38歳-31
クレジット・カードを何枚か保有し、パスポートがあり、運転するための免許証は実物よりわずかながら劣っていそうなここ数年の写真をともない、専有の保険証も自分のことを証明してくれる。ぼくの周りを取り囲んで認めてくれる複数のものたち。だが、外周がたくさん備わっていてもぼく個人の核心がより明確になるわけでもなかった。十六才のときと比べて。
これらのものの総体が、さらに深い中心にいるのがぼくなのだろうか。一面では、そうだろう。ぼくはこのパスポートを使って、二十年も前には知らなかった土地を歩けることになる。その経験はぼくのものとなり、誰かに話すまでぼくの体内にとどめられている。あの青年はこのときの楽しみを知らないし、あるいは求めていなかった。数人の友人とつるんでいるだけで、楽しさの頂上には簡単にたどり着けたのだ。
タレントさんが外国に行ってクイズを出すという番組をぼくは絵美と見ていた。質問に答えられるものもあり、なつかしいという生意気にも似た感慨を抱ける町もあった。あの片隅でぼくはひんやりとした空気を感じたとか、味覚という不確かなものでさえワインのうまさを再認識させようと挑んできた。
それは過去をなぞる行為でもあり、当然、なつかしさという甘美の袋を開くことでもあった。過去は過去であるだけでもう充分、美しいのだとぼくは認識する。どんな最悪な失恋でさえ微量にその粒を含んでいるのだと思うとした。いや、もう意図も意思もぼくにはない。ただ、無条件に受容するのだという気持ちしかない。それしかぼくにはなかった。
外国の空港で飛行機を待っている。電車と違い、来たものに直ぐ飛び込んで乗ればいいという軽いものではない。時間までぼくはビールでも飲んで過ごそうと考える。両替の狭間にいる。クレジット・カードを出して冷えたビールと交換する。種類がたくさんあるらしいがぼくには分からない。目の前に出されたのは普通のビールだった。つまりは、これでいいのだ。しかし、子どものころに教え込まれた感覚とはすこし違う。購入という行為には金銭(コインや紙幣)の授受が発生しなければいけない。ただのプラスチックの薄い板がぼくが払うであろうということを証明してくれる。仮のお財布には上限がある。それが、ぼくが世間から認められたお小遣いだったのだ。
ここにアジア人がひとりという感覚も幼い自分には分からなかったであろう。同じような身の丈で、同一の言語で暮らしてきた。そのひとつの言葉でも誤解がときにはうまれた。厳密に比重にかければ、理解より誤解の方が多かったかもしれない。こんなにも言語があれば、理解などそもそも不可能なのだと気圧の関係で狂い、さらに酔いで生じた思考のまどろみのなかで判断し、決めた。永続性などなにひとつないのだ。このビールの泡のように、目の前にあるものを飲み干すだけで人生は過ぎ去ってしまうようにできていた。簡単なことだった。
空いたグラスをみつけると、さらに店員はお代わりを促した。ぼくはポケットからまた薄いカードを差し出す。使用した事実がどこかの電線を通って、カード会社に情報が伝わり、さらには支払の通知が郵便で配達され、ぼくのであると証明された銀行からある日、引き落とされる。これがぼくの履歴にもなる。
履歴こそがぼく自身なのだ。
しかし、カードには有効期限というものが如実にあった。この日付までがぼくであり、明日は新しいものが届かないとぼくであることさえ売買間では認められない。ひとも同様に移ろっていくのだ。あの子の明日は希美であり、その明日が絵美であった。
今度は絵美がクイズに答えていた。
マンホールの口に手をおそるおそる入れるタレントさん。真実と疑惑の中間で。
もうあの地点で排水溝というものを考えられるようにできていたのだ。汚れたものは下水に流す。過去も同様に流され、どこかで浄化される。
「免許証、見てもいい?」
「なんで?」絵美は不可解そうな様子をした。
「どんな顔かなと思って」
「きれいじゃないよ」拒みながらもバッグのなかをまさぐり、差し出した。
「どれどれ」
ぼくは彼女の顔写真を見つめる。そういう写真にはめずらしくうっすらと微笑んでいるようだった。基本の顔のつくりがある。土台としての笑顔。しかめっ面。たくさんの感情がありながら、ひとつのものに数十年も左右されるとベースが勝手に決まってしまう。彼女にはたくさんの笑うことがある。ぼくも、おそらく数回、増やしたことになる。笑わすことは簡単なのだ。お互いが信頼し合っていれば。反対に、憎しみが含まれてしまうとそれを取り除くことはむずかしくなるだろう。
「どう?」
「こういうのって、大体、本人よりきれいに見えないけどね」
「え、写り、わるいよ」
「そのままだよ」
言葉というのはむずかしいものである。彼女は不満そうであった。むくれている。ぼくは、あのすき間に自分の指や手を入れて真実さを試そうとした。今後、片手で暮らすことになるのも憤慨を引き起こしそうな問題だった。失われれば彼女の重そうな荷物を肩代わりすることもなくなる。ただ、ちょっとお世辞を言おうかどうか迷った結果なんだとの言い訳を胸にでも下げたい気分だった。
クレジット・カードを何枚か保有し、パスポートがあり、運転するための免許証は実物よりわずかながら劣っていそうなここ数年の写真をともない、専有の保険証も自分のことを証明してくれる。ぼくの周りを取り囲んで認めてくれる複数のものたち。だが、外周がたくさん備わっていてもぼく個人の核心がより明確になるわけでもなかった。十六才のときと比べて。
これらのものの総体が、さらに深い中心にいるのがぼくなのだろうか。一面では、そうだろう。ぼくはこのパスポートを使って、二十年も前には知らなかった土地を歩けることになる。その経験はぼくのものとなり、誰かに話すまでぼくの体内にとどめられている。あの青年はこのときの楽しみを知らないし、あるいは求めていなかった。数人の友人とつるんでいるだけで、楽しさの頂上には簡単にたどり着けたのだ。
タレントさんが外国に行ってクイズを出すという番組をぼくは絵美と見ていた。質問に答えられるものもあり、なつかしいという生意気にも似た感慨を抱ける町もあった。あの片隅でぼくはひんやりとした空気を感じたとか、味覚という不確かなものでさえワインのうまさを再認識させようと挑んできた。
それは過去をなぞる行為でもあり、当然、なつかしさという甘美の袋を開くことでもあった。過去は過去であるだけでもう充分、美しいのだとぼくは認識する。どんな最悪な失恋でさえ微量にその粒を含んでいるのだと思うとした。いや、もう意図も意思もぼくにはない。ただ、無条件に受容するのだという気持ちしかない。それしかぼくにはなかった。
外国の空港で飛行機を待っている。電車と違い、来たものに直ぐ飛び込んで乗ればいいという軽いものではない。時間までぼくはビールでも飲んで過ごそうと考える。両替の狭間にいる。クレジット・カードを出して冷えたビールと交換する。種類がたくさんあるらしいがぼくには分からない。目の前に出されたのは普通のビールだった。つまりは、これでいいのだ。しかし、子どものころに教え込まれた感覚とはすこし違う。購入という行為には金銭(コインや紙幣)の授受が発生しなければいけない。ただのプラスチックの薄い板がぼくが払うであろうということを証明してくれる。仮のお財布には上限がある。それが、ぼくが世間から認められたお小遣いだったのだ。
ここにアジア人がひとりという感覚も幼い自分には分からなかったであろう。同じような身の丈で、同一の言語で暮らしてきた。そのひとつの言葉でも誤解がときにはうまれた。厳密に比重にかければ、理解より誤解の方が多かったかもしれない。こんなにも言語があれば、理解などそもそも不可能なのだと気圧の関係で狂い、さらに酔いで生じた思考のまどろみのなかで判断し、決めた。永続性などなにひとつないのだ。このビールの泡のように、目の前にあるものを飲み干すだけで人生は過ぎ去ってしまうようにできていた。簡単なことだった。
空いたグラスをみつけると、さらに店員はお代わりを促した。ぼくはポケットからまた薄いカードを差し出す。使用した事実がどこかの電線を通って、カード会社に情報が伝わり、さらには支払の通知が郵便で配達され、ぼくのであると証明された銀行からある日、引き落とされる。これがぼくの履歴にもなる。
履歴こそがぼく自身なのだ。
しかし、カードには有効期限というものが如実にあった。この日付までがぼくであり、明日は新しいものが届かないとぼくであることさえ売買間では認められない。ひとも同様に移ろっていくのだ。あの子の明日は希美であり、その明日が絵美であった。
今度は絵美がクイズに答えていた。
マンホールの口に手をおそるおそる入れるタレントさん。真実と疑惑の中間で。
もうあの地点で排水溝というものを考えられるようにできていたのだ。汚れたものは下水に流す。過去も同様に流され、どこかで浄化される。
「免許証、見てもいい?」
「なんで?」絵美は不可解そうな様子をした。
「どんな顔かなと思って」
「きれいじゃないよ」拒みながらもバッグのなかをまさぐり、差し出した。
「どれどれ」
ぼくは彼女の顔写真を見つめる。そういう写真にはめずらしくうっすらと微笑んでいるようだった。基本の顔のつくりがある。土台としての笑顔。しかめっ面。たくさんの感情がありながら、ひとつのものに数十年も左右されるとベースが勝手に決まってしまう。彼女にはたくさんの笑うことがある。ぼくも、おそらく数回、増やしたことになる。笑わすことは簡単なのだ。お互いが信頼し合っていれば。反対に、憎しみが含まれてしまうとそれを取り除くことはむずかしくなるだろう。
「どう?」
「こういうのって、大体、本人よりきれいに見えないけどね」
「え、写り、わるいよ」
「そのままだよ」
言葉というのはむずかしいものである。彼女は不満そうであった。むくれている。ぼくは、あのすき間に自分の指や手を入れて真実さを試そうとした。今後、片手で暮らすことになるのも憤慨を引き起こしそうな問題だった。失われれば彼女の重そうな荷物を肩代わりすることもなくなる。ただ、ちょっとお世辞を言おうかどうか迷った結果なんだとの言い訳を胸にでも下げたい気分だった。