繁栄の外で(23)
勝手な都合による解釈だが、ひとりの肉体をもった女性があらわれたことにより、複数の女性が目の前にいる当然のことをあらためて理解する。まるで、一羽のかもめの存在がすぐに群れとなってあらわれたり、夜のドライブ時の小さな遠くにある光の点々が、いつのまにか夜景とまで呼べるような光の集まりとして再認識するようにだ。
多恵子の存在はかけがえのないものでありながら、やはり女性というグループの一員として見始めた最初だろう。理性でははかれないという言い訳を頭の中で丁寧にこしらえつつあった。
シナリオの教室があるときに、その後はみゆきさんとお茶をしにいくことが一緒のことになっていた。お茶は、たまにはお酒になり、そのクラスのない日にも侵食し、段々とエスカレートしていくことになる。結果としては、未然に防がなかったことがあとになって大きな果実を実らせることになる。嬉しいこともあれば、また厄介な事態もその魅力に含まれていた。
ある日、勉強をしおわったあとみゆきさんと待ち合わせていた。いく人かは、ぼくらのそうした様子を知っていたかもしれない。だが、まだその時点ではやましいこともなかったので気にすることも、注意を払いすぎることもなかった。ある皆が通らない駅の反対側でぼくらはあった。ぼくがお酒をのむことを知っており、ぼくの誕生日前後だったと思うが、(もしかしたら何かの違う記念日かもしれない)お祝いだといってお酒をおごってくれることになっていた。ぼくは、いつもより少しはましなシャツを着て、その場にたっていた。彼女はビジネス用のバックを肩にかけ、こちらに歩いてきた。ぼくは、その当時はいくらか大人びた外見をしており、また彼女は年齢よりいくらか若い元気なオーラを発していた。それでも、目の前にすると多恵子といるよりささやかな緊張感が自分をおおった。
彼女がみつけた店に入り、ぼくらはそのきれいな店内でイタリア料理を食べた。あまり馴染みのなかったワインをビールのあとに飲むことになったが、味よりその雰囲気の良いことを理由としていたのだろうが、おいしく感じられた。ぼくらは程よく満腹し、また酔いもいくらかゴールを越えてしまったかな、という理想的なアルコールの分量だった。
店を出て、風に揺られた。街路樹からも良い香りが放たれていた。みゆきさんは大きめなバックから包装された箱を取り出し、ぼくに差し出した。
「大人になるって、途中の段階が重要なことなんだよ」と言って、その箱は彼女の手からぼくに移った。
家に帰ると、手の込んだ財布が入っていた。ぼくは、彼女の言葉「途中の段階」ということを何度となく頭の中で反復した。また、その日の彼女の様子とともに。
ぼくらは流れるように別の場所に移動していた。まだ、箱にはなにが入っているか知る前だ。彼女は、財布なんかよりぼくにとってもっと貴重な瞬間を与えてくれた。ぼくらは抱き合い、アルコールのにおいのするキスをした。その後は、彼女のリードに導かれるままだった。ぼくは、過去のぼくではなくなったのかもしれない。ただ、成長に彼女が手を貸してくれただけなのかもしれない。ぼくも後悔しなかったし、彼女もそう感じていたのだろう。きっと、いつかこうなってしまうように、自分の気持ちの耐震もこっそりと緩めていたのだ。
ぼくらは、定期的にそのような関係をもった。その時間をぼくは楽しんだ。多恵子とは違った観点で女性というものをぼくに教えてくれた。都合の良い話だが、事実は曲げようもないことだった。
しかし、いつもぼくらは外を選んだ。ぼくの家はあまりにも危険でありすぎた。当然のことでもあるが彼女の家もぼくは、大体のところしか知らない。
このようにぼくは二つの道を走っていた。気持ちの上では多恵子のことが好きであり、手放すことなど考えたこともない。だが、いつかは破綻するかもしれないと考えるには、自分自身への採点が甘すぎた。もっと冷静になってもよかったのかもしれない。しかし、冷静に判断し続ける人生を自分が望んでいるかといえば、まったく違っていた。ジーンズが擦り切れて履きつぶすように、ぼくは自分の人生を大事にすることなど考えてもみずその場限りで充分だと思っていた。
勝手な都合による解釈だが、ひとりの肉体をもった女性があらわれたことにより、複数の女性が目の前にいる当然のことをあらためて理解する。まるで、一羽のかもめの存在がすぐに群れとなってあらわれたり、夜のドライブ時の小さな遠くにある光の点々が、いつのまにか夜景とまで呼べるような光の集まりとして再認識するようにだ。
多恵子の存在はかけがえのないものでありながら、やはり女性というグループの一員として見始めた最初だろう。理性でははかれないという言い訳を頭の中で丁寧にこしらえつつあった。
シナリオの教室があるときに、その後はみゆきさんとお茶をしにいくことが一緒のことになっていた。お茶は、たまにはお酒になり、そのクラスのない日にも侵食し、段々とエスカレートしていくことになる。結果としては、未然に防がなかったことがあとになって大きな果実を実らせることになる。嬉しいこともあれば、また厄介な事態もその魅力に含まれていた。
ある日、勉強をしおわったあとみゆきさんと待ち合わせていた。いく人かは、ぼくらのそうした様子を知っていたかもしれない。だが、まだその時点ではやましいこともなかったので気にすることも、注意を払いすぎることもなかった。ある皆が通らない駅の反対側でぼくらはあった。ぼくがお酒をのむことを知っており、ぼくの誕生日前後だったと思うが、(もしかしたら何かの違う記念日かもしれない)お祝いだといってお酒をおごってくれることになっていた。ぼくは、いつもより少しはましなシャツを着て、その場にたっていた。彼女はビジネス用のバックを肩にかけ、こちらに歩いてきた。ぼくは、その当時はいくらか大人びた外見をしており、また彼女は年齢よりいくらか若い元気なオーラを発していた。それでも、目の前にすると多恵子といるよりささやかな緊張感が自分をおおった。
彼女がみつけた店に入り、ぼくらはそのきれいな店内でイタリア料理を食べた。あまり馴染みのなかったワインをビールのあとに飲むことになったが、味よりその雰囲気の良いことを理由としていたのだろうが、おいしく感じられた。ぼくらは程よく満腹し、また酔いもいくらかゴールを越えてしまったかな、という理想的なアルコールの分量だった。
店を出て、風に揺られた。街路樹からも良い香りが放たれていた。みゆきさんは大きめなバックから包装された箱を取り出し、ぼくに差し出した。
「大人になるって、途中の段階が重要なことなんだよ」と言って、その箱は彼女の手からぼくに移った。
家に帰ると、手の込んだ財布が入っていた。ぼくは、彼女の言葉「途中の段階」ということを何度となく頭の中で反復した。また、その日の彼女の様子とともに。
ぼくらは流れるように別の場所に移動していた。まだ、箱にはなにが入っているか知る前だ。彼女は、財布なんかよりぼくにとってもっと貴重な瞬間を与えてくれた。ぼくらは抱き合い、アルコールのにおいのするキスをした。その後は、彼女のリードに導かれるままだった。ぼくは、過去のぼくではなくなったのかもしれない。ただ、成長に彼女が手を貸してくれただけなのかもしれない。ぼくも後悔しなかったし、彼女もそう感じていたのだろう。きっと、いつかこうなってしまうように、自分の気持ちの耐震もこっそりと緩めていたのだ。
ぼくらは、定期的にそのような関係をもった。その時間をぼくは楽しんだ。多恵子とは違った観点で女性というものをぼくに教えてくれた。都合の良い話だが、事実は曲げようもないことだった。
しかし、いつもぼくらは外を選んだ。ぼくの家はあまりにも危険でありすぎた。当然のことでもあるが彼女の家もぼくは、大体のところしか知らない。
このようにぼくは二つの道を走っていた。気持ちの上では多恵子のことが好きであり、手放すことなど考えたこともない。だが、いつかは破綻するかもしれないと考えるには、自分自身への採点が甘すぎた。もっと冷静になってもよかったのかもしれない。しかし、冷静に判断し続ける人生を自分が望んでいるかといえば、まったく違っていた。ジーンズが擦り切れて履きつぶすように、ぼくは自分の人生を大事にすることなど考えてもみずその場限りで充分だと思っていた。