38歳-30
「ああいうの見るの?」
「ああいうのって?」ぼくらはレンタル店を出たばかりだ。
「奥の部屋にありそうなやつ」絵美はアイスを舐めている。空いているもう片方の手で服を脱ぐ真似をした。ぼくの手には借りたばかりの映画の袋がある。
「あ、あそこの。うん、見ないこともないけど」
「はっきりしない返事。とっても、はっきりしてない」
見るときっぱりと宣言できるほど、世の中の異性に認知されたものでもない。胸を張ることもむずかしい。しかし、見ないというのも正しい答えではない。胸に手を当てれば。さらに、それは代用に過ぎないものだ。プロの選手には使用が許されていない金属バットのようなものである。言い訳めいているが、ぼくは代用や模造品からこっそりと楽しみや満足を得ているなど、オリジナルに対して説得を企てたり、反論を準備するほど野暮でもなかった。だが、尋問はつづく。
「なんで、見るの?」顔中を疑問という表情に絵美はする。「どうして見るの?」
「どうしてね」
「おうむ返しばっかり」
「流行を知るためじゃないの」
「え、流行?」今度は失望という顔になった。「あんなのに、流行りも廃れるもないんじゃないの?」
「女性の雰囲気は変わるだろう」
ぼくはいつの間にか見るという側の立場にたって発言をはじめている。どちらかといえば擁護もしている。なぜだろう。しかし、個々の違いとか、差異というのも確かに少ないものだった。どれも大まかにいえば同じだが、ある面では異なった趣向がある。こういう際立ったレアさは日の目を浴びないままで終わった方がいい。小さな差を整頓上手なひとの部屋のように美しく分類し、規定することにして、見るべき理由を無理にあげれば、時代に合わせた長い髪や短い髪のひとがいるから流行などと不本意と思いながら持ち出したのだ。凹凸の大小の兼ね合いもある。本来の好みや誰かとの相似性というのも重要なものだ。彼女たちは映像としてその当時のままで残る。年をとることを拒否できる代わりに、それほどまでに永続するものでもないし、大切に保管、保存されたりもしない。国会図書館にも居場所はないだろう。後続がたくさんおり、次から次へと登場するのだ。そして、流行を追う。
「家、戻って探索するからね」
「ないよ、どこにも」
「ほんとは、あるとこ知っているよ。さっき、片付けしたときに」
「なんだ」
「いっしょに見ていい?」
「いっしょに見るもんでもないし」
「見てもいいじゃん」
家に着き、絵美はアイスの棒をゴミ箱に捨てる。当たりかはずれがあるものらしく小さく舌打ちした。ぼくはその間にいくつかの機械の電源を入れ、デッキの口に隠されていたものを挿入した。金属バット。模造ダイヤ。それから、ぼくらはダブル・プレーの名手たちを見るように展開を見守った。ときには、トリプル・プレーもあった。
酔いが全身にまわってきたのか絵美はその場でうとうとしはじめる。ぼくは公に見ている自分の立場が恥ずかしくなってきたので、スイッチを消して、歯を磨いた。
ぼくは布団をめくり絵美をもちあげて横たわらせる。オリジナルの重み。この実体の重みを感じることこそ、明日につながる責任のようだった。身体も熱を帯びている。風邪もひけば、発熱する人体。代用はそうした心配や愛が伴わなければ感じるであろうささいな迷惑をぼくにかけることもできないし、世話を要することも欲しない。ただ、挿入口から取り出されれば運命も終わる。簡単で、あっけないものだ。こころの交流もない。なくてかまわないという考え方もあるだろう。いちいち関係を深めていくほど、温泉のように毎分ごとに生み出される欲の根は重要ではないのだ。
ぼくもその横に寝そべる。絵美の腕がぼくの首にからまる。アイスのにおいが息にまじっている。幼いころに見た何かの蜜に群れ集う昆虫たちの姿を目に浮かべる。ぼくの脳はあれより賢いかもしれないが、本能的なものを比較すれば同等のようだった。虫たちに、支払いやおつりという感覚はないのかもしれない。でも、手に入れるとか強欲にならないまでも引き寄せられる気持ちは、どんな生物も同じだろう。それらには子孫の繁栄とか存続とかまっとうな理由があるために正しいことにも思える。ぼくは、ただ暇つぶしを探しているだけのようなこころもちになった。
ぼくはアイスのにおいの元をたどる。すると、その前のアルコールのにおいが後から勝ってきた。ぼくが代用品を見る理由があやしくなってきた。生きるということには汚れや腐敗がまぎれこんでくる。避けるということは不可能なのだ。それだからこそ無垢なものは尊く、精神的な意味合いもふくめて腐敗を遠ざけたひとを勝利者として認定できるのだ。ぼくの本能はにおいや接触から影響を受ける。ぼくが自ら生み出したものでもなく、刺激されて、魅惑されて存在が許されるのだ。その歯止めはいらない。そして、余りにも多くなると、代用品にまで手を染めるようになる。正式な場所でもなければ模造のダイヤを指にはめて満足する貴婦人の安心感のように。落としても失ってもかまわないのだ。本物は箱にでもおさめて大切にしよう。
「ああいうの見るの?」
「ああいうのって?」ぼくらはレンタル店を出たばかりだ。
「奥の部屋にありそうなやつ」絵美はアイスを舐めている。空いているもう片方の手で服を脱ぐ真似をした。ぼくの手には借りたばかりの映画の袋がある。
「あ、あそこの。うん、見ないこともないけど」
「はっきりしない返事。とっても、はっきりしてない」
見るときっぱりと宣言できるほど、世の中の異性に認知されたものでもない。胸を張ることもむずかしい。しかし、見ないというのも正しい答えではない。胸に手を当てれば。さらに、それは代用に過ぎないものだ。プロの選手には使用が許されていない金属バットのようなものである。言い訳めいているが、ぼくは代用や模造品からこっそりと楽しみや満足を得ているなど、オリジナルに対して説得を企てたり、反論を準備するほど野暮でもなかった。だが、尋問はつづく。
「なんで、見るの?」顔中を疑問という表情に絵美はする。「どうして見るの?」
「どうしてね」
「おうむ返しばっかり」
「流行を知るためじゃないの」
「え、流行?」今度は失望という顔になった。「あんなのに、流行りも廃れるもないんじゃないの?」
「女性の雰囲気は変わるだろう」
ぼくはいつの間にか見るという側の立場にたって発言をはじめている。どちらかといえば擁護もしている。なぜだろう。しかし、個々の違いとか、差異というのも確かに少ないものだった。どれも大まかにいえば同じだが、ある面では異なった趣向がある。こういう際立ったレアさは日の目を浴びないままで終わった方がいい。小さな差を整頓上手なひとの部屋のように美しく分類し、規定することにして、見るべき理由を無理にあげれば、時代に合わせた長い髪や短い髪のひとがいるから流行などと不本意と思いながら持ち出したのだ。凹凸の大小の兼ね合いもある。本来の好みや誰かとの相似性というのも重要なものだ。彼女たちは映像としてその当時のままで残る。年をとることを拒否できる代わりに、それほどまでに永続するものでもないし、大切に保管、保存されたりもしない。国会図書館にも居場所はないだろう。後続がたくさんおり、次から次へと登場するのだ。そして、流行を追う。
「家、戻って探索するからね」
「ないよ、どこにも」
「ほんとは、あるとこ知っているよ。さっき、片付けしたときに」
「なんだ」
「いっしょに見ていい?」
「いっしょに見るもんでもないし」
「見てもいいじゃん」
家に着き、絵美はアイスの棒をゴミ箱に捨てる。当たりかはずれがあるものらしく小さく舌打ちした。ぼくはその間にいくつかの機械の電源を入れ、デッキの口に隠されていたものを挿入した。金属バット。模造ダイヤ。それから、ぼくらはダブル・プレーの名手たちを見るように展開を見守った。ときには、トリプル・プレーもあった。
酔いが全身にまわってきたのか絵美はその場でうとうとしはじめる。ぼくは公に見ている自分の立場が恥ずかしくなってきたので、スイッチを消して、歯を磨いた。
ぼくは布団をめくり絵美をもちあげて横たわらせる。オリジナルの重み。この実体の重みを感じることこそ、明日につながる責任のようだった。身体も熱を帯びている。風邪もひけば、発熱する人体。代用はそうした心配や愛が伴わなければ感じるであろうささいな迷惑をぼくにかけることもできないし、世話を要することも欲しない。ただ、挿入口から取り出されれば運命も終わる。簡単で、あっけないものだ。こころの交流もない。なくてかまわないという考え方もあるだろう。いちいち関係を深めていくほど、温泉のように毎分ごとに生み出される欲の根は重要ではないのだ。
ぼくもその横に寝そべる。絵美の腕がぼくの首にからまる。アイスのにおいが息にまじっている。幼いころに見た何かの蜜に群れ集う昆虫たちの姿を目に浮かべる。ぼくの脳はあれより賢いかもしれないが、本能的なものを比較すれば同等のようだった。虫たちに、支払いやおつりという感覚はないのかもしれない。でも、手に入れるとか強欲にならないまでも引き寄せられる気持ちは、どんな生物も同じだろう。それらには子孫の繁栄とか存続とかまっとうな理由があるために正しいことにも思える。ぼくは、ただ暇つぶしを探しているだけのようなこころもちになった。
ぼくはアイスのにおいの元をたどる。すると、その前のアルコールのにおいが後から勝ってきた。ぼくが代用品を見る理由があやしくなってきた。生きるということには汚れや腐敗がまぎれこんでくる。避けるということは不可能なのだ。それだからこそ無垢なものは尊く、精神的な意味合いもふくめて腐敗を遠ざけたひとを勝利者として認定できるのだ。ぼくの本能はにおいや接触から影響を受ける。ぼくが自ら生み出したものでもなく、刺激されて、魅惑されて存在が許されるのだ。その歯止めはいらない。そして、余りにも多くなると、代用品にまで手を染めるようになる。正式な場所でもなければ模造のダイヤを指にはめて満足する貴婦人の安心感のように。落としても失ってもかまわないのだ。本物は箱にでもおさめて大切にしよう。