繁栄の外で(21)
秋になり自分もなにか学んだほうが良いのではないのかという結論に達する。バイトはそのまま続けていたが夜の数時間をつかって、なにか出来ることを考えた。「夢の実現」というぼんやりとしたものが、まだ手の内にあった時代でもある。
家からもそう遠くない場所で、ある文化的な教室がいくつか開かれていた。そのなかに「シナリオ・ライター講座」というものがあって、本物の先生が一年かけて教えてくれるということなので自分も申し込んだ。また机にすわって何事かを学ぶことを自分は楽しんだ。そういうことが好きな自分を再発見したわけだ。それだけでも、自分には効用があった。
週に2日、それは夜毎に行われ、自分は特別なことがあるとき以外は必ずそこに座っていた。そして、時間が過ぎると自分の頭の中でも文章としての秩序のもとに言葉を組み立てていることを知る。
新たな環境に入れば、新たな人間関係が構築される。本気でそれを職業として目指そうとしている人。暇な時間を利用して文化的なものに触れたがる人。物事を捉えるきっかけとして、裏側を知りたがる人々。ぼくは、ただ単純に印刷された文章にあこがれていただけだろう。
忙しかったが、そのように時間をやりくりして勉強することを多恵子は喜んでくれた。ぼくのことをずっと賢い人間だと彼女は思ってくれていた。たぶん、そのような声援と期待がぼくのこころをくすぐってもくれたのだろう。それで、もしかしたら彼女は退屈だったかもしれないがふたりで映画にいくことも多くなった。ぼく一人で観ることの方がもっと多かったかもしれないが。
そのクラスでぼくにたくさん話しかけてくる女性に出会った。ぼくが知っている、つまり接しているのは、いままでは同年代の女性だけだったが、彼女はそこからはずれていた。名前はみゆきさんと言った。
彼女は20代の後半で、勤務が終わったあとそこに通ってきていた。それで、そこに集まっている中では一番きっちりとした服装をしていた。もちろん、化粧も手を抜いていないことが多かった。たまに仕事が休みのときはもっとリラックスしている姿を見せることもあったが。
誰かと話すことが根本的に好きらしく、家庭の主婦などもいたがみな授業が終わると、さっと引き上げてしまったが、ぼくはそんなに急ぐこともなかったので、それでぼくに目をつけたのかもしれない。お茶ぐらいならと断る理由もないので(自分はずっと断る理由がないことだけで生きてきたような気もしてきた)付き合うようになった。それは、いつの間にか習慣化してきてしまった。ぼくは、授業を受けることとそれとを同じものであると認識してきてしまった。まあ、とても洗練された女性であったので、とても楽しい瞬間がもてたのだが。
ある日、うすうすとは知っていたが、彼女は結婚していることを知る。その相手は、当時でもいまでも一流と呼べる会社に勤めていた。そのような人が5時半にきっちりと帰れるわけもなく、いつもみゆきさんは時間をもてあます形になる。それで、彼女はまだ学生時代に習ったことのあるシナリオをもう一度学んでみることにしたようだ。それを夫にいうと、「そうしたいなら、そうすれば」という答えであったようだ。それで彼女はそうした。
こういう時間がぼくに不図おとずれたわけであるが、多恵子とは正式に付き合っているような形を保っていた。当然のこととして、彼女と話していると幼く感じてしまうときも出てきた。最初のうちは幼いイコール可愛いということでもあったが、ほんのたまには物足りないこともあった。期待以上のことを求めていたのかもしれないが、自分の気持ちを偽ったりすることは、自分には出来なかった。それを表情にまで出すことはないが、心の中で泡粒のように芽生えてしまうことは否めなかった。だが、大筋では好きであることは間違いのないことだった。
ぼくは一人でいて、誰に指図も受けずにのんびり本などを読みながら寝そべっている自分のイメージを確立したいような気持ちがいつもあった。そこは快適な風が通り過ぎる芝生でも良かったし、きれいなカーテンが心地よくなびいている家でも良かった。しかし、現実はもうちょっと忙しいものだった。忙しいことは窮屈さにつながっていく。自分の人間関係もひろがる予感があった。それは嬉しかったことだが、同時に責任が生まれるということでもあった。そのように考えていると、多恵子から電話があって現実に戻ってくる。
秋になり自分もなにか学んだほうが良いのではないのかという結論に達する。バイトはそのまま続けていたが夜の数時間をつかって、なにか出来ることを考えた。「夢の実現」というぼんやりとしたものが、まだ手の内にあった時代でもある。
家からもそう遠くない場所で、ある文化的な教室がいくつか開かれていた。そのなかに「シナリオ・ライター講座」というものがあって、本物の先生が一年かけて教えてくれるということなので自分も申し込んだ。また机にすわって何事かを学ぶことを自分は楽しんだ。そういうことが好きな自分を再発見したわけだ。それだけでも、自分には効用があった。
週に2日、それは夜毎に行われ、自分は特別なことがあるとき以外は必ずそこに座っていた。そして、時間が過ぎると自分の頭の中でも文章としての秩序のもとに言葉を組み立てていることを知る。
新たな環境に入れば、新たな人間関係が構築される。本気でそれを職業として目指そうとしている人。暇な時間を利用して文化的なものに触れたがる人。物事を捉えるきっかけとして、裏側を知りたがる人々。ぼくは、ただ単純に印刷された文章にあこがれていただけだろう。
忙しかったが、そのように時間をやりくりして勉強することを多恵子は喜んでくれた。ぼくのことをずっと賢い人間だと彼女は思ってくれていた。たぶん、そのような声援と期待がぼくのこころをくすぐってもくれたのだろう。それで、もしかしたら彼女は退屈だったかもしれないがふたりで映画にいくことも多くなった。ぼく一人で観ることの方がもっと多かったかもしれないが。
そのクラスでぼくにたくさん話しかけてくる女性に出会った。ぼくが知っている、つまり接しているのは、いままでは同年代の女性だけだったが、彼女はそこからはずれていた。名前はみゆきさんと言った。
彼女は20代の後半で、勤務が終わったあとそこに通ってきていた。それで、そこに集まっている中では一番きっちりとした服装をしていた。もちろん、化粧も手を抜いていないことが多かった。たまに仕事が休みのときはもっとリラックスしている姿を見せることもあったが。
誰かと話すことが根本的に好きらしく、家庭の主婦などもいたがみな授業が終わると、さっと引き上げてしまったが、ぼくはそんなに急ぐこともなかったので、それでぼくに目をつけたのかもしれない。お茶ぐらいならと断る理由もないので(自分はずっと断る理由がないことだけで生きてきたような気もしてきた)付き合うようになった。それは、いつの間にか習慣化してきてしまった。ぼくは、授業を受けることとそれとを同じものであると認識してきてしまった。まあ、とても洗練された女性であったので、とても楽しい瞬間がもてたのだが。
ある日、うすうすとは知っていたが、彼女は結婚していることを知る。その相手は、当時でもいまでも一流と呼べる会社に勤めていた。そのような人が5時半にきっちりと帰れるわけもなく、いつもみゆきさんは時間をもてあます形になる。それで、彼女はまだ学生時代に習ったことのあるシナリオをもう一度学んでみることにしたようだ。それを夫にいうと、「そうしたいなら、そうすれば」という答えであったようだ。それで彼女はそうした。
こういう時間がぼくに不図おとずれたわけであるが、多恵子とは正式に付き合っているような形を保っていた。当然のこととして、彼女と話していると幼く感じてしまうときも出てきた。最初のうちは幼いイコール可愛いということでもあったが、ほんのたまには物足りないこともあった。期待以上のことを求めていたのかもしれないが、自分の気持ちを偽ったりすることは、自分には出来なかった。それを表情にまで出すことはないが、心の中で泡粒のように芽生えてしまうことは否めなかった。だが、大筋では好きであることは間違いのないことだった。
ぼくは一人でいて、誰に指図も受けずにのんびり本などを読みながら寝そべっている自分のイメージを確立したいような気持ちがいつもあった。そこは快適な風が通り過ぎる芝生でも良かったし、きれいなカーテンが心地よくなびいている家でも良かった。しかし、現実はもうちょっと忙しいものだった。忙しいことは窮屈さにつながっていく。自分の人間関係もひろがる予感があった。それは嬉しかったことだが、同時に責任が生まれるということでもあった。そのように考えていると、多恵子から電話があって現実に戻ってくる。