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繁栄の外で(20)

2014年05月09日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(20)

 多恵子は兄に頼るのになれていたように自然とぼくに馴染んでいった。ぼくらはある面では兄弟関係のようなものでもあったわけだ。だが、一方的にぼくが大人の振る舞いをしていたわけではない。根本的な甘え体質が抜けない自分もいた。

 季節は夏になっていた。ぼくは、バイトが夏の休みをむかえた。これといって予定もなかったし、その年代の子が休暇であったとしても使える金額などたかがしれていた。

 ときには多恵子と電話で話すことが日常化されていた。彼女は、夏の宿題をほぼ終えており、彼女の学校がすすめている講習のようなものも計画的に潰していっていた。それで、ぼくらの予定は空白ということで一致している。それで、成り行きとして海にでも行こう、ということになったわけだ。

 まだ車の免許もないことだし、朝はやくに起き出し神奈川方面行きへの電車に乗った。彼女と会話してぼくは飽きるということがなかった。先天的に話すことが上手なのだろう。でも、ぼくは楽しんできいていたが、ときに彼女は困ったような顔で、何度も「この話面白かった?」と確認した。

 電車が目的地に近付くと、同じように海水浴に向かっている人が多く乗車していることに突然きづく。ある家族のお父さんは子供たちの快活さと比べ、新聞などを読みその違いは明らかだった。そのままスーツを着させれば、いつもの通勤風景のようだった。多恵子はその様子をみて笑った。

 朝のうちの曇っていた天気も、ぼくらが着替えて砂浜に立つころになると青空と白い雲のコントラストが美しい背景となっていた。なんどか水をくぐり抜け、なんどか歓声をあげ、そして、それに疲れるとシートを敷いた上で寝転がった。ぼくはまぶたを閉じ、人間の関係性というものを考えないわけにはいかなかった。ある人間がおよそ16年間ぐらい生き、素敵な外見をそなえ、ぼくの前に現れたことが単純に奇跡のようにも感じていた。その子は、おそらくぼくのことが嫌いではないらしく、また頼りにもしてくれていた。

 そのままビーチでうとうとし、ぼくは冷たい感触を頬に感じて目を覚ます。彼女の手の中には冷たくなった飲み物が握られていた。手から上に目を向けると、彼女の短い髪はぬれてまとまり一瞬、少年のように見えた。そして、完全なほほえみをぼくに向けた。そして、何度目かの乾いた水着をまた海水にひたしぬらすことになった。

 夕方になり突如、スコールのようなものが降り、それを機にぼくらは海を引き上げることにした。

 一日遊んだ身体は、当然の要求として食べ物を欲していた。

 ぼくらはついでだし途中の横浜で降りることにする。そこは予定をして似合う洋服を着ないことには、雰囲気が一致しない気もしたが、それでもあまり気にせずにあるレストランを見つけ入った。ぼくらは、入った瞬間から食欲を満たすであろうにおいを発しているハンバーグに誘われ、それを注文することにした。それは、口に入っても期待を裏切ることはなかった。

 満腹になり、ぼくらは日焼けでほてった身体ですこし熱を放ちすぎるきらいもあったが、それにもかまわずウインドウ・ショッピングをつづけた。それから少し経ち、やはり暑さへの辛抱が切れ、冷房がきいている喫茶店の奥にもぐりこんだ。

「子供の頃、病弱だったってことは、運動も制限されていたの?」そうした心配を一切しらずに育った自分は、不図おもいだしたようにたずねた。
「少しだけね。でも、いまはこのように元気だよ」

 ぼくはいまの姿しかしらないので、以前の彼女の状態が想像できなかった。

 また帰りの電車に乗り込む。いくら洗っても消えない砂の感触が、身体のあちらこちらであった。ぼくは自分の腕や肩をながめ、赤くなっているのをいまさらながら確認した。

 彼女の返事が減ってきたな、と思っているといつのまにか目をつぶっていて、息も軽いものになっていた。ぼくは話しかけるのをやめ、前に映ったガラスの自分たちを見つめた。二人は似合っているといえば、そのようにも思えた。多恵子はきょう兄から借りたカメラを持ってきていた。通りすがりの人に二人の写真も撮ってもらった。それを見てからでも似合っているかの判断は遅くないような気がした。いつの間にか彼女の身体はぼくのほうに傾き、その軽やかな重みをぼくは幸福の代価のように考えていたが、自分にも睡魔が襲ってきたので忘れた。