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繁栄の外で(25)

2014年05月19日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(25)

 翌日になって大体のことが理解できるようになった。

 そのことは、一本の電話があってからだ。ぼくは、隠れてみゆきさんとの関係も行っていた。彼女は、昨夜ぼくに電話をかけてきたようだ。そのときに、ぼくは外に買い物に出かけ、普段なら多恵子は電話に出ることはなかったが、ぼくの家族かもしれないという当たらなかった勘のために、自分に不幸を招いた。

「あの子に、酔っていたため余計なことまで言っちゃった。困らせようとしたのかな。ごめんね」という内容をみゆきさんの口からきく。ぼくは、当然困った状態に置かれた。もちろん、自分が蒔いた状況だったが、ぼくらはいつの間にか遊びの範疇を越えていたのかもしれない。そして、鬼につかまった。

 多恵子に謝るために電話をかけたが、取り次いではもらえなかった。ただ、なにか衝撃的なことがぼくらに起こってしまったらしいことを彼女の家族は心配していた。

 何度、電話をかけてもその状態に変化は見られなかった。それを数度くりかえしたときに彼女の兄に呼ばれた。ぼくらは、外で会った。おおよそのことは彼女の兄は知っていた。しかし、ぼくから本当のことも聞こうとした。立場上、ぼくは答えないわけにはいかず、かいつまんで起こってしまったことを話した。兄の人相は徐々にかわり、怒りがこみ上げいつの間にかぼくは殴られていた。それを当然のこととして黙って受け止めるしか、自分には方法がなく、回避するほど、いさぎよくない人間にはなりたくなかった。

「もう、多恵子には会うな」という怒声を浴び、妹が子どもの頃の病弱であったときのことを思い出しているかのように、目をつぶった。もしかしたら、涙が流れているのかもしれなかったが、ぼくは正視することもできず下をむいていた。ただ、「それは」といいかけたが、それ以上の言葉がでてこなかった。そして、いままでのことを考えている間に、彼女の兄は消えていた。ぼくの頬に痛みだけが残っていた。

 この置かれた状況を理解するために、誰かに話すことが必要であると思い、また誰かに責任を負わせたいという大人気ないことも考え、みゆきさんと会った。

 彼女は、いつものままだった。楽天的であり、大らかな様子のままだった。

「仲直りできた?」と質問されたが、直ぐには答えることはできなかった。

 時間を置いて、ぼくはいままでの経緯を話した。それには多少の時間がかかった。彼女は素直にあやまったが、責任をそんなには感じていなかったのかもしれない。もちろん、最大の責任は自分にあることは知っていた。その責めを日に日に感じるようになり、もちろん今では自分の一部にまでなってしまった。

 そう思いながらも、みゆきさんと数度、関係をもったが、いつの間にか関係は終わってしまった。みゆきさんといれば、多恵子のことを思い出すようになってしまうからだ。ある時などは、道行くひとを多恵子と思い違いし、追いかけたがまったくの別人であるという経験もした。

 当初は、うわさも耳にした。多恵子は、大学をすぐに休学した。そのまま病んでいき自殺の真似事までしようとした。その、きっかけと理由を作ったのは、まぎれもなく自分であった。そのことを考えると恐怖におののく。そして、それ以来、自分は幸福をつかむことなどないのだろうと思い、またそれを遠ざけた。

 だが、神というものもあっても良いのではないのかと、こころの奥から声がする。あるアメリカの作家は、ちょっとふざけた調子で、「神は許さなければならない、それが仕事なのだから」と書いた。そうは思いながらも、自分を憎んでいる人々が世の中に存在するということも否定できない事実であった。

 しかし、逆にこう考え出す。傷つけられた人間がいて、その対象に愛情を持とうが持つまいが介添えするような立場のものが神ではないのか。ぼくは、いつか出会うときがくれば、多恵子を守ろうと考えるが、とうとうそのときは来なかった。いまでは何をしているのかも知らない。その知らないことこそ彼女の幸せであるとするならば、自分の存在をやましさ以外の何者でもないことを、再び知ることになる。
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