。
「あの野球のけん、迷惑じゃなかった?」と彼女はきいた。今度の週末に彼女と見に行く方向で話は決まっていた。ぼくは、もちろん最大限できるだけの笑顔をつくり、楽しみにしていることを告げた。こうして、新しい恋心が自分をノックするのではないかとの予感があった。
それで、きっちり一週間が過ぎ、その間、山本さんはこの前の約束の話をしないので、あれは社交辞令なのかなと考えていると、その日の帰りがけに、
「多恵とどこで待ち合わせしているんだ?」と、きいてきたので、ぼくは慌ててその場所を答えた。
彼女は小さなころにその職場にきていたらしく、多くの人が彼女の存在を知っていた。それぐらい家族のような環境の小さな会社だった。
事務をしているおばさんが、声の調節が狂ったように、「多恵ちゃんきれいになったかしら。わたしも見たいわ。一緒に野球みにいくの?」と大きな響く声で言ったので、ぼくは小さな声で「ええ」とだけ答え、すぐに上着をはおってそこを後にした。
しかし、ぼくの心底では前の女性が根付いてしまっているのも、またまぎれもない事実だった。