繁栄の外で(33)
自分は車を運転しなかった。免許はあったが、それは形状的にも、ペナルティ的にも無傷のまま財布の中にIDのためだけにしまわれていた。理由としては、移動中に本を読むことを最優先させたい気持ちと、飲酒運転へのおそれと、もちろん維持費の関係もあった。それで、車を運転して、どこか近郊を見て廻るということもしなかった。いくらか、失われることもあるが、それは天秤にかけた上でのことで仕方のないことなのだろう。
貯金もいくらかでき、旅行することも不自由しないぐらいの状態になった。年末の休みに、どこか行くことを思い立つ。自分には、過去にそういう思い出が少なかった。それで、友人を誘い沖縄に行くことにした。白い砂浜と青い空である。東京にはないものが、そこにはあるのだろう。
こうして、旅行というものが飛行機に乗ることと同列だという印象がインプットされていく。
レンタカーを借り、友人はあまり酒が好きではないので、道中の運転をまかせた。となりでは早速、自分は缶のビールを口にする。その薄い味が、汗で流れてしまった水分の代わりとなった。まだ、カーナビのついていない時代で、手探りで地図を探し、運転した。だが、大まかにいえば、大きな国道を走っていれば目的地にはいずれ着いた。何もない浜辺で、人は誰もいなかった。そこでぼんやりと腰掛けながら、見るともなく波を見ていると、自分の人生なんてほんの一瞬であることを知る。もしかしたら、こじつけかもしれない。実際のところは、なにも考えていなかった。
一度、旅行の面白さに気付いてしまえば、それは習慣化し癖になる。そのときに、はじめて海の外があることを思い出す。もっと早く、留学でもして行くこともできたかもしれないが、タイミングというのは最善なときにやってくるというようなへんな信仰のようなものもあった。
外国に行くには、自分が何者かを証明しなければならない。それで、有楽町へパスポートを作りに行く。自分を証明するための手続きには、費用がかかるという理不尽なことも忘れ、できあがる日を待った。
その日は、仕事が休みだった。パスポートを受け取り、新橋まで歩いた。操業したばかりのゆりかもめに乗るためだ。あれは、どこで降りたのだろう。まだ、空き地ばかりの場所だった。テレビ局もなかったはずだ。しかし、何もない場所をあてでもなく歩くことによって未来を予感できることもある。そして、頭の中ではビルの群れが建ったところを想像できた。
はじめて外国に入ったのは、これもまた年末のサイパンだった。その場所と近さは、外国とも呼べないのかもしれない。乾燥した東京の空気のせいなのか前日まで熱があったが、現地には夜中に着き一晩ぐっすりと眠ると、熱もひいていた。そのまま水着に着替え、目の前のビーチにはいった。青く透き通る水は、自分の疲れを取り除いてくれた。そして、はじめて自分の国の通貨とは違うものを使った。旅行というのは、大雑把にいってしまえば、その国の小銭の感覚になれることだけかもしれない、という印象も受けた。
暑い空気のなかで、ベランダに座り、ウオッカをグレープフルーツジュースで冷たく割り飲んでいると、いままでに感じたことのない幸せな気分になれた。これが旅行をする開放感のひとつであることを知る。
本当は、1週間ぐらいかけてオーストラリアにもいきたかったが、年末の代金はかなり高かった。こうして、近場で海水に浸ったり、思いっきり太陽を浴びることのえもいわれぬ楽しさを経験した。文化的には、ほど遠かったかもしれないが、いまでもリセットする感覚でこのような場所への憧れがずっと体内にある。
もっともっと若いときに経験していれば、自分という人間も大幅に変わったかもしれない。もしかしたら、変わらなかったかもしれない。しかし、金銭との相談もあることだし、休みを調整したりして計画しなければならない時代に入っていることから、できなかったことを考えても意味がないことも事実だった。
また、荷物をバックにしまい帰りの飛行機に乗る。そこには多少の思い出と、自分のものの見方ややり口の限界を越えることとを一緒に連れ戻すことになる。
家に着き、バックから洗濯物を引っ張り出し、洗濯機に突っ込みながら自分はさて次はどこに行くことになるのだろう、と考えていることを知る。自分は本を愛していたが、その反面スピードや経験の永続性で見知らぬ土地を実地で歩くことの楽しさの一端を知る。まだまだ、近場であったが、新鮮な衝撃を与えてもくれた海の外は意外にもこんなに楽しいものであった。
自分は車を運転しなかった。免許はあったが、それは形状的にも、ペナルティ的にも無傷のまま財布の中にIDのためだけにしまわれていた。理由としては、移動中に本を読むことを最優先させたい気持ちと、飲酒運転へのおそれと、もちろん維持費の関係もあった。それで、車を運転して、どこか近郊を見て廻るということもしなかった。いくらか、失われることもあるが、それは天秤にかけた上でのことで仕方のないことなのだろう。
貯金もいくらかでき、旅行することも不自由しないぐらいの状態になった。年末の休みに、どこか行くことを思い立つ。自分には、過去にそういう思い出が少なかった。それで、友人を誘い沖縄に行くことにした。白い砂浜と青い空である。東京にはないものが、そこにはあるのだろう。
こうして、旅行というものが飛行機に乗ることと同列だという印象がインプットされていく。
レンタカーを借り、友人はあまり酒が好きではないので、道中の運転をまかせた。となりでは早速、自分は缶のビールを口にする。その薄い味が、汗で流れてしまった水分の代わりとなった。まだ、カーナビのついていない時代で、手探りで地図を探し、運転した。だが、大まかにいえば、大きな国道を走っていれば目的地にはいずれ着いた。何もない浜辺で、人は誰もいなかった。そこでぼんやりと腰掛けながら、見るともなく波を見ていると、自分の人生なんてほんの一瞬であることを知る。もしかしたら、こじつけかもしれない。実際のところは、なにも考えていなかった。
一度、旅行の面白さに気付いてしまえば、それは習慣化し癖になる。そのときに、はじめて海の外があることを思い出す。もっと早く、留学でもして行くこともできたかもしれないが、タイミングというのは最善なときにやってくるというようなへんな信仰のようなものもあった。
外国に行くには、自分が何者かを証明しなければならない。それで、有楽町へパスポートを作りに行く。自分を証明するための手続きには、費用がかかるという理不尽なことも忘れ、できあがる日を待った。
その日は、仕事が休みだった。パスポートを受け取り、新橋まで歩いた。操業したばかりのゆりかもめに乗るためだ。あれは、どこで降りたのだろう。まだ、空き地ばかりの場所だった。テレビ局もなかったはずだ。しかし、何もない場所をあてでもなく歩くことによって未来を予感できることもある。そして、頭の中ではビルの群れが建ったところを想像できた。
はじめて外国に入ったのは、これもまた年末のサイパンだった。その場所と近さは、外国とも呼べないのかもしれない。乾燥した東京の空気のせいなのか前日まで熱があったが、現地には夜中に着き一晩ぐっすりと眠ると、熱もひいていた。そのまま水着に着替え、目の前のビーチにはいった。青く透き通る水は、自分の疲れを取り除いてくれた。そして、はじめて自分の国の通貨とは違うものを使った。旅行というのは、大雑把にいってしまえば、その国の小銭の感覚になれることだけかもしれない、という印象も受けた。
暑い空気のなかで、ベランダに座り、ウオッカをグレープフルーツジュースで冷たく割り飲んでいると、いままでに感じたことのない幸せな気分になれた。これが旅行をする開放感のひとつであることを知る。
本当は、1週間ぐらいかけてオーストラリアにもいきたかったが、年末の代金はかなり高かった。こうして、近場で海水に浸ったり、思いっきり太陽を浴びることのえもいわれぬ楽しさを経験した。文化的には、ほど遠かったかもしれないが、いまでもリセットする感覚でこのような場所への憧れがずっと体内にある。
もっともっと若いときに経験していれば、自分という人間も大幅に変わったかもしれない。もしかしたら、変わらなかったかもしれない。しかし、金銭との相談もあることだし、休みを調整したりして計画しなければならない時代に入っていることから、できなかったことを考えても意味がないことも事実だった。
また、荷物をバックにしまい帰りの飛行機に乗る。そこには多少の思い出と、自分のものの見方ややり口の限界を越えることとを一緒に連れ戻すことになる。
家に着き、バックから洗濯物を引っ張り出し、洗濯機に突っ込みながら自分はさて次はどこに行くことになるのだろう、と考えていることを知る。自分は本を愛していたが、その反面スピードや経験の永続性で見知らぬ土地を実地で歩くことの楽しさの一端を知る。まだまだ、近場であったが、新鮮な衝撃を与えてもくれた海の外は意外にもこんなに楽しいものであった。