爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-31

2014年05月29日 | 11年目の縦軸
38歳-31

 クレジット・カードを何枚か保有し、パスポートがあり、運転するための免許証は実物よりわずかながら劣っていそうなここ数年の写真をともない、専有の保険証も自分のことを証明してくれる。ぼくの周りを取り囲んで認めてくれる複数のものたち。だが、外周がたくさん備わっていてもぼく個人の核心がより明確になるわけでもなかった。十六才のときと比べて。

 これらのものの総体が、さらに深い中心にいるのがぼくなのだろうか。一面では、そうだろう。ぼくはこのパスポートを使って、二十年も前には知らなかった土地を歩けることになる。その経験はぼくのものとなり、誰かに話すまでぼくの体内にとどめられている。あの青年はこのときの楽しみを知らないし、あるいは求めていなかった。数人の友人とつるんでいるだけで、楽しさの頂上には簡単にたどり着けたのだ。

 タレントさんが外国に行ってクイズを出すという番組をぼくは絵美と見ていた。質問に答えられるものもあり、なつかしいという生意気にも似た感慨を抱ける町もあった。あの片隅でぼくはひんやりとした空気を感じたとか、味覚という不確かなものでさえワインのうまさを再認識させようと挑んできた。

 それは過去をなぞる行為でもあり、当然、なつかしさという甘美の袋を開くことでもあった。過去は過去であるだけでもう充分、美しいのだとぼくは認識する。どんな最悪な失恋でさえ微量にその粒を含んでいるのだと思うとした。いや、もう意図も意思もぼくにはない。ただ、無条件に受容するのだという気持ちしかない。それしかぼくにはなかった。

 外国の空港で飛行機を待っている。電車と違い、来たものに直ぐ飛び込んで乗ればいいという軽いものではない。時間までぼくはビールでも飲んで過ごそうと考える。両替の狭間にいる。クレジット・カードを出して冷えたビールと交換する。種類がたくさんあるらしいがぼくには分からない。目の前に出されたのは普通のビールだった。つまりは、これでいいのだ。しかし、子どものころに教え込まれた感覚とはすこし違う。購入という行為には金銭(コインや紙幣)の授受が発生しなければいけない。ただのプラスチックの薄い板がぼくが払うであろうということを証明してくれる。仮のお財布には上限がある。それが、ぼくが世間から認められたお小遣いだったのだ。

 ここにアジア人がひとりという感覚も幼い自分には分からなかったであろう。同じような身の丈で、同一の言語で暮らしてきた。そのひとつの言葉でも誤解がときにはうまれた。厳密に比重にかければ、理解より誤解の方が多かったかもしれない。こんなにも言語があれば、理解などそもそも不可能なのだと気圧の関係で狂い、さらに酔いで生じた思考のまどろみのなかで判断し、決めた。永続性などなにひとつないのだ。このビールの泡のように、目の前にあるものを飲み干すだけで人生は過ぎ去ってしまうようにできていた。簡単なことだった。

 空いたグラスをみつけると、さらに店員はお代わりを促した。ぼくはポケットからまた薄いカードを差し出す。使用した事実がどこかの電線を通って、カード会社に情報が伝わり、さらには支払の通知が郵便で配達され、ぼくのであると証明された銀行からある日、引き落とされる。これがぼくの履歴にもなる。

 履歴こそがぼく自身なのだ。

 しかし、カードには有効期限というものが如実にあった。この日付までがぼくであり、明日は新しいものが届かないとぼくであることさえ売買間では認められない。ひとも同様に移ろっていくのだ。あの子の明日は希美であり、その明日が絵美であった。

 今度は絵美がクイズに答えていた。

 マンホールの口に手をおそるおそる入れるタレントさん。真実と疑惑の中間で。

 もうあの地点で排水溝というものを考えられるようにできていたのだ。汚れたものは下水に流す。過去も同様に流され、どこかで浄化される。

「免許証、見てもいい?」
「なんで?」絵美は不可解そうな様子をした。
「どんな顔かなと思って」
「きれいじゃないよ」拒みながらもバッグのなかをまさぐり、差し出した。
「どれどれ」

 ぼくは彼女の顔写真を見つめる。そういう写真にはめずらしくうっすらと微笑んでいるようだった。基本の顔のつくりがある。土台としての笑顔。しかめっ面。たくさんの感情がありながら、ひとつのものに数十年も左右されるとベースが勝手に決まってしまう。彼女にはたくさんの笑うことがある。ぼくも、おそらく数回、増やしたことになる。笑わすことは簡単なのだ。お互いが信頼し合っていれば。反対に、憎しみが含まれてしまうとそれを取り除くことはむずかしくなるだろう。

「どう?」
「こういうのって、大体、本人よりきれいに見えないけどね」
「え、写り、わるいよ」
「そのままだよ」

 言葉というのはむずかしいものである。彼女は不満そうであった。むくれている。ぼくは、あのすき間に自分の指や手を入れて真実さを試そうとした。今後、片手で暮らすことになるのも憤慨を引き起こしそうな問題だった。失われれば彼女の重そうな荷物を肩代わりすることもなくなる。ただ、ちょっとお世辞を言おうかどうか迷った結果なんだとの言い訳を胸にでも下げたい気分だった。

繁栄の外で(32)

2014年05月29日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(32)

 何もはじまってはいないのに、もう自分を過去の人間と定義していた。かずかずの思いを押入れの奥に突っ込んで、あとはこっそり目立たずに息をひそめて生きていこうと思っている。

 親の紹介で仕事をはじめた。いくつかの在庫の管理をきちんとしておけば、それは楽な仕事だった。接客もしたが、くるお客さんも限られていたので、あとは思う存分本を読むことができた。もともと本社が稼いでいるので、ぼくのところでの売り上げなど期待されている訳でもなかった。そのときに、いまでも愛してやまない「バルザック」や「ゴーリキー」の大作を読むことができた。彼らのすべての本が売っているわけではないので、網羅するために再び図書館によった。頭のなかできちんと分類し、整理をして、インデックスをつけて並べ替えることが自分の任務のように考えていた。その作業は地道さだけが求められ、それを行うことにいまの条件は都合がよかった。

 なにかを表現したいという渇望もいつのまにかなくなった。土曜の夜に友人たちと飲んでいるときに、多少のユーモアを含めた会話をすることだけが、そのときの自分のすべてだった。友人たちをささやかな笑いに誘うことだけが自分のアピールするべきことだった。あとの時間は、だんまりを決め込んで、本の内容を自分の体内に蓄積させることだけしか興味がなかった。

 給料をもらい、まだ自宅にいたので半分だけ使い、半分は貯金した。その大雑把な方法で、4年近く働くことになるので、意図したことではないがその後の何回かの旅行の費用などの元手ができた。しかし、それは4年後の話だ。何人かの若者が、リュックを背負い貧乏旅行をするような時代に、自分は本のことしか興味がなかった。それで、そのころにどこか遠くに出かけ、見聞するというたのしい機会を失っていた。しかし、これもまた自分の人生である。

 通帳の数字は、だんだんと増えていったが、それは数字だけの話で実感はまったくなかった。もう半分のお金で古いジャズのCDを買い集めることのほうが実感としてはぐっとあった。それを聴いて、感動することは、より一層の実感としての手触りがあった。

 誰か女性と交際することも避けた。意図的なのか、偶然か、それはもう分からない。こころのどこかでまた裏切られたり、自分を最前にもってこないだろう人たちへの小さな不安と不満と決別したかったのかもしれない。しかし、それも時間が経ったり、目の前に現れる人でかわることになるのだろう。

 自宅には犬がいた。仕事から帰ると、オレを散歩に連れて行ってくれと騒いでいた。ひもをつけ、家から出る。犬を連れていると、見知らぬ人も話しかけてくるようになる。小学一年生ぐらいの可愛い女の子が、「この犬かわいいね」と言って頭をなでた。内弁慶である我が犬は、なにも抵抗せずにそっとなでられていた。ぼくとしては、君の両親は君のことをずっと可愛いと考えているに違いないことだけは、はっきりと理解していると思ったが口には出さない。

 その子と数日にいっぺんは会ったが、あるときからぱったりと姿をみせなくなった。怪訝におもった自分は、母親にたずねると、「あの子、亡くなったらしいよ」と、近所に精通している彼女はぼそっと言った。

「え、あの子だよ?」とその女の子の特徴をはなす。すこし、懸命になっている自分がいた。否定の言葉がほしかったのかもしれない。

「そうだよ」と言って理由もいったはずだが、自分はもう憶えていない。ただ、命のあっけなさを知ることになるひとつの事件だ。

 その子の両親のショックを自分は、自分のことのように感じてしまう。しかし、慰めることも何をすることもできない。ただ、自分の考えるルートは決まっていて、いつも多恵子のこととつながる。彼女の両親も自分の娘への期待や希望があったはずなのだ。それを傷つけた自分というものが、もうその時点ではぼくのこころの中にシンボリックな銅像のように建っていた。

 ぼくは、自分の部屋に入り、ぼんやりとする。あの可愛い女の子の残像が消えることはない。死ぬというのは、いったいどういうことなのだろう? そう考えていると下にいる犬の鳴き声で現実に連れ戻されることになる。